第一三刃 《錆びた刃のレクイエム 後編》

 ゴウッ! と。

 地下室を、あかあかい炎が照らす。

 中心に立つ二人は、レイラと真一。

 魔女アールヴァを包むのはもはや錆ではなく、一切の汚泥を焼き祓う衝天の業火であった。


「――畏くも死人の大王、一〇の裁定者が五番に申し上げる」


 煉獄の禊の中で、呼び掛ける相手は死者の裁判官たる十王の一人。

 起源は天竺の神話。人類で最初の死者だというは、唐国で焔摩天と、重ねてこの国では地蔵菩薩と習合された。


「この身は常世に在らず。されどこの刃は現世に在らず」


 レイラの体が錆の帯ではなく、橙に輝く火の粉となって舞う。地を、天をも灼く火焔を反射して、刀装具が輝いた。


「陰と陽。静と動。死と生。境界に立つ我らに八大地獄の権能を以て、暗澹たる穢れを清める力を授け給え」


 つ国ではどうかは知らないが、日本の地獄道とはその本質を刑務所と同じくする。

 人間道で犯した罪を償うために、獄卒という鬼が悪人の魂魄を激しく呵責する。そうして罪を清算して赦された魂は、六道へ戻って再び輪廻の渦に加わるのだ。

 そして、八熱八寒からなるそれは、この国においては主に八熱を八大として中心に据えた上で語られる。


神話再演リ・アクト


 ――つまりそれは、穢れを斬り離し、焼き尽くすミソロギア。

 歪んだ業を、塵も残さず祓う太刀。


魔鉄乙女ブラッドメイデン――『応龍大鳳、訣別ノ八大獄ラスティブレイズ・ヤーマラージヤ』」


 現われたのは、今まで手にしてきたどれよりも巨大な刀だった。

 日本の刀というよりはむしろ中華の青竜刀が近いそれは、幅広で肉厚、且つ真一を追い越さんばかりの長大な刀身を外気に晒している。

 峰には小さな荒れ狂う炎の意匠が八つ。魔鉄器たる柄の頭で一際強烈な輝きを放つのは、レイラが身につけていたブローチの宝石――緋々色金ヒヒイロカネ結晶だ。

 さながら地獄をただ一振りに凝縮したような太刀姿。

 その巨大な刀を、真一は軽々と構えてみせた。


 なるほど、彼一人には重かろう。

 ――だが、ここには二人いるのだ。操れぬ道理があるだろうか。


「魔鉄乙女だと……!?」


 その姿に目を剥いたのはヴルツェルだ。


「馬鹿な……それは冥質界カセドラル接続者にしか使えないはず……!」

「だろうよ。


 狼狽する彼に、真一は短く答えた。

 確かに通常であれば、魔鉄乙女を真一たちが使うことは不可能だ。その証左のように、現われたのはヴルツェルのそれのような神格そのものではなく、あくまで権能が結晶化したような大剣だけだ。

 なにしろ、元となる神格へのコネクションがない。繋がりがないものへどう呼び掛けたって、言葉が届かない以上は応じてくれるはずもないのだ。

 だが――こと今回となれば話が違う。


「忘れたのか、他ならないお前が。今まさに、自分が広げているこのでけぇ風呂敷包みの名前を言ってみろ、ヴルツェル!!」

「――ッ、異界か……! 私の鉄脈術で現出した、比良坂……ッ!」


 それは、奇跡のような符合だった。

 ヴルツェルの鉄脈術は通常と違い、現世と常世の分水嶺そのものを召喚する。謂わばその場全体が、冥質界との太いパイプそのものの役割を果たしていた。

 では、そのような状態で、冥質界への階梯きざはしたる緋々色金を使い、伝承・神話という『情報』の海に漂う神格へ呼び掛ければどうなるか。

 大剣が振るわれる。

 地獄の王たる神の、その権能から溢れた火焔が吹き荒れた。罪業一切を焼き払う地獄の炎は、穢れそのものである黄泉の軍勢をいとも容易く灰へ還す。


「……閻王は、此処に来た」


 ポツリ、と。

 レイラが変じた刀が、応えるように一層火を噴く。

 ……普段は聞こえる彼女の声は、今は聞こえない。神格の核となっている今、彼女の声は物質界マテリアルにあり霊質界アストラルとしか繋がっていない真一にとっては認識外にある

「黄泉の女神と原初の死者。力比べと行かせて貰うぞ、ヴルツェル!!」





 目が覚めると、やけに小綺麗な天井があった。

 全身が、痛い。加えて苛む倦怠感と吐き気に、思わず呻く。


「……ぐ、む」

「ッ、ロッテ!」


 無理を押して上体を起こそうとすると、驚いたような姉の声が耳に届いた。


「……姉上か。ここは」

「聖銑区の病院! そんなことより、今は大人しく寝ていろ!」


 小さな手でぐいと押されて、無理矢理ベッドに押しつけられた。


「ヴルツェルは……?」

「……まだ、分からない。今は黒崎暗音指揮の下、高辻殿が対応にあたっているらしいけど……」

「そうか……」


 案ずるような姉の回答に、天井を睨む。

 情けない。武士道を掲げておきながら、肝心なところで戦場いくさばに立てないことの、なんと情けないことか。無力感に拳を握り締める。


「とにかく、絶対安静だからな! 私は先生を呼んでくる」


 喧しくがなりながら退室する姉の背を見送りながら、ロッテはただ考える。

 何か、自分に出来ることはないか。病身のこの体では到底戦闘はこなせない。それでも何か、せめて補助でも手伝えることはないか。

 ……もとよりそのために遣わされた身である。それが、肝心要の戦闘で何も出来ずに寝ているだけなど、いっそ逆に狂いそうですらあった。

 そうして、考えて、考えて、考えて――

 ふと、ベッドサイドの机上に置かれた携帯電話を掴む。

 通話履歴から探すのは、先日共同戦線を張るにあたり教えられた、聖銑学園理事長執務室の番号。

 魔鉄器時代エイジ・オブ・ブラッドのこのご時世、通信で狂う医療機器などほぼ無いに等しい。そもそも多くの病院は個室での通話は禁止していない。

 画面に映ったその番号を指でタップして、ロッテは電話を耳に当てた。


「――もしもし。シャルロッテ・キャロラインだが、黒崎殿はいるか?」





『いいか。今回の作戦にあたり、注意事項が三つある』


 戦闘に赴く前。

 輸送用のヘリの中で、暗音から言われたことがある。


『一つ。まず、今回の魔鉄乙女は余りに変則的だ。成功する保証はない。失敗したらとっとと逃げてこい』


 通信機越しでくぐもった声は、無感動にそう命じた。


『二つ。よしんば成功したとして、そもそも負けたら意味が無い。もちろん、勝ちの目がある駒を選んだはずだ。だが万に一つ、お前たちが敗北した場合――最悪、冥質界生命体の出現によって川崎皇国製鉄所一帯がゲート化する恐れがある。その場合は……分かるな?』


 問いに、真一もレイラも是と答えた。

 作戦開始の直前に、簡単な身辺整理と遺書を書かされている。それはつまり、「敗北すれば助けられない」という言外の宣告だった。


『三つ』


 そして。

 最後に、彼女が告げたのはその勝敗を分ける条件。


『特殊な状況が重なっての魔鉄乙女。使えるのは一回切り、保って時間は一〇分だ。それでカタをつけろ』




「行くぞォッ!!」


 吠えながら駆け出す。

 時間は限られている。拘泥している暇はない。

 浄化の炎を宿した剣に、黄泉軍ヨモツイクサなどはもはや障害にすらなりえなかった。一振りで百を灼き、百を斬り伏せながら、真一はただ走る。


「チッ――オホイカヅチ!」


 ヴルツェルの呼び掛けに、女神の背に展開する稲妻の一つが閃く。司るのは落雷の大地を震わせる強烈な一撃。それは人を撃ち抜き、その動きを封じせしめる――

 だが、対抗するように真一も口を開く。


八大の弐、是則ち黒縄地獄。招来ノウマク サンマンダ ボダナン エンマヤ ソワカ


 迎え撃つのは第二層。

 焼けた鞭で咎人を打ち、赤く燃える鋸で切り分けるというそれは、黒い一条の縄となって具現。大神の頭より化生した雷の一撃を絡め取り、撃ち落とす。


「――ホノイカヅチ!」


 第二の稲妻が閃く。司るのは雷により生じる災火。それは炎の巨人となって肉薄する小蠅を払う――


八大の六、是則ち焦熱地獄。招来ノウマク サンマンダ ボダナン エンマヤ ソワカ


 迎え撃つのは第六層。

 天に届かんばかりの大火焔が悪漢を焼き続ける地獄。その炎は一滴でも地上へ零れれば、たちまち地上を焦土へと変えるという凶悪さ。それを真正面から受けた巨人は、鬼火の如き青い炎をあかい業火に呑まれて消える。


「――サキイカヅチ!」


 第三の稲妻は雷電が木々を裂く苛烈さ。魔鉄に覆われ、補強された地下室をビリビリと震わせてまさに母に害なす敵を縊り殺さんとする――


八大の参、是則ち衆合地獄。招来ノウマク サンマンダ ボダナン エンマヤ ソワカ


 迎え撃つのは第三層。

 色狂いを戒めるそこは、鋭利な刃が生い茂らせた木々が聳える鉄の森。罪人を切り裂き続けるその剣樹は、今まさに部屋ごと地を裂かんとしていた拍動を串刺しにして黙らせる。

 女神が背負う八の雷に、大王が統べる八の地獄がそれぞれ牙を剥く。

 八つ柱の雷神は黄泉の地にて腐れ落ちた母祖神より化生したと神話は伝える。黄泉軍ヨモツイクサとともに逃げる父祖神を追い回したという伝承からも、その本質は忌避すべき禍津神に近い。

 つまり、真一が手に持つ閻王の権能にとっては敵ではなかった。

 そして今。


「ヴルツェルゥゥゥウウウウウウウッッ!!!!」


 咆哮するように、敵の名前を叫ぶ。

 彼我の距離は一メートルを切っていた。火焔の太刀を振り翳し、跳躍。

 狙いは男の傍らに聳える女神、その肩口から胸を通って脇腹までを――一刀の下に断つ。


《■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!》


 およそ人間には知覚できない絶叫が、髑髏の口から迸る。屍肉で汚れた着物が袈裟掛けに切り裂かれ、その胸から赤く輝く核――恐らく魔女が収納されている心臓部が露わになる。


(だが――浅いッ!)


 今の一撃では女神を完全に斬り伏せてはいない。

 故に、追撃の一太刀。今度は確実に仕留めんと、腰だめに大剣を構え――


「今だ。け――


 ヴルツェルが、命を下す。

 直後に、ビュルンッ! と。

 影の沼から、細く、しかし強靱な無数の黒い糸――否、髪が躍り出た。それは意思を持つ蔦の如く自在に動き、宙で上段に剣を構える真一を捉える。


「な……っ」

「考えてもみろ」


 驚愕に目を見開く真一へ、対照的にヴルツェルは冷めた口調で投げかける。


「今まで私が出していたのは、雷神――黄泉の女王の付随物に過ぎん」


 そう。

 オオイカヅチ、ホノイカヅチ、サキイカヅチ。彼らを含む八つの雷神は、しかし祖母神の五体から湧き生じただけであり、根本的には異なる神格だ。

 黄泉の頭を抑えている以上、その権能として動かせるだけの、脇役。


「本命の力は、一度として使っていない。格下相手には威勢が良かったが……見ろ。所詮は不完全な魔鉄乙女。正真正銘、混じりけ無しの神の前には手も足も出まい」

「……ッ」


 ヴルツェルの言葉に、歯噛みする。

 言われたとおりだった。身を縛る黒髪の拘束から逃げようと藻掻いても、なおさら身をキツく締め上げるだけだ。

 そして。


「さあ、始まるぞ――反魂が」


 宣言通りだった。

 直後に、バゴンッ!! と、影の沼の


「な、ん……」


 現われたのは、奈落への風穴。そこから無数の青白い光が昇ってくるのが見て、真一は思わず掠れた声を漏らした。


「何をした、。ヴルツェル……ッ!」

「最初に言った通りだ」


 冥界の女王の髪で編まれた足場に立ちながら、何の気なしに彼は答えた。


「私は、私の魔女を甦らせるために、物質界と冥質界を繋ぐ。そのために黄泉の女王という強力な引力を持つ神格が必要だった。その結果がこの風穴だ。此処より『過去に死した全ての人々』の情報を転写した情報生命体がこの世界に顕われるだろう」


 それはつまり、暗音が懸念していた土地のゲート化が始まったということだった。


「クソ……ッタレ……ッ!!」

「さて、児戯に付き合っている暇はない。何しろ女神は深手を負ってしまった」


 歯噛みする真一に、ヴルツェルは冷ややかな視線を投げかける。


「――イレギュラーはここで退場願おうか。己の無力を嘆きながら、『情報』の海に沈むが良い。俗物」


 まるで、死刑執行の合図のようだった。

 彼の手が振り下ろされるのと同時に、真一を束縛していた黒い髪が解ける。

 そして、彼が足をつけるべき地面は、今は奈落の大穴へと変わっている。

 つまり。


「クソ――ッタレェェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッ!!!!」


 怒りと、不甲斐なさと。

 絶叫とともに、真一は大穴へと落下していった。




 地獄道において。

 八大地獄の八、阿鼻地獄には、他の七つの地獄での刑を一身に凝縮したかと思えるほどの過酷な罰が待ち受けているという。

 叫喚の釜茹で、焦熱の火攻めは小手調べ。等活の毒虫や火虫が死者の身を苛み、衆合の剣樹刀山はもちろんのこと、下を抜き千の釘をその身に打たれるという、悪夢すら生ぬるい責め苦が待っている。

 間断のない呵責こそはまさしく無間地獄の別称に相応しい。

 が、この地獄最大の特徴はそこではない。

 曰く。

 この地獄に落とされた罪人は、阿鼻の地表に至るまで――

 だから。


「う、ォォォオオオオオオオオオオオオッ!!」


 叫びながら全身で風を受けている真一は、件の地獄に落ちたときの気分はこんなモノだろうかなどと思いを馳せていた。

 落ちても落ちても底が見えない恐怖。永遠に続くのではないかと思える自由落下。無間に続く淵の中で、暗闇以外に見えるのは、時たまにすれ違う青白い光球――死者の情報を転写した情報生命体だ。


「こんな、ところで……ッ!!」


 ギシリ、と重量の違いからか、手首が軋みを上げる。それでも、右手にはレイラの変じた大剣がしかと握られている。決してこの手を離すつもりはない。

 まだ、諦められない。こんなところで、死んでやれるか。

 その想いに応えんと、レイラの大太刀も必死に炎を噴き上げる。ジェット噴射の要領で地の底から跳び上がろうとしているのだろうか。

 だが――足りない。

 落下は止められない。

 しかし、足掻くことだけは諦めず。

 ただ天を見上げて、真一はあらん限りに叫ぶ。


「こんなところで、終われねぇんだよォォォォオオオオオオオオオオオッッ!!!!」


 直後だった。

 

『あーあ。そういう向こう見ずで突っ走るところ、全然変わってないんだなぁ』


 声が、聞こえた。

 鈴を転がすような、可憐な少女の声。

 懐かしい、もう二度と聞けなかいはずの――

 ハッと声のした方向を向く。

 いつの間にか、青白い光球の内の一つがこちらに寄り添うように揺らいでいた。


「お、まえ……?」


 震える声で、その名前を呼ぶ。

 ヴルツェルは言った。全ての死者の情報を転写した情報生命体がこの世界に顕われるだろう、と。

 ならば、当然もあったはずなのだ。


「楓花――!?」

『正確には別人だから、初めましてなのかな? でも「私」にとっては初めましてじゃないから――まあいっか! 久しぶり、真一。元気してた? いや元気してたらこんなところ落ちてないね、うん』


 カラカラと笑うように、彼女の声が言う。

 つまり、これは七泉楓花の情報を転写した情報生命体。

 彼女と同じ姿と、同じ声と、同じ感情を持ち――それでも「別の誰か」と定義すべきスワンプマン。


「何を、しに来た?」

『仮にも元カノの同位体に、あたり強くないかなぁ。逆に訊くけど、その状況で真一はどうするつもりなの?』


 訝しげに眉を顰めると、質問を質問で返された。

 しかも、割と容赦なく痛いところをついてくる。


「……」

『ほらー。打つ手無し、ジ・エンド。うん、やっぱり真一って馬鹿だよねぇ……それでちゃんと先生できてるの?』

「うるっせぇな! 煽るなら要件だけ言え要件を!!」

『だから、尽くす女な楓花ちゃんが手助けしてあげましょう』


 その提案に、思わず言葉が詰まる。

 だがお構いなしに、楓花のようで楓花ではない誰かは続けた。


『分かってる? 真一は今、閻魔大王の半身だけを現出させているに過ぎない。さて、ここで問題です。空欄の八寒地獄を活用できる術は本当に無いでしょうか?』


 無茶苦茶だった。

 理論とすら呼べない荒唐無稽な話。しかし、彼女が語る以上不可能ではない。ここはもはや冥質界の理屈が働く。

 そして、彼女はその冥質界の住人なのだ。

 しかし。


「……いや」


 真一は、静かに頭を振った。


「俺が今使っている鉄脈術は、レイラとの間に出来ているモノだ。例え情報生命体おまえだろうと、介入は出来ないはずだ」

『うん、私じゃ無理だよね』


 あっさりと。

 情報生命体は、肯定した。

 その上で。


『でも、私以外の――それも、今真一が使っている魔鉄乙女に最初から関わっているモノの力を介せばどうかな』

「……ッ」


 思い出せ。

 今この奈落には、過去に死した全ての者の魂、その写しが集っている。

 そして。

 今握っているこの大剣。その力の起源は、如何なる存在だったか。


『というわけで……お越し頂きました。閻魔大王ヤーマラージヤその人です! どうぞ!!』


 ブワッッ!! と。

 深淵の闇を振り払うかのような強烈な光に、一瞬目が眩む。

 地の底から現われるのは、今まですれ違ってきた光球の、そのどれよりも巨大な一つ。それが、真っ直ぐにこちらへと迫ってくる。

 衝突の瞬間、楓花の声が真一ではない方へ向いた。


『あ、そうそう。レイラちゃんだっけ? うん、返事はできなくても良いよ。これ、一方的な宣言だから。というか半分、これを伝えるために顔を出したところはあるんだけどさぁ――』


 背中に冷たい彼女の手の感触を覚えながら、その宣言を耳にして、思わず苦笑してしまった。


『――私、そう簡単に真一コイツを譲るつもり無いからね。頑張れ若人!』


 ……全く。執着しがちなのは、自分だけではなかったらしい。


 チカッ、と。

 綺羅星のような閃光があった。

 直後に――音を超えたスピードで、飛翔――!


 今や、真一の背には、氷の刃で形成された四対の羽根があった。物理法則を無視した冥質界の翼は、則ち是八寒地獄。

 その力を借り受けて、彼は再び地上へ舞い戻る。


「な――」


 絶句するヴルツェルの顔に、ざまぁみろと嗤いながら。


「ぶった斬れ、レイラッッ!!!!」


 当代の相棒の名を、強く呼ぶ。太陽の如く輝く刀が一層激しく火焔を滾らせ、冥界の女王に肉薄。

 そして。

 勝負は、一瞬で決まった。

 緋色の刃が黄泉の女神を、一刀両断する。

 赤く輝く心臓部の核が砕け、中から一人の少女が放り出された。

 それが意味するところとは則ち――敗北による、魔鉄乙女の強制解除。

 楔であった神が隠れ宮に移ったことで、奈落の風穴が絞られるように縮小していく。地上へ現われた情報生命体の光球も吸い込まれるが如く風穴の中に落ち、ついには影の沼すら蒸発するように消えていく。

 ……背に現われた氷翼は、とうに喪われていた。冥質界との分水嶺が消滅したことで緋色の大剣もその姿を維持できず、銀髪の少女の姿に戻っている。


「レイラ!」


 宙に投げ出された彼女の体を、間一髪で抱き留めた。

 目を瞑って呼びかけにも応えないが、息はある。どうやら気を失っているだけらしい。

 チラと腕時計を確認すると、魔鉄乙女発動からきっかり一〇分が経っていた。間一髪、安全圏内でケリをつけられたようだ。


「ぁ――ぁぁぁぁああああああああ……」


 安堵の息を吐く真一の耳に、嘆くような声が届いた。

 膝を折って地に伏している、ヴルツェルだった。


「どこだ……どこだ、ゲルダ……」


 何もない、コンクリートの地面を掻き毟りながら、彼は既に逝ったヒトの名前を呼び続ける。


「オレは、お前がいないとダメなんだ……ゲルダ……ッ!!」

「……そうだな」


 狂ったように滂沱の如く涙を零して、悲痛な叫びを上げる彼に、しかし真一は頷いた。


「俺も、そう思って


 それは、過去の自分への言葉。

 決別した、しがみついていた自分への、別離の宣言。

 直後だった。

 ぐらり――、と。

 部屋全体が揺れた。

 見上げるとパラパラと天井から砕けた魔鉄に混じってコンクリート片が降り注いできた。

 どうやら、戦闘の余韻に浸っているほど、悠長ではいられないらしいと気づいて、舌打ちをする。


「――マズい。この部屋が保たないか!」


 なにしろ、先程まで世界を塗り替えるような戦闘が行なわれていたのだ。いかに物理的破壊を受け付けない魔鉄といえど――否、、イメージのぶつかり合いである鉄脈術の戦闘には耐えられない。

 あと数分もすればこの地下空間は崩落を始めるのは、火を見るよりも明らかだった。


「おい、ヴルツェル! とっとと立て、死ぬぞ!!」


 自身はレイラを背負いながら、真一は先程までの仇敵に呼び掛ける。

 返事はない。


「ええい、クソ!」


 じれったく駆け寄ろうとした矢先だった。


「――近寄らないで!」


 ピシャリ、と。

 叩きつけるような、少女の声が響く。

 見ると、ヴルツェルの魔女が震える足で立ち上がっていた。

 その瞳には、今にもこちらへと噛みつかんばかりの敵意が滲んでいた。


「嗚呼、ヴルツェルさま、ヴルツェルさま……」


 覚束ない足取りで、彼女は契約者の男へ歩み寄る。その手には黄金色に煌めく神鏡――。


「私は務めを果たせませんでした。如何様にも罰してください。されど――せめて、貴方さまの黄泉路を導く程度ならば」


 ズォ……ッ、と。

 少女の体から、黒い澱のようなものが湧き上がるのが見えた。

 冥質界に干渉しすぎた彼女の体には、一かけほどの女神の力が残っていたのか。


「その前に、一つ。どうしてもお伝えいたしたかったこと――お慕い申し上げております」

「……ッ」


 絶句する真一の前で、再び影の沼が広がる。

 しかしそれは、ヴルツェルと少女の足下だけに収まるほどの小規模なもので――。

 確認できたのは、そこまでだった。

 ガポリ、と。

 あっけないほど軽い音とともに、畳ほどの大きさのコンクリート片が降り始めたのだ。


「……この、バカヤロウが!」


 最後に毒づきながら、真一はレイラを抱えて地下の通路へ地面を蹴った。




 地上に出た頃には、既に埋め立て地は壊滅的な有様だった。

 あれだけの巨大な地下空間が崩れたともなれば、その上に立つ鉄塔などひとたまりも無い。

 大地震で文明が崩れていく光景は、こんな様子だったろうかと柄にもなく思いを馳せる。

 それでも、足は休ませない。

 必死に、出口を目指して走る。

 情報生命体ふうかのおかげで拾ったこの命を、こんなところで散らすわけにはいかない。

 だから。

 息が切れ、肺が張り裂けそうになっても走り続ける。

 そうしてフェンスの門扉が見える位置までやってきた直後だった。

 ふっ――と周辺に暗い陰が落ちる。

 気づいて、仰ぎ見たときにはもう遅かった。

 崩れ落ちた鉄塔の、半ば辺りで折れた一部が、今まさにこちらへ落ちようとしているのが目に映った。


(ああ……畜生)


 最期を予感して、真一は静かに目を瞑る。

 そして、鉄脈術が切れた二人の下へ、大質量の建造物が一切の容赦も慈悲もなく降り注いで――


 ……。

 …………。

 ………………?

 こない。

 恐ろしい轟音は響いた。だが、いつまで経っても身を圧し潰すような暴力の嵐はやってこなかった。

 よもやとうに死後の世界ではあるまいやとも思ったが、手の内には少女の安らかな吐息と生命の温もりがしかと感じられる。

 恐る恐る、薄目を開ける。


「――っ」


 そして、事態を理解した。

 いつの間にか、立っている。真一とレイラの周囲を囲むように、ドーム状に組み合わされた


「高辻殿ォ――ッ!」


 瓦礫の向こうから、よく知った声が聞こえてくる。

 やがてコンクリート片をのけて現われたのは、二人の少女。病衣のまま飛び出したらしい長身で金髪のポニーテールと、なんちゃって浴衣の短髪魔女。

 則ち――ロッテとリーテの姉妹。

 半ば呆然としたまま彼女らの奥を見れば、真っ黒な軍用ヘリの中では、同じく全身真っ黒な黒崎暗音が、安堵の溜息を隠すように扇子を広げていた。

 そして見上げる空の色は、澄み渡るような秋晴れの青。


「……は、はは」


 生きている。

 その実感に、思わず脱力したような笑いが真一の口から漏れた。




 斯くして、魔鉄歴三〇年一〇月一〇日。

 皇国史に刻まれる大事件――『鎮魂歌レクイエム事件』は、その幕を下ろしたのだった。

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