第七章 訐揚(ケツヨウ)  7 優梨

 随行していた中年の男性は何と『NOUVELLE CHAUSSURES Japan』という日本支部の代表だった。名刺にそう書かれていた。『大佛おさらぎ 広道ひろみち』というらしい。

 知らなかったが、どうやらその日本支部の中の本部が札幌にあるらしい。白石が札幌にある高校を選んでいるのは、それが理由だった。ちなみに外国人も多く受け入れている高校らしい。


「このたびは、弊社がいろいろとご迷惑をおかけしまして申し訳ございませんでした」

 ここはスターバックス。衆人環視ではないが、それなりに賑わっていて多くの客がすぐそばにいる中、支部と言えども代表者と、本社の社長令嬢の二人が頭を下げる。異様すぎる光景だ。

 謝罪の言葉は一回で良い。九月から始まる新学期のためとはいえ、名古屋〜札幌間の移動の手間を惜しまなかった。しかも、おそらく相当の権限を持つであろう人物がわざわざ頭を下げに来たのである。それだけで、誠意は充分伝わっている。

「もう頭を上げて下さい」

 献金は、白石麗の父の個人名義だ。きっとこの二人は関与していないと、素人ながらに思っている。

 優梨の言葉を受けて、二人は頭を上げた。


「単刀直入に申します。政治献金については、現在捜査中ということであり、私の耳にも詳細は伝えられていませんので、明言を避けさせて頂きます。社長令嬢の白石麗こと白鈴麗の交わした覚書について、書面には番組放映に係る弊社への利益の一部を、影浦瑛さんの学費に充てるということでした。しかし、一連の不祥事でヤマトテレビ局様は、知力甲子園の放映に後ろ向きになっております。仮に放映するにしても、弊社の名前を隠すかもしれません。また共催名義に係る契約には、弊社の一方的な瑕疵かしあるいは法律違反等の行為によって、テレビ局の不信任、不利益を被らせた場合、テレビ局の判断で契約を無効にすることができるということになっています。それゆえ、放映によって発生する利益はなかったことになります。しかし、立場上、加害者の疑いがかかっている弊社に、放映してくださいと、お願いすることができない状況です」

 想定どおりの残念なコメントが返ってくる。そして、放映されたとしても、共催企業名がマスクされてしまえば、契約は無効になったと同じ。その場合は、新たなスポンサーを募るのだろうか。『NOUVELLE CHAUSSURES』とアナウンサーが発していたところは、すべて差し替えられるのだろうか。優梨も返す言葉が思い付けなかった。影浦も押し黙ったままだ。

 大佛は続ける。

「しかし、それはあんまりです。放映されなかったりした場合、覚書どおりに進めば、弊社が影浦さんの学費を支弁する責務はありませんが、この場合、疑い段階とはいえ、弊社の関係者が起こしたスキャンダルで、あなた方には何の非もないのです。世界に車を売って、社名どおり『新しい靴』となるべく交通手段のみならず、安全な運転技術を提供し続けた我々が、そんな態度でいいのか。いいはずがありません。そこで……」

 大佛は鞄を探り始めた。

 来た、と優梨は思った。どんな補償をしてくれるのだろうか。

 鞄から取り出されたのは、一枚の小切手だった。提出人の名前には『大佛広道』とだけ書いている。額面に注目する。¥2,600,000と記載されていた。

「こちらは、一般的な国公立大学にかかる入学料と授業料の四年間に係る費用です。どうかこちらをお納め下さい」

 いや、待て。四年間と言ったが、四年制大学限定か。優梨は、確信を持って、影浦の頭脳は医学部に余裕を持って入学できるレベルと言える。少ないのではないか。

「あの、もし瑛……、いや影浦くんが、医学部に入りたいって言ったら、どうするんですか? 私立はダメなんですか!?」

 医学部は、言わずもがな六年間だ。また影浦には、国公立大学しか選ぶ権利がないというのか。すべての進学の道を補償して、はじめて補償と言える。しかも、影浦は現行法では、高校卒業とともに児童養護施設を出ないといけない。その衣食住に係る費用の工面については、何も触れられていない。

「すみません。社の決裁で、これが限度でした。勝手ながら、株価も暴落して、厳しい状況なのです」

「それは、それ以上にかかった費用は、会社が補填してくれるのが当然じゃないですか?」

「ええ。経理に取り合ってみますが、いまのところ確約は……」

 日本支部長まで来て、優梨はかなり期待してしまったが、どうやら誠意は不完全なものだったようだ。優梨は落胆した。

 そこは、我々のポケットマネーで、という粋なところを見せて欲しい。

 優梨は今度は、影浦に振った。

「瑛くん。入れるなら医学部入りたいよね? こんなんで足りる? しかも生活費は自腹だよ」

 具体的に影浦本人が大学進学をビジョンに入れていないため、医学部志望というのは出鱈目だ。ただ、交渉のためにはこれくらいの嘘も方便だ。

「大学には入りたいけど、医学部とは決めていません」

 バカ、と隣の石頭な恋人に心の中で毒づいた。そこは、嘘でもそう言いなさいって。

「いや、医学部って言ってたじゃない!」

 つとめて、穏やかに医学部志望という方向に持って行こうとするが、次に飛び出した影浦の言葉は、意外と飛び越えて、優梨の憤りを買うことになる。

「僕は、その小切手を受け取ることはできません。きっとそれ、あなた方のポケットマネーですよね?」

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