第一章 蹶起(ケッキ)  16 影浦

「これも良い社会勉強。おかげさまで学校の成績を上げてもらったし、みんなには感謝してるさ」

 しばしの沈黙を破り、風岡はつとめて明るく振る舞った。

「そうだね。知力甲子園の全国制覇は叶わなかったけど、楽しかったよ」

 陽花も同調している。

 しかしながら、優梨はうつむいている。泣いているかどうかまでは判断はつかなかったが、見るからにショックだったことが窺える。それだけ今日にかけた意気込みが高かったのだろう。ムードメーカー的な風岡も声をかけづらそうな状況である。

「優梨、仕方ないよ。僕らの読みが甘かった。勉強の知識だけじゃ勝てないんだよ。残念だけど夢は潰えたんだ。潔くとっとと帰ろう」

 影浦が優梨にそう声をかける。

 その後再び沈黙が訪れたが、風岡が小さな声で影浦に耳打ちしてきた。

「意外に辛辣しんらつだな。いくら恋人同士の関係でも、影浦ならこういうとき慰めの言葉をかけてやるもんだと思ったのに……」

「仕方ない、これも人生さ」

「そ、そっか。ドライだな」

 風岡は、影浦に似つかわしくない発言だと驚いているのかもしれない。しかし影浦は、今回の出場の意図を知っていて、どうやら優勝こそが優梨の望みを叶えることを聞いている。だからこそ、決勝で敗退するよりもかなり早い段階で負けてしまった方が、潔く諦められると思っている。

 ただ、まだ今は、受け入れられないのか優梨はだんまりだ。

「大城さん。君の呼びかけで、俺らは強くなった。この経験は絶対にこれから無駄になることはない。ありがとう」見かねたのか、代わりに日比野が優しい声をかけてくれた。

 優梨はやっとのことで顔を上に向けた。その大きな瞳は潤んでいた。やはり泣いていたのだ。

「いや。こっちこそ」と元気のない声だが優梨は返答した。

 足取りは重いが、このまま他チームが勝ち進むのを見届けるのはさぞ辛かろう。帰ろうと駅へ向かいはじめたとき、よく見ると優梨のスマートフォンの画面には『まだ帰るなかれ』の文字。


「えっ!?」おお袈裟げさに陽花は反応する。

 一問目と二問目で敗退したとおぼしき大多数のチームはぞろぞろと帰り始めているところを見ると、どうやら三問目以降の敗退チームには、敗者復活のチャンスが与えられたようである。

 しかし、まだ勝ち残りのチームは試合を続けている。スマートフォンに画面が表示されているだけで詳細な情報はまだない。 

 画面の指示に従って、帰らず待つ。一時間ほどして、ようやく予選大会の決勝の火ぶたが切って落とされた様子だ。


「ああ!?」

 寡黙な日比野にしては非常に珍しいことに、すっとんきょうな声を上げている。

「どうした?」風岡はすかさず問うた。

「ああ、よく見知った顔の奴がいてな」

 どうやら同じ高校のメンバーがいるらしい。

 銅海高校にはクイズ研究会はないというが、男子校としては県下一と言って差し支えのない進学校なので、クイズにはめっぽう強いのだろう。あれよあれよといううちに、他の決勝戦出場チームを差し置いて優勝し、全国行きの切符を手中に収めてしまったようだ。

「よりによってひらかよ……」無表情な日比野には似合わずニヤリと笑った理由を問うと、何と出席番号が隣の友人であり、早押しボタンを作っているときには茶化してきたのだそうだ。「俺らと一緒に出ていれば良かったのに! リア充めが、ってまた冷やかされそうだ」と、半ば冗談気味にぼやいていた。それでも心の奥底では同級生の健闘を称讃しているのだろうと推測する。


 全国各地で一斉に行われている地区予選。その優勝チームが決定した後にアナウンスされた敗者復活戦の内容は、スマートフォンを用いて百五十問の一問一答式のクイズ問題をわずか二十分で解答させるという非常に時間がタイトなものだった。

「まだ、俺たちは見放されていなかったようだな」と日比野は低い声で静かに言う。

「いけるんじゃね?」

「いける! いける!」風岡と陽花も次々に言う。

 一見苛酷なクイズにも関わらず、意気いき軒昂けんこうとしているのは、こういうクイズ問題こそ優梨をはじめとするこのチームの力の見せ所だと思っているからだ。

 一斉に行われたリベンジマッチは、その問題数から、当然じっくりスマートフォンで調べるわけにもいかず、知識と判断力と集中力と入力スピードが勝負の鍵を握る。教科書レベルでさほど難しくない問題が大半であったが、とにかく時間との勝負であり、いちばんフリック操作に長けていそうな陽花に入力作業を委ね、次々と解答した。影浦の記憶の中枢から引き出す間を待たず、優梨を中心として次々と答えていく。まるで水を得た魚のようだ。問題が表示されて一秒かからず解答する姿に、改めて優梨の頭脳レベルの高さに瞠目どうもくする。何と百五十問を時間内に一通り解答しきることに成功。周りの敗者復活戦参加チームから一斉に意気阻喪の溜息が出ているのを確認したが、このチームのメンバーは確かな手応えを感じたかのような笑みを浮かべている。

 その手応えは現実のものとなった。おそらく何千とあるだろう敗者復活戦の挑戦者の上位一パーセントにも満たない確率だろう。百五十問中、百四十九問正解という好成績を叩き出した我がチームは、全国行きの切符を手にすることが出来た。わずか全国で十三チーム。

 当然、メンバーは○×問題で不正解となったときの意気消沈モードから一転して、歓喜した。ちょっと大袈裟にも思えるが、優梨と陽花は嬉し泣きをしていた。

 

 二週間後に控える全国大会には、60チーム300人が集うことになるらしい。そして間違いなくテレビの片隅に映ることになるだろう。昨年の優梨と影浦らを巻き込んだ一連の事件は、ニュースにはなったが、優梨らの実名や顔写真はテレビには映らなかったはずだ。関係者の風岡や陽花もしかりである。

 全国ネットのテレビに自分が映るかもしれない、千載一遇せんざいいちぐうのチャンスに戦きながらも、チーム五人の意気は間違いなく昂揚していた。全国大会ではどんなメンが揃うのだろうか。もちろん、生まれてこの方、名古屋市外にほとんど出たことがない影浦が知る人などいないだろうと、このときは思っていた。


 各都道府県それぞれの優勝チームと敗者復活13チームを足した60チームが特設会場のモニター画面に映し出された。チームには叡成高校の名前もあった。

 北から順番に出場校とリーダーの名前が発表されていく。

 ぼんやりと見つめていると、最後の最後に目を見張る文字を確認した。

 

『沖縄県代表 蘇芳薬科大附属高校 リーダー:桃原千里』

 

 忘れるはずのない名前だ。

 メンバーがざわつく。特に隣の陽花は、「あ、あれって、あ、あの桃原ももはらさん!?」と大きな声を出している。優梨と日比野は画面を見据えている。その表情は厳しい。

「知ってるのか?」と風岡が問うと「ええ。二年前、予備校で同じクラスだったから」と優梨が代わりに答える。

 つまり、チームメンバー全員の共通の知人なのだ。

 今更ながらの話だが、考えてみれば、高校一年生のときに通っていたのは『くさ進学ゼミナール』だ。陽花、優梨も日比野同様にそこに通っているわけだから、彼女を知っていてもおかしくはないのだが、同じクラスだったとは。

「も、桃原ももはらさん……」と、どこか懐かしむ様子で風岡も呟いたが、その心境や複雑に違いない。


 なぜなら、この桃原千里という人物は、高校一年生の一学期の四ヶ月間というごく短い期間ながら、台風の目のごとく数々の騒動を巻き起こした張本人だ。優梨に匹敵するほどの美麗な外観は、風岡の心を大きく揺さぶった。しかし、彼女の謀略で恋心は泡沫うたかたとなって消えたどころか、一転して辛く苦い思い出となった。また、千里自身も自ら悲しい結末を迎えようとしたのだ。

 そして、高校一年生の夏休みに転校という形で、止社高校から行方をくらました。


 影浦の記憶に刻み込んだあの桃原千里と同一人物なのか。今は沖縄県に移住しているというのか。

 懐かしさととともに、こんな形で再会することなろうはもちろん影浦にとっても予期せぬことであった。優梨や陽花、風岡までそれを思い出したか、驚愕している。日比野だけは冷静を保っているようだが……。


 千里が(おそらく)元気にやっているだろうという喜びはあるが、もし、優梨が出ることを知ったあるいは察した上での行動ならただならぬ全国大会への意気込みを感じる。何とも複雑な気持ちだ。でも、決してこれは影浦だけではない。少なからず、皆、何かしらの動揺があったはずだ。


 千里は非常に優秀だ。

 そんな千里には目標があった。いま思うと、その目標が愛知県随一の頭脳を誇るといっても過言ではない大城優梨である可能性が高い。それが勉強の原動力と言わんばかりに……。

 千里はきっと優梨を打ち負かしたいのだろう。


 本音を言うと、もちろん優梨には勝ってもらいたい。でも千里に負けてもらいたいかと問われれば、それも違う気がする。何とも説明しにくいが、この五人は二年前の一連の事件を目の前で見てきた。穏やかな気持ちになれ、というのが無理な話である。


 優梨が出場することは、このリアルタイムで千里にも共有されていることだろう。

 千里は、全国大会で何かまた仕掛けてくるのだろうか。全国に駒を進めたが、新たな懸案事項の出現に、影浦は思わず顔をしかめた。

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