第六章 決戦(ケッセン)  5 優梨

 優梨の解答は『1.92×10 10 km』。そして、白石の解答は優梨とまったく同じであった。そして千里は──、まさかの白紙であった。

 千里だけが不正解か、あるいは三者とも不正解かの二択となった。

「判定は!?」

 五秒ほどの沈黙のはずだが、妙に長く感じる。

 そして、優梨と白石の解答台が正解のランプが明滅した。白石のフリップはまるで予備校の講師が書いた板書のごとく分かりやすいものであった。

 千里は、宇宙論まではマークしていなかったか。しかし、通常の高校生はニュートン力学を勉強していても、まずブラックホールの大きさの求め方を導出できないだろう。大学で専門教育を受けていてはじめて分かる話ではなかろうか。

 しかも、いきなり出題されてこんな短時間で解答を出せただけでも奇跡だろう。

 これは、かねてから宇宙に興味を持っていた優梨にアドバンテージがあったと思われたが、実際には白石も正答している。まさしく金甌きんおうけつなる天才ではなかろうか。


 千里の表情は非常に暗いものになっている。蘇芳薬科大附属高校チームは二ポイントまで下げてしまったのだから当然だ。一時いっときは、白石、優梨よりもリードしていたのに、瞬く間にライフを失っていったのだから……。

桃原とうばる、何とかしろよ!」

 蘇芳薬科のチームメイトの男子の誰かの声がする。それは声援や激励といったものではなく、野次やじに聞こえる。千里は歯噛みしている様子だ。このチームは仲が悪いのだろうか。千里と他のメンバーとの間に、協調性があまり見られない。


「続きまして、第三十問! 早押し問題です!」

 早押しなので、千里がこの一問で敗退する恐れはなくなった。優梨は早押しボタンに手を添えて身構える。

「『怠け者』と『社会運動』とを掛け合わせた合成……」

 ポンと隣で音が鳴る。早い。優梨は分からなかった。

「札幌螢雪高校チーム! 白石さん!」

「スラックティビズム!」

 正解音。早い。そして正確無比である。この早さにはなかなか勝てない。

「『怠け者』と『社会運動』とを掛け合わせた合成語で、労力や負担を負わずに社会運動めいたことをする行為を、英語で何というでしょうか、という問題でした! 白石さん! 早い! お見事! さて、どのチームからポイントを消しますか?」

 次の言葉が、千里にとっての手痛い決定打となった。

「桃原千里さんでお願いします!」

 チーム名ではなく、個人名による指定。堂々とした物言いは挑発にも近い。そして千里は、とうとう一ポイントになってしまった。風前の灯である。白石の意図が分からないが、露骨である。

「桃原ぅ! 優勝しないなんて約束違反じゃねえか!」

 同胞からの野次は怒号に変わった。千里は孤立無援。そして白石からの集中攻撃。優梨は千里が気の毒に思えて、居たたまれなくなった。

 札幌螢雪高校チーム:大将・四ポイント。

 滄洋女子高校複合チーム:大将・五ポイント。

 蘇芳薬科大附属高校チーム:大将・一ポイント。


「続きまして、第三十一問! 早押し問題です!」

 すぐに次の問題が始まる。ここで白石が正答したら、次、千里は決勝から姿を消す。優梨は何とかせねばと思った。

「ギネスブックには、『世界一孤立した有人島』……」

 条件反射的に優梨はボタンを押していた。この問題は、事前に優梨はマークしていた。

「滄洋女子高校複合チーム! 大城さん!」

「トリスタン・ダ・クーニャ!」

 正解音。そして、ライフは当然、白石から消し去ることを宣告した。何とか、風前の灯の千里のライフを守る。日本にいたときはこんな方針になるなんてまったく予想しなかったが、千里は目を大きく見開いている。

「桃原! 何、助けられてんだよ!」

 再び蘇芳薬科のチームメイトからの野次もとい怒号。

 そして千里は耐えかねたか、言葉を発した。しかし、その相手は怒号を発したチームメイトではなくて優梨に向けられた。

「な、何で大城さん! とどめを刺さなかったの!?」

「えっ? そ、それは……」

 『あなたには敵意よりも情けが上回った』とは言えなかった。そんな言葉を千里は聞きたくないはずだ。

「桃原さん、あなたとは好敵手ライバルだから……。一対一で戦いたい」

「そんなの嘘! そんなお情けは無用。敵の数を一人でも減らしておくのが定石でしょう?」

 千里は顔を下に向けている。泣いているように見えた。優梨は千里にかける言葉を思いつけなかったが、白石にはただしたいことがあった。

「白石さん、何であなたは、先に桃原さんを狙ったの? あなたの標的は私だったはず」

 こんなオフレコ情報。カメラの前で言うものではないが、我慢ならなかった。

「覚書には、大城さんだけでなく、桃原さんが勝利しても、私の負けになる。狙って当然じゃないですか?」

 確かにそうだが、優梨と千里のそれぞれのライフを均等に削っていけば良いではないか。そう言おうとしたが、白石のこちらに向けた炯眼けいがんがあまりに鋭く、言葉が返せなかった。

 優梨を黙らすほどの威厳。このオーラは、彼女の無類の叡智に裏打ちされた彼女の貫禄なのだろうか。天才も度を超すほどになると、その瞳だけで気圧されるほどにまでなるのか。これが畏怖というものなのか。優梨がいままで生きてきた中で初めて味わった感覚だった。そもそも優梨を圧倒するほどの英才の持ち主に出会ったことなどないに等しいので、初めてなのは至極当然のことだった。

 優梨が押し黙っていると、再び白石が言葉を発した。

「予告しておきますけど、次、早押しで私が勝利したら、大城さん、あなたを狙います。先に桃原さんにいなくなってもらってもいいんだけど、こっちも事情があって、いてもらうだけいてもらったほうがいろいろ都合がいいんです。でも所詮、桃原さんはそれ以上でもそれ以下でもありません。どっかで適当にとどめを刺します。そして、大城優梨さん、あなたを最後に始末します」

「ま、まさか。白石さんって、スポンサー企業か何かの関係者!?」

 ここで千里ははじめて白石麗の正体を知るところとなった。

「ご明察。さすが、噂どおり桃原さんは察しが宜しいことで。私は共催の『NOUVELLE CHAUSSURES』の関係者です。でも安心なさって。クイズの内容については、私は何もタッチしていないし、知らされていないから。そんな不正を働かなくたって、充分勝てると思って臨んでいますもの」

 三塩アナウンサーの質問に回答しているときとは、別人のような冷酷な態度。まさしくこれが白石の本当の姿なのだろう。カメラもマイクも向いているが、そこはそこ、共催の『NOUVELLE CHAUSSURES』が放映されないように編集させるのだろう。社のイメージダウンに繋がるいかなる言動もカットされる。それが共催の特権だ。優梨は冷静を装っているが、心の中では怒り心頭であった。


「大城さん、私は白石あいつを倒すまでは白石あいつを狙う!」

 千里は宣言した。

「桃原さん、私もそうする。実は影浦瑛くんの命運が懸かっている! 白石さんに勝たないと!」

 優梨も呼応するように宣言する。しかし、白石はまったく狼狽うろたえたりはしない。

「上等です。私に勝てると思っていますの?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る