第二章 結集(ケッシュウ)  6 影浦

 早くも千里が仕掛けてきた。

 偶然なるかつての同級生との再会で、スタジオは和やかな雰囲気に包まれているが、関係者からすればそんな穏やかな話ではない。

 優梨は明らかに動揺している。無敵の知力を誇り栄誉をそうめにしてきたと言っても過言ではない優梨だが、意外にも揺さぶりに弱いことを影浦は知っている。

 千里の宣戦布告だろうか。しかし、千里のチームは既に勝ち抜いているわけだから、この場でそんなことをする必要はなかろう。にもかかわらず、揺さぶってくるのは、もはや優位に立つだけでは気が済まないというのか。

 全国出場を決めた日の夜、影浦は優梨から事情を聞いた。千里がしょうけいの的であり、いつしか追いつく、いや超えることを心に誓った目標は、やはり優梨だったのだ。

 優梨と千里は同じ幼稚園に通っていたという。幼少の頃から頭脳明晰かつ美少女とさぞもてはやされてきたことだろう二人が、周囲の大人たちに比較され優劣をつけられるうちに、互いの存在を強く意識するようになったことは想像に難くない。特に劣っているとされた方は……。

 そこで事件が起こる。幼稚園のお遊戯。花形のシンデレラ役を巡ってだった。もともと千里がシンデレラ役に立候補していたのに、教諭の判断で優梨に交代させられたという。千里のプライドは大きく傷付けられたことだろう。

 優梨は卒園と同時に引っ越し、千里と異なる小学校に入学する。しかし、離ればなれになってもその傷は癒えることはなかった。その癒えぬ傷を抱えたまま時は進むが、高校一年生のとき再会を果たすことになる。それが『千種進学ゼミ』である。


 そう。今から二年前の話だ。奇しくも影浦と風岡は、千里とクラスメイトだった。千里は優梨に勝つことを目標に掲げ猛勉強する。しかし、純粋に一人の力では勝てないと思ったのか、クラスメイトの自分の力を借りようとする。

 影浦は、『ゆう』という交代人格を宿していた。『夕夜』は間違いなく天才だった。しかし、その利点をすべて打ち消すくらい粗暴の男だった。当時、クラスメイトで唯一心を許していた風岡を利用し、『夕夜』に取り入ろうとした。しかし、風岡は千里の申し出を断った。結果、報復のように千里におとしめられることになった。


 『夕夜』の力を借りられなかった千里は、優梨自身をおとしいれることによって、超えようとする。普通に考えれば歪んだ発想だが、千里の心はそれほどにまで蝕まれていたのだ。結果、優梨は千里の謀略に見破り、さらに完膚なきまでに千里を打ち負かしたのだ。


 その後、忽然こつぜんと姿を消した千里だったが、やはり優梨を諦めきれていなかったようだ。一回戦での快進撃を見ると、身を粉にするほど努力したに違いない。

 改めて考えると、千里がこの大会に並々ならぬ意気込みを持っているのは火を見るより明らかだ。堅忍不抜の努力の結果、圧倒的な力の差を確信した千里が、優梨を挑発したくなったのも、無理もないことかもしれない。


 一方で圧倒的な力を見せつけられた上に、全国ネットで宣戦布告を受けた優梨。その瞳は少なくとも震えているようにも見えた。今まで無敵と評された牙城が崩されるような恐怖あるいは畏怖いふを感じているのかもしれない。挫折をほとんど味わったことのないだろう優梨にとって、この感覚ははじめてのことだろうと推察する。その優梨の動揺は他のメンバーにも伝染しているようだ。


 このチームの精密な歯車が狂い始めていることを、影浦は悟った。


 第二十問からも、優梨が気付いた法則に従った解答が続いていたが、我がチームがその解答を発することは出来なかった。画像を用いた問題も登場し、バラエティにも富んでいる。問題は概してハイレベルなものだったが、レベル3の問いは少ない。大体レベル1か2だった。答えが分かっても、あと一歩のところで押し負けてしまうのだ。他チームに解答権を譲り、先に勝ち抜けられる。

 優梨自身、一生懸命軌道修正を試みているようだ。しかしながら、問題が進めば進むほどに回戦進出を決めるチームが増え、同時にプレッシャーも増す。それに抗おうと軌道修正をしようとすればするほど、焦りを引き連れてくる。

 冷静さを保つように呼びかけているが、優梨ですら学校や予備校で受けるテストとはまったく異なる環境のせいか、見るからに制御できていない。


 ここまで三問正答しているが、すべてレベル1の問題のため未だ合計点数は3点である。できればレベル2以上の問題がチャンスだ。レベル2なら、2点獲得で、計5点に到達して勝ち抜けとなる。また、難易度が高ければ、その問題を解答できるチームも少なくなるため、押し負ける可能性は少ない。しかし、言わずもがな自分たちも分からなければ意味がない。


「第三十三問! レベル2の問題です! 海抜高度でいちばん高い山はエベレストですが、山頂が最も地球の中心から離れている山──」

「来たー!」との風岡の声とともに、グイっと上から力がかかり、目の前のランプも点灯する。ようやく来た解答権。しかもレベル2の問題だ。

 影浦は残念ながらこの問題の解答は分からない。山頂が最も地球の中心から離れているのは、エベレストではない違う山だというのか。きっと風岡が独自に得た知識だろう。しかしながら、風岡は解答を発さない。

「お、大城、これ分かるか?」

「え? 風岡くん、答えないの?」優梨は風岡の方を向いて目を見開いている。

「ど忘れした」

「ええ!?」

「チンなんとかだ!」

「わ、私に答えさせるの!? みんなは?」優梨は助けを求めるように言う。

 影浦は首を振った。同様に日比野も陽花も分からないというジェスチャーを送っている。

「大城、分かるか?」

「い、いや、分かるんだけど……。その、答えにくくって」

「答えにくい?」そう聞いたのは陽花だ。

「そ、そう。語感がね。ちょっと……」

 どうやら、ど忘れした風岡以外に、正解を知っているのは優梨だけのようだが。

「頼む! 俺、忘れちまった」と、懇願する風岡。

「チ、チン、チンb──」

 躊躇の間にブザー音。

「残念! 滄洋女子複合チーム! タイムアウトです!」

 風岡は天を仰いだ。貴重なチャンスを棒に振ってしまったのだ。


 正解は『チンボラソ』です。地球は正確には楕円形で、赤道付近は地球中心からの距離が遠いため、エクアドルに存在するこの山はほぼ赤道直下のため、6,268mの高さであっても、エベレストよりも山頂が地球中心から離れているとのこと。

 二回戦突破の貴重なチャンスを逃したチームは落胆モードだ。

「何で、優梨答えないの!?」と陽花は追及する。

「だって、『チンボラソ』だよ!? 全国ネットだし、しかも目の前に桃原さんがいるし、何言われるか分からないし……」

「でも、今の答えたら二回戦に行けたんだよ!」

 優梨が答えるたびにいちいち千里がコメントを挟むとは思えないが、それくらい優梨の中で冷静さを乱すほどに千里に対して敏感になっている。優梨はもともと、妙に世間体を気にするきらいがある。影浦にとっては、語感を気にするほどの単語ではないと思うが、この特別な環境はそんなまつだと思うことですら、大きな障壁になっている。

「ごめん。俺がど忘れしなかったらこんなことにはならなかったんだ」

「悠もしっかりしてよ!」謝る風岡に対しても、陽花は感情的になっている。

「起こってしまったものは仕方ない。切り替えよう。もう次の問題だぞ」日比野が慌てて、乱れたチームワークを元に戻そうとしている。影浦は、こういうときとっに言葉が出ない。さすが、予備校のクラスで副リーダーとして、リーダーやクラスの皆を支えているだけあるのだろう。日比野の冷静さにあんする。


「第三十四問! レベル2の問題です。実用的な用途がある最も原子番号が大きく──」

 ポン、とどこかで音が鳴る。気持ちを入れ替えたが、影浦はこの問題が分からなかった。

「カリホルニウム!」と正答したのは、神奈川県代表のさくらわか高校だ。数少ない女性五名で構成されるチームだ。


「他のチーム、ブーストかかってきてんな。気合い入れよう」と言うのは、意外にも風岡だ。彼もチームに漂う焦りを感じ取って、見るに見かねて鼓舞した。

 確かに、コツを掴み始めたのか、問題が簡単になってきたのか、他のチームも早い段階で押して正答し始めている。我がチームは3点獲得しているが、多くのチームがそれに並ぶか迫ってきている。これらのチームがすべて二回戦進出を決めることはもはや出来ない数になっている。

「とにかく、深呼吸をして落ち着こう」影浦はチームメイトに呼びかけた。

「分かった」優梨は言う。そして皆が深呼吸をする。


「続いて、第三十六問。レベル1の問題です。現在存在が確認されている準惑星の中で唯一小惑……」

「来た!」と近くから声がする。手の上から力が加わり、目の前のランプが点る。その後声の主が陽花であると気付く。

「愛知県代表! 滄洋女子複合チーム!」

「ケレス!」陽花の鮮明な声。

 正解音を聞き取り、久しぶりに歓喜する。一点獲得で計4点のリーチだ。どんな問題でもあと一問正答すれば二回戦進出を決めることができる。

「まだまだ、これからよ! 行くよ! みんな!」いよいよ陽花も波に乗ってきた。

 そうだ。まだまだこれからだ。あと一問、何が何でも正答してやる、と影浦は強く心の中で誓った。

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