第四章 譎詐(ケッサ) 15 日比野
運動部に所属していない日比野が、こんな炎天のもと走り回ることは少ない。もともと大柄で運動は得意ではないが、苦手かと言えばそうでもない。筋力はある方だし、力仕事も嫌いではない。短距離走など敏捷性を競うものは不得手だが、持久走は割と得意としていた。
部屋にトレーニング器具を置いて日々鍛えている風岡に比べればかなり見劣りするので、皆には黙っているが、実は日比野も身体を鍛えていた。
風岡は、学力にコンプレックスを感じ、公衆の面前で恥をかきたくないと勉強に精を出していたが、日比野は運動面で風岡や影浦に見劣りしたくなかった。不思議なもので、ひと昔前はそんなこと微塵にも思わなかったはずだが、自分でも不思議な変化だ。それは、仲睦まじい恋人関係を日々見ていて、無意識のうちに引け目を感じていたのかもしれない。そして、女子を恋愛対象と認識して始めたのかもしれない。
いけない。邪念である。
どうやら、早くも風岡は一つめの封筒を回収したようだ。風岡は足が速い。ラグビー部でかつてバックスの一員としてグラウンドを駆け抜けた脚力は、部活を辞めたいまも健在のようだ。
「よし、俺は一枚目を開けにいってもらってくる!」
そう言って、おそらく全速力に近い早さで戻っていった。
振り返ると、優梨、陽花、影浦の三人が、白い紙を見て、議論をしているようだった。優梨は悩んでいるようにも見える。アドバンテージとなるコドン表を見ても、一筋縄で行かないのだろう。何せ、千里もRNAの塩基配列であることを見抜いていたが、キーワード解明には至らなかったのだ。
ところで、蘇芳薬科はどうしているだろうか。相談し合っている様子はない。しかしぽつりと、千里が一人でベンチで腰掛けて、考えているようだ。他の男子メンバーは、ヒントカードを取りに行く要員なのだろう。
しまった。またもや邪念である。女子を意識し始めたのは、きっと千里に因るところが大きい。無論そんなこと、口が裂けてもチームメイトたちには言えないが。
それよりもヒントカードを探さねば。そして、何かしら日比野もキーワードを推理したかった。
実は、昨夜千里と二人で逢ったときに『C-A-L-I-C-A-A-E-R-M-I-L-A-S-E-L』という解読結果を見て、ある可能性に辿り着いていた。日本人でもよく知る、とある外国の都市だ。
「ごめん、外れだ!」
風岡の声だ。ひどく残念がっている。どうやら白紙だったようだ。
状況はふりだしに戻っている。自分も頑張らねば、と日比野は奮起した。
しばらく走っていると、微かに黄土色の幾何学的図形が見えた。風でひらひらしているが落ち葉ではなさそうだ。長方形ないし平行四辺形に見えるそれは、封筒で間違いなさそうだ。
「あ!」
どこかから、大きな声が聞こえた。漢隼高校のメンバーと思しき男子高校生が走ってくる。まずい。日比野が見つけた封筒に気付いて、走ってくる。日比野が全速力で封筒に向かう。短距離は得意でないが持久力はある。多少走り回っても暑さが体力を奪っても、いざとなれば全速力に近いスピードはまだキープできている。
しかし、相手も負けていない。日比野は燃えた。
芝生に置かれた封筒をヘッドスライディングで、間一髪相手よりも先にかっさらう。相手も横から突っ込んできたが、日比野に軍配が上がった。
「チキショー!」相手は悔しがっている。
「悪いな」
そう言って、急いでスタート地点に戻った。ここですぐ開封できないのが、このゲームのいやらしいところだ。
「日比野くん! ファイト!」
横から、美女二人に励まされる。いままでなかった経験だ。
「おねがいします」低い声でお願いした。さすがにこれだけ走ると息が切れる。
封筒の中には白い画用紙が入っていたが、ありがたいことに白紙ではなさそうだ。しかしそこに描かれているのは文字でも数字でもない。絵や写真と言った
「何だこれは?」
思わず、独りごちてしまった。
悪い表現だが、敢えて言うなら黒いペンで描いた落書きのようなものである。
痛んでボロボロになった黒い輪ゴムが、グシャっと潰れたような、何とも
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