第六章 決戦(ケッセン)  9 優梨

「第三十八問! 『デュアルアンサー早押し』です!」

 再び新形式のこの問題。優梨も少し慣れてきた。分かったら、まず早押しを試みる。たとえ問題を全文聞けないとしても、先に解答の一つを削れるというアドバンテージは大きいと思う。

 先ほどの問題で、優梨が『ヌタウナギ』と解答していたら、さすがに白石は『ヤツメウナギ』と解答できていたように思える。

「これまで抹消された世界遺産、二つをお答えください」

 非常に短い問題。一瞬これで終わりかと耳を疑った。そして、これらの答えが分からない。登録されている1,000以上もの世界遺産はある程度把握しているものの、抹消された世界遺産はマーク外だった。

 そして、ポン、と隣からボタンを押す音がする。

「札幌螢雪高校チーム、白石さん!」

「アラビアオリックスの保護区」

 無音、そして無言。問題文は読み終わっているので、ここで押さないと自動的に誤答扱いとなる。とりあえず押す。しかし、知らないものが、天啓のように突如湧いてくるなんてことなどない。

 何か答えよう。危機遺産リストから言っておこうか。ひょっとして抹消されているものもあるかもしれない。

「バーミヤン渓谷」

 言ってみたものの、バーミヤンの石仏は、ターリバーン政権によって破壊された後に世界遺産登録されている。同時に危機遺産リストにも登録し、国際社会へ緊急支援を呼びかけているとあったような気がする。だから絶対違う。世間体的に何か答えなければ、と思い適当に答えただけの情けない解答を、優梨は恥じた。

 やはり優梨は嘲笑のような不正解音を聞き、かたや隣では正解音が鳴っている。

 もう一つは、ドイツの『ドレスデン・エルベ渓谷』らしい。残念ながら聞いたこともないが、『渓谷』だけは当たっていたなと、自分で自分を一笑に付した。


 なお、アラビアオリックスの保護区はオマーンにあり、世界遺産登録後、ユネスコの世界遺産委員会に無届で政府が自然保護区の範囲を大幅に縮減し、天然ガス・石油などの資源開発優先したことが、抹消の理由であるという。ドレスデン・エルベ渓谷も、その文化的景観を橋の建設によって失われたことに因るのだが、いずれも、世界遺産委員会の忠告を無視したことが共通している。一方で、誤答したバーミヤン渓谷のように、国際社会への緊急支援を呼びかけた世界遺産登録もあるし、原爆ドームやアウシュヴィッツ強制収容所のように、過去の人間の過ちの反省と世界平和を訴える意味合いを込めた負の世界遺産も存在する。

 世界遺産の登録は、自然的、文化的景観の保存だけでなく、世界に向けた人間から人間へのメッセージ性も大いに含まれるのでは、と改めて思う。


「優梨っ! 絶対負けないで!」

 陽花から活を入れられた。

「大城、まだ諦めるな! 諦めないでくれ!」

 風岡からもだ。

 いけない。いまはこんなことを呑気に考えてはいけない。試合に集中せねば。


「大城さん! 頼む!」

 さらには日比野からも、低い声が聞こえてくる。

「大城さん! 私からもお願い。最強の大城さんになってもらわないと、私は納得しないよ!」

 そう発言するのは、いつの間にか、日比野の横に来ている桃原千里。

 問題に集中して、チームメイトですら、そのエールが聞こえてこなかった。きっともっと、声援をかけ続けてきたのに、いつの間にか個人プレーになっていて、滄女のいちばんの武器である、チームワークをないがしろにしていたと認識してしまった。


「優梨! 優梨と離れたくないんだ」

 最後に聞こえてきたのは、恋人の影浦瑛の声。

 やはりそのように言われると胸に突き刺さる。

 あと一問で、影浦を失ってしなうかもしれないんだ。それが今の優梨にとってどれだけ辛いことか、そして影浦にとってもどれだけ辛いことか、考えるだけでも恐ろしい。

 しかし、チェックメイトはすぐそばまで来ている。


 せっかく並んだように見えたポイントも、たった一問で元のもく阿弥あみだ。

 しかも、優梨のライフはたった一ポイント、風前のともしだ。


 優梨はこれから、このような恐怖と隣り合わせの中、冷静さを保ちつつ、白石を制していかなければならない。そんなことができるのだろうか。これは高校の定期考査の紙上のテスト問題と違うのだ。自分だけの戦いではなく、相手も含めた戦いなのだ。

 でも、心を整える時間を与えてはくれない。白石は、一気に畳みかける気であろう。


「第三十九問! 『デュアルアンサー早押し』です!」

 どうにか、私の知っている問題来い、と心の中で優梨は叫んだ。

 そう、この問題が続く限り、優梨に解答権が与えられる。換言すれば、誤答さえしなければ、自分の点を減らすことはないのだ。

「日本将棋連盟の将棋棋士のタイトル戦のうち『王』という文字がつかないものをお答えください」

 また、意表を突く問題。両者ともボタンを押さない。

 将棋には優梨は詳しくない。受験勉強と知力甲子園対策一辺倒だった優梨に、スポーツやエンターテイメントの知識は身についているとはいいがたい。とどのつまり対策していない。テレビで聞いたことのある知識で絞り出してくることになる。

 先ほども中国将棋に関する問題だったが、今度は日本だ。日本に来て間もない白石ではなく、優梨にアドバンテージがあるはずだ。

 とりあえず、問題が全文読み上げられたいま、先にボタンを押さない意味はあまりない。優梨はボタンを押した。ポンと同時に、目の前のランプが光る。

「滄洋女子高校複合チーム、大城さん!」

 何か言おう。昨今、最年少棋士記録を塗り替えたられたり、棋士が国民栄誉賞を受賞したり、何かと将棋に関するニュースは多い。将棋と言えば名人だ。

「名人戦?」

 疑問符を付けたような解答だったが、まだ正解の判定は出ない。

 今度は、白石が解答ボタンを押す。

「札幌螢雪高校チーム、白石さん!」

せい戦」

 あまり聞きなれない名前だ。とにかく正解判定を待つしかない。

「判定は──?」

 待つこと三秒。正解音のみ流れる。何と両者正解であった。

 少し悩んでいるように見えたので、誤答してくれるのではないかと期待してしまったが、即座に分からなくても、おそらく過去に一回だけ目にした記憶の片隅の知識を、短時間で正確に引っ張り出してくるのだろう。優梨も記憶力には自信があるが、白石もかなりのものである。感心の連続である。

 ポイント差は変わらない。

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