第三章 孑然(ケツゼン) 11 陽花
風岡は優しかった。
成績は陽花に比べてずっと下なのに、この男はその差をぐっと縮めるどころか、追い越してしまうほどの人情がある。
そうこうしているうちに、八つ目の『邦楽のミリオンセラー』まで終了していた。実は『邦楽のミリオンセラー』は大きな落とし穴だった。ミリオンセラーを売り上げ枚数順に答えさせるわけだが、順位が下になればなるほど、その順序が微妙なものになってくる。
ミリオンセラーの楽曲名は知っていても、順序まで
結局、『邦楽のミリオンセラー』を選択した六チームのうち四チームが、マイナスの点数をマークしてしまった。カラオケ好きな陽花はこのジャンルなら大丈夫と最初こそ思ったが、いまは選ばなくて良かったとつくづく思う。
九つあるジャンルのうち八つを消化した時点で、十八チーム中、十二チームがジャンル三つすべて消化し、うち五チームが200点を超えている。
最後のジャンル『世界の国々』をこれから控える六チームは、ジャンル二つ消化した状態で、いずれのチームも160点を超えている。
感覚的にはこれら十一チームが三回戦進出の可能性を控えていると言って良いだろう。三回戦進出は八チームなので、可能性は充分ある。ただ、油断は禁物だ。少しのミスでマイナスに転じる危険性のあるシビアな戦いなのだから。
最後の解答台には
一回戦一位通過の蘇芳薬科大附属高校チームからはリーダー、桃原千里。二位通過の叡成高校チームからはリーダー、天明、四位通過の洛書高校チームからはリーダー、
どういうわけか、他の五チームはすべてリーダーを登場させている。リーダーがチームで最優秀なのか分からないが、気合を入れていることだけはおそらく間違いなかろう。
くじ引きの結果、芝、天明、千里、陽花、平野、北山の解答順となった。よりによって千里の次になるとは、神様も意地悪だ。高校一年生の頃、予備校で千里が陽花を
千里の標的が優梨なのは承知しているから、ここに立っているのが陽花だと知って、心の中では舌打ちしているに違いない。そう思うと正六角形に配置された解答台の隣にいるだけで、ストレスを感じる。
ただ、考えようによっては、真正面に対峙していないだけマシかもしれない。侮蔑か嘲笑のいずれかの感情を抱えているだろう千里と真向かいにはなりたくなかった。
「河原さん。久しぶりね。よろしく」
明らかに右隣から聞こえてきた女性の声。千里だ。
社交辞令なのか、宣戦布告代わりなのか、律義に声をかけてきた。
「こ、こちらこそ」
極めて形式的な挨拶を交わすのが精いっぱいで、千里と向き合うことはなかった。しかし、横目で千里を見る。端整な顔立ちは、蘇芳色の髪越しであってもよく分かる。
いまの千里の実力は、きっと、いや間違いなく陽花より上だ。思いたくはないが、ひょっとしたら優梨よりも……。容姿も頭脳も陽花を凌駕するだろう千里とのツーショット。視聴率稼ぎで、珍しい女性解答者陣を収めるだろうテレビカメラを向けられて、対比されることによる公開処刑がなされようとするのか。優梨の隣にいることはストレスに感じないが、千里の横にいるのは嫉妬にも似た辛さを味わう。しかし、そんなことに煩悶している状況ではない。いよいよ、『世界の国々』をテーマとした古今東西ゲームが開始されるのだ。一体、何の順番を答えさせるのか。説明が始まるところなのだ。
「お待たせしました。二回戦最後のジャンル『世界の国々』では、日本が承認している195か国に加えて日本を加えた196か国を、あいうえお順にソートしてもらいます。順番は現在外務省ホームページにおいて掲載されている順番に準じますが、連邦、合衆国、共和国などの
今回もいろいろと補足事項が多いが、単純な五十音順であることに陽花は安堵した。面積順や人口順でソートする問題だったらお手上げだったからだ。上位10か国くらいなら何とかなるが、それ以降はよく分からない。
『邦楽のミリオンセラー』では容赦ない難易度を強いられ、陽花は戦々恐々としていたが、これなら何とかなりそうだ。いくら何でもあいうえお順で順序を間違えることはない。
「では、最初の解答者の漢隼高校チームの芝くん、答えをどうぞ」
「はい、アイスランド」
正解音が鳴る。20点獲得だ。陽花は漢隼高校を羨んだ。あいうえお順で最初に来る国は、容易に想像がついたからだ。そして、二つ目の国も。アイスランドと来たら──。
「アイルランド」
叡成高校の天明が、二番目に来る国を難なく答えた。20点獲得である。そしてここからは少し悩むのではないか。次は千里の番だ。
「はい、アゼルバイジャン共和国」
何の迷いもインターバルもなく、千里は三番目の国を答えてみせた。しかも小憎らしいことに『共和国』と国号まで含めて。20点獲得である。
次は陽花の番だ。『ア』から始まる国はいくつかある。アメリカ、アラブ、アルゼンチン……。ふと思い浮かんだ三つの中でいちばん早いのはアメリカだ。
アメリカより先に来るのはあるか。咄嗟には思い浮かばなかった。しかし刻一刻と二十秒間が迫ってくる。
アメリカと答えるか。いや待て、先ほど例示されたイギリスは英国と外務省ホームページでは表記されているらしいではないか。もしかして、アメリカも米国と表記されてはないか。そう陽花は悩んだが、そんなイレギュラーがあるだろうか。そうしたら、オーストラリアは豪国、フランスは仏国と表記されていることになる。ここは素直に答えよう。
「アメリカ」
おそらく、日本の次に簡単な答えだ。この解答を制限時間ぎりぎりで解答した、若干な恥ずかしさはあるが、正解音がなってほっとした。
「滄洋女子高校複合チーム、18点獲得です!」
18点ということは、どこか一つ抜かしてしまったようだ。どこだろうか。しかしここで考えている余裕はない。
ふと、アドバイザー席に目を見やると、すぐに優梨が気付いてくれたようで、大きく両手で○を作っていた。日比野も、彼にしては珍しいことだが、右手の親指を上に立てている。幸先の良いスタートを切った陽花を称讃してくれているようで嬉しい。
続いては、銅海の平野だ。しかし、少し悩んでいる。大多数の高校生が、世界の国名をあいうえお順で正しくソートしたことがないだろう。
「アルゼンチン?」
少し時間をかけたものの、自信がなかったのか、疑問符が付いたような答えぶりになった。
正解音は鳴ったが、16点とのこと。二か国飛ばしてしまったらしい。そのうちの一つについては、陽花は知っている。アラブ首長国連邦だ。
ドバイで有名なかの国も、二十秒間と言う限られた時間では、意外と忘れられてしまうものだと思った。答えを聞けば、「あー」と思わず手を叩いてしまうこと請け合いだろうに。
続いては、洛書高校チームの北山だ。彼も意外に悩んでいる。
このゲームの難しいところは、解答しようと準備していたものが、直前の解答によって、解答できなくなってしまうことだ。つまり北山が、アルゼンチン以前の解答を準備していた場合、平野の解答を聞いて、即座に違う解答を考え出さないといけなくなる。二十秒というわずかな時間で。
「イ、イタリア」
正解音は鳴るが、痛恨の6点。かなり飛ばしてしまったようだ。北山は頭を抱えているが、他のメンバーは励ましているようだ。これまで、好調の洛書高校チームであっても、そのリーダーを惑わせてしまう波乱の幕開けだった。
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