第四章 譎詐(ケッサ)  11 優梨

 奇妙なもので、自分が解答台にいるとヒント提供のための五分間と三分間はとても長く感じたが、傍観者となるとそれはあっという間であった。


 蘇芳薬科大附属高校チームの三つのヒントおよび一つのミスリードヒントは『甲虫』、『左』、『音楽』、『存命』。それらを見て、千里が解答を行う。

 これまでの解答者としての経験から直感的にあるキーワードが頭によぎった。

 時を同じくして、日比野が影浦に耳打ちしている。

「僕も同じだと思う。分かりやすいヒントだよね」影浦は小声で同調する。

「俺も分かった」風岡にも分かったようだ。陽花も頷いている。

 おか八目はちもくというのはこういうことを言うのか。他者の対決で全員が同調しているのは皮肉なものだが、それだけヒントが明白だったのかもしれない。

 念のためコンセンサスを得るために「リンゴ・スターだよね」と、今度は優梨は影浦に耳打ちすると、影浦は無言で肯定のジェスチャーを送る。

 

 直感的とは言ったものの、検証すればするほどそれが確からしい答えだと気付く。

 まず『甲虫』、『音楽』で多くの人が『The Beatles』を想像するだろう。そして『存命』ときたら、おそらくメンバーの誰かを特定しているのだろう。

 もし『左』がミスリードヒントならば、左利き(あるいは立ち位置が向かって左)のポール・マッカートニーが除外され、リンゴ・スターがキーワードとなる。

 『存命』がミスリードヒントならば、故人のジョン・レノンあるいはジョージ・ハリソンが候補に挙がるが、『左』というヒントが的を射ない。

 一方で『甲虫』がミスリードヒントでは、答えを特定できない。『音楽』がミスリードヒントでは、よく分からない。

 つまり『左』がミスリードヒントのときのみ解答が一つに特定し得ることから、リンゴ・スターとの結論に至ったのだ。

「ちなみに、実はリンゴ・スターも左利きらしいんだけど、いわゆるクロスドミナンスでペンは右、ドラムセットも右利き用を使用しているから、『左』のイメージが強いのは、それ用のギターを使っていたポールだよね」と、影浦は優梨も知らない知識を補足した。


 陽花と風岡はリンゴ・スターまでは特定し得なかったようだが、『The Beatles』のメンバーの誰かということは容易に想像がついたようだ。


 一方で、札幌螢雪高校チームの解答者、佐々木ささきに提示された三つのヒントおよび一つのミスリードヒントは、『甲虫』、『作曲』、『四弦』、『想像』である。

 優梨は若干の違和感を感じた。これらのヒントからキーワードが『The Beatles』のメンバーの誰かということは間違いないのだが、リンゴ・スターには結びつかない。『四弦』がベースのことを指しているとして、『想像』がミスリードヒントならポール・マッカートニー、『四弦』がミスリードヒントだとすると、ベース担当のポール・マッカートニーは除外され、解散後に『Imagine』をリリースしたことがあまりにも有名なジョン・レノンである。両者のヒントから勘案すると、正解となるキーワードが特定できないのだ。


 事実、佐々木の出した解答は『①ジョン・レノン、②ポール・マッカートニー』であった。

 他方、千里の出した答えは『①リンゴ・スター』。②は空欄であった。

 確かに両者に提示されたヒントから、それぞれの解答には納得はいく。しかし両者に求められる正解のキーワードは共通しているはずだ。では、一体どちらが正解を答えているのか。あるいは両者とも不正解か。


「両者、解答が分かれました! では正解は──!?」

 数秒間の溜めが入る。思わず優梨は息を飲む。ここまで来てどこか嫌な予感がしてならなくなったのだ。そして的中して現実のものとなる。

 画面に表示されると同時に三塩アナウンサーが発した言葉は、「正解は、『ポール・マッカートニー』! 最終試合へと駒を進めたのは札幌螢雪高校チーム!」だ。

 

 つまり、札幌螢雪高校チームの白石は、ミスリードヒントに正しいヒントを据えたのだ。相手チームの解答者は、四つのヒントのうち一つは誤誘導させるための誤ったヒントであると考える。すなわち『甲虫』、『左』、『音楽』、『存命』のうち、どれが誤りのヒントかを考える。この場合『ポール・マッカートニー』はすべて当てはまってしまうため、それを逆手に取って、ミスリードヒントに正しいヒントである『左』というヒントを提示したのだろう。非常に狡猾こうかつな作戦であると言わざるを得ない。これが天明の言っていた要注意たる所以ゆえんだとすれば、大いに納得せざるを得ないとともに、彼女の恐ろしさを痛いほど感じてしまった。

 ミスリードヒントは、キーワードに合致しない誤ったヒントである必要性はない。目的はミスリードであって、敢えて正しいヒントを提示することがミスリードに繋がるのであれば、それもミスリードヒントたる意義であると言えよう。その罠に、あの千里もはまってしまった。たまたま対戦者とならなかった優梨たち滄洋女子高校連合チームも、千里の立場なら許の謀略におとしいれられた可能性が高い。

 相手チームのヒントと解答者の心理と、問題の性質を見極めた上で、相手が誤答するだろう最も確からしいミスリードヒントを短時間で提供する。その有様は極めて狡猾にして精緻であった。


 この白石という女子高生。何者だ。優梨は模試などの成績表を脳内から引っ張り出すも思い出すに至らなかった。もしかして、模試を受けていないかもしれない。


「おめでとうございます! 札幌螢雪高校のリーダー、白石さん今の心境いかがですか?」

「まさか、ここまで来れるなんて奇跡です。嬉しいです。チームのみんなを信じて最後まで頑張りたいです」

 白石は感極まって涙ぐんでいる。

 これがなのか演出なのか分からない。ただ、彼女の言う『奇跡』の裏には、計算が幾重にも張られているような気がしていた。

 天明が警戒した札幌螢雪高校。蘇芳薬科大附属と決勝で対峙することは回避されたが、どのような戦いが待ち受けているのだろうか。


 ふと、千里の方に目をやる。

 目を真っ赤にして泣いていた。同じ『泣き』でも、白石とはその理由が異なる。悔し涙だろう。

「ここまで快進撃を続けてきた、蘇芳薬科大附属の桃原さん、いかがですか?」

 アナウンサーは若干気を遣いながら、千里に問うた。

「何も考えられないです。大城さんと戦いたかった……」

「滄洋女子の大城さんですか」

「はい。私の憧れだったんです。小さい頃に出会って、大城さんに感化されて、ここまで勉強してこの大会に臨んだのも、全部大城さんを目標にして、少しでも近付きたかったからです。でも叶わなかった。辛いけど、これも私の実力の限界です……」

 少しの沈黙の後、アナウンサーは優梨に質問を投げた。

「いまのお話を聞いて、大城さん、いかがですか」

 動揺するも、ここは慰める他ない。千里の涙を見て不覚にも同情してしまった。

「桃原さんの強さは本物だと思います。三回戦でうちが当たっていたら、普通に負けていたかもしれません。今回、この場で久しぶりに再会できて嬉しかったです。せめて彼女の分まで、私たち頑張りたいと思います」

 千里の涙は非常に美しく、また優梨の同情を誘った。コメントの半分は、千里に感化されたことによる影響だ。しかし、彼女が我々の敵となって、決勝戦にて対峙したとき、千里は牙をむけるだろう。今までに見せたことのないような鋭利な牙をもって。


 しかしそう分かっていても、彼女の涙は、優梨を同情に誘い込むような魅惑を持っていたのは事実だ。千里は優梨と戦うために全身全霊を捧げてきた。しかし、運悪く、その夢を達成させる直前で、断たれてしまった。優梨は千里の立場になったことはないが、いざその立場になってしまったらどう思うだろう。屈辱だろうか。諦観だろうか。おそらく前者だろう。であれば、それに答えてあげたいと思うのが、常識的な人間の考えではなかろうかと思った。しかし、ここではここではサバイバル。一敗は全敗と同じくらい価値をなくすことを経験的に知っていた。

 ましてや、優梨たちも他ならぬ優勝が目的だ。千里の状況をおもんぱかる余裕など、これっぽっちもなかった。

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