第一章 蹶起(ケッキ)  6 日比野

「せっかく出るなら優勝したいし、銅海高校の名誉にも繋がるよね。日比野くんの力が必要なの! お願い!」

 『千種進学ゼミナール』の高2理系EHQクラスのリーダーを務める大城優梨が珍しく強く懇願してくる。滄女、いや全国的にも屈指の才媛、大城優梨は、言うまでもなく勉強に苦労してきたことはまずないと拝察するが、その優梨が力を借りたいと言う。

 クイズや問題を解くことは嫌いではないが、優秀な人間なら滄洋女子高校にもいっぱいいるだろうに。若干説得力に欠けるように思えたが、だからと言って無下むげに断るのも何だかはばかられた。かくいう日比野も副リーダーを拝命している。高校一年生から理系EHQクラスで研鑽けんさんし合い、またリーダー業を分担し合ったよしみもある。

「わ、わ、分かったよ」

 思わず日比野はどもってしまった。男子高に通う日比野は、あまりこういうシチュエーションには慣れていない。

「ありがとう! やった!」優梨は歓喜している。

「ちなみにあと三人は? 一人は河原さんかい?」日比野は問うた。

「そう、一人は陽花。あとのメンバーだけど、風岡ひさし」って知ってるでしょ?」

 優梨の発言に日比野は驚いた。風岡は中学時代の同級生だが、優梨とは接点がないと思われたからだ。

「ああ。でも何で大城さんが?」

「実は風岡くん、陽花の彼氏なんだ。まぁきっかけは事故みたいなもんだから、気にしないで」

 優梨の返答にけむに巻かれたが、敢えて詮索せんさくしない方が良いか。

「それにしても悠って、そんなに優秀だったかな?」

「彼、勉強にコンプレックス持っているけど、メンバーの中ではいちばん空気が読める人だと思っている。チームの取りまとめにはそういうチームの手綱を引いてコントロールしてくれる人も必要だよ」

 確かに、風岡は勉強はともかく、人への気遣いや気配りには長けていると思う。しかし、そこまで風岡を滄女の二人に深く関わらせた、優梨の言う『事故』って何だったのか少し気になるが。取りあえず、日比野は頭を切り換えた。もう一人は誰だろう。

「あと、もう一人は?」

「影浦瑛って言うんだけど、日比野くんは知らないと思う」

 確かに知らない名前である。模試の成績優秀者にも名前はなかったような。どうして、中・高一貫の女子高校生が、こうも予備校以外で男子のネットワークを持っているのか。

「彼は、風岡くんと同じ止社高校の親友なんだよ」と、優梨は補足してくれた。

「で、どうするんだ? みんなでクイズの対策練るのか?」

「そう。今はまだ、出てもらえるか交渉中なんだ。承諾が得られたらまずは顔合わせかな」



 二週間ほどたった後。

 知力甲子園の件はどうなったのかな、と思っている矢先、優梨からその件で電話が入った。優梨とはいつも予備校で一緒だが電話がかかってくることは珍しい。

『少し時間はかかったけど、メンバー五人の出場の内諾をもらったから、さっそくだけど今度の「千種ゼミ」のあと時間もらえないかな?』

『例の、「知力甲子園」の件でか』用件は明白だ。

『ご明察です。日比野くんとは初対面の人がいるからね』

『分かった。顔合わせと旗揚げってわけだな』

『そう。忙しいところ感謝するよ』



「はじめまして。止社高校の影浦かげうらあきらです」

 眼前の男は、柔和な口調でそのように自己紹介をした。長身だが、どこか中性的な容貌にも見えるその男は、中学時代の同級生である風岡悠の親友だという。

「こちらこそ。日比野ひびのろうです」

 日比野は低いトーンで名乗った。元来あまり自己紹介は得意ではない。人見知りをしているわけではないのだが、どうしてもどこか取っ付きにくい印象を持たれがちであると自覚している。しかし、眼前の男は笑顔だ。

 日比野は少し混乱していた。影浦と名乗る男は、どこかで一度だけ会った覚えがあるのだ。はじめて会った気がしないが、いつどこで会ったかは覚えていない。ただ、そのとき感じた印象とはまるで違うのだ。以前会ったときは、こんな柔和な口調で話していただろうか。

「今回、知力甲子園に出る仲間としてともに頑張ろうね」

 そんな日比野の混乱などどこ吹く風と言った表情で、屈託のない笑顔で影浦は話す。

「よろしく」と、小さな声で日比野は返答した。


 今日は、知力甲子園にエントリーした五名が一堂に会するはじめての日だ。と言うのも、今年から、複数校に跨いでチームを結成することが可能になったわけだが、なかなか合同で対策を練ることがままならないのが現実だ。よって今回遅ればせながらはじめて、ここ予備校の『千種進学ゼミ』の一室を借りて顔合わせを行ったのだ。それでも、名目上、初対面の関係は影浦と日比野だけである。それでも先ほどから初対面ではないような気がして仕方がないのであるが。

「実は、影浦は六番ろくばん中学出身なんだ」風岡もまたにこやかに言う。

「六番中学って、六番ろくばんちょうのか?」

「ああ」

 日比野は驚いた。六番中学校と言えば日比野の家から近い。日比野の家の最寄り駅は、偶然にも苗字と同じ地下鉄名港線めいこうせん日比野ひびの駅で、その隣は六番町駅である。ただ、その間に学区の境界線があり、日比野は六番中学校ではなく白鳥中学校出身なので影浦とは同級生ではない。

「近いな」日比野は短く答える。

「そうなんだ。日比野くんはどちらに住んでるの?」

「ああ……」日比野は言い淀んだ。この質問を受けるとちょっとバツが悪いのだ。

「?」影浦はどこか怪訝な表情をしている。

「日比野だ」日比野は小声だ。

「日比野……。あ! 名港線の。なるほどね! 偶然なのかな? じゃあ本当にご近所さんなんだね。日比野くん、よろしくお願いね」

 影浦は爽やかな表情で納得してくれた。

「瑛くんはね、予備校には通ってないけど、めちゃめちゃ賢いんだよ」

 大城優梨は影浦をそう評した。褒めているだけのごく普通の発言に聞こえるが、この発言を他ならぬ優梨がしていることに大きな意味がある。何しろこの大城優梨という人物は、驚くべき英才の持ち主なのだ。日比野が、『天才』という言葉を誰か知人の一人にあてがうとしたら、迷いなく彼女に対してである。日比野自身も幼少の頃から、やれ神童だ、やれ秀才だなどと言われて育ってきたが、優梨に成績で勝ったことはない。銅海高校にも彼女に勝てる人間はいるだろうか。

 そんな優梨が、「めちゃめちゃ賢い」と評する影浦という人物の学力が気になるところだ。しかし成績面では至って凡庸な県立高校に通っているのは、一体どういうことなのだろう。

「いやー、僕は普通だよ」と、眼前のやさおとこはあくまでも謙遜する。

「またまた!」そう言うのは、優梨の親友の河原陽花だ。おだてているのかたたえているのかはよく分からない。

「ところでさ、知力甲子園っていうけど、具体的にどんな対策をすればいいんだ?」風岡はどこか申し訳なさそうな顔で訊く。

ひさし。勉強しとるんか?」意外に感じて尋ねた。日比野の記憶では風岡は勉学と言うよりはスポーツにいそしむタイプだ。

「当たり前だ! 今は体力要員かもしれんけど、脳みそでも貢献したい!」風岡はどこかムキになって答える。

「すばらしい!」優梨は目を丸くして感嘆している。

「何だよ、そのリアクション。まるでサザエさんでカツオが自主的に勉強しているときの反応じゃねえか」と、不貞ふてくされた。「んで、対策は!?」

「対策は……、ない」優梨は短く言う。

「何だよそれ、どうしようもないじゃねえか」

「いや、そういうことじゃなくって、これをやっておけば大丈夫ってものはないってこと。問題はあらゆる分野から出題される。受験で出題されるような内容もあれば、新聞やテレビに目を通していないと解けない問題もある。もちろん教科書に書かれているものからそうでないものまで様々。もちろんあらゆる知識に長けている人でないと全国大会に進めないけど、知識に長けていれば必ず出場できるものでもない。それは体力面での要素も必要とされるからっていうのもあるけど、もっと大事なのは……」

「大事なのは……?」

「……運だよ!」優梨は静かに断定した。

「おいおい……。まじかよ」

「いや、これはあながち間違いではない。過去の動画を観た感想だが、知力、体力もそうだが、チームワーク、洞察力、駆け引き、メンバーを鼓舞する力、そして運。すべて兼ね備わっていないと勝てない。案外、とりわけ運の要素は強いと思う」同感した日比野は補足した。

「じゃあ、願掛けでもしとくか?」風岡は冗談気味に言うが優梨は意外にもこう答えた。

「うん、今からお参り行くから」

「まじか?」風岡は目を見開く。

「と言いつつも、運を味方につけるには勉強しかないね」と、優梨は言う。

「それじゃ、運とは言えないような……」

「いやいや運も実力のうちと言うじゃない?」

「分かった。じゃあ、影浦よ。引き続き俺を教育してくれ!」

「何? アタシだってひさしにいつも勉強教えてるじゃない!?」とムキになったのは陽花だ。

 日比野は終始驚いていた。名門校の女子高校生が、レベルとしては中堅どころの公立高校の男子たちと、息ぴったりの投合ぶりだ。

 事故のようなもので出会ったと言うが、謎は深まるばかりだ。特に影浦瑛という人物は何者だろうか。世の中広いな、と感じざるを得なかった。

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