第4話 夜叉
国の南西部、革命軍の支配地域と国軍の支配地域の境界線のあたりに、奇妙な男性が一人立っていた。彼は顔の半分を覆う青い鬼の面をつけている。
空のような青さでも、海のような青さでもない。もっと濃く、重く、恐ろしい青鬼の面。
そんな恐ろしい面をした男が、屋台の前でぼうっと立っていた。腹をすかしているのか、屋台で焼かれているソーセージをじっと見ている。
周囲の人は遠巻きに彼を見ている。肉体は無駄なく鍛えられており、強靭な事は明らかだ。しかもその上、戦闘の痕跡とみられる傷跡がそこかしこにみられる。恐ろしげな仮面ともあいまって、非常に目立つ。だが恐ろしくて声はかけられない。通行人は彼の存在に気が付きつつも、その姿を横目に見ながら素通りするだけだった。
そこへ一人の女性が通りがかった。その女性は何かから逃げるように必死に走っていた。
大きな銃を担いだ彼女は幼さが残る顔立ちで、少女と女性のちょうど中間のような見た目をしている。武器以外に目立った荷物は何も持っておらず、盗人の類ではないように見える。
女性はすぐそばの路地へ入っていく。そしてその後を追うように軍人とみられる男が二人、路地へ入って行った。
なんとなく気になって、青年は路地の中へ歩いて行った。
路地の暗がりで女性が、軍人二人に抑えつけられている。それがあまりに強引に見えたので、青年は近づいて一声かけようとした。
すると突然、片方の軍人が青年に向かって怒鳴ってきた。だが青年は怒鳴り声など恐れなかった。青年には、軍人二人を同時に相手にしても勝てる自信があったからだ。
舐められていると思ったのか、怒鳴ってきた軍人は、拳を握りしめ殴りかかった。
それは彼我の実力差を考えていない、愚かな行動であった。青年の裏拳が軍人の顎をとらえ、声を上げることもできず気を失った。
もう一人の軍人はとっさに剣を抜き、切りかかった。剣を抜いたことは正しい。だが二人の実力差は、武器の違いなどで埋まるようなものではなかった。
次の瞬間には軍人は二人とも地面に倒れていた。はたで見ていた女性でさえ、何が起きたか理解できない。
そしてその後、青年もまたゆっくりと折り重なるように倒れていった。
女性は驚いて声を上げた。そして彼女は倒れた青年に焦って駆け寄り、声をかけた。そして聞こえる大きな腹の音。女性は気が抜けて、尻餅をついた。
「すまない、何か奢ってくれないか? 腹ペコなんだ」
男は申し訳なさそうにそういった。
鬼面の男は、国の南西部にあるとある酒場で芋をほおばっていた。屋台のソーセージを奢ってもらった後、この酒場まで連れられたのだ。あの路地裏から、検問を避けて歩いて二時間。ここは反乱軍の支配地域だ。
鬼面の男は味など気にしないとばかりに、勢いよくかぶりついている。空腹が最高のソースだとよく分かるたべっぷりだった。
革命軍は国の南東を支配しているが、その支配は盤石なものではない。正規軍との戦いが日夜続いている。しかも今は実りのない冬だ。だから食料にも余裕はなく、空腹で倒れていた青年に渡せるものが芋しかない状態だった。食べ物がないと言うほど飢えてもいないが、人に施せるほど余裕はない。
余裕をなくした人間は、他人の事を気にする事はできない。青年がそのまま路地裏に放置されなかったことは、きわめて運が良かったと言えるだろう。
青年が助けた女性は青年の前に座って、一心不乱食べる青年をどこかほほえましそうに見ている。
彼女は給仕の服を着ている。その姿は板についており、酒場の店員であることがうかがえる。
彼女はがつがつと芋をほおばる青年を見て、おかしそうに笑った。
「俺の顔になんかついてるかい?」
「立派なお面が。いえ、そういうことではなく、あまりにもおいしそうに芋を食べるので、その姿が少しおかしかっただけです。申し訳ありません」
「久しぶりの食事だからな。腹が減ってりゃなんでもごちそうだよ。君がいなければ飢え死ぬところだった。本当に助かったよ」
そう言うと男は再び芋にかじりついた。がつがつと芋にかじりついて、あっという間に食べきってしまった。
「ごちそうさん。おいしかったよ。本当にありがとう。助かったよ」
青年は両手を合わせて、頭を下げた。女はその見慣れぬ仕草を見て、かなり遠くの地からここへやってきたのだろうと想像した。
彼女は知らなかったが、それは海を越えてさらに向こう、極東の風習だった。
「いえいえ、当然のことをしたまでです」
彼女は笑顔でそう言った。役に立ててうれしいと、笑顔を形作っている。
「本当に助かったよ。まさか町の中で飢える日が来るとは思わなかった。俺は夜叉。君の名前は?」
「こちらこそ助けてくれて本当にありがとうございました。私の名前はエイミー。エイミー・カールトンです。エイミーと呼んでください、夜叉さん」
「エイミー……カールトン……いい名前だな。胸に刻んだよ、その名前。でも申し訳ないが、夜叉さんはやめてくれないか。なんだかむず痒い」
「ああすいません、革命軍には年上の人ばかりなのでつい」
革命軍は当然のことながら戦うための組織だ。ならば当然として戦力になる大人が多いのは当たり前だ。若者は多くても、エイミーのようなまだ幼さが残る年のものは少ないに違いない。
戦争が激化すれば少年少女も駆り出されるだろうが、まだその段階には達していないようだ。
「すまん、その方が呼びやすいなら、それでいいんだ。ただ俺がそう呼ばれることに慣れていないだけだから」
エイミーがすいませんと謝るので、夜叉は思わずそう言ってしまった。命の恩人に頭を下げされるぐらいなら、自分ががまんした方がいい。
「ところで、さっき……革命軍って言ったよな……」
「はい、この国……イリアンソス王国は現在、内戦中です。政府と軍の横暴に耐えきれなくなった私たち国民が、革命軍を立ち上げて戦いを挑んだんです。人々の協力もあり、イリアンソス帝国の南西部、つまりはここを支配するに至りました。夜叉さんが倒れたのが、ここの近くで本当によかったです」
「その……あのまま放っておかれたらどうなるんだ?」
「身ぐるみはがされて放置か、売られて奴隷でしょうね。あの寒さなら凍死もあり得たでしょう。そして最悪の場合だと殺されます。人をいたぶるのが趣味の人もいますので」
「そりゃ怖い。運が良かったよ」
「まともな人たちもいるんですけどね…………賄賂が横行したせいで、上がダメになってしまって…………そこからどんどんひどくなって、今の状態になったんです。武力を持った軍がその有り様なので、政府も止められなくて、それどころか今では力づくで従わされてる状態です」
悲しそうな表情でエイミーは足元を見下ろす。
だけどすぐに顔を上げて、前を向いた。
「すいません旅人のあなたにこんな話をして。でも、夜叉さんが再びこの国を訪れる頃には、笑顔あふれる国にしますから。ぜひまた来てください」
笑顔あふれる国に変えると、強い意志を感じさせる声で言ったエイミーから、夜叉は目をそらしてしまった。
夜叉は祖国を捨て、逃げ出した旅人だ。
「この国が好きなんだな」
「私の生まれた国ですから。それに、昔は……と言っても昔を語れるほど生きてはいませんが……昔は良い国だったんですよ。物心ついたばかりの頃、うっすらとした記憶ですが、笑顔あふれる国だったことを覚えています」
エイミーは窓から外を見た。
過去の面影は今の国にあっただろうか。
突然の事だった。二人が話しているところに、遠くから爆発音と、何かが壊れる音が響いてきた。そしてほぼ同時に店内にベルの音が鳴り響いた。
革命軍の話を聞いていた夜叉は、それが何の音が瞬時に推測できた。
「敵襲か?」
「……はい……おそらく、町の外から砲撃されています」
エイミーの目が変わった。戦いに臨む兵士の目だ。
「怖い目だ……そんな目はしない方がいい」
「せっかく来ていただいたのに、申し訳ありませんが、できればすぐに出国してください。今この国にいるのは、危険ですから。そして……勝手なお願いですが、二年後か、三年後かにまたこの国へいらしてください。すぐに、平和で笑顔あふれる国にしてみせますから」
エイミーは銃を手に取り、目を閉じて、願うように言った。その顔には決意が宿っていた。
絶対に勝つという信念。守ると言う決意。その顔つきはまさに戦士のものだ。だが体の小さなエイミーに対し、武器は大きく不釣合いだ。また体つきも鍛えているようには見えない。
武器を持つよりは、給仕の格好のほうが似合う。
店を出て行くエイミーを見ながら、そのことを言ってやったほうが良かっただろうかと、夜叉は考えた。
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