第一章 蹶起(ケッキ)  12 日比野

 日比野は普段あまりテレビを観ない。しかし、クイズ研究会のない高校に所属する五名が、この大会で勝ち抜くためには、何としてもデータの分析が必要になってくるのではないかと思っていた。

 『高校生知力甲子園』だけでなく、類似のクイズ番組の問題まで調査を始めた。少なくとも動画サイトにアップロードされているものとこれから放映されるものに関しては、その一問一問をデータベース化した。また最近では、クイズ番組の過去問を書籍化したものが販売されている。そして、いちばん心強いアイテムは叡成高校クイズ研究会から譲り受けた、録画DVDである。こんな最高の虎の巻をせしめた影浦に感謝した。話によると、いちばん警戒されないだろう風岡の名前で送ったとのことだ。ここで、進学校の滄女あるいは銅海の名前を出さないあたり、機転も利く男だと感心した。


 録画DVDは編集によって問題部分だけを抜粋し凝縮され、非常に中身の濃いものになっていた。優梨のような天才ならまだしも、通常は短期間で記憶できる知識量には限界がある。ある程度的を絞ることも必要かもしれない。また、早押しにおいて問題の先を読むという観点において、いたずらに予備知識を増やしすぎるのは、却って混同を招いたりして逆効果ではないかとも思い始めている。


 過去の早押し問題の動画において、問題の冒頭だワンフレーズだけを聞いて、正答しているシーンがあった。例えば、『マーカス島』という単語が来たら、日本最東端の『みなみとりしま』なのだそうだ。南鳥島の別名が『マーカス島』と言うらしいのだが、日比野は『マーカス島』という言葉自体、初耳だった。

 これは『ベイズ推定』と言って、観測事象から推定したい事柄を、確率的な意味で推論する作業を瞬時に行っているのだ。そして、クイズ研究会の精鋭たちには、『ベイズ推定』の材料となるデータベースが備わっていることになる。

 しかし我々にはそれがない。叡成高校にあるだろうデータベースを譲り受けることまでは叶わないだろうから、自分で作るしかない。


 努力の甲斐あって相当数の問題が集まってきた。そっくりそのまま同じ問題というものは少ないものの、傾向は見えてくる。また、早押し問題の場合、分かる範囲でどこで正答した者がボタンを押したのか、というところまでマークをつけておいた。。

 このデータベースは即座に共有が必要だ。300~400問ほどある。これらをすべて頭にたたき込めば、きっとどこかで生かされるはず、と日比野は考えた。


 こうやって見てみると、同じ高校生でありながら、優勝するチームはすごいな、素直に舌を巻いた。名門校は特にプレッシャーもあることだろう。決勝戦でもかなりの集中力が要求されることは言をたない。

 問題を最後まで聞いたら分かる、では彼らと戦えない。いかに少ないヒントで正解を導くか、しかし誤答しないギリギリの判断力と集中力が、れいコンマ一秒、いやコンマれい一秒の勝敗の差になってくるのだろう。


 もはや、これはアスリートの世界だ。

 アスリートと言えば、野球とかサッカーとか、運動に対して用いられる単語かと思っていたが、どうやらそれだけではなさそうだ。

 改めて、世界は広いなと日比野は感じた。



 日比野は、担任の先生に指示を仰いでいた。

 担任が偶然にも物理の教諭であることは、幸運なことでる。電気部に所属するクラスメイトがいたことも大きい。そのよしみで、日比野は物理室に来ていた。

 物理選択でそれをしっかり理解している日比野にとっては、知識としては持っていたものの、実際に手に持ってそれらを組み立てることははじめてであった。


 日比野は、早押しボタンの自作を試みていたのだ。

 銅海高校にはクイズ研究会は存在しない。


 LED、集積回路(IC)、ダイオード、コンデンサ、抵抗、ジャンパー、タクトスイッチ、基板を並べる。これらは市販のキットに含まれていたものだ。目的は四人分の早押しスイッチを作ることである。もちろん五人分でも構わないのだが、合同練習のとき一人が出題者となるから、実際には四人分で充分だった。それに偶数の方が回路を作る上で都合が良いのと、費用の節約になるということもあった。

 電子工学の知識は多少あったが、慣れないハンダづけの作業には苦労させられた。知力には幾分自信があるものの、それ以外のことは得てして不得手で不器用だった。工作もその一つでありハンダを垂らし過ぎて吸い取り線が必要になることも多々あった。


 苦労の末、四人分の早押しボタンが完成した。押したときには音が鳴りランプが点灯し、さらには押した順番に番号が表示されるセブン・セグメント・ディスプレイまで取り付けた。時間はかかったがクイズ番組さながらの装置が完成したと思う。


「お、五郎! 何でそんなもん作ってんだ?」電気部に所属する部員の友人である、ひらが問う。

「分かっていて訊いているだろう?」

「もしかして、知力甲子園に出るのか?」

「やっぱり分かっているじゃないか」

「誰と出るんだ?」

「お前の知っている奴ではない」日比野は素っ気なく答える。

「ってことは、銅海うちの生徒ではないってことか? でも高校ごとの参加じゃなかったか?」

「次から必ずしもそうじゃなくなったみたいだ」

「ってことは他校の生徒と組むってか? ひょっとして女子校か? 頭脳で釣り合えると言ったら滄女か?」

「やかましい。誰だっていいだろう」

 図星である。女子校の生徒はいるものの、二人とも彼氏持ちである。日比野は通常なら居づらい立場だが、優梨や陽花とは理系EHQのリーダー、副リーダーとして業務をともにする間柄だ。彼女たちの頼みを無下に断ることはできなかった。

「そのリアクションは、やっぱ女子だな? お前もそんな顔して隅に置けないな」と相変わらず平野は茶々を入れる。

「何とでも言ってくれ……」日比野は呆れ顔だ。

「健闘を祈る! お前が出るなら本当に全国大会狙えるかもしれないな」

「かもしれないじゃない。運さえ見放されなければ、確実だ」

「お前にしては、珍しく断定的だな」

「ああ。今回の参加メンバーは、最強のメンバーかもしれない。まず正真正銘の天才が二人いる」

「だって、お前頭良いもんな」

「俺じゃない。俺はその二人には勝てない」

「そんな奴、銅海うちにもそうそういないだろう?」

「いや、まだまだ世界は広そうだ。うち一人は予備校にすら通っていない無名の高校生だ」

「なん?」

「驚きだろう? 奇しくも俺たちは最強の知力の布陣で挑むことができそうだ。しかもこのチームには、強い絆を感じる。チームワークと言えば良いか。あとは、実戦に向けて訓練を積めばきっと勝てる。それ用の早押しボタンだよ」

「なるほどな。お前にそんな友人がいたのか」

「俺も不思議だ」

「俺も応援する」

「ありがとうな」そう言って、日比野は物理室を出た。


 日比野は煩慮はんりょした。その原因は千里からの電話──。

 優梨が知力甲子園に出場するという情報をキャッチした今、日比野が知り得る千里の性格からして間違いなく千里もエントリーしてくるはずだ。しかも、千里もかなりの英知の持ち主だ。模試の結果が物語っている。きっと頭脳だけで行けば、千里も間違いなく全国大会レベルである。千里のチームと自分たちのチームが全国大会で当たった場合、どのような結果になるか。お互いに一回戦敗退で恨みっこなしなら、残念な結果だがそれはそれで穏便に収まるかもしれない。しかし、優梨や影浦らがいる自分たちのチームがやすやすと敗退するとも思えない。そして勝ち抜けば勝ち抜くほど、チーム数が絞られ優劣が明白になるのだ。

 高校一年生のときの千里の自殺未遂騒動……。今でも決して忘れることはない。もし、千里が負けることになれば、また悪夢を繰り返すことになるのか。

 かと言って、あの優梨が負ける姿を想像したくないのも事実だった。

 直接対決を避けるため、自分がわざと誤答したりして、地区予選敗退しても良いかと一瞬頭をよぎったが、それは出来ないと感じた。まず、頑張っている他のメンバーの失礼に他ならない。かと言って、悟られないように妨害するほどの演技力など日比野が持ち合わせていようがなかった。また少なからず名門校の名前に泥を塗ることになるのも、本意ではない。

 悩んだ結果、日比野も全力を傾注しようと思い直したのだ。もともと正々堂々戦うのが日比野の性分だ。それでいて敗退したのなら心残りはない。無論、あまのライバル校を差し置いて、自分たちのチームと千里のチームが両方とも全国に行く保証などないのだが、晴れて全国で相見える時が来れば、お互い悔いのないよう真っ向勝負すれば良いじゃないか。そう考えたら、その後の行動に迷いはなかった。

 

 即座に日比野は、なるべく実戦に近い形での練習が必要だと感じたのだ。

 そのためにこの早押しボタンは必須だ。毎年いろいろと様変わりしている大会で唯一毎年恒例のクイズは早押し問題である。考察するに単純に知識量だけで勝ち抜ける問題ではない。洞察力はもちろんのこと、経験、運、そしてボタンを押すことに踏み切る行動力が必要だと思った。

 高校生知力甲子園で上位に名を連ねてくる高校には、おそらくクイズ研究会があり、早押しのタイミングについて研究しているはずである。彼らの経験にはおそらく勝てないが、それでも相手が十の力であるのに対して、我々がゼロであるのと、一であるのとでは大きな違いがある。無論、後者の方が良い。我々は彼らに少しでも近づく努力をしなければならないのだ。どんなに知識量で勝っていたとしても、戦略を知らないと早押しは勝てないと日比野は感じ取った。

 次回のミーティングでは、この自作の早押しボタンを持参しよう。

 我々に足りないのは知識量でも洞察力でもなく、経験だ。



 数日間かけて、早押しボタンを完成させた日比野は、回路を損傷しないように気を遣いながら少し大きめな箱に梱包した。

 帰路につくと、日比野のスマートフォンが鳴る。チームを結成して、普段あまり鳴らない電話が鳴るようになったが、どうやらLINEではない。

 電話の着信だ。

 ひょっとして、と思いディスプレイを見る。そして、その予想が的中する。電話に出るのを躊躇した。それは心のどこかで感じている苦手意識なのかもしれない。しかし、不思議と受話ボタンへと指をスライドさせていた。


『こんにちは! 日比野くん。いま電話大丈夫?』

「ああ。ご用件は何だ?」

『単刀直入に言うね。知力甲子園にお互い出ようとしてることだし、私と日比野くんで一度会わない?』

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