第二章 結集(ケッシュウ)  8 優梨

「愛知県!」

 本田工業高専チームのリーダーと思しき女性が、自信満々に解答した。優梨はこの問題の正解が分かっている。だからこそ頭が真っ白になった。

 三、四秒ほど、沈黙の間を置いたあと、正解音が鳴る。

「三重県代表! 本田工業高専チーム二回戦進出! 一回戦最後の勝ち抜けのチームとなりました!」

「よっしゃ!」

 優梨は膝から崩れ落ちそうになった。

「リーダーのきょうさん、今の気持ちいかがですか?」

 隣にいる三重県代表の五人組クインテットは歓喜し、リーダーは声を上ずらせて質問に答えている。アナウンサーの視界に、もはや負けたチームは入っていないことだろう。


 無情だ。何と言っても、この問題は優梨たちにとってサービス問題だったのだ。

 愛知県に生まれ愛知県で育った優梨は、愛知県が菊の生産が有名であることを学校教育で受けている。アドバンテージを得ていた。当然、解答も分かっていた。おそらく優梨以外のメンバーも。

 しかし、せつの差で目の前のランプはともらなかった。

 結果、お隣のチームにお株を奪われた形となってしまった。解答を聞いて、多くの人が愛知県代表のチームが答えるものだと思ったに違いない。もし自分たちが解答したら、不公平だと文句を垂れる参加者だっていたかもしれないほどに。

 そう考えると、逆に自分たちに注目が集まっているかもしれない。失笑や嘲笑を含んだ目で。いま千里はどんな表情をしているだろうか。想像できるだけに顔を向けることはできなかった。


「優梨、仕方がない。実力と経験と運が足りなかった。全国大会に出られただけでも、僕らにとって快挙なんだよ。優勝は叶わなかったけど、いい夢見させてもらったよ」

 慰めるつもりで影浦は言ったが、慰めにはなっていない。当然だ。優梨は、栄誉が欲しかったのではなく、影浦を大学に進学させる資金が欲しかったのだ。そのために優勝を勝ち取る必要があった。どんな形であれ、天才的な頭脳を持ちながら経済的な理由で諦めてしまっている状況を何とかしたかったのだ。

 よって慰めの言葉は、『優梨の努力は伝わったから、お父さんの援助を受けてでも大学に行くよ』なのだ。しかし、頑迷な彼にそのような言葉は皆目期待できない。


 優梨は以前、顔を下を向け続けている。うなじあたりに大量の鉛がのしかかったように、上げられなかったのだ。


「ありがとうな、大城。大城が俺を誘ってくれたから、成績底辺の俺も少しはまともになったかな。まだみんなに比べれば月とスッポンの差だけどさ。それでも文系の大学なら、そ、それなりに名の通ったところも、夢じゃなくなった……のかな? 分からんけど。でも、とにかく大城に感謝してるのは間違いないよ」

 風岡は優しい。意外とぶっきらぼうなところがある影浦に比べると、まだ風岡の言葉の方が幾分救われる。少し鉛が軽くなったと思ったら、今度は涙腺が緩みはじめた。思わずヒックヒックと身体を上下に小刻みに揺らすと、すぐさま陽花が声をかけてきた。

「ゆ、優梨? 泣いてるの?」

 バレてしまった。やはり付き合いの長い陽花は、気づくのが早い。泣くのは、敗北を認めてしまったような気がして、何だかとてもバツが悪かった。特にリーダーたる自分だからこそ、りんとしていないといけないのに。

 ただの想い出作りのための参加であれば、こんな悔し涙を流さなかったかもしれない。この涙は、千里に負けたこともあるが、いちばんの理由は恋人である影浦を、自分の力で大学に進学させてあげられなかったことにるものだ。

 このことは、影浦を除くチームメイトに共有できていない。皆、千里に負けたことで泣いていると思っているはずだ。

 そろそろチームメイトに打ち明けようか。年貢の納め時だろう。どうして、この場に自分が臨んでいるかを。


「あ、ありがとう……。あ、あのね、実はね──」と、少し緊張しながら言いかけたときだった。

「あっ! これ見てよ!」

 突然、風岡が大きな声を出す。何事かと思った。

「えっ! なにこれ!」

 続いて、陽花の大きな声。二人はスタジオのモニターを見ている。

 優梨も同じ方向を見ると、そこに大きな文字が浮かび上がる。

『あきらめきれない諸君! 敗者復活戦でリベンジしないか!?』

 周りがざわつき始めている。すでに二回戦に勝ち進めなかった他のチームのいくつかは、まだチャンスが残されていたことに歓喜の声を上げる。たちどころにその声は大きくなり、どよめきに変化する。同調するかのように、陽花や風岡も喜びの声を上げている。少しだけ遅れて優梨も喜びで思わず黄色い声を上げた。

「やった! まだ行けるよ! まだ行けるよ!」

 二回戦進出を決めていないどころか、まだ敗者復活戦の詳細も聞かされていないのに、もう敗者復活戦を勝ち抜いたような気分になっていた。歓喜するには尚早と分かっていても、いちの望みがそこに残されていただけでも、優梨は嬉しかった。

 そして同時に、自らとチームメイトを鼓舞した。

「絶対、勝ち抜いて二回戦進出を、いや優勝を勝ち取るんだから!!」

「よっしゃ!」

 再び、滄洋女子高校複合チームが全国制覇に向かって一つになった。

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