第四章 譎詐(ケッサ)  14 優梨

「日比野くん?」

 日比野が手挙げするとは思っていなかったので、優梨は驚いた。

「ダメか?」

 ダメということはない。むしろありがたいが、彼も非常に優秀な男だ。しかも理系である。いくら大柄な男子と言えど、彼抜きの作戦会議をして、体力要員として日比野を遣わすなんて、贅沢な話だ。

「良いの?」

「ああ、女性陣二人に走らせるのも気が引けるし、影浦くんは頭脳もさることながら閃きにも長けている。消去法で俺だ」

「そんな。日比野くんだって……」

「昨日活躍できなかったから、俺も頑張りたいんだよ」

 日比野にしては珍しく笑顔を見せる。どこかぎこちない笑みだ。

「では、お願いします」

「こちらこそよろしく。ヒントカードを開封してもらって、すぐに情報提供する」

「暑さで倒れないでよ」

「大丈夫。給水ポイントもあるみたいだから」

 日比野は指で示す。マラソンよろしく、給水所が配置されている。そこは、運営側も熱中症を出さないようにするための予防策だ。

「よろしくお願いします」


 日比野と風岡にヒントカードを取ってきてもらう間、ベンチを確保し、影浦、陽花、優梨の三人で『キーワード』を推理するため話し合う。

「予想どおりと言うか、コドン表が入ってのね」

「正直な話、みんなここに残っているチームにとっては想定範囲内だろうから、大したアドバンテージにはならないよね」

 陽花と影浦がそう言うと、双方渋い顔をした。

 コドン表には、理科便覧等に載っているような、一般的なものだった。対応するアミノ酸が日本語で表記されている、比較的簡素なものだ。

 手には一枚のメモが握られている。


 UGUGCACUGAUAUGUGCGGCCGAGCGAAUGAUCCUCGCAUCUGAACUGAA

 Cys(システイン)-Ala(アラニン)-Leu(ロイシン)-Ile(イソロイシン)-Cys(システイン)-Ala(アラニン)-Ala(アラニン)-Glu(グルタミン酸)-Arg(アルギニン)-Met(メチオニン)-Ile(イソロイシン)-Leu(ロイシン)-Ala(アラニン)-Ser(セリン)-Glu(グルタミン酸)-Leu(ロイシン)

 Cysalaleuilecysalaalagluargmetileleualasergluleu

 シアロイシアアグアメイロアセグロ

 

 メモの内容は混沌としていた。

 一回戦の解答がRNAの塩基配列を髣髴ほうふつとさせており、あまつさえコドン表が解読に必要と来たら、やはりそれに当てはめたくなる。

 しかし、いろいろ書いてみたところで、意味不明な文字列になるだけで、地名どころか何も浮かび上がってこない。

 一晩考えても、朝を迎えても、残念ながら閃かなかった。

 きっと、何かひねりが必要なのだ。


「なるほど、これは確かに分からないね」と言ったのは影浦だ。

「うん、たぶんこれは正しい解読方法じゃない」優梨自身そう思った。

「アミノ酸って、他に略号あったよね?」

 そう言ったのは陽花だ。その陽花の発言は、優梨にある閃きをもたらした。

「一文字表記!」

 システイン=Cys、アラニン=Alaのような表記は三文字の略号だ。一文字の略号も存在する、アミノ酸が二十個なので、アルファベット一文字で表記可能なのだ。

 ただ、一文字表記は優梨自身記憶が不確かだ。アルギニンが『R』で表記されるなど、単純に頭文字を追えば良いわけではない。アミノ酸の一文字表記をしっかりマスターしていなかった自分を悔いた。

 日比野なら知っていただろうか。しかし日比野はここにいないし、携帯電話は使えないので、連絡手段がない。日比野にヒントカードを取りに行かせたことは、やはり失敗だったか。

 最悪、他のチームに聞いて教えてもらうことはできるが、できればそれは避けたかった。敵に塩を送る行為だ。この段階では早すぎる。


「C-A-L-I-C-A-A-E-R-M-I-L-A-S-E-L」

 淡々と影浦が喋る。この男は一文字表記まで暗記しているというのか。

「も、もう一回言って! メモるから」

 影浦は復唱した。すかさず、優梨はメモ用紙に書き込んだ。

 しかし、これで何かキーワードを連想させる何かが思い付くかと思いきや、そうは問屋は卸さなかったようだ。やはり意味が分からないアルファベットの羅列だ。


「カリカアーミラセル? こんな単語ある?」

 陽花はアルファベット列をそのまま英語風に読んだ。

「たぶんないね」影浦は言った。

「……だよねー」

「何だ? 仮に並べ替えるとしても十六文字もあるからね。ぱっと思い付かないな」

 影浦も悩んでいる。最近の影浦にしては珍しい光景だ。知識、閃き、洞察力、推理力すべてにおいて全国屈指の奇跡の頭脳を誇ると言っても過言ではない影浦が悩んでいる。そして、陽花も優梨も分からないでいる。これはやはり難問なのだろう。

 やはり、公園に散乱しているヒントカードを何枚か参照しないといけないというのか。さらなる解読のヒントが書かれているかもしれない。


 風岡が封筒を持ってスタート地点に向かって走っている。日比野も封筒探しに奔走している。他のチームのメンバーも走っている。

 他のチームは相談しているのだろうか。それとも取りあえずヒントカードを掻き集めているのだろうか。

 風岡の所持している一枚目のヒントカードにまずは期待したい。


 陽花はメモを凝視している。

 日比野や影浦に比べれば、やや劣るかもしれないが、彼女だって充分秀才の部類に入る。予備校では最上級クラスの『理系EHQ』に留まり続けている。

 普段そのような素振そぶりは見せなくても、一度スイッチが入ると、難問をすらすら解いていく。集中力もある。いまはそのスイッチが入ったモードだ。


 風岡は白い画用紙を持って走ってくる。さてどんなカードだ。

 しかしながら、風岡はこちらには向かわず、別の方へ走り去ろうとしている。

「ごめん、外れだ!」

 風岡が手に持っている画用紙をこちらに向けて見せる。表裏とも白紙だった。肩を落としたのは言うまでもない。

「うーん、ツキがない!」影浦が天を仰ぐ。

「いちばん手前にあったやつを取ったんだけどな」

 なかなかサディスティックな運営である。

「頑張って、風岡くん!」優梨は優しく励ました。

「こら、悠! もたもたしてないで、ちゃんと走れ!」

「おー、こわ!」

 陽花は、彼氏に対して運営よりサディスティックだと感じた。集中しているように見えても、そこは忘れない。風岡に影浦も少しおののいている。

「容赦ないね……」優梨が指摘する。

「だって、こっちだって必死になって解読しているんだよ! 悠にも必死になってもらわんと!」

「そ、そうですよね」

「でね。アタシ、分かっちゃった。この中に隠された地名を」

 優梨は思わず目を見開いた。意外と言っては失礼だが、陽花が影浦よりも早くキーワードを見出すとは思わなかったのだ。

「で、何なの?」

「この中にはある国が隠されているの!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る