第一章 蹶起(ケッキ) 11 影浦
週末。そう言えば今週の日曜日は国会議員が来るとのことだったか。アルバイトが入っていたが既に断りの電話を入れて代わりの人員を手配することができた。
所長も『しろとり学園』に市議、県議を含めて、政治家が来ることははじめてのことだと言っていた。あまり感情を表に出さない所長だが、これまでの努力が政治家の目に留まるくらいになったのであれば、さぞ光栄に思っているだろう。
そして日曜日が訪れる。約束は十六時。
所長は
議員と所長が名刺交換を行った後、「『しろとり学園』に入所しています影浦瑛、高校二年生です!」と頭を下げた。
ビジネス上の挨拶の心得はないし求められてもいないだろうが、高校生として最大限の挨拶を交わした。
「衆議院議員、
光民党と言えば与党だ。それくらいのことは影浦も知っている。
「いえ、こちらこそご足労賜るとは思っておりませんでして、恐れ入ります。さて、こちらへ」
所長は、施設の、応接室と呼べるほど広く立派なものではないが、所長が客人と話をする部屋に案内した。
はじめは所長と三人で話をしていたが、途中で議員と影浦の二人で話をする約束になっていたらしい。
目的の一つに、どうやら影浦の本音を聞きたいと言うことらしいのだ。二人きりとなるとさらに緊張するが、やむを得ない。
「さっそく本題に入りますが」と前置きして藍原議員は続けた。「影浦くんは、いま置かれているこの状況をどう思っていますか?」
議員の質問が漠然としている。問いの趣旨を正しく把握したいと思うのは、勉強に日々精を出している学生の職業病のようなものだろうか。
「いまと言いますと、『しろとり学園』に入所していることですか?」
「そうです。『しろとり学園』に入所していることもそうだけど、君は高校で優秀な成績を収めているそうですね」
「いえ、そんなことないです……」
「しかし、現在の制度だと児童養護施設は十八歳を過ぎたら出て行かないといけない。里親や養子縁組がなければ、大学に進学することは難しい。そう、影浦くんのように。だから私は国会を通じて厚労省にお願いをしてきているのです」
「児童養護施設って厚労省なんですか?」
「そうなんです。児童養護施設って児童福祉法に規定されているのだけど、それを所管しているのは厚労省です。外からだとよく分からないよね。どこが管轄しているなんて」
「恥ずかしながら……」
「大学の進学率は全高卒者で五割を超えているのだけど、児童養護施設の出身者に限定すると実は一割程度なんだ。その原因は、言わずもがな児童養護施設が十八歳までしか入所が許されていないからです。厚労省では引き上げについても検討をしているみたいですが、より確実な必要性を訴えたい。そこでここ名古屋でも、特に紺野所長は、児童養護施設を出た後の子供が、経済的な理由で大学に行けずに憂き目にあっていることに頭を抱えておられる人の一人です。紺野所長の取組を好事例として、中でも優秀だという影浦瑛くんから直接話を聞きたいのです」
「はぁ。僕に何か話せることなんて」
「もっと気楽にしてくれればいい。君のありのまま話してくれればいいんだから」
「わ、分かりました」
そうは言えども、相手は国会議員だ。気楽になりきれるものではない。
「影浦くんは、どこの高校に通っていますか?」
「止社高校です」
「名東区の。県立高校だね」
「はい」
「それは、君の志望校だったのかな」
「ええ。と言うよりも、僕のような境遇の人間が高校に通わせてもらえるだけでも感謝しないといけないことだと思っています」
「謙虚だね。成績はすこぶる良いと聞いています。私は、もっと優秀な高校に通えたんじゃないかと思っていますが」
これについては、『夕夜』の存在が影響している。彼の暴力沙汰によって内申が下がってしまった。しかし、それをこの議員に説明すると話がややこしくなりそうな気がした。
「その当時の僕は今よりも優秀ではなかったと思います」影浦は取りあえず姑息な回答を返した。
「と言うことは、止社高校に入ってから成績が上がったと」
「そ、そうですね」
「何でですか?」
「……」
この議員は直接的にいろいろ訊いてくる。優梨という優秀な人間にいろいろ教わっているからとお茶を濁そうとしたときだ。
「優秀な彼女さんがいるみたいだね?」
「何でそれを……?」この議員はどこまで情報を握っているのだろうか。
「出会ったきっかけは?」
「……」影浦は返事に窮する。高校二年の夏まで存在していた『夕夜』について説明しなければならないのか。それとも、何かの情報筋で既に把握済みなのか分からない。
すると、また議員が口を開いた。
「ごめんなさいね。こういう世間話の方がリラックスできるだろうと思いましたが、逆効果だったかな」と言って、議員は苦笑いした。そして質問を続ける。
「でも、これだけは確認しておきたいです。大学にもし行けるとしたら、行ける境遇にあれば、行きたいですか?」
「それはもう。勉強は好きなので、大学に行っても良いものなら行きたいと思ってます」
影浦がそう言うと、議員はにこやかになった。会ってからいちばんの笑顔だ。
「それを聞いて安心しました。勉学の向上心があることは素晴らしい」
「ありがとうございます」影浦はそう応えたものの、議員をどう安心させるのかよく分からなかった。
「実は、君が『高校生知力甲子園』に出場するという噂は聞いています」
影浦は驚いた。ここまで来ると、かなり身近な人物から情報が漏れているとしか思えなかった。
「どなたから聞いたんです?」
「紺野所長です」議員は言下に答えた。
所長には、大会に出場することは報告済みだ。確かに所長からならあり得る。
「……そうですか」
「だから、君にはぜひ大会で活躍してもらいたいと思ってるんですよ。できれば優勝するほどに。そうであれば、厚労省とも話を進めやすいし法案審議でも賛同を得られやすくなる。そうすれば、世の中の多くの君のような境遇の子たちの救いになる」
「そうですね」影浦は取りあえず相槌を打った。
「私は、今日君に、大会での活躍を願って、直接応援するために来たのです。まさか、議員が? なんて思っているかもしれないけど、余計に精が出ますでしょう?」
「ええ。驚いています」
影浦は驚いているには驚いているが、それには別の理由もある。たぶんこの議員の情報筋は所長だけではない。
「頑張って下さい! 愛知県の地区予選の結果は、私も気にしておきますから」
「はい」
議員は、影浦や所長に礼を言うと、停めてあった車に乗り込んで出ようとした。
妙だなと思った。その車は高級感溢れるデザインだが、左ハンドルだったのだ。それに見慣れないロゴ。『N』と『C』が合体していたようなデザインだ。
「所長、あの車って公用車ですか?」
「いや、今日は公務とは切り離して来ているそうです。だから私用の車のはずだよ」
「そうですよね」
詳しくないが、公用車は何となく国産車のイメージがある。その議員の車のメーカーまでは分からないが。それよりももう一つ疑問があった。
「あと、議員に、僕が知力甲子園に出ること、お伝えしたんですか?」
「いや、伝えたには伝えたけど、議員に聞かれたんだ。『知力甲子園に出る予定はあるのですか?』って」
やはり、直接の情報筋は所長ではない。事前にそのことを噂で聞いていて、そのことを確かめるために所長に尋ねたのだろう。
では、その情報筋は誰か。やはり、他に議員とのパイプを持っていそうなのは、優梨か。いや、さすがに優梨自身にはそれはない。おそらく親御さんだろう。
何だ、ちゃんと親の力を借りているではないか、と思ったが、根本の国の制度を変えるというやり方は、影浦も思い付かなかった。しかも、大学進学に当たって優梨の親の経済的援助に頼る方法ではない。
もしその推理が正しければ、さすがは優梨だな、と影浦は思った。
†
後日、影浦が、叡成高校クイズ研究会に宛てた手紙は、意外にも律儀に返信された。彼ら曰く、クイズにはいわゆる定型文が存在するとのことである。
つまり、例えば「日本でいちばん高い山は富士山ですが……」と来たら、「世界でいちばん高い山は……」と問われるパターンだ。だから早押し問題では『先読み』する力が問われ、ボタンが押されるそのコンマ一秒が勝敗を分けるのだという。
ゆえに、そのクイズの定型文を頭に入れることが何としても肝要であること、また、過去問、ついでに言えば直近数年間の大会の過去問(類似の番組を含む)は、
そのDVDは直ちに、日比野によって複製され、メンバーに共有された。日比野はメカに強いらしく、進んで引き受けてくれた。三校寄せ集めのチームだが、なかなか良いチームワークではなかろうか。
影浦は、叡成高校クイズ研究会に御礼の返信を
『叡成高校クイズ研究会 御中
前略。このたびはお忙しいところ、ご返信および過去問DVDまで送付頂きありがとうございます。おかげさまで勝ち進めそうです。いや、絶対勝ち進みます。そして全国大会でお会いできることを楽しみにしています。草々』
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