第五章 頡頏(ケッコウ) 4 優梨
「優梨。僕は、藍原議員に働きかけて、国の制度を変えることによって大学進学を叶えようとしたと思っていたけど、そうじゃなかった。どういう話を持ちかけられていたんだ」
そうだ、その答えは影浦に話していない。
「実は……」
優梨は、優勝特典として優梨をNOUVELLE CHAUSSURESの社のCMに継続的に起用すると持ちかけてきたことを白状した。
「なるほどね……。まんまと釣られたわけだね」
「元はと言えば、影浦くんがお父さんの力を借りてでも、大学に行くって言ってくれればそれで済んだのだから」
そう言えば、影浦が不機嫌になることは分かっているのだが、毒づかずにはいられなかった。しかし、影浦の回答は意外なものだった。
「まったくだ。ここまで
「本当だよ!」
「まぁ、大丈夫さ。どんな問題が出るか分からないけど、がんばって優勝しよう。場所が変わっただけで、やることは明白だ」
この男は、楽観的なのか神経質なのか分からない。交代人格は消失したはずなのに、二面性を感じるのは自分だけだろうか、と優梨は思う。
「モナコを楽しもうと思ったのに、楽しめなくなった」
「まったくだよ。
「そうだね」
決勝戦を前にして、ようやく話が繋がった。
今回の大会は、すべてこの白石麗に仕組まれていたことだったのだ。
『愛血会』幹部の逮捕と解散。そして白飛龍の事故死。それによって、白石麗こと
その結果は、白石麗の期待を裏切らないものだった。そして、何としても影浦を獲得したいと思ったが、大城優梨という存在が何と言っても邪魔と感じたに違いない。
そこで、優梨が影浦を大学に行かせたがっていることを利用して、餌を撒いたのだ。NOUVELLE CHAUSSURESの財力を最大限に利用した魅力的な餌を。そして、まんまと釣られた。
いま思えば、今年から五人組にしたのは、一度エントリーしても辞退しにくくするためだったかもしれない。友人を多く巻き込めば巻き込むほど、あとに引き下がりにくくなる。他の高校との複合チームも可としたのも、優梨が影浦の力を借りることを想定した上での措置だろう。
こうして無事エントリーした我がチームは、辛くも白石の
そして、いま考えれば桃原千里も利用されていたのかもしれない。千里は、優梨に対し並々ならぬ闘志を抱いている。決勝で対峙すれば、千里は優梨に何か仕掛けてくるかもしれない。いっそのこと千里に頑張ってもらうようにわざと負けるか。一瞬そういう考えが頭をよぎったが、すぐに否定した。
それは良くないことだ。千里に勝たせるためにわざと負けるような真似は、後にも先にも優梨の辞書には存在しない。それこそ、ここまで頑張ってきたチームメイトたちに申し訳が立たない。
それに、申し訳ないが千里は白石麗に勝てないような気がした。ここまで綿密に計画を立てて実行に移してきた先見力、企画力、行動力もさることながら、おそらく一年前は中国系シンガポール人として生きていた白石が、少し
叡成高校の天明が、白旗を上げたのも納得だ。
決勝戦は、札幌螢雪、蘇芳薬科、そして我が滄女の三チームが
ようやく、向こうから説明を聞き終えた、陽花、風岡、日比野の三名がこちらに戻ってきた。
「説明長かったね」と、取りあえず優梨は言ったものの、説明の内容はあまり興味を示さなかった。どう決勝を戦うか、その前に、どう彼らに真の目的を伝えようか。
「長かったって、そっちもずっと白石さんと話してたじゃない?」
「ま、まあね」陽花の問いに優梨は気のない返事をした。
「明日だって、出国」
「明日!?」優梨は驚いた。いや、一度名古屋に帰ってから出国するとは思っていなかったので、スムーズな日程で何よりだが、あのような話の後では心の準備ができない。
「な? 何驚いてるの?」陽花にも
「ご、ごめん。一回の旅程で済ますんだよね」
「そういうこと。思い切り旅行疲れしそうだけど」
影浦がこちらに目配せした。あの話をしろということだろう。
「あ、あのね、みんな」
「何? 優梨」陽花はこちらを向いた。
「実はね、いまさらだけど、言わないといけないことがあって……」
「どうしたん?
「この大会にエントリーした、り、理由だけど、瑛くんのためなの」
「ど、どうしたの? 突然。話がよく見えないんだけど」陽花は目を丸くして言う。
「あ、瑛くんが、養護施設で経済的な余裕がないのは、みんな良く知ってるでしょ。しかも高校を卒業したら施設にいられない。かと言って帰る家もない。だから、高校卒業したらどこか住まいを借りて就職しようと考えているの。奨学金も借りたら返さないといけないし、就職してお金を貯めて、貯まったら大学に行こうかな、って状況なの」
皆、押し黙ってしまった。優梨は一気呵成に続ける。
「でも、優秀な瑛くんが、進学できない状況は私には我慢できない。何度も説得したけど、瑛くんは、仮に私の両親であっても経済的な援助を受けることを拒否しているのもあって、折れなかった。でも一つ条件がクリアできれば大学の進学を考えてくれるって言ってくれた。それが、親の力を借りないことだったの」
「それが、どうして『知力甲子園』に出ることになるんだい」久しぶりに日比野が口を開いた。
「実は、去年の秋頃、私のもとに手紙が届いたの。テレビ局から『知力甲子園』に出ませんか、と。それには通常の副賞とは別に、非公式に優勝特典があります、と書かれていた。それは、瑛くんの大学進学を親の力を借りずに担保し得るものだった」
「ええ!?」
「何それ、知らんかったよ」陽花と風岡は口々に言う。
「まだ、優勝してないけど、ここは瑛くんのために、最後まで力を借りたい。お願いできるかな……?」
優梨はチームメイトに懇願した。しかし皆、優梨の意外な発言に困惑しているのか何も言ってこない。
「影浦は知っていたのか?」風岡は言う。
「知ってた。ごめん」影浦は潔く頭を下げる。
「しょ、正直に言うと、すごい驚いてる。そういう情報は、早めに教えて欲しかった」陽花が言った。
「厳しいことを言うようだけど、結構大事なことだと思うのに、隠していたのは、リーダーとしてちょっとまずいんじゃないか?」
風岡は精一杯マイルドな表現をしているようだが、早い話、リーダー失格ということだろう。辛辣な言葉が胸に刺さる。
「なぜ、言わないでおいたんだい? そして、何でいま言ったんだい?」今度は日比野だ。
「そ、それは……」優梨は少し言い淀んでから、続けた。「み、みんなの士気が下がっちゃったら嫌だなと思って……。できれば、言わないで大会が終わってしまえばそれでも良いかなと思ってたのも正直あったんだけど、瑛くんに言うべきだと説得されて……」
「大城には、感謝してる。正直、この大会にエントリーすることになって、勉強するきっかけができたし、現に底辺にいた俺の成績も、格段にアップした。大学もマシなところに行けるかなと思えるほどになった。でも、少なからず、犠牲にして来たものもある。いま、部活やってないからいいものの、この準備のために、止社の友達の誘いも断ってきた。パスポートも取った。非公式の優勝特典が同じように頑張ってきたチームメイトに還元されずに、影浦と大城のためだけに使われることが、あとで明らかになったら、それは裏切り行為として責められる可能性だってあるんじゃないか?」
風岡の発言は厳しい。厳しいが、理に適っている。だから反論できなかった。
「ごめん。本当にごめん……」
「もし、ここで、アタシがそんなの協力できない、って言ったらどうしたの?」陽花が言った。
「そ、それは……」優梨は返答に窮する。少しの間、沈黙が流れる。
「お、俺は、少なくとも大城さんの意向を尊重したい。影浦くんの知力は、もはや東大、京大クラスだと思う。そんな逸材を、児童養護施設の年齢制限だけを理由に、大学を諦めるなんて、惜しいにも程がある。能力を持った者はその能力を行使する責務があると思う。大城さんのカミングアウトがいまになったことには賛否両論あろうけど、少なくとも俺は、優勝に向けてバックアップしたい」
ここに来て、日比野という男の
「そんなこと言ったら、まるで、俺たちが悪者みたいじゃないか」
「アタシだって、影浦くんの大学進学に反対してるわけじゃないから」
風岡と陽花が不満げに物申した。
「……ありがとう」小さな声で優梨は礼を言った。
「しゃあないな、影浦くんと優梨のために一肌脱ぎますか」陽花の表情が和らいだ。
「でも、まだ実は話は終わっていないんだ」ここに来て影浦は口を開く。嫌な予感がする。あのことまで言うつもりか。
「ちょ、ちょっと瑛くん!?」
「な、何、気になるじゃない? チームメイトだから、隠し事はダメだよ」影浦の発言を制しようとした優梨を、陽花が制する。
「実はさっき、札幌螢雪高校の白石さんから宣戦布告を受けました」
「ええ!?」
「マジか?」案の定、陽花と風岡は驚いている。優梨はまた天を仰いだ。
影浦は、かいつまんで、この大会のために綿密に計画された壮大な舞台裏と、宣戦布告の内容を説明した。
「はあ!? 何だよ! 何なんだよ! それは!」風岡にしては珍しく憤っている。
「その宣戦布告を受けたの!?」陽花も口調を荒げている。
「うん。受けることによって、少なくとも影浦くんの進学が保証されるなら、と思って」
「まったく、いろいろと勝手なことを……」風岡が怒りを
「そして、決勝には、忘れちゃいけないけど、桃原さんの蘇芳薬科もいるんだ。この強い二チームと僕らの戦いになるかと思う」
「……そ、そんな。負け戦じゃない」陽花は急に及び腰になる。
「だから、一つだけ、ここで確認したいことがあるんだ」
「な、何なの? 今度は……」影浦の容赦ない発言の連発に、ついに陽花は口調も弱くなる。
「日比野くん。桃原さんとの癒着はないか?」
「なっ!!」日比野が、いままで見た中ではいちばんの驚きの表情を見せた。
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