第五章 頡頏(ケッコウ)  5 優梨

 優梨は影浦の発言が信じられなかった。先ほどから想像の上を行く影浦や白石の発言が連続しているが、この発言もまた驚愕である。影浦は何を言っているのか。

「ど、どういうこと!?」優梨の胸の内を代弁するかのように、陽花がすかさず問うた。

「ごめん、こんなことを疑うなんて、僕も悪いと思ってる。特に、無実なら、僕はとんだ不届き者だろう。でも決勝を戦い抜く上で、これだけは確かめないといけない、と思ってる。もし、他の二チームだけではなくてチーム内部にも、滄女に対して脅威になる存在がいては、とても勝ち目はない」

 日比野は、うつむいている。まさか図星だというのか。影浦は続ける。

「疑う因子はいくらかある。まず、根本的なところから。何で、桃原さんはこの知力甲子園にエントリーしてるのか。彼女は優梨に勝つことが自分のすべてと考えて、それがある種行動原理になってると思う。よって、桃原さんは優梨がエントリーしてることを知ってたことになるけど、誰がそれを教えたのか。優梨や河原さんは、桃原さんを敵対視していたし、風岡くんも僕も、最近は優梨と河原さん以外で他校の女子と連絡手段はない。消去法で日比野くんじゃないかと考えられる。もちろん、白石さんが内偵の結果、桃原さんに情報を流した可能性はないとは言い切れないけどね。二つ目に、昨日の夜、ホテルに着いて目的地も告げず、急に日比野くんがいなくなったこと。日比野くんにしては珍しい行動のような気がしてる。あのとき実は、桃原さんに会っていた可能性がある。桃原さんは二回戦で、陽花に助け舟を出すなど不可解な行動をしてた。これは、どこかで桃原さんは優梨と同じフィールドで戦いたいと思ってると考えるのが自然で、そのために日比野くんに滄女チームの内部統制をお願いしたのではないかと思っている。最後に、確信的なのが、決勝前のさっきの試合。自分からヒントカードを取りに行く人間に名乗り出た理由の背景に、桃原さんとの情報共有を図る意図もあれば、納得がいく。ヒントカードを取りに行く間に、桃原さんと接触した可能性もあって、蘇芳薬科が『マカオ』と誤答したとき、日比野くんは不自然なほど茫然ぼうぜんとしてた。しかし、そのあと漢隼高校も誤答した。仕切り直しになったときに、桃原さんは日比野くんのことを睨んでたけど、日比野くんは罪悪感を感じたのか、『モナコ』と手話を送っていたのに気付いた」

「何だって!?」風岡はひどく驚いているが、優梨も驚いている。日比野の動きについては気付いていたが、まさか手話で信号を送っていたとは。しかし、それ以上に影浦の追及が、度を越している。

「日比野くんは、義理堅い性格だ。嘘もつかず、約束は必ず守る人間だと思ってる。そこに桃原さんは付け入った。悪く言えばね。このチームは、風岡くんと河原さん、優梨と僕がそれぞれ交際関係にある。日比野くんは、そんな関係を常に見せられて、どこかで嫌気が差してるのではないか、と桃原さんは踏んだんだ。どうやら、日比野くんは高校一年生のとき桃原さんを窮地から救った人間で、お見舞いもしていた。どこかで、桃原さんに対して想いを馳せていたと考えても決して不自然じゃない。だから、決勝戦で日比野くんが、桃原さんに肩を持つようなことがあると怖い。だから、癒着の可能性はなくしておかないといけないんだ!」

 日比野は押し黙っているが、とうとう優梨は限界に来た。何かがぷつりと切れる音がした。

 パシッ、っと大きく渇いた音がした。少し遅れて右の掌に痛みを感じた。気付くと、優梨は影浦の左頬を思い切り平手打ちしていた。影浦は衝撃で身体を横に向けて、表情は確認できないが、殴打された部位に左手を当てている。

「何言ってんの! バカ! バカバカバカ!! 日比野くんも、風岡くんも陽花も、私とあんたのために協力してんのよ! この不届き者! せっかくここまで来たチームの和を破壊しやがって! どうしてくれんのよ! こんな雰囲気で、決勝戦に勝てると思ってんの! 本当にバカ! 石頭! こんなんじゃ、私、白石さんの勝負に乗らなけりゃ良かった。あんたなんか、大学進学なんかせず、高卒のまま好きなだけ下働きしてりゃいいのよ! あんたのために一肌脱ごうと思った私がバカだった! みんなを巻き込んで、それでも許してくれて、ようやくすっきり前を向けると思ったのに、あんたはすべてを台無しにして! みんなに謝りなさい! このバカバカバカバカアアアアァ──!!」

 怒りが頂点に達したまま、着地点を失っている。ようやくこちらを向き直した影浦にもう一発平手打ちした。今度は影浦は衝撃で倒れ込んでしまった。当然左頬は真っ赤になっている。あまつさえ口から血も出ている。

 それを見ると、今度は何故か不意に涙が出てきた。影浦に対する怒りなのか、自分に対する怒りなのか分からない。でも止めどなく涙が溢れる。

 優梨は屈み込んで泣き崩れた。


 他の誰も何も発言せず、その場を収めることもできず、結果として無言のまま、その日はホテルの部屋に戻った。

 決勝に向けた対策を練ることはおろか、食事を摂ることもままならず、鉛のような重い布団を被って、無理矢理に眠りに就こうとした。

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