第七章 訐揚(ケツヨウ)  2 優梨

 優梨は日本に帰国しても、いっこうに気が晴れなかった。一年かけて準備し、念願の知力甲子園で全国優勝を成し遂げたにも関わらず最悪のモナコ旅行となってしまった。


 モナコ滞在中に、何とか運営側にもいろいろ問い詰めてみたが、何も言えないの一点張りで結局分からなかった。番組制作スタッフだけの判断ではなくテレビ局全体の判断が必要なのだろう。聞いても無駄だと分かっていても、つい八つ当たりのように聞いてしまったが、影浦が何度も仲裁している。

 当の白石麗にも当然詰め寄ろうと思ったが、決勝の会場には滞在せずとっとと行方をくらませてしまった。NOUVELLE CHAUSSURESの本社がフランスにあるからなのか、そこに滞在しているのだろうか。帰りの飛行機にも同乗していなかった。


 テレビ局としては、放映によって得られる利益か、どこよりも早く議員の不正をスクープすることによって得られる利益かで比較こうりょうした結果、後者を選択したのだろう。まったくもって妥当な判断だ。よって、取りあえず放映をお願いしてはいるが、難しいだろう。

 白石と交わしたあの覚書は、どれだけの効力を持つのだろう。確かに彼女が社長令嬢であっても役員でない場合、単なる紙切れに過ぎないような気がしてきた。つまり、覚書に効力があると思い込まれ優梨は騙された形となる。

 仮に法的効力を持ったとしても、契約書とは書いていない。契約書よりも法的効力が弱くなるのだろうか。シュワルツシルト半径を導出できても、そのような社会の常識に関しては通常の高校生レベルと大して変わらない。恥ずかしながらよく分からなかった。


 そして、もし放映中止となった場合には、児童養護施設への入所年齢上限の引き上げにも繋がらず、影浦はまんまと大学進学を諦めざるを得なくなってしまうのだろうか。せめて放映されれば、まだ望みはあるのだが。いままで、比較的恵まれた人生を送ってきた方だと優梨自身は感じているが、それが却って何とかなるだろうという希望的観測を生んでしまっているのだろうか。一方の影浦は、恵まれない境遇で人生を送ってきただけに、常に最悪を想定して生きている。常に最悪を想定しながら生きるのは辛いが、それが彼に堅実な生き方をもたらしてきたのかもしれない。


 現時点での最悪は、放映もされず学費を企業が負担するわけでもなく、当初の目的をまったく果たすことなく影浦が高卒で就職してしまうことだ。優勝したからこそ悔しい話だ。いっそのこと地区予選とか全国大会の一回戦で敗退してしまった方がまだ諦めがつく。


 いっそのことついでに、私も高卒で就職してやろうか、なんて無茶苦茶なことを考えた。そうすれば国立なら影浦に大学進学をプレゼントできるかもしれない。いまの学力なら、予備校の塾講師や家庭教師くらいできそうだ。いや、できたとしても、大卒の肩書がないままに採用されるのは、いくらなんでも厳しかろう。かと言って、勉強一辺倒で生きてきた優梨に他の職業への潰しなどきかない。社会性に乏しい。肉体労働なんてもってのほかだ。

 強いて言えば、歌唱力には自信がある。カラオケで陽花はよく褒めてくれる。見た目も良いから歌手になれるよ、なんて言ってくれるが、見た目の良い歌手は、テレビを観るとそこら中にいる。安定した収入を得られる者は一握りだろう。ボイトレをしているわけではないし、卓越した作詞・作曲のセンスがあるわけでもないし、残念ながら途方もない夢だと思った。それならば、YouユーTuberチューバーはどうだ。考えた瞬間、自分で一笑に付した。それもさっきと一緒だ。

 もうくだらないことをあれやこれや考えるのはやめよう。


 夏期講習にも受験勉強にも身が入らないものの、何もしないと悲しみとストレスに打ちひしがれそうになる。夜になると、未成年だからいけないと思ってっていた父親のお酒にまた手を出していた。沖縄出身の両親を持ち、アセトアルデヒド脱水素酵素にも自信がある優梨は、酒に酔うことはなかったが、それでも多少なりとも優梨の心からマイナス因子を取り去ってくれるような気がした。それでも、所詮は意味のない対症療法だ。原因療法になんかなり得ない。


 この不幸な現実は、陽花、風岡、日比野には共有できていない。ここまで付き合わせておいて、影浦の大学進学は反故ほごになった。ついでに放映も打ち切りになったなどと口が裂けてでも言えない。どんなバッシングを受けるだろうか。

 つとめて、皆の前では明るい態度を取っているが、当然、チームメイトは放映を楽しみにしていることだろう。放映されないと分かった時点で、チームメイトにはバレる。事情はすぐに悟られる。もはや時間の問題だ。そんなことを考えれば考えるほど、どうしようもできない状況にますます嫌気が差す。


 放映予定日は九月の上旬だっただろうか。時は過ぎて、八月も最終週になってしまったころ。

 ニュースでは、ヤマトテレビのスクープを受けて、野党が与党を糾弾する動きがみられる。臨時国会では、間違いなく問責のための国会質疑が行われるだろう。優梨は国会事情に詳しくないが、こんな状況で児童福祉法に関する法案審議がなされるのだろうか。

 同時に、影浦の洞察力もかなりなものだと舌を巻かざるを得ない。政治資金規正法では、外国人や外国法人が株式の過半を所有する企業から献金を受け取ることを原則禁じている。よって、NOUVELLE CHAUSSURESからの企業献金を政治団体が受け取ることはできない。その抜け道として、代表取締役である白令哲が光民党の政治団体に個人献金をしたのだが、そのままではバレてしまうので、通名である白石令哲という名を用いたのだ。

 しかし、通名を使ったとしても日本人ではないので、違法であることは変わりない。それをヤマトテレビ局の記者は気付いていた。気付きながらも、誰が黒幕なのかを独自にサーチしていたのだろう。そこで藍原議員の名前が浮上した。つまりかい献金を疑ったのである。政治資金規正法は特定の政治家個人への献金を禁止しているが、迂回献金は政治家の所属する政党や政治資金団体へ供与された政治資金を、いち政治家がそこから資金を受け取ることである。間接的であれ、政治家個人への資金供与にあたることから、予てから違法性を指摘されながらも、明確な禁止規定が現行法においても存在しないことから、これ自体は摘発、立件が見送られるところだが、世間的に見れば、充分バッシングの対象になり得る。外国人からの政治献金という明らかな違法行為と重ね合わせて迂回献金も一気にスクープし、政治家に求められる道義を世に問いたかったのだろう。

 しかし、その黒幕の政治家が番組を応援しているだけならともかく、(恐らく)議員の個人的な申し入れで挨拶までしてしまったこと、さらには供与側の外国人が、共催企業の代表取締役だから、これはテレビ局としても看過できない問題だったのだ。放映されないだろうが、果たしてどうなったのか。しかし待てど暮らせど、テレビ局から放映中止の連絡はない。そんなことを参加者に対して律義に連絡を寄越すかどうかも分からないが、個人的に出場を打診された身としては、それくらいの礼儀があってもよいのではと思った。


 そのとき、一通の優梨宛ての手紙が届いた。テレビ局からかと思ったが、差出人の名前を見て非常に驚いた。

 そこには『白石麗』と書かれていたからだ。

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