第五章 頡頏(ケッコウ)  6 優梨

 モナコへは、フランス経由で入ることとなる。

 しかし、直通便ではなく、はね、オランダのアムステルダム、フランスのニースのコートダジュール空港という乗り継ぎ便だ。いまは出国ロビーの保安検査場を抜けたところで待機している。

 フランスは言わずと知れた青、白、赤の三色旗トリコロールだ。優梨率いる滄洋女子高校複合チームの青いゼッケン、白石麗率いる札幌螢雪高校チームの白いゼッケン、桃原千里率いる蘇芳薬科大附属高校チームの赤いゼッケンは、奇しくも三色旗トリコロール然としている。

 しかし、決勝の舞台となるモナコの国旗は、赤と白の二色旗ビコロール。これは、あたかも白の札幌螢雪と赤の蘇芳薬科の二チームだけを許容し、我らが青の滄女を拒絶しているようにも感じられた。


 昨日のいさかいを経て、チームの雰囲気は最悪だった。化粧もせず、髪の毛もぼさぼさでまとまっていない。他のチームメイトも心なしか抜け殻のようだ。

 よくもこんな状態で、みんな揃って羽田まで来てくれたものだと逆に感心する。もはや、影浦を大学進学に行かせるという使命でもなんでもない。自分の栄誉を手にするためだけに動いているのだろう。そうでなければ、貴重な時間を消費してここまで付き合わない。そう感じていた。


 影浦の左頬は内出血し、幾分腫れていた。手を挙げたのは優梨だが、いま見ると痛々しい。影浦の発言は看過できないほど酷いといまでも思うが、理性を少し取り戻して改めて考えると、やはりリーダーとしてあるまじき行為だったかもしれない。

 影浦とはあれから口を利いていない。日比野に至っては、声すら聞いていない。真相は本人から明かされていないが、否定しないところを見ると、やはり桃原千里と接触していたかもしれない。


 ただ、覚書の内容を鑑みれば、千里が優勝しても、影浦の大学進学の夢は叶うわけだし、交際も継続できる。しかし、影浦はあくまで滄女の優勝にこだわった。もちろん優梨も、千里に負けるのはしゃくだが、だからと言って、日比野が隠したがっている自分だけの秘密を皆の前で暴露するのは、あってはならないと思う。人には誰にも語りたくない秘密の一つや二つは持っているものだ。そこに土足で上がる権利は、たとえチームメイトであっても誰も持っていない。


 今さらながら、日比野には悪いことをしたと思っている。日比野は、日々優梨たち四人(二組)の仲睦まじい恋人関係を見せつけられてきたのだ。いくら、クイズで勝つと言う共通目標を持っていても、快いものではないだろう。それでも日比野が文句を言ってこなかったのは、ひとえに日比野の優しさであって、優梨たちがそれに甘えてきたことに他ならない。まず、日比野に謝罪する必要があるような気がしてきた。日比野がいまどう思っているか分からない。きっと怒っているだろうが、ポーカーフェイスな表情からはいまいち読み取れない。謝ることで何かが前進するかも分からない。おのれのみそぎに付き合わせていると揶揄やゆされれば否定できない。それでも彼に謝らずにはいられなくなってきた。

 重苦しい雰囲気の中、意を決して日比野に話しかけた。

「ごめん、日比野くん。この大会に呼んでしまって」

「……何で謝っているんだい?」

「毎日、私たち四人がカップルの関係で嫌気が差したでしょう」

「そんなこと……ない。俺だってそれを分かってしてるんだから」

 『協力』という言葉に一抹の寂しさを感じた。いや、間違いなく優梨のために『協力』しているだが、どこかで自分の栄誉のために自分の積極的な意志で参加しているのではないか、とたかくくっていたところもある。でもそれは優梨のおごりだった。

「それならなおさらごめん」

 しばしの沈黙。いくら成績が良くても、こういう雰囲気を打開する方程式や定理は、優梨は持ち合わせていない。

「──俺、せん……、あ、いや、桃原ももはらさんから相談を受けていた」

 静かな声で日比野は言った。まさか日比野から切り出すとは思わなかったので意外だった。隠し事の苦手な日比野の、きっと勇気あるカミングアウトなのだろう。昨日、優梨もカミングアウトしたように──。

「うん。でも、日比野くんを私は責められない」

 一人の男子高校生なのだ。美人の千里にお願いされたら、通常誰だって大喜びで協力するだろう。

「桃原さんの出場する理由については、大城さんのお察しのとおりだと思うが……」

「うん。あのは、私に勝ちたがっている。そうだよね?」

「そのとおりだ」

「でも、私を挑発したりして笑い者にしたり、一方で陽花には助け舟を出したり、どこまで執拗なのかな、ってちょっとムカつく存在だけど」

「そ、それはな……。俺の印象ではちょっと違う」

 日比野は千里を擁護している。優しさなのか単にほだされているだけなのかは分からないが。

「どう違う?」

「桃原さんは、確かに大城さんに勝ちたいと思っている。でも、その一方で桃原さんは、大城さんのことを憧れの存在と思っている、と感じている。桃原さんが勝利したいのは、弱い大城さんじゃなく、最強に強い大城さんなんだ。それが、彼女の求めている大城さんの姿であり、彼女が真に勝ちたいと思っている目標なんだ」

 意外だった。その根拠とは何だ。

「ええ? どうしてそう言えるの? 陽花に助け舟を出したから?」

「もちろんそれもある。でも、それ以外にもある」

「え? 何?」

「大城さん、一回戦で敗退が決まったとき、気付かなかったかもしれないけどさ、桃原さんの表情は笑っていなかった。それどころか、かなり悲しそうだった。泣いているようにも見えた」

「嘘!?」

 何かの聞き間違いかと思った。

「桃原さんは、どんな形でも、たとえおとしめてでも、勝ちたいとは思ってない。それどころか、決勝で対峙することを心から夢見ているのだ。そして決勝で勝ちたい、と」

「……」

「俺はそれに気付いたから、桃原さんの気持ちを裏切ることはできなかった。影浦くんの言うとおりで、モナコを答えさせる問題で、俺は彼女に助け舟を出した。いまさらながら白状するよ。でも俺にもしんしゃくするだけの理由があったことを分かって欲しい」

「い、いや、だから、最初から責めるつもりはないよ……。でもあまりにも意外で」

「そうだよな。特に大城さんは、彼女に良いイメージはなかっただろうから」

「……」

 高校一年生での事件は、決して良い思い出ではない。辛い思い出だが忘れ去ることもできない。

「だから、桃原さんは、決勝の舞台で大城さんと対決することを心から楽しみにしている。チームの雰囲気を壊すような疑わしい行動をしていたことは申し訳ないと猛省している。でも、その一方で、大城さんの強い姿をみんな所望しているんだ。桃原さんに助け舟は出したけど、最終的にはうちが、蘇芳薬科と札幌螢雪に勝って欲しい。俺だって最強の大城さんが見たいし、何と言っても優勝したい。影浦くんの大学進学がかかっているのなら尚更だ。ただ、桃原さんも含めて相手は全力でぶつかってくる。それに勝つためには最大限のパワーを引き出さなきゃいけない。俺から言えたことじゃないが、チームリーダーとしてもう一度チームを一つにして鼓舞して欲しい。持ち前のリーダーシップを発揮して欲しい。都合のいいときだけリーダーを利用しているようで申し訳ないけど、いま一度チームをまとめ上げられるのは大城さんしかないと思っている」

 確かに都合の良い話だが、なぜか日比野の発言は心に響くものがあった。しかも、チームの雰囲気を悪くした直接的な原因は、優梨の平手打ちだ。あそこで、日比野に弁解のチャンスを与える理性が優梨にあったら、こんな状況にならなかっただろう。

「ありがとう。日比野くん」

「重ねて、申し訳ないと思っている」


 搭乗までまだ少し時間がある。まずは、直接手を下してしまった影浦に謝罪した。

 影浦も、白石の宣戦布告によって、冷静沈着な状態から逸脱していたようだ。いまでは心から反省しているようだ。優梨の謝罪を受けて、すぐに影浦は日比野に謝りに行った。

 そして、陽花と風岡も招集する。

「昨日は、いろいろとご迷惑をおかけしました。リーダーとしてあるまじき行為でした。心から反省してます。ごめんなさい」

 周りの奇異な目を感じつつも、優梨は深々と頭を下げた。

「ゆ、優梨、そんなことしないで頭を上げて」陽花はすぐさま言った。

「ビンタは良くなかったけど大城の気持ちも分からんでもない。俺は、五郎ちゃんもいろいろ事情があったんだと思ってる。気にしないでくれ」風岡も双方に対してフォローしてくれた。

「あ、ありがとう!」頭を上げたはずなのに、気付くとまた頭を下げていた。

「だから、頭上げて!」陽花は呆れた表情を見せる。

「その上で、もう一つリーダーのわがままを聞いて欲しい。影浦瑛という優秀な人間を、どうにかして大学進学に導きたい。の桃原さんにも負けたくない。そのためには優勝するしかない。そして、このチームは最高のチームだと思ってます。私はこのチームで全国優勝という栄誉を勝ち取りたい」

 優梨ははじめて、桃原千里に対して『ライバル』という表現をした。日比野から聞くまでは、心のどこかで彼女をそう表現したくなかったのだが、印象が変わったようだ。

「協力させてくれ。全力で」日比野が率先して力強く発言する。

「そんな、リーダーの大城のめいに歯向かえるわけないよ」風岡も同調する。

「しゃあないな。フラペチーノのベンティサイズで許してあげる」陽花は陽花らしく、スターバックスのドリンクを条件に出してきた。

「ベンティサイズでもエノルメサイズでもどんと来いだよ」

 最後は影浦だ。

「僕も昨日はごめんなさい。過剰な追及をしてせっかく良くなっていたチームの雰囲気を壊してしまった。本当にごめん。そんな僕が言うのもなんだけど、僕も力になりたい。ここまで協力してもらってるんだ。全力かつ自力で大学進学を勝ち取るつもりで、戦わせてもらいたい。桃原さんのチームに勝ってもらおうなんて他力本願じゃない。そうじゃなきゃ、僕はみんなを納得させることはできないと思うんだ」

 影浦は力強く言った。改めて全員の協力が確約された瞬間だ。

「ありがとう、みんな!」

 涙が出そうになったが堪えた。が、陽花はすぐに見抜く。

「何、泣きそうになってんのよ、優梨ぃ」

「もう! バラさないでよ!」

 風岡にも影浦にも笑みが戻る。無表情な日比野にも。

「うちは、三チーム中、チームワークはピカイチなんだから、絶対優勝できる! 頑張ろう!」

 最後は優梨のお株を奪うように、持ち前の明るい陽花の言葉で、チームは一致団結した。

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