第一章 蹶起(ケッキ)  10 優梨

 とにかく、優梨は暇さえあれば知識を詰め込んだ。

 本、インターネット、新聞、雑誌、テレビ。あらゆるものを読んだり観たり聴いたりするだけでなく忘れないように記憶する。凄まじい量の情報を仕入れてはそれを優梨の脳内のデータバンクに保存する。言葉にすれば簡単だが、それはあまりにも気の遠くなる作業である。

 優梨には写真記憶がある。見開き二ページの文庫本の情報量なら、眺めるだけで三十秒もあればおおかた記憶することができる。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ジョン・フォン・ノイマン、ゲーテ、三島由紀夫などの天才的な著名人も有していたという能力である。それを駆使して、文学、歴史、地理、芸術、科学、経済、数学、語学、世界情勢などの知識を次々に吸収していく。

 しかし、その能力をもってしても今や情報に溢れかえった社会。そのすべてを網羅することは不可能であることは自明の理である。ただ闇雲に覚えるのではなく取捨選択していかなくてはならない。

 過去問はすべて解いた。世界の国旗に首都、アメリカ歴代大統領、日本の天皇と将軍、日本の歴代ノーベル賞受賞者、歴代内閣総理大臣、小倉百人一首、元素記号もすべて記憶した。また余裕があれば一般的に知られていなさそうな知識も。例えば、マイナーな世界遺産、歴代の夏季・冬季オリンピックの開催地と日本のメダリスト、芥川賞/直木賞受賞者、太陽系惑星の質量・自転/公転周期・赤道傾斜角・大気構成・主要な衛星等、フィールズ賞受賞者、民俗楽器、主要都市の鉄道路線図などは頑張って記憶した。

 ただそれだけを暗記するわけではなく、関連する事項はすべて調べて叩き入れた。これは、どのような変則的な問題にも対応できるようにすることと、記憶をしっかり定着させ素早く引き出せるようにする目的だ。


 優梨には確固たる勝算があった。最高の五人だと思っている。この五人であれば、良い試合を戦えると思っていた。

 その中でも影浦。彼は目覚ましい能力を持っている。もともと解離性同一性障害で『夕夜』という荒々しい交代人格を有していた。しかし、高校二年生の夏に優梨を救おうとした際に重傷を負い、その人格を喪失した。心療科(精神科)医師のだち医師によると、人格を喪失したのではなく、影浦の中には存在はしているのだが、表に出てくることがなくなったという方が正確らしい。

 そして、それを裏付けるように、彼にはもともと備わっていなかった能力が芽生えたという。もちろん、『夕夜』特有の荒々しい口調が出てくることはなくなったのだが、『夕夜』が備わっていた卓越した頭脳、才気、機智を『瑛』に刻み込んでいったらしい。もともと英明な『瑛』ではあるが、それがさらに洗練され、相乗効果でその能力を飛躍させたようだ。止社高校の学習進度では力を持て余してしまうほど、彼の理解能力は目を見張るものがあった。優梨は影浦に家庭教師役を買って出た。それは『デート』と兼ねているのだが、陽花ですらついていくのがやっとという優梨のハイレベルな説明を一度の説明で理解し、一を聞いて十を知る頭の回転スピードに優梨は舌を巻いた。

 この知力は、優梨、陽花、日比野が所属する予備校『千種進学ゼミ』でも最上級クラスである『EHQ』に楽々入れるどころか、その中でも上位に食い込むくらいのポテンシャルは秘めていると思っている。しかも進学校ではないごく普通レベルの公立高校で、予備校すら通っておらずアルバイトに通いながらという境遇では驚異的な話である。

 彼がもし、進学校である例えば銅海高校に通っていたら、日本の最高峰、東京大学にも余裕で進学できたのではないだろうか。『夕夜』という明晰なイマジナリーフレンドがいたとはいえ、もともとはホスト人格である『瑛』から生まれた人格である。その潜在能力の高さに優梨は畏怖すら感じる。優梨は天才少女ともてはやされてきて、実際自分より成績優秀な人間はほぼ見たことがないという自負すらあるが、影浦が十七年間生きてきた中ではじめて自分より頭脳明晰な人間ではないかと思った。


 天才と言えば……。

 急にある人間の顔が優梨の脳裏をかすめた。美少女と言って差し支えない赤毛の女子高校生、『桃原ももはらさと』。忘れもしない、高校一年生の夏に一対一タイマンの頭脳戦を挑んできた、穎才えいさいの持ち主である。

 彼女は母の勘違いによるものか戦略的な洗脳によるものかは分からないが、優梨と遺伝子を半分共有しているという呪縛に囚われながら生きていた。

 しかし優梨は、その事実は否定的だと踏んでいる。DNA鑑定をしたわけではないのであくまで状況証拠である。その根拠について説明すると非常に煩雑になるので割愛するが、唯一優梨のことを宿敵ライバルと宣言してきた人物である。

 あの日、優梨に挑んで敗れてから、彼女は忽然こつぜんと姿を消した。だれにも消息を明かさなかった。彼女はどうしているだろうか。ここに来て少しだけ気になった。

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