第七章 訐揚(ケツヨウ)  8 優梨

 この男は何を言っているのか。優梨は影浦の発言がにわかに信じられなかった。

 影浦は続ける。

「だって、小切手が個人名になっていますよね。普通、振出人が会社なら会社名が書いてあるけど、ここには書いていません。それに、覚書に記載されていない内容なのに、会社からこれだけの大金を持ち出すなんて、決裁が通ると思えません」

「そ、それは……」

「きっと、社の名誉をかけて自腹を切ったと思います。でも、今回の不正献金は、バイ社長の個人の不正行為だと疑われている。あなた個人に道義的責任はないのではないのですか?」

 優梨は突沸するくらいの怒りを懸命にこらえた。ここは店内で、白石や大佛社長もいるからである。しかし、それでも溢れた怒りを影浦にぶつけざるを得なかった。

「な、何言ってるの!? あんた? 素直に受け取りなさいよ、こら! あんたにはどうしても大学に行ってもらいたくて、いろんな人を巻き込んでまでも動いてきたのに! いま道義的責任と言ったけど、あんたはそれに応えるのが道義的責任を果たすことになるんじゃないの!? 日比野くんが、『能力を持った者は、その能力を行使する責務がある』って言ったことがあって、その通りだと思ってるんだけど、あんたはその能力があるんだからそれを行使することが責務なんじゃないの!?」

「……」勢いに圧倒されたのか、影浦は押し黙っている。

「何、誰かの経済的援助は受けたくないだの殊勝なこと言って、私たちへの迷惑は考えないわけ? え?」

 影浦は、何も優梨に大学行かせてくれ、と頼んだことは一度たりともない。だから、影浦にとってはそんなこと言われる筋合いはないのかもしれないが、それでも優梨は言わざるを得なかった。優梨は続ける。

「少しは甘えたらどうなの? 私たちはまだ高校生なの。誰かにすがらないと生きていけないの! 人間的にも経済的にも! 現に、あんただって紺野所長の助けを借りて生きてるわけじゃない! 去年の夏休み、出血多量で危篤状態になったときだって、お母さんやくろさんの努力で助けられたんじゃない! 人間一人じゃ生きていけないの!」

「ごめん」

 小さな声で影浦は謝った。これが大佛社長からのお金を受け取る意思なのか、やはり受け取れないという意思なのか、分からない。

 

 続いて、しばらく黙っていた白石麗も口を開いた。

「私も、決勝の前には、影浦くんをヘッドハンティングしようと失礼なことを言ってしまったと思ってる。実は、順風満帆に見えるかもしれないけど、私たちの会社はここ数年かなりの損失を被ってる。まずは、本社のあるフランスは、ご存じの通りここ数年テロがありました。2015年のパリ同時多発テロ、その翌年のニーストラックテロ。これで、私たちだけでなく、フランスの企業の株価は下落したけど、決定的に痛かったのはニースのトラックテロ。このテロで使われたトラックが、NOUVELLE CHAUSSURES社製だったって噂が流れたの。それがいわゆる風評被害となって、一気に株が売られた。販売台数も落ち込んだ。そこで、一気に形勢を逆転したいと日本への進出を積極的に図った。また、社の幹部は、私の父含めて年齢もかなり高くなってきていたので、若い風を入れたいと優秀な人材の青田買いを積極的に行ってきた。そして、私の兄のバイフェイロンも次期後継者として期待されていた。でも、兄はF1事故で死んでしまった。立て直しを図った矢先の最大のダメージだった。日本の『愛血会』に依頼していたBombay型の血液が、あなたたちの決死の抵抗で守られたから、結果的に兄は助からなかった。もちろんあなたたちを責めることはできない。でも事件について内偵したところ、供血者となるはずの影浦くんが、天賦の才ともいえる英才の持ち主だということが分かり、Bombay型というシンパシーを感じたのと日本へのさらなる進出を懸けて、ヘッドハンティングをしようとした。でも調べるうちに影浦くんはお金では動かないこと。また、大城さんという強力なライバルがいること。それらがネックとなった。だから、知力甲子園の場で一対一の対決をしようと思ったのが、今回の顛末てんまつです」

「……ものすごい茶番に巻き込まれたってわけね」優梨はぼそりとつぶやいた。

「本当にごめんなさい。無茶苦茶な茶番に巻き込んどいてこんなこと言う筋合いないけど、私としても、影浦くんが高卒のままで就職してしまうのが惜しい。もちろん高卒でも立派な人はいるけど、教育の受ける機会をむざむざと放棄するのは良くない。私自身、教育には莫大な資金がつぎ込まれて、ここまでの教育を享受することができた。影浦くんは、世に羽ばたかなければいけない優秀な人です。だからこのお金を受け取ってほしい」

「……やはり無理だ」

「な、何で?」

「……」

 優梨が問うても影浦は答えない。普通なら二つ返事するところだが、『誰かからお金を受け取りたくない』というのは、この人間の根幹ともいうべきか、梃子てこでも動かしにくい。

 そのとき優梨の鞄からピコンと高く短い電子音が鳴った。

「ちょっと失礼します……」

 おもむろにスマートフォンを取り出すと陽花からのLINEメッセージだった。そこには驚きの言葉が書かれていた。

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