第五章 頡頏(ケッコウ)  2 優梨

「何ですって?」優梨は信じられずに白石に問うた。

「いま言った通りです。私は、影浦くんが知力甲子園に出ることを知っていて、藍原議員に情報提供したのです。優秀にも関わらず児童養護施設にいるために大学進学が叶わない高校生がいると」

 影浦の目付きが厳しくなったことに気が付いた。本人の許可なく個人情報を第三者にバラされたことに対する憤りか。

「白石さんでしたっけ。あなたは藍原議員とどういった繋がりがあるの?」

 藍原議員は愛知県の選挙区だということは、七月の誕生日で十八歳になり、有権者になったばかりの優梨でも知っている。そもそも地元、名古屋市内ではポスターをよく見かけるのだ。北海道にはあまり縁のなさそうな藍原議員と、どういう経緯でいち高校生がコネクションを持つのかが気にかかる。影浦が先ほど利益相反の話をしたこともあって、どうも穏やかな気がしない。


「おいおい、どうしたんだ?」

「どうして、札幌螢雪がいるの?」風岡と陽花の声だ。日比野もいる。

 しかし、いまは衝撃的な事実を聞いたばかりで、風岡たちの質問に答える余裕はなかった。


「藍原議員は、うちのお得意さんなんです」

「うちのお得意さん?」と、優梨は聞き返した。

「……NOUVELLE CHAUSSURES?」と影浦が呟く。

「影浦くん、ご明察です。私は実は、フランスの車メーカー、『NOUVELLE CHAUSSURES』の社長の娘です。ご存知のとおり今大会の共催を仰せつかってます」

 白石は美しい笑みを浮かべながら言った。影浦の情報どおり、藍原議員と『NOUVELLE CHAUSSURES』との深い繋がりがありそうだ。ますます利益相反の可能性が真実味を帯びてきた。

 優梨の中で何かが崩れる音がした。

 優梨のみの優勝特典、NOUVELLE CHAUSSURESの社のCMに出演する話が、藍原議員の癒着が表沙汰となった影響による株価の暴落で、お話がご破算にならないか、心配になった。もちろんこの場では言えないが。


「『白石』という名前は通名つうめいだね? NOUVELLE CHAUSSURESの代表取締役は、バイという名前だし」影浦が静かに言った。

「さすがね。あなたはどこまで聡明なのかしら」

 影浦は、『NOUVELLE CHAUSSURES』について調べていたこと、そして、白石という名が通名であることを見抜いたことに驚いた。白石は続ける。

「私は、日本では白石しらいしれいと名乗っていますが、国籍はシンガポールです。本名はバイ鈴麗リンリーと言います」

 通名とは、通称名の略で、本名以外で法的効力を持つ名前である。一般に『通名』と言った場合、外国籍の者が日本国内で使用する通称名を指す。

バイ鈴麗リンリー……」優梨は、白石の本名を反復した。

「ええ。そして、父、バイ令哲リンジェはNOUVELLE CHAUSSURESの代表取締役だけど、聞いたことあるかしら……? ないかもね。日本は日本車が優勢だから。TOYOTA社の社長なら有名なんだろうけど」

「……」

「でも、この名前は聞いたことある? 『バイフェイロン』」


 優梨はその名を聞いても何も思い浮かばなかった。同姓であることから、おそらく白石麗こと白鈴麗の親族なのだろうが、優梨の脳内にある、歴史上の偉人やビジネス界の著名人のデータバンクに該当はなさそうだ。

 しかし、意外な人物が口を開いた。

「どっかで聞いたことある……。マックス・フェルスタッペンに次ぐ史上二番目の若さでの優勝記録をモナコグランプリという難コースで樹立したと。しかも珍しいアジア人のF1優勝ドライバーだって」

 風岡だった。風岡は、モータースポーツに詳しいのだろうか。

「その通りです。風岡悠くん」

「お、俺の名を?」風岡は驚いた様子で白石を見る。

「ええ。あなたたちのこと、すみずみまで調査済みですから。もちろん、河原陽花さん、日比野五郎くんのこともね」

「な、何なの? 気味悪い」陽花は率直な気持ちを述べた。加えて、嫌そうな表情が思い切り現れている。しかし、白石は意に介した様子ではない。

「白飛龍はF1レーサーで、私の兄。しかし、もうこの世にはいません。生きていれば二十歳。シンガポールで、十九歳のとき昨年の九月にレース中の事故が原因で命を落としました」

「あ、そのニュースも聞いたことある。シンガポールグランプリだな」風岡は言った。

「よくご存知で。私はフランスからやって来たけど国籍はシンガポールで、私も兄も一時的はシンガポールで育ちました。兄のモナコグランプリの快挙でシンガポールの英雄とまで称されてから、初の凱旋試合。気合いが入ったことでしょう。地元開催で私も観戦していた。しかし、シンガポールグランプリは、ヨーロッパでの時差に合わせてナイトレース。でも、シンガポールは夜間でも高温多湿の過酷なコンディションで、幅が狭くてコーナー数も多い市街地コース、極めてパンピーな路面、長いレース時間という条件もあって非常にタフなレースとも言われている。でも兄はモナコを制したくらい市街地コースは得意にしていたし、高温多湿な環境にも慣れていたはず。それなのに気合いの入り過ぎか、反動から押し寄せた疲れが運転操作をわずかに狂わせたためクラッシュした。ただし、F1レースの事故は死に直結することが多いけど、兄の事故は即死ではなかった。それどころか、助かる命だったのです。しかし、病院で必死の救命処置虚しく、結果として助からなかった」

「な、何でですか?」

「兄は稀少な血液型だったから。そこにいる影浦くんと同じ、Bombayボンベイ型ね」

「えええ!!?」

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