第三章 孑然(ケツゼン)  13 日比野

 実は陽花はあがり症だという意外な情報を、日比野は優梨から入手した。そんな中、『世界の国々』を五十音順でソートするというテーマで、スタジオ中央で強豪校相手に孤軍奮闘する陽花を、アドバイザー席からただ見守っていた。


 風岡と影浦の健闘で、二回戦を順調に進めていたが、それでも陽花には相当なプレッシャーがかかっているはずだ。しかも、陽花から見て右隣、つまり一つ前の解答者が千里となってしまい、彼女のしんちゅうは穏やかでないはずだ。


 陽花はなぜかテレフォンをしてこない。それは躊躇によりその余裕を失ってしまったからかもしれない。おかげで、アドバイザーでありながら、本当に見守っているだけだった。


 そして、見守っているうちに、日比野はあることに気付いた。

 千里の一見不可解な試合運びだ。それは残念ながら、陽花が『北朝鮮』と言って誤答してしまった頃からだ。『日本が国家承認している』という条件ゆえにこの国が解答になり得ないことを認識していなかったようだ。


 これまで、千里の所属する蘇芳薬科大附属高校チームは、千里以外は男子だ。千里の、一回戦での早押しクイズでの大躍進とテレビ映えしそうなそのルックスで、彼女ひとりに注目が集まりがちだが、他の男子生徒もかなり優秀であると見受けられる。

 この二回戦では、自らが正答するとともに、相手チームを不利な状況に追いやる狡猾こうかつな戦略性を見せてきた。しかし、これは無論、卑怯でもなんでもない。勝つために、優れた者のみ行使し得る、上級なテクニックだ。


 それを指示したのは千里なのか解答者本人なのか分からないが、見事な試合運びだ。蘇芳薬科大附属高校チームの次は特に危険だというイメージを植え付けたかもしれない。


 しかし、千里がそうかというと必ずしもそうではない。

 このゲームは、敢えてたとえ数個先でも簡単な解答を答えてしまうことによって、次の解答者にプレッシャーをかけることができる。千里は、数個先の決して簡単でない国を答えて、代わりに簡単な解答を陽花にアシストしているようだ。


 その最たる現象が、千里による『コンゴ共和国』という解答だ。陽花はそれがヒントとなって『コンゴ民主共和国』と答えたが、本人は相当驚いたに違いない。

 普通なら、この千里の解答は、戦略上チョンボなのだが、千里に落胆する素振りも狼狽する素振りもない。間違いなく敢えてやっている。

 不可解だが、日比野だけは確信を持ってその意図が分かっていた。

 千里は、滄女に決勝まで勝ち抜いてもらいたい。そう思って、陽花を助けたのだ。

 しかし、仮に陽花ではなく優梨が解答台に立っていた場合でも、優梨の解答状況次第では助けていたかもしれない。日比野はそう思っている。

 千里は優梨と頂上決戦したい。それまでは他のいかなるチームにも負けてくれるな、と言っているようだ。


 『世界の国々』で千里が解答者として登壇したのは、滄女を助けるため。陽花の前を選んだのも、滄女を助けるため。

 ただ、そんな確信を、日比野自身、チームメイトたちに共有はできない。その推理を皆に開陳するのは、いたずらに惑わせるだけのような気がしていたし、万が一その根拠を問われて、日比野が千里と癒着していることが悟られてはいけない。


 一方で、その戦況をアドバイザー席の日比野が見守っていることを、当然ながら千里は知っている。ということは、暗に、これは貸しを作ったことをアピールしていて、どこかでそれを返すことを求められるかもしれない。

 当然、それに応じる義理はないのだろうが、日比野もじかにお願いされている以上、人情が働く。


 あっという間に、五周目の解答だ。千里の解答は『ジンバブエ共和国』。そのとき、陽花はこれ以上の失敗は許されないと思ったか、いよいよ受話器に手を取ろうとした。『シ』または『ジ』からスタートする国はもうなかろう。頭の中で『ス』からはじまる五十音順で早く来そうな、スイスやらスウェーデンやスーダンなどを思い浮かべてソートし、テレフォンに備える。


 しかし、陽花は電話をしてこない。何かに気付いたようだ。それは閃いたと言うよりは、何かを眺めているようだ。

 五秒ほどの沈黙のあと陽花は答えた。

「スイス」

 はっきりとした口調だった。日比野自身はそれが『ジンバブエ』の次に来るだろうと考え、テレフォンで用意していた解答だった。


 そしてその目論見どおり正解音が鳴り、20点がコールされる。早い試合運びで点数は計算できていないが、おそらく、誤答でのマイナス10点は幾分挽回できたはずだ。

 陽花も胸を撫で下ろし、他のメンバーもガッツポーズを見せているようだ。

 しかし、『ジンバブエ』は、やはり陽花にアシストしているようだ。もっと日本と関わりのありそうな『シンガポール』のほうが簡単に出そうなのに。


 この千里の一見不可解な戦略は、隣にいる聡明な優梨は当然気付いているだろう。そして、一体何を思うのか。

 興味はあれど、それを聞き出すこと勇気は、どうしても湧き出てこなかった。

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