第8話 退けない理由

 ここで退くわけにはいかない。

 母と妹と、子供が『保護』という名目で、囚われている。

 愛国心だ、政略だと、つらつら他に理由を述べたところで、それらは表層的なものでしかない。

 だから、退けぬ。


   ◇ ◇ ◇


 アルゼンの港に降りたセシリアは、雨よけの頭巾を目深にかぶり、その陰で、視線を左右に動かした。

「港に近接して、倉庫街、市場、商店、各国の商館といったところか」

 独り言の間にも、雨の勢いが増している。

 港湾労働者は、軒先を目指して、駆けていった。

 荷揚げされたばかりの商品は、あわただしく倉庫に吸い込まれていく。

 それらを見ながら、防具袋をかついで、セシリアは歩き出した。外套のなか、長剣の赤い柄に左手をやりながら。

 現在、世界第七位の領土を誇るリィゼン盗賊国。その衛星国であるアルゼンは、各国との貿易や物流の中継地点として栄えている。

 島国というものは、およそ海上を移動するものだが、このアルゼンは数年間、経緯を一度たりと変えていない。

「漁場や気候、その他のことを考えるならば、どこに移動しても、いいものを」

 不動の自由貿易港というのが、アルゼンの王将アギトの目指すところであるらしい。

 商売相手となる各島国の航路を簡易にするため、不動の島国となり、また国橋での検問を簡易にして、人材や物流の制限をなくしているのだと知って、セシリアは驚いたものだった。

 どう考えても、無防備だ、この国は。

「強国の庇護下にいるゆえの余裕か、あるいは考えなしの楽天家のどちらかだな」

 不動にして、自由。

 我が身、我が国を振り返り、セシリアは自嘲した。

「…私とは、真逆のありようだ」

 町中を行き来する船は、この雨に一時運行休止となっていた。やむなく、防具袋をかついで、商店街を歩いていると、自分の少し先を、少女が歩いていた。雨よけの頭巾や外套もなく、しかも薄着で。

 セシリアは徒歩の速度をあげ、彼女の背を追った。

 近づけば、彼女は小柄で、長い黒髪は雨にべったりと束になっている。

 セシリアは外套の裾をつまんで、彼女の頭上に布を広げた。

「……あれ?」

「入りなさい」

 ざんばら頭になった髪の間から、黄色の目が、こちらを不思議そうに見上げている。

「どこだ?」

「え、え、え?」

「こんな雨のなかを歩いて。どこへ行く? 私が、そこまで送ろう」

 外套をつまんでいた手を、小さな肩に置いてみると、体温は驚くほど低い。

「こんなに冷えて……。風邪をひくぞ」

「ええと、」

「女が、体を冷やすんじゃあ、ない」

 説教しつつ、目についた宿屋へ、彼女の肩を抱いて誘導する。

「温かい飲み物はあるか。至急、この子に、」

「いらっしゃいって、おや?」

「あの。おねえさん。えっとね」

「今日は雨が降ると、忠告したでしょう」

 セシリアが店員に声をかけると同時に、店主の風格がある男と、ずぶ濡れ娘と、片眼鏡の男がいっせいに声を出した。

「なんだ、知り合いか?」

「うん。今、すみかにしている宿」

「すぐに体と髪を拭いて、着替えなさい。いいですね?」

 片眼鏡の男に叱られた少女は、うんと素直にうなずいて、奥に消えた。

「ついでだ。麦酒は、あるか。あれば一杯。それと帰りに、ゆで卵を三個もたせてくれ。上帝廟に参詣してくる」

 セシリアは、店の一角に場所をとり、椅子一脚に防具袋を置いた。

「僕の連れが、ご迷惑をかけたようで、」

 金属音に、片眼鏡の男が、こちらを見た。

「失礼。もしやクロイツ王兵師団の、武官で?」

 防具袋を見、そこについていた小さな紋章を見たのか、男がはっきりと訊ねてきた。

「これは珍しい。女性で、正騎士? クロイツ本国の紋章は黒十字だが、白十字は、系列の衛星国でしたね」

 セシリアは内心、舌打ちした。

「しかし、クロイツで、平民の女戦士は、せいぜい従騎士どまり。でしたよね?」

「…よく、ご存じで。あなたは紋章官か、何かか?」

「いえ、僕は見聞作家。諸外国を旅して回り、見聞きしたものを本にまとめたり、見聞紙として発行する者です。楽器は得意でないので、英雄詩は歌えませんが」

 見聞作家とは、また身元のあやしい男だ。彼らは国籍を持たずに転々しており、そういう輩は手紙や小荷物の配達のほか、非公認の密偵や暗殺者を兼ねていることもある。

「クロイツのお家騒動は、どうなりましたか? 僕がクロイツにいた当時は、ずいぶんな騒ぎだったと記憶しています」

 クロイツ王兵師団の後継者争いは、セシリアもいい迷惑をこうむった。あの王(レ)妾(イ)太(シ)子(ア)の添伏だったばかりに。

「結局は、正妃が一子レイチャード様が勝った。名無しの廃太子は、国外追放だ。あとは知らん」

 話をぶつりと切って、酒をあおる。酔える気が、まったくしない。

「主人、勘定だ。ついでに道を聞きたい、上帝廟は、どこにある?」

「ああ、それなら、」

「あ、わたし! 私が、案内する!」

 着替え終わった少女が、割って入ってきた。

「却下」

 即座に、片眼鏡の男が一蹴した。

「息抜きの散歩は、終わりです。勉強再開。僕がつくった写本を、部屋で音読するように。とくに陰(いん)符(ぷ)経(きよう)は熟読なさい。あれは本物の稀(き)覯(こう)本(ぼん)ですよ」

「……勉強、きらい」

 このやりとりにセシリアはいくらか表情を和らげた。

「学問は、ゆるされるなら、やっておきなさい。無知は、ときに、人間を不幸にする」

「えっと……はい。おねえさん、またね」

「ああ」

 またね、とは皮肉な挨拶だ。彼女と次に会う場所は、戦場かも知れぬのに。

 その後、店主から道順をしっかり聞いて、扉を開けた。

 雨はやんでいる。驟雨だったのだろう。

 運河を行く舟の運航は、再開されていた。

 思ったよりも安定した乗り心地の舟から見上げれば、水路の左右を縁取るよう、三階以上の建物が並んでいた。転落防止の柵や手すりも見える。

「この国は、水路が多すぎる。重装備の進軍は困難だな。市街戦が主戦場となれば、軍馬も使えまい」

 セシリアは背後を振り返って、遠くに見える港湾部を視認した。

「国橋の幅は、どの島国も一定。こちらが数で押していても、上陸には船か簡易な橋を使わなくては。兵の練度や数の差は、意味がなくなる」

 どう考えても、自国との相性は悪かった。それでも、退くという、選択肢がない。

 上帝廟に卵をそなえたあとで、諸外国の外交官が暮らす、共有大使館に向かった。

 自国とアルゼンとは直接の交流や交易がなかったため、臨時に一室を借りて、そこを自国の出先機関とする。

 身なりを整え、外へ出た。

 先とは異なり、完全武装の女戦士は、人の耳目を集めたが、セシリアは背筋をしっかり伸ばし、歩く。

「アルゼンの王将、アギト殿に面会を申請する」

 アギトの居城――というには、ややみすぼらしい館の門前で、声をはりあげる。

「名乗れ」

 セシリアの武者姿に、衛兵二人が、たがいの槍斧を交差させ、入り口を封じた。

「私は、クロイツ王兵師団が衛星国、フロイデンの王将セシリア・フロイデンだ。リィゼン盗賊国の衛星国、アルゼンに対し、宣戦をいたしたく、本日参上した。お取り次ぎ願おう」

 クロイツ、と小さく復唱する声。

 セシリアは目の前にある槍斧に臆さず、書状を差し出す。

 衛兵はうなずき合って、うち一人が、案内を申し出た。



 定型化された宣戦布告の書状や名乗りに対し、アルゼンの王将アギトは肩をすくめた。

「フロイデン船籍の小型船が入ったのは、聞いている。まったく。貿易関係の話なら、よかったんだが」

 アギトは紅茶に口をつけ、くそまずい、と愚痴をこぼした。

「…島国の王は、王にして将軍だ。最高執政官であり、かつ国軍の最高司令官ゆえ、王将なぞと言われているがな。アルゼンの国政は、合議制。俺は、議長という扱いになっていている。他国の王将ほど、強権ふるう自由がない」

 彼は長々と前置きをして、

「こと軍事にあってはな、議員の承認や、投票がいるって建前だ。正式な手続きは、会議のあとだ。ちっとばかし時間をもらおう」

「今すぐだ。すぐに宣誓していただきたい」

「おい、ねえちゃん。気が早くないか」

「こちらの単独渡航に、敬意を払っていただけまいか」

「王将ってのはな、島同士で接岸している状態を除いて、外国には渡らないもんだ。誰もあんたに直接、来てくれと頼んじゃいねえよ」

 そうして、アギトは居住まいを正し、セシリアを見た。

「…その辺の強盗に刺されて、ついでにフロイデンを海中に沈めようと、思っていないだろうな?」

 彼の眼光は鋭い。まるでセシリア自身を親の仇か何かと見なしているような。

「今や、フロイデンの国民は、全員、クロイツ本国の騎士たちと入れ替わった。もとフロイデン人は、本国に移住ずみだ。私の国の浮き沈みは、心配しなくてよい」

「クロイツ王兵師団の王将、レイチャード総長。全部、そいつの指示か?」

「あなたは賢者だ、おおかたの予想はついているだろう。私には、この流れを止められない。退けないのだ。いずれかが死に、国が滅ぶまで」

「――もとクロイツの騎士とやらを、きちんと統率できる自信は?」

「ない」

「………………おい」

「しかし、我が軍は、この国の地形との相性が最悪だと思われる」

 セシリアは上陸後、アルゼンの地形を逐一観察してきた。

 交戦中に、珍奇な事件でも起こらない限り、フロイデン軍は敗北するだろう。

「…ここで、あんたを始末できたら、よかったが。下手をこけば、貿易業に支障が出る。取引は、信用第一だからな」

 肘をついたままの片手で、アギトは前髪をがりがりとやった。

「おまえさんの事情は知らん、これ以上は知りたいとも思わん。だが、喧嘩を買わされた以上、容赦はせんぞ」

 彼は、ふっと息を吐き、しっかりと背筋を伸ばして、片手を天に向けた。

「……彼岸の上帝マルセルと玄女ゲブラーに、此岸の王将アギトとその霊宮アルゼンが奏上す――」



 アギトの執務室を出たあと、懇切丁寧に共用大使館まで、見張りつきで送り届けられた。

 翌日、船に乗ってフロイデンに帰る。

 ――今のフロイデンは寂しい国だった。アルゼンからの帰国後は、よりいっそう、そう思える。

 人々の通常の営みは、ない。クロイツ本国から物資が送られ、いかつい男どもがうろつくばかり。一国の王の帰還を、出迎えようという者はいない。

 アギトの住処より、いくらましな程度の城砦に戻るも、門衛は居眠りをしている有様。

「太子の添伏だったから、国まで賜ったって話だろ」

「総領じゃなく、廃太子のほうな」

「フロイデン王に輿入れして、出産後、夫を毒殺したって話だろ。とんだ雌犬だ」

 回廊を行けば、すれ違いざま、真実を知らぬ若い騎士たちの侮蔑を耳にする。

 セシリアは埃だらけの、ただ広いだけの私室に戻った。

 かんぬきと、鍵をかけた扉に背を預けたまま、ずるりと腰を下ろす。

「……もう、こんな……こんな国、はやく滅んでしまえ」

 薄く積もった埃の上に、生温かい水滴が落ちた。



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