第二章 結集(ケッシュウ)  5 優梨

「第十六問! レベル2の問題です。知覚における現象のひとつ。全体性を持ったまとまりのある構造から全体性が失わ……」

 また、自分たちよりも先に押したチームがある。優梨も答えが分かったが、少し待ってしまった。このわずかな思い切りの差が、決定的な差となる。

「ゲシュタルト崩壊!」と答えたのは福岡県代表の久留米くるめ国際こくさい高校チーム。正解音が鳴り響くとともにほぞを噛んだ。この大会では初のポイント獲得だが、この高校も知力甲子園の常連校だ。


「第十七問! レベル1の問題です。小倉百人一首の和歌番号十七番のあり……」

 優梨の手に力強く押される感覚が伝わる。ピンポン、と目の前の赤いランプが点滅し、自分たちに解答権が回ってきた。早い。誰が答えるのか。

「千早ぶる神代も聞かずたつがはからくれなゐに水くくるとは !」

 威勢良く解答したのは影浦だ。

「正解! 滄洋女子連合チーム、お見事!」百人一首の句は一通り暗記していたが、影浦は、和歌番号まで記憶していたのだろう。これはすごい。

「すごい! 影浦くん!」優梨の心を代弁するかのように陽花が言った。

「ありがとう」

「小倉百人一首の和歌番号十七番のありわらの業平なりひらんだ、紅葉が川一面を真っ赤にして流れていることを詠嘆した句は? という問題でした」と三塩アナウンサーから問いの全貌が明かされる。しかし陽花は不満げな表情を見せた。

「でも、一句まるまる答えさせる問題でレベル1ってどうかね。さっきの『ゲシュタルト崩壊』の方が簡単だからそっちがレベル1で良いのにね!」と小声で抗議した。

「これは、えっと滄洋女子連合チームの影浦くん! 知っていたんですか?」与那覇が思わず問う。

「そうですね。あの、レベル1の問題だから百人一首でも有名なものかなと思ってヤマを張ってました。有名どころって言ったら、ののまちてん天皇てんのう、在原業平、山部やまべの赤人あかひととう天皇てんのうあたりかなと個人的には思うんですけど、業平以外は歌番号一桁なんです。ですから、十七番と言った時点で業平かなと思いましたが、歌を答えさせる問題か人物名を答えさせる問題を見極めてから押そうと思いました」

「すごいですね! あの短時間でここまで分析していたのですか!?」

「恐縮です。リーダーを全力でサポートします」と言いながら、頭を掻いて影浦は明からさまに照れている。与那覇侑子のファンだということは知っているが、ここまで照れられるとあまり気分の良いものではない。

「何、ニヤついてんのよ!」嫉妬した優梨は影浦の脇腹あたりをつねってやった。

「あいたたた……」と、顔をしかめる影浦。

「お、痴話喧嘩してるの?」とゲストのニューハーフタレントが茶々を入れる。

「いや、夫婦めおと漫才です。『何、ニヤついてんのよ!』は『なんでやねん!』の代わりです」と影浦がさらりと返答する、と会場に笑いが起こった。

 まだ影浦と出会って一年ほどだが、影浦は本当に変わったと思う。以前、風岡から聞いた高校一年生の時の影浦からは大きく変化した、と思った。

 そのときは、荒々しい交代人格の表出に戦々恐々としてか、内向的な性格だった。風岡が心の扉を開いてくれたものの、それでも優梨が最初に抱いた印象の影浦『瑛』の像と比べ、格段に社交的になった。またこういった大舞台でも、物怖じせずに冗談を交えて返答するなど、コミュニケーション能力が上がっている、と感心した。


 すると会場がざわつき始めた。

「リーダーの女の子、与那覇侑子にそっくりじゃない?」とか「姉妹みたい。美人だ」とか聞こえてくる。

 ちなみに女性陣からは「彼、すごいイケメン……」とか「見た目もいいけど頭もいいんだね」とかささやかれている様子だ。


 それに気付いたのか、今度は与那覇は優梨に質問する。

「リーダーの、えっと大城さん!? 私に似ていませんか?」

 突然の指摘に心の準備ができていない優梨は動揺する。「え、あ、まぁたまにそう言ってくれる方もいます」

 いきなり、会場と観客席から一斉に注目を浴びて声が上ずってしまった。

「ですよね! 私何だか嬉しくて……。あ、すみません。ここまで似ている方ってあまり出会ったことがなかったので。聞いてみちゃいました。では三塩さん次の問題に進んで下さい」

 しかし、会場はまだざわついている。滄洋女子高校の優梨は、模試上位常連の他のライバルたちにも名が知れ渡っているようだ。

「あれが、滄洋女子の大城!? ほんまに与那覇侑子にそっくりや」「模試で一位取ったことなかったっけ?」「才色兼備だな……。羨ましい」

 

 しきりに視線を感じるようになった。知らないところで有名人の仲間入りをしていたというのか。

 そう言えば、今回はどういうわけか札幌螢雪高校のリーダーしかり、千里しかりテレビ映えしそうな生徒が多い。視聴率狙いとしか思えない、と余計なことを考えていた。

 千里は、二回戦進出を決めた自分よりも優梨にスポットライトが当たっていることが気に入らないのか、膨れっ面を見せている。


 ところで、先ほどの百人一首の問題も、先ほど優梨が指摘した法則に当てはまっている。影浦は歌人の名前か句か迷ったと言っていたが、解答が『在原業平』であっても偶然にも法則に当てはまっているので、見極めざるを得なかったのだろう。

「第十八問! レベル1です。経度0度である子午線の基準として定……」

 レベル1で比較的簡単な問題だからか、各テーブルでボタンを押す音が聞こえる。光ったのはお隣の本田工業高専だ。「三重県代表。本田工業高専!」

「グリニッジ天文台!」と答えた後に正解音。即座に陽花はメモを取った。

「経度0度である子午線の基準として定められた、イギリスにある天文台の名前は? という問題でした。いやー、今までどの問題も不正解がありませんね!」

「はい! とてもレベルの高い戦いだと思います。私、皆さんより年上なのに全然分からないですもん」与那覇は苦笑いしながら言った。


「続いて、第十九問! レベル2の問題です。ウシカモシカという別名でも知られ、アフリカに生息し、食料となる草原を求めて集団で大移動する大型の哺乳類は?」

 珍しく、問題がすべてアナウンスされても誰も押さない。数秒後右隣からボタンが押される音がした。

「愛知県代表! 銅海高校!」

「ヌー!」と平野が解答すると、正解音が鳴った。銅海高校チームもハイタッチを交わす。

 あれ、と一瞬思った。法則に従わないのでは。優梨も首を傾げている。前方の洛書高校チームも、納得いかないのか何やら話し合っている。

「『GNUジーエヌユー』じゃない?」とぼ小声で呟いたのは影浦だ。

 なるほど。『gn』と綴られた場合の、gは黙字となる。『signサイン』 や『foreignフォリン』などがそうだ。この問題はひょっとして、法則性に気付かなかったチームの方が有利だったかもしれない。

「愛知県勢が2チームいますけど……。隣の滄洋女子高校複合チームの日比野くんも銅海高校のようですが、銅海高校チームのことは知ってるの?」ゲストの芸人が質問する。

「いいえ、全然──」と日比野が低い声で答えると、平野が遮るように「クラスメイトです。しかも出席番号隣ですっ!」

「じゃあ何で、別々のチームで出てんの?」というゲストタレントの問いにすかさず平野は愚痴をこぼすように答える。

「本当っすよ! 日比野くん超優秀なんで、こっちに来て欲しいんですけど、滄洋女子の綺麗なお姉さんたちに頼まれて断りきれなかったみたいです」

「あー! 日比野くーん」とひやかすのはアイドルタレントだ。

 日比野は反論したそうだが、それよりも恥ずかしさのせいか顔を紅潮させている。

 日比野とは、予備校で高校一年生の時から共にしているが、こんなに顔を赤らめて恥ずかしそうにするのも珍しい。

 ここでゲスト席の横から、勝ち抜けを決めた蘇芳薬科大附属高校チームの千里が手を挙げた。

「滄洋女子連合チームですけど、めちゃめちゃ頭良いですよ!」

「知ってるの?」ゲストの芸人が問う。

「私、大城さんと同じ幼稚園でした」

「え!? ホントに? 何で」確かに愛知県と沖縄県で幼稚園が同じとは不思議に思うだろう。しかし、その疑問には千里は答えない。

「彼女、幼稚園のときには30×30まで暗算で答えていましたし、国の名前もすべて覚えていました」

「いや、そんなことないです……」概ね事実なのだが、取りあえず優梨は否定しておく。

「またまた〜。大城さん、たぶん愛知県ナンバーワンですよ」

「そんなに頭良いんですか?」

 ビックリした表情でいるのは与那覇だ。自ずと皆の視線がこちらに集まる。

 名誉を讃えているとはいえ、優梨にとってプレッシャー他ならない。優梨は好奇の目で見られることが好きではない。これは千里の策略としか感じられない。

「予備校の先生が出した、世界で最も難解な論理パズルをあっさり皆の前で解いて解説してみせてましたし」千里の攻撃は止まらない。

桃原とうばるさん、やめて!」

 優梨は文字通り頭を抱えた。会場は、他人の功績を称讃しそれを謙遜している微笑ましい光景に見えるかもしれないが、優梨は間違いなく揺さぶられた。陽花ほどではないが、優梨もあがり症なのだ。生放送ではないとはいえ、テレビカメラの面前で、しかも他人の言動によって……。


 さらには、日比野も動揺を見せている。

 精緻なはずの思考回路のほんのちょっとの狂いは、難問早押しという極度の集中力を要する問題ではあまりにも危険かもしれないと分かっていても、視線を気にしてしまう。

 ──そして、嫌な予感は的中してしまう。

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