第15話 白と黒のつがい

 彼女に船を牽引してもらって、大海を渡る。

『私なんかのために、こんな船旅をしてくれたんだねえ』と嬉しそうに、大蛇に変じたティファレトは尾をばたつかせていた。

 アギト議長とのいざこざにより、アルゼンへの帰還は不可。

 盗賊王へ船を返却し。

 また母国クロイツ王兵師団の動向も探りたい。

 ともなれば、ひとまず、あのガラの悪いことこの上ないリィゼン盗賊国に戻るより他に、なかったのだ……幸か、不幸か。



   ◇ ◇ ◇


 リィゼン盗賊国の物見は、鷹の目のよう、と言われるだけのことはある。

「げ。しまった」

 もう少しで港に着くという頃合いには、すでに荷車に載った大型の弩が複数設置され、黒い大蛇に、その矢先が向けられている。

「あーっ! 射程距離、とっくに入って! のろしか手旗でもあげときゃよかった!」

「のんきなこと!」

 次々に射かけられる矢に対し、レイシアは槍を振って、たたき落とそうと試みたが、短槍のようなそれ全部を防げるわけもなく。

 やがて、ぶつっ、ぶつっ、と大蛇に突き刺さる。

 巨大化すると、感覚が雑にでもなるのか。他人事のように、ぽかんと矢を見ていた黒蛇が、一拍遅れて、

『いっ……っいいいいいいいいいいいいいい痛ぁい!』

 咥えていた碇を吐き捨て、のたうち回る。

「ティファレト!」

「ああ、これでは謎の怪獣が海からあらわれて、リィゼンを襲っているようにも見えますね」

 にやにや愉快そうに笑う従者を一瞥して、レイシアはシェンナの肩を叩いた。

「私が、彼女を逃がします。こちらの事態の収拾は、あなたにおまかせするので」

「って、おい! かっこつけんな、俺のほうが厄介事じゃんか!?」

 少年の憎まれ口には、もう慣れた。根が素直なユーグと思えば、腹も立たない。

 レイシアは甲板を蹴り、のたうつ大蛇の首に腕を回して、ともに海中に沈んだ。

 ざばん、と黒い海に、白い飛沫が散る。

『矢がぁ、矢がぁ、ぶすーって、ぶすーって!』

「落ち着いて。まず矢を抜きますから」

『いたたっ、痛いってば!』

「セシリアの剣一本より、雑兵の矢百本のほうが、傷は浅いんですよ、あなた!」

 なだめすかして、すべての矢を引き抜いたときには、彼女は気を失っていた。

 まもなく輪郭がおぼろになる。大蛇の巨体が縮んで、やがて満身創痍の少女一人が海上にぷかりと浮かぶ。

 ユーグが、自身の外套を脱ぎ、そしらぬふりで、海に投げ落としてきた。

 これを受け取って、レイシアは彼女の全身に巻きつけると、その体をつかんで、泳ぎ始めた。

 大蛇を撃ち殺したと勘違いしている弓兵が、歓声をあげている。

 その声を苦々しくおもいながら、レイシアは彼女を背負って、港の桟橋に這い上がった。

「…失礼。私は大蛇に襲われた船の客なのですが、」

 できるだけ、感情がそとに漏れないよう、しずかに話しかける。

「迅速な対応には感謝していますが、流れ矢にあたって妻が海に落ちました。こちらの責任者は、どなたか?」

 ぐっと目にちからを込めて、にらむ。

「さすがに文句の十や二十、言わなければ、私の気がすみません」



「……びっくりした。わたし、ほんとに頑丈だね。まだしつこく生きてるよ」

「そうですね。あなたが頑丈な黒くちなわで、本当によかった」

「でも、やっぱり痛い」

 慰謝料や治療費代わりに、弓兵隊からもぎとった、もとい交渉し、あてがわれた旅館の一室。

 寝台に横になったティファレトは、矢傷にうーうーとうなっている。

「銀髪さんに血を分けてもらったし、ユーグに手当してもらったし。すぐ治るよね」

「あなたを射た射手に、上帝の卵とやらがいなくて、よかった。はらはらしましたよ」

 胸のうちを吐き出し、彼女の頭を撫でる。

 いつぞやのように、振り払われるかと思いきや、ティファレトは、ぼーっとした目で、こちらを見あげている。

「…いやがらないんですか?」

「うん。まえはいやだったけど。今は、うれしいよ」

「……ほんとに?」

 ためしに何度か撫でてみると、ティファレトが首を振った。

「ああ。やっぱり」

「ごめん。いやじゃなくてね、なんだか……頭がぼんやりして。でも、うずうずして、飛び跳ねたいような感じもする」

「………………」

 感無量。おそらく、彼女とおなじ気持ちで、レイシアの上半身は枕元に倒れ伏した。

「銀髪さん?」

「よかった。うれしい」

「…銀ぱ、」

「うれしい」


『昔々、ある島国に王さまと蛇がいました。

 王さまは、王さまになるまえから蛇のことが大好きでしたが、彼女と結婚することはできないとわかっていました。

 王さまは、やがて人間の女の子をお嫁さんにしました。

 お妃さまは、金髪の、青い目の、綺麗な男の子を産みました。

 家臣は、みんな喜びましたが、王さまだけ憂鬱でした。

 じつは蛇との間に、銀髪の、赤い目の双子がすでに誕生していたのです。

 けれども、蛇の双子は尾がひとつで、頭がふたつ。

 兄は人間に化けることを覚え、人間の言葉を話せましたが、妹は何もできません。

 ひとつの心臓をふたりで分け合っていたので、どちらも病弱でした。

 やがて、お妃さまの親戚が威張り始めたので、王さまは蛇王子を跡継ぎに考えました。

 蛇の妹は邪魔なので……兄から切り離されて、そのまま死んでしまった……。

 蛇王子は、きびしい父親や片眼鏡の遊び友達のもと、勉強や武芸に励みました。

 そうして、お妃さまの子、金髪の王子と戦わされることになりました。

 ――とても忙しい日々で、まわりにはたくさんの人間がいたけれど……私とおなじ蛇はいない……私は時々、とても寂しい。寂しいことだと感じていた』

 白蛇は、ぐんにゃりと体をねじまげて眠る黒蛇に昔話を聞かせていた。

『セシリアや、死んだ妹と重ねて見ていたから。私が代替品としてのあなたを求めていることに、気づいていたのから、好かれなかったのかな。……でも今は、本当に、好きなんですよ。個人として』

 白蛇は、黒蛇の頭を、自分のあご下で撫でさすった。


「おはようございます!」

 翌朝、元気はつらつな青年とは逆に、少女は、毛布にくるまってぐったりとしていた。

「銀髪さん……なんで、そんなに元気なの?」

「好きな女性と一緒だったんですよ」

「こっちは背骨がねじ切れるかと思ったよ。銀髪さん、頭からしっぽまで、ぐるぐるに巻きついて、締め上げてくるんだもの」

「ああ、そうだ。今のうちに、鱗を交換しておきましょう」

「何それ」

「人間が交換する、指輪みたいなものですよ。くちなわが指輪なんてはめていたら、蛇の本性をさらしたときに、体のどこかに食い込んで痛い思いをしますからね」

「もしかして鱗あと、剥がすの? 剥がして交換?」

「そう。剥がして、交換して、おたがいの傷跡に貼りつける」

「えええ!? それ痛いよね? 痛くない?」

「痛いですよ。でも、その分、重たい約束ですからね。あなたは、どうもふらふら、どこかへ行ってしまいそうだから、こうでもしないと、私が落ち着かない」

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