第三章 孑然(ケツゼン)  6 優梨

「僕としては、優梨はアドバイザーが相応ふさわしいと思ってるよ」と影浦はきっぱりと言う。

「そうだね。このクイズは、答えられないことで減点になる。でもアドバイザーに教えてもらって答えるのは半減はするけど加点にはなるからね」陽花もその意見に追従した。

 やはり、それはチームの総意なのだろう。誰一人反論しない。優梨自身もそれを予想していた。

「じゃあまとめると、『世界の国々』は日比野くん、『百人一首』は僕、『アメリカの大統領』は風岡くん、アドバイザーは優梨と河原さんということで……」

「やっぱ、俺の『アメリカの大統領』は変えられないかなぁ……」

 風岡はやはりほかのチームメイトと比べて頭脳に劣等感を感じているのか、相変わらず弱気な発言をしている。

「こら、悠! しっかりなさいって! 歴史を極めるくらい勉強してきたんでしょ!? 自分が答えられなかったら誰も答えられないと思うくらい胸張りなさい!」

 陽花は風岡の背中を強く叩いた。部活を辞めたといっても、なおたくましい筋肉にてのひらが当たって、バシッと良い音がした。

「痛いなぁ。頑張るけど、あまり期待すんなよ」

「でもね」と、影浦は再び口を開く。「『アメリカの大統領』だけど、他のチームのリアクションを見てたんだけど、『アメリカの大統領』はみんな避けていた様子だよ。当たって喜んでるチームはなかったし、むしろ顔をしかめていた。意外とチャンスかもしれないよ」

「マジか?」

「うん。しかも上位通過のチームはあまりいないし、気楽に戦えばいいと思う」

 影浦は各チームがどのジャンルに決まったか記録していた。それによると『アメリカ大統領』は、八位通過の兵庫県代表、漢隼高校を除き、下位通過のチームである。

「そうか」ようやく風岡にあんにも似た笑顔が見え始めた。

 陽花は風岡のこれまでの努力を評価して勇気づけ、影浦は客観的に戦況を分析して判断した勝算があるものと見込んで勇気づけた。

「大丈夫! 風岡くんならできる!」最後にリーダーらしく、優梨は風岡を後押しする。

 影浦は、解答者三名とアドバイザー二名の登録をするため、場を離れた。


「日比野くんは大丈夫そう?」陽花は日比野に尋ねる。

「正直、どんな順序で答えさせられるか次第……、だな。単純に国を列挙するだけなら問題ないんだが。まだ面積順なら、正積図法の地図や地球儀を眺めてきたから感覚的に答えられそうだけど、人口順とかGDP順とかだと判断材料が少ないからな」

「GDP 順なんて出るかな。出たとしても、日比野くんが分からないならみんな答えられないでしょ?」

「いや、相手は天明くんのいる叡成や、も、桃原さんのいる蘇芳薬科だぞ。平野もかなりの英才だ。アドバイザーに惜しみなく聞くと思うけど、よ、よろしくな」

 聡明で冷静沈着な日比野にしては、珍しく若干まごついているように見える。表情こそ変えていないもののやや弱気になっているのだろうか。先ほどは「何とかなるんじゃないか?」と言っていたものの、やはり強敵相手ということで構えているのだろう。ちょっとのミスが致命的なミスになりかねないと思っているかもしれない。


 しかし優梨は、日比野の実力を信じていた。この男は本当に聡明で博識だ。難関高校進学率県下ナンバーワン男子校の銅海高校で上位五傑くらいに入るほどのしゅんけつという噂だ。

「でも、これだけの戦略を練って、最高の布陣で臨んでるんだもん。天才・秀才の影浦くんに日比野くん。それと最近猛勉強中のひさし! 勝てるんじゃない?」陽花は、自信をつけさせるかのように言った。

「私ももちろんこのチームが最高だと思う。瑛くん、日比野くんはもちろんのこと、風岡くんだってああ言っていても相当頑張ってきて今ではかなりの知識を蓄えてるわけだし、誰もが立派な戦力だよ。相当、運に見放さなければ勝ち抜けると思う。でもライバルは間違いなくハイレベル。油断は禁物ね。相手の勢いに巻き込まれて頭が真っ白にならなければきっと勝てる!」

 優梨は力強く言った。

「そうだね! 優梨、僕は僕の任務をまっとうするよ。任せといて」と、いつの間にか戻ってきていた影浦も頼もしい発言をしてみせている。


 優梨も、この人選に賛同していた。風岡は確かに、五人の中では成績は総合的に劣っているが、得意な歴史に関しては、古代史から近代史までしっかりマークしてきたらしい。また、風岡は経験的に、やるときにはやってくれる男。そう信じていた。

 一方で、陽花は明朗で快闊な性格だが、同時に元来あがり症だということも知っている。明るい性格でカバーしていたが、たった一人でひのき舞台に立つことはあまりなかった。昨年の夏休み明け、一度優梨が療養入院しているとき、クラスでプレゼンをする機会があったのだが、陽花は頭が真っ白になり、いつもの弁舌を振るうことがまったくできず、横板に雨垂れだったという。入院のお見舞いの際、優梨がいないと何もできないと、泣きつかれたこともあるのだ。

 そんな陽花が、一人で、しかもカメラが回っている前で戦うことは、精神的に辛かろう。


 今回はアドバイザーと言う立場で陽花と優梨はサポートに徹する。陽花も、優梨もあっと驚くような指摘や助言をすることもしばしばある。だからこの人選はまさに適材適所だ。

 そう考えていた矢先であった。


「あのー、番組スタッフですけど、君たちいいかな……?」

 アンケートを渡してきた番組スタッフと同じ赤い服を着ているが、別人だ。先ほどのスタッフは真面目そうだったが、このスタッフは茶髪でいささか軽薄な印象を受ける。

「風岡くん、影浦くん、日比野のくん三人が解答者ってことだけどね、三人のうち一人、できれば二人を女性に代えてもらうことってできるかな?」

「? そ、それはいったい?」影浦は怪訝そうに聞き返す。

「いやー、どちらかというとテレビ的都合で悪いんだけど。二人じゃきついなら一人でもいいから。例えば大城さんとか……?」

「優……、いや大城さんは無理です。うちのアドバイザーですから」影浦はきっぱりと言った。そして続けた。「テレビ的都合って何なんですか?」

 優梨には『テレビ的都合』というものが何となく察しがついている。影浦はテレビをあまり観ないというから分からないだろう。

「いやね、ほら。解答者が男子だけだとバランス悪いからさ」

 影浦は納得いかないように首を傾げている。しかし、これは端的に表に出る解答者が華やかな方が、映像的に盛り上がるということだろう。いわゆる視聴率稼ぎだ。下世話な話だがそういうことだ。でも、見た目と話し口調の印象とは異なり表に出ることが苦手な陽花には、アドバイザーとして留まってもらいたい。

 しかし、スタッフはインセンティブをちらつかせてきた。

「もし、受け入れてくれたら、与那覇侑子のサインを頼んであげるよ」

「本当ですか?」急に先ほどまで渋い顔をしていた影浦の表情が浮かれたものになる。日比野ほどではないが、影浦も俗世間とはかけ離れた位置にいる人間と思っていただけに、このリアクションは意外だ。

「こら! 何言ってんの?」優梨は影浦の脇腹をギュッとつねった。

「あいたたた!」

 続いてスタッフは優梨に話しかける。

「大城さんは、誰のサインが欲しい? 僕結構この業界長いし、顔も利く方だからサインくらいならどうにかなるよ」

「マジですか? ええっとぉ……」実は、ゲストタレントの中に優梨が好きな人物がいた。いけないと思いながらも、誘惑に負けそうになる。

「こらっ! 優梨、何あんたまで悩んでんの!」と、陽花が言ったのは、言うまでもない。

「えっと」朴訥ぼくとつな日比野が低い声でスタッフに話しかける。「悪いですが、大城さんはうちの頼れるリーダーで、もちろん頭もいい。だからアドバイザーとして居てもらいたいんです」

 番組スタッフは、やや不快そうな表情を見せたものの、すぐに切り替え「じゃあ……」と提案をしてきた。

「河原さんはどう?」

「ええ!?」素頓すっとんきょうな声を上げる。

 陽花は、いやいや、冗談じゃないでしょう、という顔をしている。陽花は『百人一首』も『アメリカ大統領』も苦手分野のはずだ。

 日比野は何とかあらがおうとする。

「と言っても、少なくとも『百人一首』は影浦くんですし、『アメリカ大統領』の風岡悠も外せない……」

「俺どんだけ期待されてんだよ!」風岡がすかさず自虐的に異議を唱えるが、それに同調する者はいない。

「あと、残るは『世界の国々』だけど。国に関する何の問題が出るか予想がつかない。つまり俺にこだわる必要はない──」

 陽花は嫌な予感がした。

「河原さん、『世界の国々』でエントリーしてみるかい?」

「嘘でしょー!?」陽花はムンクの叫びの如く、両手を頬に当ててしゅうたんしている。陽花自身、解答者としてエントリーすることを心の中で拒んでいた証だ。

「あ、陽花、地理選択じゃん。良いんじゃない」風岡まで同調している。

「悠、あとでしばいたる!」

「ということだから、河原さん、お願いできるかなぁ?」番組スタッフは、陽花の風岡への怒りもどこ吹く風で馴れ馴れしげに頼み込んできた。

 陽花も賢い。日比野と比べて、予備校でも順位は劣るが、思えば今日の日比野はあまり本調子ではないことも気になりはじめていた。だから正直どちらが良いか優梨でも決めきれない。

「日比野くんの方が信頼できるのに! もう! どうなっても知らんよ!」やや捨て鉢になりながら、陽花は答えた。

「じゃあ、決まりだね! オッケーでーす!」と、スタジオのディレクターらしき誰かに向かってスタッフはサインを出した。他のチームメイトによる最終的な同意を得ようとせず、勝手に自分の都合の良い方へ決定させたことに、優梨は不快感を禁じ得なかった。


「何なの!?」スタッフが立ち去った後、陽花は小声で毒づいた。

「まぁ、陽花だって千種進学ゼミの最高クラスなんだろう? GHQだったかEHQだったか」

「EHQクラスだよ。Extreme High Qualityね。って、そんなことどうでも良いでしょうが」

「ほら、二人、喧嘩しないの! 陽花だって地理の成績良いじゃん」

 優梨は何とかなだめる。優梨自身、少し番組スタッフにいらついていたが、決まってしまった以上、陽花を勇気づけるしかない。

 ただ、相手は良くない。蘇芳薬科大附属高校チームや叡成高校チーム、銅海高校チーム等、強豪だ。仮に、代わりに優梨がそれに出た場合、千里が何か仕掛けてきたときに平然でいられるだろうか、という懸念もあった。

「学校のテストとは違うし、相手が悪すぎるよ」陽花は弱気で心配になっていた。あがり症であることを自覚しているからだろう。

「陽花の性格はよく知ってるよ。もし困ったら遠慮なくテレフォンして! 日比野くんと私でサポートするから」

 優梨はいま言える最大限の励ましの言葉を送ることしかできなかった。

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