第五章 頡頏(ケッコウ)

第五章 頡頏(ケッコウ)  1 優梨

「モナコだって! モナコ! すごい! こんなところなかなか行くチャンスないよ!」

「ホントだな! 俺なんてつい最近まで、モナコがどこにあるかすら知らなかったよ! F1は知っとったけど!」

 陽花と風岡は盛り上がっている。


 それもそのはず。

 準決勝のあのクイズは、決勝の地を答えさせる問題。それがまさかモナコ公国だとは思わなかったことだろう。優梨もまさかと思った。

 まだ、マカオの方が日本人にとって近いし馴染みがあるのではないか。


 モナコ公国と言えばヨーロッパだ。地中海沿岸に位置し、海岸以外はすべてフランスとの国境だが、イタリアとフランスの国境にも近い。

 バチカン市国に次いで二番目に小さく、2 ㎢くらいしかない。これは日本でいちばん小さい自治体である富山県舟橋村ふなはしむらよりも小さい。

 舟橋村には優梨は行ったことがない。イメージとして湧かせられるのは、優梨の住んでいる名古屋市あつで、ここもかなり狭いのだが、モナコは数値上はその四分の一にも満たないのだから、いかに小さいか分かる。これが一つの国家というのだから驚きだ。


 一方で、経済は、一人当たりGDPが168,000ドルという非常に裕福な国だ。1ドル=100円としても、平均1680万円の年収を稼いでいるということになるか。

 小さな都市国家の原動力は、主に観光、殊にカジノによって賄われている。またその裕福さゆえに治安もよく地中海沿岸の温暖な気候で、海外の人からすれば楽園かもしれない。


 そんなところに行くとなれば、テンションが上がるのも無理もない。しかも、渡航費用は番組持ちだ。さらには、恋人と行くことになるのだ。そこは日比野には少し申し訳なく思っている。

 モナコには空港がないので、フランスもしくはイタリアを経由して、陸路で入国することになるのだろう。その経由地の空港や街並みを見るという楽しみもある。


 優梨もヨーロッパには行ったことがなかった。

 父は病院長ながら、臨床の最前線でもばりばり働いている。多忙ゆえに、長い休暇が取得しにくいのだ。辛うじて、台湾や香港には行ったことがある程度だ。だから優梨もテンションが上がっている。

 もちろんそこでも勝負を控えているので、あまり浮かれてばかりはいられないのだが、影浦や気心の知れた友人と行けるのは嬉しいのだ。


 しかし、気になることもあった。

 海外はおろか、飛行機すら乗ったことのない影浦が喜んでいない。別に高所恐怖症というわけではない。それなのに何故か渋い顔をしているのだ。


 同じく決勝の地に赴くのは、北海道代表の札幌螢雪高校チームと沖縄県代表の蘇芳薬科大附属高校チーム。ともに強敵だということは分かる。

 日本の現在の高校生を代表すると言っても過言ではない叡智の持ち主がリーダーを務めるため、一筋縄ではいかないことが分かる。何かしらの対策は必要なのだろうが、まだ決勝戦の問題の詳細も分からない。過去の放送から、おそらく早押し問題なのだろうが、今年から五人一組なので、ルールにもひと捻りあるかもしれない。


 素直に海外渡航を楽しみにすれば良いのに、と思うのはいけないことだろうか。まだ少し期間があるし、これまでの知識の蓄積で、今さら何か対策もないような気がするが。

 もっとも、恋人である影浦が喜んでくれないと、こちらも素直に喜べない。だから、そんな態度を見せる影浦が、優梨にとって少し不満だった。


「どうして、あまり嬉しそうにしないの?」

 優梨は率直に尋ねた。

「嬉しくないわけじゃないよ。僕が海外に行くなんて夢のような話だからさ」

「じゃあ、何で? 背徳感でも感じてるの?」

 影浦は、児童養護施設の人間が、所長や他の児童を差し置いて贅沢な思いをすることを、やたらと気にするきらいがある。しかし予想された回答とは異なる言葉が返ってきた。

「それはない。だって、海外に行く権利を自分たちの力で勝ち取って行くわけだから。パスポートが無駄にならなくて良かったよ」

 では、ますます嬉しそうにしない理由が気になる。もともと影浦は、感情を表に出す方ではないが、それでももうちょっと笑顔を見せてくれれば良いのに。

「何かあったの? ますます気になる……」

 影浦はどこか言い淀んでいる。

「こ、こんなこと言ったら水を差すようだから、あまり……」

 言いたくないことなら、嘘でも皆に気を遣って嬉しそうに振る舞えば良いではないか。それでも喜びを見せないのは、どこかでその理由を言いたがっている証ではないのか。そのことに優梨は苛つくと同時に、余計に何が気に食わないのか、気になって仕方がない。

「じゃあ、何でよ! そこまで言っておいて、気にならないわけないじゃない!」

 優梨は語気を強めた。

 それに驚いたのか、陽花、風岡、日比野の三人もこちらを向いた。

「ど、どうしたの?」陽花の声だ。

「あ、いや、ごめんね。何でもないよ」適当に優梨はその場を取り繕った。

「決勝前なんだし、痴話喧嘩はやめてよ」

 心配されているのかおちょくられているのか分からなかったが、陽花はそれ以上首を突っ込んでこなかった。

「で、何なの?」先ほどよりは声のトーンを落として、優梨は影浦に問うた。

「実はさ、出来レースじゃないのかな、って思い始めてさ」

「出来レースって!? そんな、うちらは正々堂々戦って、ここまで来たじゃない? 何で?」

 意外な言葉に、驚きとともに苛立ちを感じた。何故そんなことを言うのか。我々は決して、運営に口利きをしたわけではない。いくら優勝にこだわっていても不正行為は行っていない。

「だって、今回の問題、いろんな難問が出たけど、要所に遺伝子の知識を問う問題が出たり、敗退すると敗者復活戦で救済措置がとられたり、全体的に僕らに有利な気がしてならないんだよ」

「そうかなぁ?」

 優梨は賛同しかねた。確かにモナコ公国を答えさせる問題では、高校レベルではあるが分子遺伝学の知識を駆使する必要があった。しかしそればかりではない。万遍まんべんなく幅広いジャンルの知識を問われていたと思う。敗者復活戦自体も過去の大会にもあったし、別に不自然ではない。

「何よりも、クイズ研究会にすら属していない新参者の五人組が、ここまで来れたこと自体、不自然なほど出来すぎてると思うんだ」

「でも、すごく勉強してきたわけじゃない!? 全員の努力とチームワークの賜物だよ」

「そうなら良いんだけどさ」

 影浦が何を問題視しているのかさっぱり分からない。

「も、もし、出来レースだったとしたら、どうなの?」

「誰かが何かしらの意図を持って僕らを決勝まで誘導したのなら、僕たちが参加している真の目的を掴んでいて、それを利用することによって利益を得るんだよ」

「……」何を言いたいのか優梨は咄嗟には分からなかった。

「そろそろ言った方がいいかと思う。そもそも何でみんなを『知力甲子園』に誘ったのかを」唐突にこの男は何を言う。優梨は驚きを禁じ得ない。

「そ、そんな、何で決勝前に!?」

「実はね、優梨。大会前、わざわざ僕の施設に藍原議員が来たんだよ。三回戦前に挨拶した人だ」

「えっ!?」確かに議員の挨拶はあったが、まさか影浦に事前に接触していたとはつゆ知らずだ。優梨は続ける。

「え? 国会議員が瑛くんのところに? 何の話を?」

「大学進学したいのか。知力甲子園に出て活躍してくれって」

「それだけ?」

「それだけって、国会議員だよ? そんなことをわざわざ言いに来るくらい暇じゃないはずだよ」

「……」優梨は返す言葉を思い付けなかった。

「実は、この件、藍原議員の政治公約に絡んでるんだ。藍原議員は、どうやら児童養護施設の入所児の大学進学率改善のために国政に訴えているらしくて、僕のような人間が『知力甲子園』に出て活躍することは、好事例になるから、と言ってエールを送られた」

「そ、そんなことがあったの!? それはめっちゃいいことじゃん」

「確かに良いことだとは思う。でも、たぶんそんなことはないと思うけど、ひねくれた見方をすれば、僕らが勝ち進むように、僕らに有利な問題を出すように、裏で手を引いている可能性もある」

「まさか?」

「一つ、実は、藍原議員の私用車はNOUVELLEヌーヴェル CHAUSSURESショシュール社なんだよ」

「それは偶然でしょ」

「いや、偶然じゃない。実は議員になる前の藍原議員のブログに、NOUVELLE CHAUSSURES社の代表取締役とのツーショットがあった。この二人は友人なんだよ」

「それって」

「藍原議員がNOUVELLE CHAUSSURESの上得意様で、議員の口利きで、NOUVELLE CHAUSSURESが今年から『知力甲子園』のスポンサーになった。しかも昨年と違って『後援』名義ではなくて『共催』名義。共催ってことは、字の如くすことだから、企画段階で会社が関わってる可能性もある。何故か視聴者層と一見無関係そうな海外の車メーカーが、スポンサーとして付いてる理由が不思議だったけど、藍原議員の公約実現に、番組全体がバックアップしてるかもしれない。利益相反って言うんだっけ? こういうの。利益相反って、直ちに不正とは言い切れないけど、それを明らかにしていない場合はクリーンじゃない。ましてや政治家が絡んでいる場合、そしてさっきの仮説が本当だとしたら、不祥事に値すると思う。そしてその片棒を、僕らが担がされてるんだよ」

「そんなこと……」影浦はそんなことを考えていたのか。影浦が心から喜んでいない理由が優梨の想像の斜め上を走っていてますます驚く。

「もう一つ、僕らが『知力甲子園』に出場することを藍原議員に教えたのは、実は優梨じゃないかって思ってる」

「えええ!?」優梨はさらに大いに驚く。間違ってもそんなことはない。

「いや、直接じゃないかもしれない。優梨のお父さんがその情報を提供したかもしれない。だって、普通に考えて、ひとりの高校生が、親の経済的援助を受けたりアルバイトしたりもなく、第三者の大学進学の学費を担保できるもんじゃない。じゃあ、国の制度を変えることによって、僕が大学卒業まで児童養護施設に入所できるようにしようと考えた。そうじゃないのかい?」

「そ、そんな? 違うって」

「よく考えたと思ったよ。こんな国の制度を変えさせるなんて、普通の高校生は思い付かない。さすがは優梨だって感心したよ」

「な!? だから違うって!」

「それでも、結果的に議員の不祥事の片棒を担ぐことになってるんなら残念極まりない」

「違うって言ってるでしょうが!?」

 優梨はとうとう声を荒げた。

「……」影浦は少し驚いたかのように目を丸くしている。

「違うって! ホントに」

「本当に違うのか?」

「私は、藍原議員に働きかけてない」

「じゃあ、どうやって、僕を進学させるつもりだったんだ?」

 影浦は真剣に驚いているようだったが、優梨は正直に答えるべきかどうか迷った。NOUVELLE CHAUSSURESが、優勝チームのリーダーを優勝特典として、社のCMに継続的に起用すると言って来ていて、その出演料で影浦を進学を賄うと、白状して良いのかどうか、いますぐ判断がつかない。

 すると、聞いたことのある声音で話しかけられた。

「お取り込み中に、ごめんなさい」

 少し癖のある口調で話しかけられた。札幌螢雪高校チームのリーダーの白石だった。どういうわけか微笑を浮かべている。

「ど、どうしました?」優梨は思わず、白石を見た。

「藍原議員に、影浦くんが知力甲子園に出ることを教えたのは、私です」

 優梨は言うまでもなく、大いに驚いた。

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