第16話 黒と白のつがい

 銀髪さんと手をつないで歩くことが、こんなに嬉しいことだなんて、思いも寄らなかった。

 大きな手のひらには堅いたこがあって、ちょっと骨の目立つ長い指がごつごつして――こないだまで、この手で頭を撫でられるのが、苦手だったのに。


「おとなの、くちなわ族にとって、頭を撫でるという行為は、求愛行動ですからね。……今まで、あなたは甥御どのを一番慕っていたから」


 銀髪さんは、そう言って、笑った。

 ああ、でも私は――この手を離さなきゃいけないんだ。


   ◇ ◇ ◇


「――ですので、レイチャード総長の横暴に、国民も限界なのです」

「…わかった。その反乱軍の旗印になれば、よいのだね?」

「国外追放令に関しては、医官のカーダさまを通じて、霊宮と……。レイチャード総長にさからい、一日だけならば、解除できるだろうとのことです」

「できましたら、かの方のご協力を、」

「あの娘は、無関係だ! これはレイチャードとクロイツ国内の問題だったはずだろう」

「ですが、かなりの人数の女が殺害されている状況で、」

「彼女たちの不幸に、心を痛めていないわけではない! だが、」

 となりの続き部屋から、そんな声がする。

 ……退屈だなあ。

 あまりに暇なので、シャクトリムシのものまねしたり、人型のときに着ていた服の袖を使って、穴の通り抜け練習をして、時間をつぶす。

 ここしばらく、タイエキ…退役軍人さんというひとが、夜遅くにこっそり、銀髪さんに会いにやってくる。

 そういうとき、私は部屋に閉じ込められ、さらに小さい蛇になっているよう、お願いされた。

 何を話してるのって訊いても、銀髪さんは教えてくれない。

 ユーグは逆に、うんざりしたような目で、銀髪さんを見る。

 ……こまった。わたし、ダアトおばさんに言われたこと、何もできてない。

 具体的に何をどうすればいいのか、まったくわからないのも問題。

「……それでは、また」

 となりで、ごそごそ大勢が動く音。

「ティファレト」

 ようやく静かになったところで、ひっそり、扉越しに銀髪さんが声をかけてきた。

「眠ってしまいましたか?」

『ううん。起きてるよ』

「そう」

 銀髪さんが部屋に入ってきた。ぼすんと寝台に座り、頭のうしろで縛っていた髪をほどいて、かるく頭を振る。

 銀色の長い髪に隠れる、つらそうな表情。

『難しい、お話だったの?』

 にょろにょろと、彼の体によじ登って、顔をのぞき込む。

「いや。ええ。そうですね。難しい話でした」

 銀髪さんは、私の頭をかるくつまんで、指先で撫でた。

 それがすごく気持ちよかったので、しばらく目を閉じて、おとなしくしている。

「あなたの鱗は、黒いですね。夜ですら目立つような黒」

『えー? 銀髪さんのほうが、ずっと目立つよ。白いのに、銀色にぴかぴか光る』

「私たちの髪は、鱗の色だから、染色してごまかすこともできやしない」

『ねえ、本当にどうしたの? ずっと苦しそう』

「なんでも、ありませんよ」

『なんでもないのに、なんで私のこと、閉じ込めたの?』

 人型に変身すると、ぽんと、銀髪さんの脚の上に落ちる。

「銀髪さん。最初から、ずっと親切だったよね。ユーグは厳しくて、おっかなかったけど」

 自分よりも大きな手をにぎにぎしながら言うと、銀髪さんが口元をゆるめた。

「ユーグは昔から、しつけに厳しかったから。私が王の子であっても、容赦なく、ひっぱたいてきましたよ」

「うん。それでね。そうやって親切にしてくれて、危険から遠ざけようとしてくれて。でも、その分、銀髪さんが傷つくのは、いやだ」

「………………」

「うぬぼれだったら、ごめんなさい。でも、そんなふうに悩むのは、私が関係しているからでないの?」

「あなたは、普段のんびりしているくせ、たまに鋭いですよね」

 銀髪さんが、ぎゅっと抱きしめてくる。

「私には、弟がいるんです。亡くなった妹の他にね」

「弟さん? へー、じゃあ、そのひともくちなわ族?」

 銀髪さんに似ているなら、きっと妹さんも弟さんも、美人なんだろうなあ。

「彼は人間です。母親ちがいだから」

 仲間が増えたと思っていたので、ちょっとがっかり。

「その弟、レイチャードというのですが。彼が、黒髪の女性を捜しているそうです」

「わたし?」

「正確には、誰が玄女かわからないので、同じ特徴の女性をつかまえては、」

 拷問して、殺す――と。

「……どうして? 悪いことしたわけでも、戦争でもないのに?」

「レイチャードは、不老不死のちからを求めているんですよ。その方法を玄女が知っているはずだと」

「わたし、知らない。そんな方法、知らないってば」

「もともとクロイツ王兵師団は、獣人を軽んじる国風で、もっとも忌み嫌われているのが、くちなわ族です。人型に化けたくちなわ族は、人間の目には、美しいとか、妖しく見える上、長命で、ときに妖術や魔術を使うと思われている。だから、レイチャードは表向きは魔女裁判、魔女狩りという題目で、玄女と疑わしき女性を集め、耐久実験として拷問し、」

「やだ! やだ、いやだ! そんなの、やめて!」

「…ユーグや彼らは、犠牲者が増えるまえに、今すぐ、あなたをレイチャードに引き渡すべきだと言った」

「あたりまえだよ!」

「私が、いやだ!」

 銀髪さんは、ぽろっと涙をこぼした。

「そうすべきだと頭で、わかっている。けれど、やっと手に入れたつがいなんです。これから先、ユーグや甥御どのが死んだあとも唯一残る存在は、あなただけなんだ」

「銀髪さん、でも、」

「いや、だ――いやなんですよ、もう、大事に思うひとを失うのは……」



 泣きながら、銀髪さんが眠ってしまったあとで、私は、その長い腕のなかから、するりと抜け出した。

「……ティファレト、どこへ?」

「へえっ!? ええと、お手洗い」

「そう……。はやく、かえって、きて、ね……」

「うん」

 銀髪さんは、またすうっと寝息を立て始めた。多分、退役軍人さんが最初に来た日から、ちゃんと寝てなかったんだと思う。今は、ぐっすりだ。

 抜き足、差し足、忍び足。

 ――旅館の談話室に、ユーグと見知らぬおじさん、おにいさん、男の子が四人集まって、窮屈そうにしている。

 部屋から出てきた私を見て、ユーグがにやりと笑った。

「話は?」

「聞いた」

「心は?」

「決めた。クロイツに行きます」

 ユーグがふたつきの手提げかごを差し出した。

「銀髪さん……レイシアさまに、ごめんなさいって、伝えてください」

 人型を解いて、小さい蛇になる。頭が縮み、体と手足が薄く、細くねじれて、一本になる。ぱさんと服が床に落ちた。

 ユーグは、服をたたんで、かごの底に敷いたあと、私をつまみあげて、なかに入れる。

「僕はね。男女の恋愛物語より、血湧き肉躍る冒険談のほうが、百倍好きなんですよ」

 ふたを閉じて、留め具が鳴った。かごの両脇にも開いた穴から、そとの様子が見える。

「太子のお世話、引き継がせていただきます」

「僕がしつけた蛇なので、言うことは、ちゃんとききますよ。それより、上陸日を間違えないでください」

「はい。霊宮クロイツさまが、レイシアさまの国外追放令を解く日には、かならず」

 そんな会話のあとに、かごがゆらゆら揺れ出して、二人分の足音が響く。

 ――銀髪さんが、私の帰りを待って、眠っている部屋が遠くなる。

 私は、ただ自分の服――銀髪さんのおさがりだった服の折り目に頭をつっこみ、遠ざかるその部屋を見ないようにしていた。

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