第二章 結集(ケッシュウ)  7 優梨

 ようやく4点獲得したが、二回戦進出には5点必要となる。よってこのチームに必要なのは、あともう1点である。4点以下は、0点と一緒だ。

 知力甲子園の常連校、ことに優勝候補ともくされているチームは早々に二回戦進出を決めている。残されたチームでも解答できるようにするためか、問題のレベルがだんだん易化している。その証拠にレベル3の問題は少なくなり、大体レベル2か1に落ち着きつつある。

 しかし、優梨にとってはあまり嬉しくない傾向だった。優梨が自分自身を分析すると、難しい問題こそ威力を発揮できるものだと思う。頭の回転は速い方だと自負しているが、思い切りが良いわけではない。解答が分かっても、問題をもう少し長く聞いて確信を持って正答したい。換言すれば世間体を気にして、誤答することを恐れているのだ。特にあの千里がいる前では──。

 そんな慎重さは早押しではあだとなっている。

 簡単な問題はライバルが多くなる。押し負けるリスクが高くなり、が悪い。他方、難しい問題ではその逆でライバルが少ないため、優梨にとって有利だ。

 よって、他のメンバーの『思い切りの良さ』が、優梨には必要だ。実際に、優梨が押そうと思ったよりも早く、優梨の手に力が加わることも幾度かあった。とりわけ影浦の推察力は、舌を巻くものがある。在原業平の句を答える問題は、感動を覚えるほどのスピードと確実性を感じた。

 しかしながら、出場チームが多い中、自分に解答権が回るチャンスは多くない。四十問ほどを終えて、一回もランプを点灯させていないチームも数多くある中で、五回もランプが点灯したこと自体奇跡的で、最多だと思う。うち一問は正答できなかったが。それでも、レベル3の問題で、解答権が回ってきていないのだから、優梨の思い切りは良くない。さらに言うと五回とも、優梨の意志でボタンをおうできたものはない。そして押したのに答えられなかった『チンボラソ』を除いて、すべてレベル1の問題である。

 優梨は焦ってきていた。二回戦進出を決めるときくらいは、自分で解答したい。しかし勇み足で誤答するのは嫌だ。そんなジレンマに挟み撃ちにされ、優梨は思わずせっ扼腕やくわんする。テレビに映るかもしれないのに渋い表情をしているのが自分でも分かる。

 そして対照的なのは、千里のどことなく勝ち誇ったような顔だ。それが悔しさを増長させる。


 学校や予備校の試験では鮮やかに正答を連ねて賛辞を浴びてきたが、ここではなぜか思うように行かない。がゆいことこの上ない。そんな優梨を尻目に、いつの間にか同じ愛知県代表の銅海高校チームも勝ち抜けを決めている。

 日比野のクラスメイトである平野は、日比野に対して、

「五郎、お前もっと頑張れ。ここで敗退したら滄女の別嬪ぺっぴんさんたちにどう落とし前つける気だよ?」と揶揄やゆとも激励ともとれる声かけをして、二回戦進出席に座った。日比野自身はだんまりだったが、どう思っていることだろうか。ポーカーフェイスな彼の表情からは、あまり読み取れない。


「第四十六問! レベル1の問題です。日本語では『コンピュータ断層撮影』と呼……」

 来た。医学部志望で医師の娘たる優梨にとってチャンスだ。確かにボタンを自らの意志で押したはずだが、無情にも手が滑ってしまった。焦りによる発汗が、たなごころを大いに湿らせていた。結果、眼前のランプは点ることなく、違う方角から点灯音が聞こえてくる。

「CT!」

 正解の電子音が優梨の鼓膜を刺激し、思わず天を仰ぐ。

「福島県代表! 磐梯ばんだい高校チーム! 二回戦進出!」

 明らかに焦りは負のスパイラルを生んでいた。優梨にさらなる焦りを引き込み、汗がしたたる。

「くーっ!」

「ゆ、優梨!?」

 悔しさと焦りのあまり思わずうめき声にも似た奇声に、思わず陽花が声をかける。しかし、いま一度、正気を取り戻す。

「あ、ごめんごめん。さ、切り換えて頑張ろ──」

「優梨、すごい汗かいてる?」

「あ」

 バレてしまった。チームにいらぬ不安をかけたくないのだが。

「気分悪いのか?」と声をかけたのは風岡だ。

「大丈夫だって! ほら、次の問題がコールされるよ!」

 また、再び汗が滴る。今度は陽花がメモを取ってくれている紙に垂れてしまった。右隣にいる影浦が、こっそりとタオルを渡してくれた。優しいが、感心している暇はない。


「第四十七問! レベル1の問題です。1957年、遠藤周作に発表された、捕虜となったアメ──」

『海と毒薬』と心の中で優梨は叫ぶ。と、同時にボタンを今度こそはしっかり押したはずだが、またもや点灯音は別の方角から聞こえてくる。

「海と毒薬!」

 非情にも優梨の心の声は、違う誰かに代弁される。

「鹿児島県代表! 南九州高校チーム! 二回戦進出!」

 問題が易化しているのかもしれないが、それ以上に優梨に襲いかかるプレッシャーと、それを薄々、いや確実に感じ取って伝染しているメンバーに、狂いを生じさせているように思える。

 ペーパーを前にした試験では、幾多の修羅場を乗り越え、ライバルを駆逐してきた。それは確かな自信となり、優梨のメンタルを芯から強くしていったと思い込んでいた。しかし、少し環境とルールが変わるとこうももろくなるのか。カメラと早押しボタンがあるだけで、問題を解くという行為は変わらないはずなのに。

 そして、不本意なことに、優梨は感情の変化が如実に身体に見える変化をもたらす体質だ。表情は努めて冷静さを保てても、自律神経の変化はコントロールできない。ルックスは女優然であると陽花に褒められても役者にはなれないとつくづく思う。チームメイトを不安にさせるくらい分かりやすく変化させるほど敏感な自分の交感神経を心の底から恨んだ。実に情けない。不甲斐ふがいない。


 頭を切り換えて、次の問題に集中するしかない。

 しかしながら、不運と言ってしまって良いか分からないが、不運にも第四十八問目と四十九問目は、優梨も他の誰も分からなかった。ともにレベル2の問題だからとりわけ難しくないはずだ。その証拠にそれぞれ他のチームが正答し、二回戦へ駒を進めていく。完全に実力不足であった。

 これで十四チームが勝ち進んだ。二回戦へ進めるのは15チーム。残る切符はあと一枚しかないのだ。そしてそれを争うのは滄女を含めた46チーム……。


「さあ、残された二回戦への切符はあと一枚となりました! さて、次が最後の問題になるのでしょうか!?」

 司会者は場を盛り上げるために声高々に言う。テレビ番組だから仕方ないことだと分かるのだが、痛いほど分かっていることをいちいちアナウンスされたくなかった。それくらい優梨は滅入りかけていた。もう、解答の法則が分かってアドバンテージがあるとかどうとか喜んでいる場合ではない。死に物狂いで、最後の椅子を勝ち取りにいくばかりだ。


「第五十問! レベル2の問題です!」

 司会の三塩アナウンサーが気合いのこもった声でコールする。レベル2なら、難易度は中程度ということだろうが、3ポイント獲得のチームにも二回戦進出のチャンスがある。本当にラストの問題になるかもしれない。

「菊の生産量が一位の都道──」

「来た!」明らかなサービス問題だ。優梨はボタンを連打する。しかし何故か目の前のボタンは点灯しない。点灯したのは、お隣の三重県のチームだ。三重県は合計3点既に獲得している。正答された時点で、滄女チームの敗退が決定する。

 万事休すか。優梨はぎしりする。


 そんな焦りなどまったく知らぬ存ぜずの三塩アナウンサーが、少し間を置いてから気合いをさらに入れて、そのチーム名を発する。

「三重県代表! 本田工業高専チーム! さあ! 解答を、どうぞ!」

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