第四章 譎詐(ケッサ)  17 優梨

「工夫?」優梨は言った。しかし、陽花が遮る。

「ちょっとまって、優梨は何を思い付いたの?」

 陽花は先ほど言いかけた優梨の発言の続きが気になったらしい。

「インドネシア」

「何で?」

「単なる旗の配色だよ。インドネシアは上が赤で下が白の二色旗ビコロールだから」

「まじで? じゃああの日比野くんのヒントは?」

 それは未だ謎のままである。

「分からない……」

 よって自信のある推理ではない。それはそうとして影浦は何か思い付いたのだろうか。

「瑛くんは、何か分かったの?」優梨は問う。

「はっきりとキーワードが分かったわけではないけど、まず疑問なのは、一回戦の問題数なんだ」

「一回戦の問題数?」陽花は言った。

「だって、早押し問題で、しかも五ポイント先取で勝ち抜けだよ。つまり、もっと効率良くポイントしていった場合、もっと問題数が少なかった可能性もある」

「確かに……」

 実は、優梨も疑問に思っていた。問題数は五十問。しかしアミノ酸の翻訳は三つ組塩基だ。つまり三の倍数ではないので二個塩基が余る。どことなくすっきりしない。

「それともう一つおかしなところがある」

「何?」

「第二十三問目の答えだけど、『アルチンボルド』だったよね」

「そうだけど……」陽花はメモを見ながら言った。

 あれは、画像問題だった。果物、野菜、動植物などで構成された、かの有名な肖像画を描いた画家の名前を問う問題だ。

「もし、フルネームで『ジュゼッペ・アルチンボルド』と答えたらどうする?」

「どうするって、どういうこと?」陽花は影浦の発言の趣旨を捉えきれていないようだ。

「問題は、別にファミリーネームで答えなさい、ってわけじゃなかった。だから『ジュゼッペ・アルチンボルド』でも不正解にできない。となると、この問題の頭文字は、AでもGでも良くなる、と思わない?」

「……うん。じゃ、じゃあ、塩基配列も二通りあるってこと?」

 確かにそうだ。偶然か否か、この問題に限っては、二通りの塩基が考えられる。

「二通りある。だから翻訳すると、別のアミノ酸配列ができてしまう」

「ってことは、もう一パターンのアミノ酸配列がキーワードになるってこと?」

 優梨も陽花と同じことを考えた。しかし、即座に影浦は否定する。

「いや、違う。逆転の発想だよ。二十三番目の塩基がAであってもGであっても、アミノ酸配列に影響しない翻訳の仕方が必要ってことなんだよ」

 影浦の頭の回転の速さに感心した。なるほど、と思ったが、陽花は意味が分からないらしく首を傾げている。影浦は、今度はコドン表を拾い上げた。

「コドン表って、見てみると、三つ目の塩基が異なっても、同じアミノ酸が対応することが多いみたいだね」

「そ、そうだね」

 その通りだ。例えば、一文字目がC、二文字目がUときた場合、三文字目がどの塩基でも、ロイシンというアミノ酸になる。こんな例が多い。

「ということは、この二十三番目の塩基っていうのは、三の倍数になるように翻訳する、ってことじゃない?」

「え!? ってことは、一番目の塩基から読んじゃダメってこと?」

「そう」

「つまり、があるってことだよ。で、よく見てみると、ちゃんとあるんだよ。最初の『AUG』がね!」

 『AUG』は開始コドンと呼ばれる。転写されたメッセンジャーRNAのコドンをtトランスファーRNAを認識するとき、通常『AUG』を翻訳の起点としてペプチドを合成する。


 UGUGCACUGAUAUGUGCGGCCGAGCGAAUGAUCCUCGCAUCUGAACUGAA

「この最初のAUGを起点に翻訳すると、二十三番目だった塩基は十二番目になる。十から十二番目のコドンは、CGAまたはCGGとなるけど、どっちもアルギニンに翻訳される」

「な、なるほど」陽花は驚きの表情で納得している。


「もう一つ考えておくべきことは、一回戦で想定される最小問題数だよ。すなわち、二回戦進出できなかったチームが、1ポイントも獲得できなかったとき、何問で一回戦が終わったか……」

「どうしてそんなことを考えるの?」

「翻訳の終点を見つけるんだよ。つまり、最小問題数の後ろは、翻訳しても意味のない領域ってことが裏付けられる」

「……」

「ありがたいことに、河原さんは各問題のレベルまで書いてくれている。レベルの数字がその問題のポイントと一致する。また、計算上は勝ち抜き条件となる5ポイント×かける十五チームで75ポイント分まで問題が進めば、そこが計算上の最小問題数となる。一問目のポイントから数えていくと……、2+3+1+……+2=75。つまり四十四問が、計算上の最小問題数ってことになる」

 影浦は独自の理論で淡々と話を進めている。

「ということは、最初のAUGから数えると……」影浦は紙の余白に塩基配列を記入した。

 AUGUGCGGCCGAGCGAAUGAUCCUCGCAUCUGA

「これが、コードされる領域ってこと!?」

「そう! ってことで、コドン表に対応させてみようか」影浦は、順番にコドン表を対応させた。

 メチオニン(開始コドン・Met)-システイン(Cys)-グリシン(Gly)-アルギニン(Arg)-アラニン(Ala)-アスパラギン(Asn)-アスパラギン酸(Asp)-プロリン(Pro)-アルギニン(Arg)-イソロイシン(Iso)-終始コドン

 何と、最後のUGAは終始コドンでちょうど終わっている。

「一文字でも表してみようか」さらに影浦は各アミノ酸を表記を変えて並べる。

 M-C-G-R-A-N-D-P-R-I-終始コドン

 どこか意味ありげな、しかしよく分からないアルファベットの配列が完成した。

「マクグランプリ?」陽花は、完成した配列を推測して読む。

「グランプリは分かるけど、『マク』って何だろう。しかも、グランプリって『Grand Prix』が正しい綴りだよね? 『X』がない……」影浦も顔をしかめている。

 しかしながら、偶然にもその答えを優梨は知っている。

「『X』ならあるよ。終始コドンは*アスタリスクとかTerで示されるけど、昔は一文字で『X』で表記されていたとか。だから『MC GRAND PRIXグランプリ』なんだよ」

「まじで? じゃあ、間違いないね!」陽花も賛同する。

 問題は、冒頭の『MC』が何を示しているかだ。さらに『GRAND PRIXグランプリ』だけでは何を言っているかわからない。グランプリとは『大賞』を意味していて、様々な分野で用いられる。例えば、カンヌ国際映画祭でもそうだ。K-1のような格闘技、B級グルメ(B-1)、漫才(M-1)でも出てきたような気がする。つまり特定の何かを指すものではないのだ。

 こうやって挙げていくと、『〇-1』とつくグランプリが多いような気がする、と優梨は思った。そして次の瞬間、優梨に閃きが走った。

 ひょっとして、あの不可解な歪な針金のような図。『R』と『W』の文字。

 このヒントはあの国を示しているのではないか。

 正直、勘や当てずっぽうで正解するようなものではないと思う。ちょっとマイナーな、しかし有名な国だ。これで間違いない。優梨は確信めいたものを感じていた。

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