第9話 これが戦というもの
そして、開戦の日が来た。
この国の国籍がない、いわゆる外国人のひとたちは国外へ無事に脱出した。
旅費がない、伝手がないという理由で出国が間に合わなかったひとたちは、共用大使館に保護されている。
私も銀髪さんもユーグも、ここで国籍をもらっている以上、国外へはもう逃げられないし、年齢や健康状態によっては徴兵対象だ。
だから……
◇ ◇ ◇
「消毒用の、清潔な水が足りません。急いで」
「うん」
負傷者の手当をするユーグの、指示と同時に目配せがとんできた。
私は、小さな樽を抱えて、野戦病院の裏口から、外へ出た。
背の高い雑草に囲まれて、ぽつんと、そこに小さな井戸がある。滑車の調子が悪いつるべを落として、水を汲んだ。
「誰も見てないよね」
周りをしっかり指さし確認してから、大きく深呼吸。
目を閉じて、水の中にいる小さな生き物を、まぶたの裏に描く。
「おねがい、この水、とても薄いお酒に変えて」
小さい生き物たちにお願いしてから、まぶたを開いて、樽のなかを覗く。
……う、ちょっと頭がくらっとした。
でも、ユーグいわく、消毒殺菌に使う水は真水よりも、ちょっと、お酒っぽいほうが、いいんだって。
樽を抱えて、ユーグのところに戻る。
「ユーグ、持ってきたよっ」
「そこに置いて」
ユーグが包帯をぎゅっと結ぶと、手当中の兵隊さんが、いてえと悲鳴をあげた。
「治癒の術で、手伝う?」
だめもとで言ってみたら、やっぱり却下された。
他人が持っていないちからを見せびらかすのって、よくないみたいだ。おもしろがってくれるならいいけど、気持ち悪いと思われるのが普通だもの。おまけに、これやると、すごく疲れるのか、すぐに寝ちゃう。
――ああ。でも、せめて、シェンナと再開する前に、陰符経って本を見つけてたらなあ。そしたら、私が普通の人間のティファレトじゃなくて、くちなわ族のティファレトだって、証明できたかも知れないのに。
って、浮ついたこと考えちゃ、だめだよね。みんな、戦争でたいへんなときに。
今の私は、戦災孤児として、銀髪さんたちに保護されてる設定で。銀髪さんもユーグもアルゼンの陣営の一員として戦っている。この戦争でアルゼンが負けちゃったら、みんなか、もしくはアギトさん一人のどちらかが殺されちゃうんだ。
「……戦争なんて、しなくてすめばいいのに」
ぽつんとつぶやいたら、ユーグがあのですねと無表情のまま、こちらを見た。
「平和になれば、人間は増える。人間が増えれば、農地も居住地も必要になる。そうして足りなくなった国土を拡大するには、他国に戦争をしかけるしかないんですよ。わかりますか?」
「それは……そうかもだけど。でも、アルゼンは、ずっと、」
ユーグは赤い手を洗い、片眼鏡にくっついていた血しぶきを拭った。
「アルゼンのように、国土を拡大せず、裕福になっている島国のほうが、珍しい例なんですよ。そして、それは、間接的に他国の富を少量ずつ奪っているともいえる」
「王さまひとりと、国民全員の命って、おなじ価値あるの?」
「アルゼンの栄華は、アルゼンの王将、アギト議長の手腕によるものです。万民が健やかに暮らせるというのは、彼の手に万民の命が握られているのと、おなじ。等価値です」
「……うー」
「単純な正義や道徳で、この世は成立していません」
「じゃあ! じゃあさ。戦争の前後だけ。たとえば死刑囚のひとに王さまになってもらって、さっさと降伏しちゃうとか」
くちなわの女王さまを名乗っていた当時のことを思い出して、言ってみた。
ユーグが、はああっと深い、ふかーい溜息をついた。
「その死刑囚の王が、在位中に、変な法律をつくって、それがまかり通ったら、どうなりますか? 戦争にまぐれ勝ちして、その彼が死なずにすんだとしたら?」
「それは……こまるね」
「そも王権をぞんざいに扱い、王の首をかってに敵方に差し出す国民など、どこの王将が欲しがります? 数十万の反逆者予備軍を飼うよりも、一人の死刑囚を見張るほうが、あらゆる意味で楽ですよ」
だから、ルヴァンおじさん、私じゃなくて、獅子王さまたちを?
そういえば、なんでリィゼン盗賊国の王位継承は、現王族から選ぶ、もしくは『現王の首をかき切った者』なんだろう?
「リィゼンの王位継承については、国内法にて明文化されているからですよ。あれにも例外の、ただし書きはついています。ただし、戦時は除く、とね」
ユーグが、私の考えを読み取って、そう答えてくれた。
「戦時に、頻繁に王将が変わっては、指揮系統がおかしくなる。妥当な例外です」
「うーん。ずるいような、ずるくないような」
「他国の法律や刑罰など、外国人の目からすれば、おかしなものが多い」
「はあー。人間って面倒な決まりごと、いっぱいだね」
「さて。一段落つきました、休憩です」
ユーグが、こめかみを指でほぐし、ついでに肩を回した。ぼきこきっと、細い肩が鳴る。
「僕の手伝いがないからと言って、ふらふら出歩かないように。治癒術などもね、最後の手段くらいにしておくように。レイシア様は、あなたのことになると、性格が激変しますから、僕の手をわずらわせないでください」
ユーグはそう忠告したあとで、本職の衛生兵さんをつかまえ、その耳にごにょごにょ囁いた。
顔を赤くし、次に青くなった衛生兵さんが行ってよろしい、と休憩の許可を出す。
「なんで、あのことを知ってるんだ……」
しゃがみ込んで、ぶつぶつ言っている衛生兵さんの頭に、救護担当の腕章を載せると、ユーグは悠々立ち去った。
私は……。うーん。
ユーグがいないと何していいのか、わからないな。治癒術は使うなって言われたし。
うろちょろして、衛生兵さんや看護師さんの迷惑になってもいけないから、私も外に出てしまおう。
――色々やっているうちに、時間がだいぶ経っていたみたい。空は血色の夕方で、ちょっとだけ、くらっとした。
目をこすり、坂道のずっと下を見下ろす。
倉庫街のほうから、三本くらいの黒い煙のすじ。
クロイツ王兵師団、その系列の衛星国の兵隊さんは金属の鎧を着て、槍や剣を持ち、馬に乗って、戦うそうだ。集団戦や馬の突撃による猛攻は、すごいらしい。
広くてシャヘイブツ?のない戦場だと、軽装の歩兵や弓兵中心のアルゼンは不利。
だから、接岸した国土から国橋(どういう理屈か知らないけど、島国同士で接岸すると、自動的に架かる橋だって)を架けて、すぐの橋上戦は放棄する。
で、アルゼン側は何をするかというと、自国の領地に敵軍を引き入れて、水路や建物で大軍を分断しながら、少しずつ撃破する予定――というのが、銀髪さんとユーグの受け売り。たぶん、戦争の仕方を考えたのはアギトさんたちだろう。
銀髪さん……だいじょうぶかな。
強いのは、わかっている。私を助けてくれたときも、強盗を撃退したときだって、あっという間だったけど。
『私が死んだら、彼女をお願いしますね』
…一昨日の夜、銀髪さん、ユーグに頼んでた。
『心配なら、生還すればいいだけです』
珍しく、不愉快そうな顔してたなあ、ユーグ。
ユーグはいつも、にやにや笑いか無表情のどっちかだから、一昨日は心底、頭にきてたんだと思う。
そのあと、銀髪さんに『あなたの頭を、撫でてもいいですか?』って訊かれた。
正直、シェンナ以外のひとに、頭を撫でられたくなかったけど、それは我慢して、いいよって答えたんだ。
銀髪さんは、嬉しそうな、悲しそうな顔をして、これでもかって言うくらい、撫でて、それから『いってきます』って……。
……わたし、こんなにお世話になったのに、恩返しできてない。
シェンナのときも、そうだった。突然、さよなら――。
って、あれ……? なんか――変な……感じが……
『ねえ、ゲブラー。僕は本当に、上帝にふさわしかったのかな』
『私は、たくさんの英雄を見てきた。そのなかで、おまえが一番いいと思ったんだ』
『僕は……。たくさん殺して、たくさん奪って、それでも、全世界を統一すれば、平和になると信じていた、途中までは』
『マルセル……』
『国をひとつにまとめても、人心はひとつにならない。外国との戦争よりも、内乱鎮圧のほうが、ずっと難しかった……。同じ国の人間になったはずなのに、なぜ今も殺し合いが起こるんだろう』
『これからだ、これからなんだよ、マルセル。これから、良いほうへと、』
『もう耐えられない……。この先、何百年、何千年とこの苦悩を抱えて、永遠に生きるなんて。ゲブラー、』
『待て、言うな! その先は、やめろ!』
『この世界を壊して、最初から、ぜんぶ、』
……気がついたら、水路に飛び込んで、泳いでいた。
ああ、そうだった。わたし、二本の脚で走るより、こうやって泳ぐほうが何倍も速いんだ。今は、運河の大部分が堰き止められているから、いちいち小舟をよける必要もない。
水路を泳いで、距離を稼いでから、陸上に上がって、走る。ところどころに、防衛用の垣根や柵があったので、乗り越えたり、迂回したり。
その途中で、死体を運ぶ荷車や、捕虜になったフロイデン兵を見た。
………………怖い。
戦争も、殺し合いも、すごく怖いけど。
でも今は、銀髪さんの命のほうが心配だった。
走って、走って、走って――。
「おいこら、そこの衛生兵、待て!」
怒鳴られ、そこが前線の近くと気づいて、ようやく脚が止まる。
柵の向こう、かきん、きんという金属音。
一対。同じ形の鎧武者が戦っている。
クロイツの紋章を削って、ひたい当てをつけているほうは、銀髪さんだ。
もう一人は、ちゃんと面やかぶとをつけ、剣を振るっている。
でも、銀髪さんの動き、変だ。いつものような身のこなしじゃない。何か、迷っているような気がする。
「一騎打ちになっちまっているな。まあ、騎士の国の出身者らしいっちゃあ、らしいが」
「あ。アギトさん」
すぐ近くに、変な形の連弩を抱えた、アギトさんがいた。いつもの服じゃなく、陣羽織を着ていたから、すぐにはわからなかった。
「おまえな。ここは、やっつけ衛生兵が出てくるところじゃねえぞ。怪我人は、輜重兵が、野戦病院まで運ぶ決まりだ」
そう言って、アギトさんは、私のひたいにしっぺをした。
「ねえ、もう戦争終わるの……じゃない、終わるんですか?」
よく見たら、もうフロイデンの兵隊さんらしきひと、あのひとだけなんだよね。
「あらかた降伏か戦死だな。残りは、あの一騎。フロイデン女王セシリアだ」
「王さま、女のひとなの?」
「手練れだぞ。あの銀髪坊やも連戦でくたびれているとはいえ、圧されている」
「負けそうなの? なんで? なんで助けないの?」
「妙な雰囲気で、割って入れん。あいつら、どちらかが死ぬまで、やめないだろう」
「ふんいき?」
「…まあ、なんだ。男と女のあいだには、ってな」
アギトさんの顔を見あげると、なぜか気まずそうな表情で、顔をそらされた。
「詳しくは、本人に聞け。他人の私生活には立ち入らない主義だ」
「とにかく、銀髪さんを助けようよ! アギトさん、王さまなんでしょ?」
「援護しようにも、距離が、まずい。うちの弓兵や、俺の連弩じゃあ、両方、串刺しにしちまう」
ううーん。どうにか、できないかなあ。
わたし、今は絶対、銀髪さんに死んで欲しくない。
「――ユーグ、ごめん!」
その場を離れて、近くの路地に入り込む。
どこか、どこか人目がなくて、かつ銀髪さんの姿が確認できそうなとこ。
……あった!
ちょうどよさそうな場所に移動して、ユーグが作ってくれた手帳(しやほん)を取り出す。
「使えそうなの、使えそうなの」
陰符経の手帳をめくる。
「水の上を陸のように歩く、水上歩行術? じゃなくて! 生き物を死んだように見せかける……でもなくって!」
銀髪さんと、魔法の手帳を交互に見なきゃいけないから、あせっちゃうな。
「世界ひとつを滅ぼして、再生する方法――ここまで物騒なのは、いらないってば!」
手帳に八つ当たりをして、投げ捨てるのと同時に、ぱきんと乾いた音がした。
あわてて路地から顔を出すと、銀髪さんの槍が折れたところだった。あんなに強かったあのひとが、膝をついている。
「そもそもは貴様だ、廃太子!」
女王さまが大声で怒鳴った。
「貴様のような化け物が、総長の長子なぞと! だから私は、」
「セシリア」
手元に残った槍を杖にして、銀髪さんが立つ。
「私は、あなたが相手で、感謝している。おかげで、自分が、人間の目にどう映るか、はっきりと理解できたから」
「貴様のせいだぞ!」
「妹を殺してまで、総領にしようとした父には、あきれている。あなたは正常だ、あなたが一番正しい」
「今さらっ」
「そう、今さらだ。今さらなんですよ、セシリア」
短くなった槍をくるりと半回転させ、石突きを女王さまに向ける銀髪さん。その背中が泣いているように見えた。
「過去は清算する。私は、あなたを斃して、本物のつがいとともに生きる」
「殺す! 絶対に殺す! 私が死んで、貴様が生き残るなど、絶対に許さない!」
――あ。
だめ、だ。死んだら、だめだ。
二人とも、ここで死ぬには惜しい英雄だ。
「ティファレト!?」
気づいたら、路地から飛び出して、二人の間に割って入っていた。
…ざくん、と。肉が、骨が、血が、切り裂かれて、断たれていく。
「くっ――このっ、抜けない!?」
「っ……セシリアぁっ!」
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