第3話 解放の条件

 寒くて暗い牢の中で羅刹は暇を持て余していた。

 殺人未遂なら普通は死刑にはならないだろうが、まともな刑が科されることは思えなかった。良くて死刑、悪くて私刑、現実的なところで奴隷行き。


 まずは牢獄から脱出しなければならないが、その方法は見つけられずにいた。

 壁を見ながら穴をあける方法を考えていると、足音が響いた。軽くてかたい足音。おそらく女性だろう。


 すぐに別の牢から、出してくれ、助けてくれと哀願の大合唱が始まった。やってきたのは牢番だろう。どんな人間であれ、牢屋の中で望むことは出る事だけだ。

 羅刹は壁の方を向いたまま、穴をあける方法を考え続けた。牢番相手に意味がないと知りながら頭を下げ続けることは、羅刹のプライドが許さなかった。


 足音は羅刹の牢の前で止まった。


「囚人二十三番。こっちを向け」


 羅刹は呼ばれていることは分かったが、振り向かなかった。その理由がなかった。

 ちっぽけな反抗だが、腹が立って仕方がなかったのだ。


「もう一度言う、囚人二十三番。こっちを向け」


 羅刹はなおもその言葉を無視した。羅刹は誰かに従わされることが嫌いだった。


「お前にとっていい話を持ってきた。牢から出たければ振り向くんだな」


 だがその提案だけは無視できなかった。罠だとは分かっていても、反応せずにはいられない。羅刹は牢から出る方法を見つけれずにいたからだ。ろくでもない交換条件が付くだろうが、ここに居続けるよりはましだ。


 羅刹は壁を向いたまま、答えた。


「仮面を返せ。そしたら話を聞いてやる」


「囚人の癖に偉そうだな。次にそのような態度を取れば、貴様の頭と胴体と切り離してやるからな」


 からからと土の上を何かが滑る音がして、羅刹の前に真っ赤な鬼の仮面が転がってきた。

 羅刹はそれを手に取り、被った。

 冷たい。

 だが顔は隠せた。誰にも見せたくない、醜悪な素顔。


「……あんたか」


 鉄格子の向こうに立っていたのは、羅刹を捕まえた女隊長だった。炎のような赤毛に、冷たい目付き。鏡のように磨きあげられたサーベルが、人を切り裂く瞬間を待っている。

その女はサーベルのようだった。存在が剣のようだった。


「俺をとらえた女がなんのようだ?」

「そんなに素顔を見られるのが嫌か?」

「お前には分からないだろうな。そのまっすぐな目、恵まれた環境で生きてきた証だ。砂や泥の味なんて知らないだろう」

「私はそれを教える側だからな。砂にすらかじりつくほど飢えた囚人ぐらい、何度も見てきた。お前もそうなりたいか?」


 羅刹は女に聞こえるように舌打ちをした。立場は向こうが上だ。羅刹はただ従うしかない。女は牢屋の前にいて、羅刹は牢屋の中にいる。どれだけ腹を立てても、この力関係はひっくり帰らないのだ。


「ちっ。何の用だ? 暗殺か? わざわざ囚人を使うぐらいなんだ、どうせろくでもない依頼だろう」


 羅刹が吐き捨てるように言うと、女は首を横に振った。

 鋭い眼光が、磨き上げられたサーベルが、正義を体現している。真っ赤に燃える赤毛は、その正義の苛烈さを示している。


「私の部下になれ。軍人五名と対等に戦えるその戦闘能力が、わが軍には必要だ。近頃、革命軍の動きが活発になってきている。決戦の日は近い。腕の立つものは一人でも欲しい」


「それなら他を当たれ。暴れたりない奴なら、ここにいくらでもいるだろ」


「薄汚い犯罪者共はあまり使いたくない。お前も犯罪者ではあるが、まだましだ。お前がやったことは、ただの過剰防衛だからな。手を出したのはこちらだ、非はこちらにある。それにお前、猛毒だと偽って弱い毒を使っただろう。その甘さも必要だ。革命軍とはいえ、相手は国民だからな。手加減が必要になる時もある」


 羅刹は冷静に考えた。革命軍との戦い……つまり今この国は内戦状態にある。そして羅刹を頼るぐらい余裕がない。おそらく激しい戦いになるだろう。戦場に出れば死の危険性は高まる。だがこのまま牢に入っていても危険なことに変わりはない。必要とあればこの女はあらゆる手で羅刹を追い詰めてくるだろう。


 羅刹は悩む。脱獄手段を探すか、それとも目の前の女に従うのか。はたしてどちらのほうが安全なのか。


「うなずけ。お前はただ従うだけでいい」


 黙っていると、女は強い口調で命令してきた。


「俺は命令されるのが嫌いなんだ」

「ならばこのまま牢獄で一生を過ごすか? お前のような鬼にはピッタリだな」


 羅刹は目の前の女をにらみつけた。仮面越しなので表情の変化は伝わらないだろうが、殺意は気配で伝わるはずだ。だが女は怖がる様子一つ見せない。泰然と構えている。


「嫌なら私の部下になれ。お前の実力があれば、革命軍の討伐はかなり楽になる。私の可愛い部下たちが命を落とすことも減るだろう。討伐が終わったらお前は金を受け取って町を出る。いい取引じゃないか。旅人なら金はいくらあっても足りないだろう」


「命令されるのが嫌だって言ってんだろ。膝をついてお願いしますと頼むんなら、二つ返事で受けてやる」


 羅刹はそう吐き捨てた。それはただ子供のように苛立ちをぶつけただけだ。

 だから……本当に頭を下げられたらどうするか、考えていなかった。


「それぐらいなら安い御用だ。私のプライドなど、この国の未来に比べたら安い」


 そういって女は膝をつき、頭を下げた。膝をつき、頭を下げても、女の持つ気高さは全く衰えない。

 どこが安いんだと、羅刹は思った。見栄だとか外聞だとか、そんなくだらないことにプライドを持っていないではないか。この女にとってプライドとは、成し遂げた功績に違いない。

 囚人を前に低く頭を下げるその姿を、羅刹は笑えなかった。


「羅刹。……俺の名は羅刹だ。部下の名前ぐらい知っておいた方がいいだろう」


 女は立ち上がり、右手を前に出した。


「私はセレナだ。よろしく頼む」


 羅刹はその手を取らず、握手を拒否した。


「さっさと出せ。協力はするが、お友達になる必要はないんだろ」

「上司と部下に信頼関係は必要だ」


 セレナは真摯に手を伸ばし続けた。その様子を見て、意地を張ることを諦めた。まるで自分が子供みたいに思えたからだ。

 武骨だがきれいな手を、羅刹は取った。


「そういえば一つ聞きたいことがあったな」

「なんだ? 答えられる範囲なら答えてやるぞ。信頼関係とやらのためにな」


 セレナは羅刹の顔を、いや、羅刹の顔の半分を覆う真っ赤な鬼の仮面を見て聞いた。

 誰もが疑問に思うであろうことを、聞いた。


「どうしてお前は鬼の仮面なんて被っているんだ?」

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