第一章 蹶起(ケッキ)  13 影浦

「すごい! これ、日比野くんが作ったの!?」陽花は大きな目を一層見開いて言った。感激している様子が、全身から伝わってくる。

 このメンバーにとっては一目瞭然の代物。四名まで解答者として同時に対応できる、お手製の早押しボタンだ。お手製と言っても、セブン・セグメント・ディスプレイ付きの本格的なものだ。想像だが、テレビ番組で使っても遜色なさそうな実戦さながらのものに感じた。

「ああ。もちろん、これを押さえておけば良いというものではないと思っている。むしろ、最低必要量ミニマム・リクワイアメントだろうけどな」

 メンバーはそれぞれ高校三年生に進級し、大会予選を三ヶ月前に控えた四月のミーティングに、日比野は持参した。進級後の最初のミーティングだ。


 また、日比野はクイズのデータベースなるものを独自でまとめあげ、電子媒体と、個人用のパソコンを持っていない影浦のために紙媒体と、二つ用意してきてくれた。その配慮がいかにも日比野らしいと陽花はたたえた。その気配りももちろんだが、豊富なデータに舌を巻く。一見気の遠くなるような作業ではなかろうか。


「何だよ、早押しなんて、みんな出題の冒頭の方で答えてるじゃないか?」と、愚痴とも取れる嘆息を漏らしたのは風岡だ。

 日比野の資料には、問題の読み切る前のどの時点で正答したのかということまでチェックがされていた。実際に読み上げられたところで、フォントの色が変えられていた。


「でも、聞くところによると、ひさし、学年末試験で成績が上がって、表彰されたそうじゃないか?」そう言ったのは日比野だ。

「何だよ、もう周知の事実かよ」

 風岡の成績が伸びて、いちばん喜んだのは陽花だ。高校二年生の最初の試験から二百番以上も順位を上げたのだ。一学年三百人強いるなかで、二百人以上抜いたのは素直にすごいことだと思う。学年末試験では百位以内に食い込んで、『努力賞』を授与されたのだ。

「もちろん。こういういいニュースは大歓迎だ。純粋に嬉しい」と言いながら、日比野は感情をあまり表に出してこない。

「何だ。いつも無表情な五郎ちゃんでも、純粋に嬉しいことがあるのか」風岡は褒められているのにも関わらず日比野を揶揄やゆする。

「失敬な……」


 日比野が作製してくれた早押しボタンを活用しながら、模擬クイズを出し合った。叡成高校クイズ研究会がいう定型文問題だけでなく、各々が考えた独自の問題まで。皆が考えたマニアックな問題でも、優梨は、六割くらいは解答していた。ただ、若干気になったのは、優梨の解答ボタンを押すタイミングは若干遅いように感じた。要するに慎重派なのだ。

 逆に、風岡は勇み足だ。イメージとしては「日本でいちばん高い山は……」のところで押して、「富士山」と解答してしまう。思い切りは評価するが、問題の先を読まないのだ。

 統括すると、優梨の知識に風岡の思い切りが具備すれば良いだろう、ということだ。早押し問題という形式には慣れていないはずだ。普段のペーパー試験は、文章を最後まで読んで吟味して解くわけだが、問題の続きを予想して解答せよという形式には出会ったことがない。ともすれば、優梨がボタンを押せないのは無理もない話だ。一方で風岡は純粋だ。先読みしなくても取りあえず答えてしまう。最近はようやく、引っかけ問題という形式に慣れてきたが、先読みしてその答えを導き出せない。

 どちらが勝っているかという問題ではないのだが、少なくとも知力甲子園で勝ち抜くためには改善すべきポイントでもある。

 問いの先見性については、このチームの誰もが備わっていない。

 以前、日比野が知識だけでなく運と経験が必要だ、という根拠を影浦は改めて思い知った。


「そういえば、この間、『知力甲子園』のホームページを見ていたけど、受付開始されたみたいだね……」

「あーあーそうそう! スポンサーも今年は変わって、海外の大手企業が協賛みたいだね。勝ち進むとひょっとして海外に行けるのかなぁ?」

 珍しく陽花の発言に被せるように優梨が話し始めた。優梨はなぜか焦ったような表情だが、風岡は海外という言葉が気になったようだ。

「まじか! 海外は行ったことないな。そうなったら、パスポート必要じゃないか。影浦もたぶんそうだと思うけど」

「僕は、海外どころか、飛行機や新幹線ですら乗ったことないね」

 影浦は児童養護施設だ。愛知県在住の高校生にしては嘘のような話かもしれないが。ちなみに修学旅行は経済的理由を理由に辞退している。念のため断っておくと、所長は行くことを許してくれたが、行き先と旅程から十万円近く発生するだろうと分かっていた影浦は、どうも申し訳ない気がしてしまったのだ。ただでさえ、書籍の購入など、影浦の勉学の要求に応えてくれているのに。

 若干、メンバーの空気が神妙なものになった。影浦の境遇に心を痛めているのだろうか。自分を憐れんでもらうための発言ではなかったので、影浦は嘘を言って、慌てて取り繕う。

「ご、ごめん。僕は、新幹線よりもゆっくり楽しめる在来線の方が好きだったし、修学旅行も体調不良で休んじゃって……。そうだ。スポンサーが変わったんだね」

 皆がその嘘を信じているかはともかく、憐れんだり慰めたりしてもらう意図ではないことを伝わっただろうか。


「どこの企業なんだ?」と問いかけたのは日比野だ。影浦の意向を酌んでくれたか。

 その質問に対し、陽花が口を開いた。

NOUVELLEヌーヴェル CHAUSSURESショシュールっていうフランスの自動車メーカーが共催みたいだよ」

 ついでに陽花はスマートフォンで画面を提示してくれた。

「聞いたことないなぁ」影浦はその企業をよく知らなかったが、陽花の発したとある言葉が気になった。確かに画面上にもそう書かれている。果たして去年もそうだったか。

「日本ではあまり走ってなかったけど、最近は国内でもディーラーが増えてきたよね。あと、F1カーも手がけているから、好きな人はよく知ってるかも」

 影浦はあまりF1には詳しくないが、陽花がロゴを見せてくれた。それは『NC』を図案化したもの。影浦は驚いた。この乗用車のロゴを、見かけたことがある。藍原議員の私用車だ。

 驚いたものの、声には出さなかった。表情にも努めて出さずにおいた。優梨がまだ打ち明けていないはずの、真のエントリー理由が分かってしまうのは良くないと思ったからだ。

 しかし、これはただの偶然なのだろうか。

 普通なら偶然と考えて差し支えないだろう。見慣れないロゴとは言え、議員くらい地位のある者なら、私用車に外国産の車を所持しているかもしれない。これは完全なる影浦のイメージだが。

 ただ、何故か分からないが、偶然と割り切れない何かもやっとしたものが影浦の頭の中に漂っていた。


「なるほど。フランスのメーカーってことは、美術やフランス料理の問題とかも押えておかなきゃね」

「一応そうだな。いざ出て、解けなかったら悔しいからね」

「まじ? 美術は分からんなぁ、俺」

 影浦、日比野、風岡は出題の予想を立てている。

 

 しかし、海外の企業がスポンサーがつくこともあるのだな、と影浦は思った。

「でもさ、何で急にスポンサーが変わったのかな? 確か、前回までは『カレッジ出版』だったでしょ?」影浦の心の中を代弁するかのように陽花は問いかけた。

「そ、そうだよね。で、でもそれは私も分からないな」優梨の回答は心なしか歯切れが悪いような気がした。

 『カレッジ出版』は国内有数の教育資材を扱う企業だそうだ。

 番組の協賛について影浦は無知に近いが、通常、高校生を含む学生が多く観るであろう『高校生知力甲子園』において、海外の自動車のコマーシャルを流す意図がよく分からない。こんなこと出場する高校生が気にすることでもないと思うが、気になり始めると気になるものだ。この頃、知識の獲得と研鑽けんさんに明け暮れ、日常的に疑問を抱き解決しようと思う、ある種職業病的なものかもしれない。


 陽花や風岡は、フランスのメーカーなら、クイズの舞台や副賞もフランスに関連するものになるのだろうか、ということを気にしているようだったが。

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