第五章 頡頏(ケッコウ)  3 優梨

 この女は何を言っている。優梨は混乱しそうになった。

 『Bombay型』というフレーズは一生忘れることはできない。昨年の夏、悪徳宗教団体が、若い女性の血液をかっきゅうし、不正な手口で血液を採集しては、アンチエイジングと称して会員には法外な金額で供血していた。

 優梨はそれに巻き込まれ、命の危険を負った。さらには……。

「ひょっとして『愛血会』に依頼してたのって」

「そう。私たちよ」

 白石はあっさりと白状した。

 『愛血会』というのが、昨年の事件の悪の根源である。影浦、風岡、陽花に助けられ、最終的に『愛血会』の幹部は逮捕され、団体は解散した。しかし、そのとき影浦は救出の過程で瀕死の重傷を負った。輸血が判断とされたが、Bombay型という稀血まれけつだった。

 実は、『愛血会』は若い女性の血液以上にBombay型血液を追い求めていた。そのオーダー元が、この女だというのか。

「もちろん、あなたたちには迷惑をかけたと思っている。兄はF1レーサーとしてもすごかったけど、社内では後継者としても有望視されていた。しかし、何と言っても、百万人に一人とも言われる稀少な血液型だというのが怖かった。私も含めて他にBombay型の人間は周りにいない。だから、もちろん兄自身、自分の血液を貯血していたけど、F1レーサーという性質なのか、献血によって多少なりとも自分の血圧が変動することがコンディション作りに宜しくないというのが兄の持論で、たくさんはストックされていなかった。だから、Bombay型の血液をもしもの病気や事故のために昔から集めていたけど、Bombay型が割合多いと言われているインドは、言っちゃ悪いけど、衛生的観点からそこから譲り受けるのは抵抗があった。そこで、いちばん信用のおけそうな日本なら良いだろうと思ってオーダーしたの。もちろんタダとは言わない。もしものときの保険だと思って、多額のお金を用意していたけど、オーダーしたところが、あんな頭のイカれた組織だったとは、つゆ知らずだった。でも悪く思わないでちょうだいね。奴らは、逮捕されるまでは、とても外面そとづらは良かったんだから」

「どれだけ、私たちが迷惑被ったと思ってんの?」

「そう言ったって、そのおかげで得られたものも多かったはずよ。影浦くんが命を賭けてくれたおかげで、大城さんと影浦くんの仲が親公認のものになった。影浦くんの母親がどんな人か明らかになった。そこにいる河原さんと風岡くんも結ばれた……」

「それは結果論じゃ……」

「そして、抜群のチームワークを発揮した滄洋女子高校複合チームは、初出場にして、高校生知力甲子園の栄冠まであと一歩のところまで来ている」

「……」反駁はんばくしようと思ったが、ここまで正確な情報を握っているとなると、白石は間違いなく優梨がこの大会にエントリーした真の目的を知っている。下手に言い返すと、それを暴露されるのでないか、と思いちゅうちょしてしまう。


「では、札幌螢雪高校チーム、滄洋女子高校複合チーム、蘇芳薬科大附属高校チームの皆さんは、決勝戦の日程と注意事項を説明しますので、集まって下さい」

 突然、会場の三チーム向けてアナウンスが鳴った。そうだ、まだ、会場にいたのだ。クイズ会場にあった意識から引っ張り出されていたところ、急に元に戻されてついていけなくなっている。

「取りあえず、行こうか?」影浦が静かに呼びかける。

「いや。河原さん、風岡くん、日比野くんに代わりに聞きに行ってもらって」

「え!?」

「おねがいします」白石は三人に頼んだ。

 少し釈然としない様子ながら、三人は従った。


「どういうこと?」優梨は思わず、眉をひそめた。

「ごめんなさいね。人払いした方がいいでしょ? どうやら、あなたは、影浦くんを大学進学させることを、チームメイトに共有することに抵抗があるみたいだから」

「……」白石は本当にすべてお見通しである。


「……ということで本題に入るけど、私と勝負しませんか?」

「え?」

「もちろん、決勝戦で勝負することになるけど、もっと大事なものを賭けてね」

「何ですって?」

「この勝負に応じて、あなたが優勝した場合もしくは蘇芳薬科が優勝した場合、当初の予定どおり影浦くんの大学は責任を持って、経済的な支援による保証をします」

「当初の予定どおり? どういうことだ、優梨?」影浦は訝しげに聞くも、優梨は負けた場合どうなるかが気になった。

「あなたが優勝した場合は?」

「私たちが優勝した場合でも、影浦くんの大学進学のための支援をします」

 優梨は意味が分からなかった。勝っても負けても影浦は大学に行けるというのか。しかし続きがあった。

「但し、大城さんは、影浦くんと別れなければなりません。つまり、亡き兄の遺志を継いでNOUVELLE CHAUSSURESの後継者候補とします。そのためには、私、白石の婿養子になってもらう必要がありますが」

「はあ!?」

 優梨は、白石の発言の内容が想像の域を遥かに超えていて、驚愕した。同じく影浦も驚いている。当然だ。

 しかし、第三者から見れば影浦にとっては決して悪くない条件に思える。NOUVELLE CHAUSSURESの後継者候補と言えば、必然的に若くして重役を任される可能性がある。白石麗の婿養子というのも、突拍子もない話だが、悔しいことに、この白石麗という女子高生は、芸能人を凌駕するくらいの美貌を誇っている。改めて間近で見ると、同性の優梨ですら引き込まれそうになる。こんな約束された未来があって良いのか。

「も、もし? この勝負に乗らなかったら……」

「その場合は、優勝してもしなかったとしても、当初の話はなかったことになります。つまり影浦くんは大学には行けない」

「そんな! 話は嘘だ。今回テレビ局が言ってたんよ! NOUVELLE CHAUSSURESが、優勝チームのリーダーを、社のCMに継続的に起用したい、って!」

「悪いけど、あなたの当初交わしたその約束は、NOUVELLE CHAUSSURES社とではないはず。ヤマトテレビですから。我が社にはそのような覚書は一切残っていない。文句を言うなら、テレビ局にでも言って下さい。しかし、私の提示した勝負に乗っかる場合、すぐにいま言った内容の覚書を交わして差し上げましょう」

 してやられた、と優梨は文字通り天を仰いだ。

 これは勝負に乗るしかないではないか。勝負に乗れば、如何なる結果でも優梨の夢は叶う。乗らなければ影浦は大学に行けない。これでは一択ではないか。しかし、勝負に乗って負けてしまえば、大切な恋人を失う。影浦という男は、命の恩人でもあるのだ。なのに、まだろくに恩返しすら出来ていない。

「私からすれば、あなたたちの非協力で兄が死んだ。おかげでNOUVELLE CHAUSSURESの長期的な計画が狂ってしまっているわけだから、それくらい償ってもらわないとね」

 白石は追い打ちをかけてくる。

 ただ、影浦自身はどうなのだろう。もし本気で影浦が、いままでお金で苦労してきた分、NOUVELLE CHAUSSURESの一員として保証された人生を歩んでいきたいと言うのなら、尊重せざるを得ない。彼の人生を自分のわがままで潰すことは出来ないのだから。

 怖かったが、確認せねばならない。

「あ、瑛くんはどうしたいの?」

 影浦は間を置かずに即答した。

「申し訳ないけど、NOUVELLE CHAUSSURESの跡取りになることも、あなたと結婚することも、遠慮願いたい。そもそも、僕の人生をばくに使われるのははなはだ不愉快です。一方で、大学進学はしたいし、これまでの優梨と皆の努力をどぶに捨てる真似になるから、優梨の力で勝ち取ったファイトマネーと捉えてそのお金で大学進学が叶うなら、勝負に乗っても構わない。構わないが、一つ確認したいことがある」

「何ですか?」白石は不気味なほど笑顔を絶やさないでいる。一切の動揺がない。

「あなたは共催だ。ここまで手の混んだ問題構成にしてるから、白石さんは、決勝戦でもどんな問題が出るか知ってる可能性がある。それでは僕たちにとって負けいくさではないですか?」

「そう聞かれると思ったよ。でも安心して。私は、クイズ番組の企画には携わっているけど、問題の内容まではタッチしていない。なぜなら私自身、クイズに関してはフェアに戦いたいのよ」

「ほんとかな……」優梨は小さく呟いた。

「信じるか信じないかはあなたたち自身。でもここは勝負するの一択じゃないかしら」

「わかりました。クイズについては少なくともフェアであるとひとまず信じましょう」影浦は意外にも納得した。そして今度は優梨に問いかけた。「さて、勝負に乗る、そして、僕らが勝つ。それでいいかな」

 自分の人生がかかっているのに、こんなに割り切って勝負に乗れる影浦が意外だった。しかし、勝負に乗った上で、勝っても負けても引き分けても、影浦にとって人生のプラス方向に働く。影浦の気持ちをもう一度確認したい。

「瑛くん。本当に良いの? もし私を気遣って勝負に出て勝つつもりなら嬉しいけど、瑛くんにとっては、負けてNOUVELLE CHAUSSURESの跡取り候補になるのも決して悪くない人生だと思うよ。だから、勝負に乗らずに、無条件でNOUVELLE CHAUSSURESに進む道もあると思うし、それを瑛くんが望むのなら、私は潔く引き下がるよ。仕方ないことだと思う」

 自分でそのように提案しておきながら、涙が出てきた。無性に悲しくなってきたのだ。ところが、間髪置かずに影浦は答えた。

「大丈夫。どんなに魅力的な条件を突き付けられても、NOUVELLE CHAUSSURESに進みたいとはこれっぽっちも思わない。クイズについてはフェアに戦いたいと言ってるけど、ここまでのやり方がフェアじゃない。自分たちに有利になるように根回しをして、僕らの足下あしもとを見てる。これまで敗退した他の参加者たちはこの出来レースの引き立て役に使われた。さらには藍原議員との関係性もグレーな企業なんだ。そんなことが分かっていながら、入社は出来ない」

 影浦の発言は非常に高潔で男らしく聞こえた。杓子定規で頑迷で融通の利かない石頭な男だと思っていたが、このときはとてもたくましく見えた。

「分かりました。結構なことです。では勝負に乗ると言うことで、覚書を交わしましょう。さっきも言ったとおりの条件です。確認した上でサインして下さい」

「上等なことです」優梨も覚悟を決めた。

 覚書には言ったことがご丁寧にも日本語でしたためられている。経済的支援の方法とは、具体的には、番組を共催することによって、他の多くのスポンサーから得た莫大な広告収入の一部をもって大学進学費用に充てられる、とのことだった。知力甲子園は全国的にも認知度が高く、ゴールデンタイムに放送されることから視聴率も非常に高いと聞いたことがあるので、それくらいの目算もくさんが立つのだろう。この覚書がいま思いつきで準備されたとは思えない。ここまで用意周到に計画を練り、多くのステークホルダーをその意のままに操ってきた白石麗こと白鈴麗の先見力に恐ろしさすら感じた。ひょっとして桃原千里とは比べ物にならないほどのとんでもない怪物を相手にしているのではないか。

 しかし、ここまで来て引き下がることも出来なかった。あくまで毅然とした態度を見せた上で署名する。

「ありがとうございます。これで正式に書面にて約束が交わされました。決勝戦、モナコで正々堂々戦いましょう!」

 最後まで、笑顔を見せながら白石は去っていった。『魔性の女』と言葉は聞いたことはあるものの、どんな人間かよく知らないが、きっと白石のような女を言うのだろうと、ふと思った。


「優梨、みんなに、今回のエントリーした本当の目的を共有すべきだ」影浦は再び言った。

 正直、影浦の提案に不安はある。皆の反感を買うのではないか。そして、チームの和を乱し士気が削がれるのではないか。

 数十分ほど前ならば、嫌だと言って抵抗できたが、白石の宣戦布告を受けて、まっすぐ向き合うしかないと思った。

「うん。分かった」

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