第14話 卵からカエル

 大きな鳥に、体を食い荒らされている黒蛇――

 それが私の一番古い記憶。

 正直、あまり思い出したくない話。

 体が少し大きくなって、やっとこさ猛禽の谷から抜け出せたと思ったら、今度は獅子王さまに捕まって、お城の地下牢に閉じ込められた。


 シェンナに拾ってもらうまで、綺麗な声で歌う水だけが友達で、お母さん代わりで。

 ……水とお話ししながら、ずっと、ずっと、考えてた。

 王子さまが助けに来てくれたら、いいのに。

 生まれ変われるなら、私は、お姫さまになりたいなって。


   ◇ ◇ ◇


 ――目が覚めたら、ひどく、おなかが空いていた。

 今まで自分が入っていた卵のなかの水を飲んで、ついでに、ぱりぱりもにゅもにゅと卵の殻を食べる。

 黒い卵は、あっという間に、なくなってしまった。

 ……わたし、まだ、こんなにおなかが空いてるのに。

「ああ。ティファレト、よく還って、孵ってくれました。さあ」

 目の前に白い肉――誰かの手が差し出され、その指がとっても美味しそうだったので、遠慮なく、がぶりと噛みつく。

 白い手は、ぎくっと震えたものの、私を振り払いはしなかった。

だから指にかじりついて、赤い水を飲む。

「慌てなくていいですよ。私の血なら、いくらでも分けてあげる」

 赤い水を舐めるたび、体が大きくなった。皮がたくさん脱げて、視界が、はっきりした。その代わりに頭が、全身が重くなっていく。

「………………あ、れ? 銀髪さん? なんで?」

 ようやく意識がはっきりして、そのときになって、自分が銀髪さんの指に噛みついていることに気づいた。

「わああ! ごめんなさい、ごめんなさい! なんで!?」

 なんで? なんだっけ?

 ええと。女王さまと銀髪さんが戦ってたあたりまでは、わかるんだけど。

 とにかく、ぶんぶんと頭を振るようにして、ごめんなさいした。髪や顔にくっついていた、ねばねばの水が、あちこち飛び散る。

「べつにさー、ちっこい蛇のままでも、よかったじゃねえか」

 なぜかシェンナも、いた。いつの間にか。

「人間に化けた状態にまで、戻す必要あんのかよ」

 というか、ここ、どこ? ユーグと、それから……みたことのない、おばあさんがいる。

「なんで!?」

「あなたが仮死状態になってしまったので、ダアト様のお知恵をお借りして、卵の状態にまで戻したあと、ふたたび孵したんです。生まれ変わった、ということですね」

「成長過程をとばすのに、霊宮の……レイシアの血が必要だっただけ」

 このひと、誰だろう? 優しそうな……でも、ちょっと怖そうな感じの。

「これくらい、大した傷ではないから、気にしないで。ほら、こっちのほうが、もっと酷いから」

 銀髪さんが、自分の服をまくって、体を見せた。

 そういえば、銀髪さんのお着替えって見たことなかったんだけど、

「……なんで、鱗があるの?」

 傷だと見せた場所には、たしかに、縫い跡があったんだけど、その周囲に白銀の鱗が並んでいる。

「私も、くちなわ族なので」

「そうなの……って、え? なんで!? そんなこと、一言も、」

「甥御どのより、私を好きになってくれたら、教えると言ったでしょう」

「ずるい! 私がいろいろ悩んでたの、知ってたくせに!」

 おなじ、くちなわ族なら、すぐに打ち明けてくれてもよかったのに!

「霊宮が母親なので、私も口が重いのかも知れませんね」

 レイミア? ラミア?

 よくわかんないけど、銀髪さんって、やっぱりユーグみたいに意地悪なときがある。

「おまえ、まず、どっかで全身洗ってこいよ、全身げとげとで汚いぞ」

「ティファレト、おいでなさい。こちらに真水もあるから」

 ユーグの隣に立っていた、おばあさんが手招きした。

 知らないひとに怖じ気づいていたら、銀髪さんが、一緒に行きましょうと肩を押してくれた。

 黄色の泉には近づくな、と注意されながら、透明な水が流れる小川に連れて行かれる。

 その河原で、おばあさんが、頭や背中をごしごし洗ってくれた。

 あちこちに、人間が建てた建物の残骸や土台。河原の石にまぎれて、小さな金貨や割れた食器のかけらが落ちてる。

「…ここ。どこ?」

「ティファレトは、戦争のときのこと、記憶にある? 私を、かばったことは、」

「なんとなく」

 そう、なんとなく。記憶している。

「アルゼンじゃないんだよね、ここは」

「ここは世界の中心。名前のない島、死者の島。かつて上帝マルセルが首都とした場所」

銀髪さんの代わりに、背後のおばあさんが答えた。

 そのあとに、銀髪さんがいろいろ話してくれた。

 戦争は、アルゼンが勝ったこと。あっちの女王さまは昔、銀髪さんの奥さん候補だったひとで。そのひとと私は、戦前に会っていたこと。

「そっか……。あの赤毛のおかっぱおねえさん、女王さまだったんだね。ああいうひと、なんだか、好きだなあって思ってたんだけど、」

「あなたは玄女として、本能的にわかっていたのよ。自分の夫とすべき英雄、上帝の卵のことをね」

「…さっきから、レイミヤとかカミカドとかクロメって。なんのこと?」

 そこからか、と。銀髪さんも、おばあさんも、げんなりしている。

「ゲブラーにくらべても、のんきというか、脳天気というか、いかにも間が抜けていそうな子だとは、思ったわ」

 頭が悪いのは自覚してるけど、はっきり言われると、がっくりするなあ。

「とにかく。あなたは、この世界の女神さまだったということです」

「正確には、玄女という神の能力や本能を受け継ぐ、黒くちなわの雌。上帝の卵は世界にたくさんいるけれど、黒くちなわの雌は、一世代に一匹いるかどうかの存在」

「でも、私は魔女だ、縁起悪いって、獅子王さまに言われたことあるよ。黒蛇は縁起悪くて、世界を滅ぼすんだって」

 獣人国で、言われたことを思い出して、言ってみた。

「…そう。獅子王さまは、私のこと、何度も殺そうとしてたんだ。猛禽の谷に放り込んで、鳥の餌にしても、すぐ怪我が治るし。餓死させようとしても、だめだったって。黒くちなわは、真の英雄にしか――あ、そっか。そういうことか」

 そうか。それで獅子王さま、私をいきなり女王さまにしたのか。ルヴァンおじさんなら、私を殺せるかも知れないもんね。

「…妙だわ。玄女は玄女であって、島国の王に、王将には、なれないはずよ。霊宮が、王将になれないのと、おなじ。存在意義や本能が、根本的にちがう」

 銀髪さんが、顔をしかめた。

「もしかしたら、あなたは獣人国の真の王でなく、ただの自称であったのかもね」

「そもそも不老長寿とか、地面を空に持ち上げる方法なんて知らな、……わぷっ」

 桶で、思いっきり水をかけられる。

「おびゃっ、おびゃーひゃん、なに、いきなり」

「――あなた、今までの玄女とは、ちがうんだわ」

「ふぺ?」

「獅子王とやらも、私も、勘違いしていた。あなたは、今までの玄女がやってきたことをなぞるだけの存在では、ない」

 さっきまで、ごしごし乱暴だった手つきが、急に優しくなった。

「さあ。時間の止まった島に、ぐずぐず居続けるものではないわ。人間の脚や自由を餌にして、霊宮を飼い殺し、世界を統一しようなんて人間のおこないを、徹底して止めなさい。あなたは、それができる子よ」

「ええー? 国がひとつになったら、戦争なくなって、平和になるんじゃないの?」

 おばあさんは、溜息をついた。

「それは、かつてマルセルが目指し、成立させた世界よ。でも、そんなものは幻想でしかなかった。この島の有様を見れば、わかるでしょう?」

 ああ。そういえば、ここって、マルセルさんの首都って話だっけ。ぼろぼろだけど。

 昔は、もっと、ちゃんとした国だったのかな?

「一番最初の、真の神だった玄女と上帝が、この世をつくったけれど、ましら――人間が、火や鋼、火薬を発明して、玄女を殺してしまった。彼女の夫は怒り狂い、殺される直前に呪いの言葉を吐いたそうよ。『みにくい猿の子らよ、永遠に殺し合え』ってね」

「ダアト様!?」

 銀髪さんが、声を荒げた。

「その言葉通り、火と鋼と火薬で、戦争を続けて、ついに大陸を粉々した。海に投げ出された人間は、ようやく神に、玄女に祈ったの。『もう一度、世界をひとつにしてください』と」

「…そんな、」

 自分で壊しておいて、なんとかしてくださいって、すごく自分勝手な気がする……。

「神への祈りは、ゆがんだ形で叶った。そして、今なお、かつての神に模した、霊宮や玄女、上帝の卵たる英雄が戦争で、政治や文化、民族の取捨選択をくり返し、世界統一を試みている」

 ひどく疲れた様子で、おばあさんは嘆いた。

「人間は、その個々があまりに違いすぎる。なのに、全部をひとつにまとめようだなんて、幻想でしかない。マルセルが絶望してしまった気持ち、今ならわかるわ。すべてが徒労に終わったと知ったとき、あの子、つらかったでしょうね。こころの優しい男の子だったもの」



「――人間の姿になる方法は、もうわかったわね?」

 金色の浜辺に立った、おばあさんが念を押すように、訊いてきた。

『うん。ダアトおばあさん、いろいろ、お世話になりました』

 黒い大蛇に変身して、海に下半身を沈めた状態で、ひょこんと頭をさげる。

 黄金の砂浜に立ったおばあさんは、私の大きな蛇頭にを抱え、両腕を背中側に回した。

「あなたが戦に頼らず、すべての霊宮を解放して、自由にしてくれることを祈っている」

『期待されたように、できるかはわかんないけど。私なりに、やってみるね』

「……そうね。あなたは、それでいいの。そういう、お返事で、いいんだわ」

『じゃあ、またね! ばいばい!』

 帆船の碇を咥えて、大海原へ泳ぎ出す。きしきしと、船を牽いて、私は泳いでいった。

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