第一二刃 《錆びた刃のレクイエム 前編》

「いい顔になったじゃないか」


 夜が明け、午前六時。

 東の空が白む中、理事長室に出頭した真一とレイラを、暗音は不敵な笑みで迎えた。


「さて、作戦会議だ」


 いいながら、指を弾く。

 執務机の上に、古めかしい紙地図が広げられた。描かれているのは千葉県東京湾沿岸――即ち、聖銑区と旧川崎皇国製鉄所が存在する地域一帯だ。


「……散々問い詰めて、ようやく八重鐵のヤツが口を割った。あンの阿呆め、下手をすれば自分たちどころか国ごと危なかろうというのに、この期に及んで私にカードを握らせまいとするか、全く……」


 忌々しげに眉根を寄せる暗音。この様子では相当粘ったに違いない。よく見れば、ファウンデーションなどで誤魔化してはいるものの、目の下にはうっすらと隈が浮いていた。


「……まあその話はあとだ。先に、判明している奴の特性だな」


 疲れたように椅子に背を預ける彼女の手元には、クリップで束ねられた紙の束があった。


「聖観製鉄師養成所への問い合わせで、敵の鉄脈術リアクターについて大方の予想が立てることができた。奴の鉄脈術は、冥質界カセドラルに存在する情報の降臨ダウンロード――いわゆる降霊型。それを投像するという、冥質界接続者に多い形態だ。ここまではいいな」


 確認するように問われて、頷く。

 もとより、ヴルツェルが霊質界アストラルのさらに上の世界へと繋がっていることは分かっていたことだ。


「それによって、奴の大方の目的も察せた」

「目的だと……?」

「ああ。『冥界共鳴エウリュディケ事件』は知っているな?」

「……? ああ」

『冥界共鳴事件』。


 それは魔鉄ブラッド・スティール技術関係者の間でまことしやかに囁かれる噂だ。

 曰く、降霊型の鉄脈術を保有する製鉄師が特殊な詠唱を行なうことで、その契約魔女を核とし、情報生命体をこの世界に呼び出そうとした。

 しかし、儀式の手順に問題があったか、あるいは何かが足りなかったのか。その結末は全く見当違いな情報生命体の召喚。魔女は喪われた挙げ句に、製鉄師自身も情報生命体によって死んだという。


「けれどあれは……」

「そう、眉唾だ」


 真一の反論を遮って、暗音は断言した。

 歴史のどこにも、その事件が実際にあったと示す物証はない。創作だ、と断言するのは悪魔の証明だが、史実として残すには信憑性に欠けるというのが事実だ。


「だがその引き金となったと言われる技術なら、ある」

「――何?」


 だからこそ、暗音が告げた情報は、真一に目を見開かせるほどの衝撃を孕んでいた。


魔鉄乙女ブラッドメイデン。原理上は可能と言われる、冥質界存在の顕現だ」


 真面目に試した奴なんぞいないだろうがな、と暗音は付け足しながらも、続ける。


「理論自体は古くから言われていることだった。冥質界との繋がりをもつ奴なら、出来るのではないかと」

「でも、普通に発動させたんじゃ『冥界共鳴』の二の舞だろ? やる意味なんて無いんじゃないか?」


 真一の疑問に、暗音は首を横に振った。


「実のところ、近年になって魔鉄乙女を調律出来る方法があるのではないか、という仮説が出てきてな。それに必要なモノが――」

「川崎皇国製鉄所に隠されていた……ってワケか」


 今度は首肯する暗音。

 しかし、ヴルツェルについて語るべき情報はまだある。


「さらに奴の驚異的な点は、降臨させているモノにある」

「モノ……? あのゾンビ軍団を呼び寄せてるってワケじゃないのか」

「違う。あれは副次的な召喚物に過ぎない」


 さしもの『未通後家ヴァージンウィドウ』の顔にも、心なしか驚きの色が混ざっているようだった。


「奴が呼び出トレースしているのは、異界と現世を繋ぐゲートというべきもの――この場合は、黄泉比良坂よもつひらさかという『黄泉と中つ国を繋ぐ土地』そのものだ」

「門……だと?」


 出てきた単語に、眉を顰める。

 〇世代ワイルドエイジとして戦場に出ていた頃にも、降霊型の鉄脈術を目にしたことは数えるほどだが、あった。しかし、そのどれもが神格――いわゆる神々などの、わかりやすい有機体の降臨ダウンロードに留まっていたはずだ。聖観にいるという冥質界接続者は、また異なった形の鉄脈術を扱うらしいが……。

 その反応に満足したのか、暗音は不敵に笑んだ。


「冥質界は三層世界論セオリー・オブ・トリニティワールドにあって最上位に位置する。そこで我々物質界マテリアルの常識が通用するとは思わんことだ」


 ……もともと、一部の伝承には土地や武具といったものに神性やある種の人格を認めるものもある。

 有名どころであれば日本神話の布津御魂ふつのみたまやギリシア神話におけるタルタロスがそれに該当する。同じくギリシアには、鍛冶を司る男神の精液が大地を孕ませ、さる国の王を産んだともする説話もあるのだ。


「……で?」


 訝しげな声を上げたのは、いつも通り腕を組んで仁王立ちのレイラだった。眉が若干釣り上がっている辺り、やっぱり朝に弱いらしい。


「それが分かったとして、どうするの? 異界と現実を繋ぐ地についての伝承は欧州こつちにもあったけど、土地そのものを打ち倒すことが出来るお話なんて聞いたこともない」

「……日本神話には一応、デカい岩が入り口を塞いだって伝承はあるが、防げたのは飽くまで入り口だ。比良坂そのものが現われている以上は意味が無いだろうしな」

 さきに挙げた日本の神剣と今回のケースが大きく異なるのは、土地という曖昧模糊且つ巨大なモノが呼び出トレースされていることにある。


 さらに言えば、異郷との分水嶺である。そこに境界を引くすべこそ多いが、霊場そのものがこちら側に来るのでは、どうしようもない……。

 だが。


「アホどもめ」


 呆れたように、暗音が嘆息した。そのまま、人差し指でこちらを指して問う。


「昨日の戦い、自分たちに足りていなかったものは何だ?」


 その問いへの二人の答えは、わざわざ互いに確認せずとも重なる。


「「火力」」

「その通り」


 頷く暗音。

 なにしろ、相手は無尽蔵に出てくるのだ。対人・白兵戦に向いたロッテや真一では多銭無勢、余りに非効率。極めつけはあの炎の巨人である。対抗するにはもっと大威力且つ広範囲を攻撃できるような力が必要になる。


「で、あればだ」


 暗音が、手元の資料を放る


「もしそれが補われれば……そうだな。例えば、の力を手に入れられれば、どうだ?」

「……いや」


 一見、理にかなっているような彼女の案に、真一は首を横に振る。


「仮に……もし仮にその説を採用するとして――どうやって?」


 問題は、そこだった。

 確かに、強力な神格の力を手にできれば、群がる骸の軍勢や燃え上がる雷神をも斬り伏せてヴルツェル自身に刃を届かせることも可能になるかも知れない。

 だが、肝心要のその手段がないのだ。


「生憎と、俺は冥質界接続者じゃない。神格の力のダウンロードなんて出来ないぞ」

「いいや、やれるさ」


 しかし暗音は真一の言葉を否定した。

 その視線が、彼の隣――つまり、レイラへと向けられる。


「鍵はレイラ・グロリアーナ・ベラルスだ」

「……私?」


 眉を顰める彼女に、暗音は大きく頷いてみせる。


「その通り。さらに言えば、お前がこうして今も身につけているそのブローチが、だがな」

「勿体ぶるな。時間は限られてるんだぞ」


 芝居がかった言い方に若干の苛立ちを感じつつ、真一が口を挟むと結構ヤバめの勢いで睨まれた。

 だが、自体が差し迫っていることは暗音も承知していることだ。不愉快そうに鼻をならしながらも、彼女は口を開いた。


「……ふん。良いだろう、教えてやる。それはな、緋々色金ヒヒイロカネだ」

「――緋々色金?」


 聞き慣れない言葉に、首を捻る。何か知っているのかとレイラの方を見るが、彼女も聞いたことがない様子だった。


「ああ。正しくはその結晶体のようだが。古くは竹内文書などの古史古伝こしこでん――日本神話の異端にその名が見受けられる、いわゆる伝説上の金属と言うやつだな」

「……なんかいきなりファンタジーっぽい話になったわね」

「魔鉄なんてものが罷り通っている時代を生きる貴様たちが、それを言うのか?」


 レイラの至極最もな感想を、しかし暗音は鼻で笑った。


「緋々色金は、魔鉄研究の歴史的権威たるロキ・ヴァルトラウテ博士によって存在を確実視されていたモノだ。その正体を『冥質界の物質』――謂わば冥質界版の魔鉄のようなものとされる」

「冥質界の金属……?」

「ああ。そしてそれが何を意味するか分からぬほど馬鹿ではあるまい」


 言われて、はたとその活用法に思い当たる。

 そもそもとして、鉄脈術における魔鉄とはどのような役割を担うモノだったか。

 そしてそれに、場を召喚するというヴルツェルの鉄脈術が合わされば?


「自分たちがやるべきことは理解できたな?」


 不敵な、しかし獰猛な笑みを浮かべながら『未通後家』は駒へと命を下す。


「作戦決行は午前一〇時。雪辱戦だ。それまでにさっさと身支度を調えろ」




 午前八時。

 避難命令があったからか。どこもかしこも「臨時休業」の張り紙を店先へ貼った聖銑駅前の商店街へ、真一は来ていた。

 ……傍らにレイラはいない。彼女は今頃、決戦に備えてブローチ――緋々色金結晶との最終同調を行なっている頃だろう。

 繋ぐ神格は決めた。その手順も教えられ、鉄脈術と冥質界をリンクさせるための知識は得ている。だから、預けておいた最後のピースを受け取るために、この商店街へ足を運んだのだ。

 コインランドリーと八百屋の間の、小さな路地を進む。ガムテープで壊れたところに応急処置をしたらしいドアを、静かにノックする。


「――金屋、いるか?」


 そう、『カナヤ製作所』だった。昨晩店主である金屋からレイラが家に帰ったとのメールを受け取った後、帰宅する前に一度ここへ寄っていたのだ。

 引き戸がすっと開かれる。店の奥から茶髪気味の青年が、人懐こい笑みを浮かべて出迎えてくれた。もちろん、金屋巧その人だ。


「おはようタカティー。出来てるよ、


 言いながら、彼は手で真一を店の奥へと誘った。

 木でできた背の低いテーブルの上。数日前は契約魔鉄器エンゲージが鎮座していたそこに、今は別のモノがある。

 薄い青の布に包まれたそれを、金屋が手に取る。大きさはさほどではない。


「お代は使ってみて、及第点だったらで良いよ。もし気に入らないところとかがあったとしても、言ってくれれば直す」


 昨晩いきなり押しかけたというのにそんな良心的なことまで申し出てくれる辺りが人格者だ。ありがたく包みを受け取る。


「すまんな、助かる」


 礼を述べながら解くと、“それ”が姿を現した。

 まず目に映るのは深い銀の輝きだ。鋳出して磨いた魔鉄の色をそのままに、丹念にマット仕上げが施されている。形は全体的に細長い印象だが、それも拳三つほどあるかないかといった具合。

 手に取って、照明に晒す。

 それの正体は、だ。日本刀の、柄にあたる部分だけがそこにあった。

 魔鉄鋼糸によって細密に編まれた柄巻つかまきは、打刀に多く堅実な捻巻。目釘は古風にも目貫飾りが施され、?はばきには聖銑の校章が彫り込まれている。憎いことに、鐔の透かしは向かい合うおおとりと龍を模した意匠だった。

 急な注文だったというのに、仔細まで拘り抜かれたその柄はもはやそれだけで一つの芸術品のようで、思わず溜息が出そうになる。


「流石だな……」

「まあ、ね――で?」


 賞賛に照れくさそうに頬を掻いた後、金屋はワントーン声の調子を落として問うてきた。


「本当に良かったんだね? あの籠手を、材料に使っちゃって」


 そう。この柄はかつて真一が使っていたあの籠手を鋳直して作られた、新しい魔鉄器だった。

 もう、あの狭いアパートのどこにも、彼女ふうかが刻んだ彼女ふうかの名前は残っていない。

 他ならぬ真一が、それを望んだ。


「……、ああ」


 一瞬だけ言葉を喉に詰まらせながらも、真一は力強く頷く。


「あれは、楓花との魔鉄器だ。今の俺には、些か重すぎる」


 郷愁と、悲哀と、停滞と。

 それら全てを振り払うために、真一はレイラとの魔鉄器をしかと握り直す。

 遠い日の思い出は胸に焼き付けた。振り返る必要は、もはや無い。

 今はただ、前だけを見据えて新しい一歩を踏み出す。





 薄暗く狭い通路に足音が響く。

 旧川崎皇国製鉄所の地下に隠された、秘密の通路。そこに、皮靴でコンクリートを叩きながら先を行くのは、白衣の男――ヴルツェル・H・オルフォイス。

 その淡々とした、けれどもどこかくたびれたような後ろ姿を見つめながら、少女は、ただしずしずと付き従う。


 ……彼との出会いは、ほんの一ヶ月前だった。

 当時は、明日を生きるのもままならない状況だったことを、少女は思い出す。

 元々、少女の家はラバルナ帝国の統治が崩壊して以降も、北欧の雪深い小さな島国でそれなりの地位にあった、と朧気な記憶は伝える。

 状況が一変したのは、五年前。

 言わずと知れた超国家・ヴァンゼクス連邦の中でも過激派にあたる、傭兵国家マギを中心とした軍が、突如として侵略してきたのだ。

 片や世界に名だたる大帝国の戦闘的な一派。片や細々と民と文化と暮らしを守ってきた資源も乏しい島国。

 国力の差は、歴然だった。彼女の故郷は瞬く間に制圧され、地図からその名は消え去ることとなる。

 そして――拡張する帝国に敗北した者どもの末路は、決まっていた。

 国土が。民族が。伝統が。

 為す術もなく蹂躙されていく光景を、彼らはただ指をくわえて見ていることしか出来なかった。

 しかもマギの狙いが島国そのものではなく、そこと同盟を結んでいた超国家への戦争を起こすことにあったと――己の国が傭兵需要を作るための捨て駒に利用されたことを知った時の、父母の無念はいかばかりだったか。

 しかし、本当の悪夢はそこから始まる。

 ……先勝国にとって、当地に土着の支配階級なぞ邪魔な存在でしかなく、またその血に連なる女は“戦利品”ですらあった。

 まだ幼く、世も知らない無垢な少女に、如何なる悍ましき仕打ちが待っていたかは、思い出すことすら忌避感を覚える。

 そうして、弄ばれ、尊厳までもが踏みにじられた生活が幾年か続いた頃。


「――ちょっと、君たち。良いだろうか」


 その男は突然現われた。

 身なりもろくに整えてない、どこか悄然とした男。彼は一切の感動が映らない虚ろな瞳で、少女を玩具のように扱う兵士たちに語りかけた。


「あぁん? 何だテメェ」

「単刀直入に要件を言うと、のだが。どうだろう」

「――はァ?」


 兵士の顔が困惑と――数瞬遅れて、苛立ちに歪む。


「見て分からねぇか。順番待ちだよ。だいたいこりゃ軍部の預かり品だ、どこの誰ともわからん奴になんぞくれてやれるか!」

「そうか。それは残念だ」

「そうだよ。分かったらさっさと――」


 そこで、兵士の声が途切れた。

 違う。

 少女で遊ぶことに夢中になっていた他の兵士は見えなかっただろう。


 


「いや、本当に残念だ。もう少し穏当にいきたかったのだが」


 今まさに、人を一人殺したというのに、その平坦な声には一切の感情が見えなかったことが強く印象に残っている。

 そのまま少女を囲んでいた三人ばかりの兵士を、男は瞬く間に頭を砕き、首を捻り、絞め殺していった。兵士、というからには当然製鉄師だったはずなのに、彼らには鉄脈術を発動する時間すら与えられなかった。


「君には、選択肢がある」


 手にかけた兵士たちの屍には視線すらくれずに、男が言う。


「一つには、ここに残って今まで通り兵士たちの欲望を吐き捨てる人形として生きること。もう一つは、私とともに来て、私自身の理想を、否、願いを叶える道具として死ぬこと」


 尊厳なき生か、誰かの礎としての死か。

 そんな二択ならば、もはや問題にすらなら無かった。

 その日、少女とその祖国を蹂躙した軍の駐屯地は、地の底より溢れ出る死人の怨嗟によって壊滅した。


 そして少女リナリアは今、こうしてその男ヴルツェルに付き従っている。


「――ここか」


 不意に、ヴルツェルが立ち止まった。

 見上げると、観音開きの巨大な魔鉄製扉が行く手を阻んでいた。

 ヴルツェルが押すが、案の定閂がかけられているらしい。大の男の力でも、扉にはぴくりとも動く気配はない。

 ならば、取るべき行動は一つ。


「リナリア」

「――はい」


 求められるままに、鉄脈術の展開を最大化。身体が溶ける感覚とともに、影が溢れるように広がり、深淵なる黄泉への下り坂がそこへ現われた。

 振鉄ウォーモング――『黄泉路誘う悲哀の調べデコンポーズド・グレートマザー』。

 腐った太母Decomposed Great Mother。即ち黄泉下りに語られる神々の母の姿そのものが、彼と彼女の鉄脈術の名だった。なれば調べとは愛する夫に拒絶された女神の、怨嗟の歌か。


「ホノイカヅチ」


 ヴルツェルが雷神が一柱の名を呼ぶ。めいに応えるように天井を砕き、一条の雷が飛来する。地へと落ちた雷が燃え盛る様を表わしたその神格こそは黄泉にて太母が産みだした、穢れた神の一柱だ。

 炎を纏った雷神が、魔鉄の扉へと手を伸ばした。その五指が放つ超高熱は冥質界に由来する。必然として、物理破壊を受け付けないはずの魔鉄すらも、いとも容易く融解せしめる力が、そこにはあった。

 見るも無惨な門扉の先に、秘された空間が姿を現す。

 存外に広い一室だった。小さなコンサートホールほどもあるだろうか。元来の埋め立て地を形成する土やコンクリートを削り、その上から魔鉄建材による補強を以て作られたその空間は殺風景この上ない。

 長年放置されているにもかかわらず照明が生きているのは、つまりこの施設が魔鉄文明の開闢以降に、霊質界の鋼を以て築き上げられたものだと証言している。

 その中央に、ぽつんと。

 小さな、小さな社があった。

 そこだけは本物の木材で作られているのだろう。年月を経て茶褐色に変色した祠はこの空間には余りにも不釣り合いで、だからこそこれが、長年自分が追い求めていた鍵そのものなのだと、容易に察せた。

 ヴルツェルが、社を封印している注連縄を千切り捨てた。

 そしてその皺と血管がだらけの手を扉にかけ――


「おっと、そこまでだ。ヴルツェル・H・オルフォイス」


 背後から、声。


「……君たちか。存外早かったな」


 聞き覚えのあるその声に、ヴルツェルが嘆息して振り向く。

 アッシュの瞳が向く視線の先には、一人の少女と一人の男。銀の髪を二つに結わえた貴族服の魔女と、ボサボサ髪に無精髭の製鉄師。

 二人の妨害者は、互いに不敵に笑みあった。


「おう、リベンジマッチだ。もうちょっとだけ付き合ってくれよ――準備は良いな、レイラ」

「OK、もう無様は見せないわよ。ぶちかましてやりましょ、シンイチ」





「なるほどね。それが八重鐵グループ――いいや、皇国がこの地に隠した、伝説の秘宝ってワケか」

「……ほう」


 真一の言葉に、ヴルツェルが片眉を上げた。


「知っているのか、これを」

「ああ」


 首肯する。

 つまり、これこそが昨晩暗音が聞き出したという八重鐵の秘匿事項にして魔鉄乙女の調律を可能とするという逸品そのものだった。

 その名を、告げる。


「――緋々色金、だろ?」

「然り」


 簡潔に。

 返ってきたのは、肯定の言葉。


「思うに、この国は特別だよ」


 白衣の裾を翻しながらヴルツェルは真一に向き直る。


「冥質界に息づく情報生命体――その血を宿すという天孫家。そして連中の祖が高天原より下りし際に携えたという三種の神宝……あるいはそれに引かれたか。兎角、この地には物質界――いやさ、ともすれば霊質界の摂理すら超えた異物に恵まれてきた。その一つが、これだ」


 手で指し示したのは件の祠。

 そこに祀られている、神体モノ


「……歴史の裏で、朝廷や幕府――そして政府は、呼び水に引かれて流れ込んだ異形を調伏し、あるいは異物を回収し、御物として収蔵してきたんだな」

「そうだ。そうして得られた異界の宝物は厳重に封印がなされ、宮内庁の極々限られた人物によって管理されてきた」

「……それに変化を与えたのが、ブラッド・カタストロフ」


 ヴルツェルの言葉を継ぐように口を開いたのはレイラだった。


「言うまでもなく、私たちの帝国――ラバルナ帝国の世界統治はこの国にも及んだわ。この国の皇族――六皇爵家の“七番目”としてグロリウス・ジパングが置かれたから、依然としてこの国の内政の頂点には天孫が立っていたけれども」

「だが、その帝国が崩れたことで事態は混迷した」


 吟じるように、冥界を従える男は歴史を述べる。


「無論、世界的な混乱はこの国も襲う。そこで先の戦争だ。蔵が襲われた際に、至宝の全てが奪われることを恐れた宮内庁は、回収したそれらを全国から選んだ九つの場所――後に各製鉄師育成校が置かれることになる地へと散り散りに納めた」

「そして、千葉県にとってのそれがここ――旧・川崎皇国製鉄所だったんだな」

「そうだ。なにしろ元々国営の製鉄所だったからな、秘密の蔵を作るのは易い。本来であれば、聖銑学園はこの土地に建てられたのだろうよ」

「けど、その前に八重鐵が引き取ってしまった」


 宮内庁の誤算は、そこにあった。

 恐らく、戦時の混乱で政府内部でも連携が上手く取れていなかったのだろう。彼らが気づいたときには、既に所有権は新進気鋭の魔鉄産業財閥へと移っていた。

 頭を抱えた政府は仕方なしに、この地に限り、すめらぎの宝を八重鐵グループに託した。八重鐵グループがこの工場を不要とし、閉鎖した理由にはそれも含まれていただろう。

 魔鉄の精錬中に、万が一にもこの地に納めた宝――緋々色金が反応を起こし、その存在が露見することを避けたのだ。


「おかげで助かったよ」


 フ、と。

 ヴルツェルが頬を緩めた。そこに束の間、穏やかな喜びと果て無き悲哀からの解放をみた直後に。

 ダガンッ!! と。

 彼の手が、社を掴んだ。


「聖玉や聖観、聖憐といった製鉄師の巣窟へ赴かずとも、千葉ココならば我が大望への渡し船が得られるのだからなァ……!」

「ヴルツェル、せ!」

「もう遅い」


 バギリ、と。

魔鉄の加護ブラッド・アーマー』によって強化された腕力が、木製の扉を砕く音が聞こえた。

 強引に開け放たれたその奥で、まるで太陽のように目映い温かな輝きを放つモノがあった。

 古代の神鏡の形に加工されたそれこそ、政府と八重鐵がこの地に数十年の間秘してきた至宝――。

 ヴルツェルの手が、ソレを掴む。


「――畏くも死人の女王、黄泉堕つ母に申し上げる」


 その口から、歌が溢れた。

 それは神前に捧げる祝詞。冥質界に住まう、人智と物理を超越する存在への呼びかけ。

 捧げられるべき相手は自分ではないと悟ったか。炎の雷神は掻き消え、入れ替わるように影の泉が脈動し、隆起する。


「この身は常世に在らず。されどこの影は現世に在らず。闇と光。冷と熱。穢と清。境界に立つ我らに千子鏖殺の権能を以て、彼岸と此岸を治める力を授け給え」


 隆起した影が、タールのように粘質な『穢れ』を噴き出して、形を整える。


神話再演リ・アクト


 ――それは、まさしく神の降臨だった。


魔鉄乙女ブラッドメイデン――『慟哭母胎、揖夜の太祖神ヨモツオオカミ・イザナミノミコト』」


 魔鉄乙女。

 禁呪にして忌術。降霊型鉄脈術の到達点。その正体は、魔女を核に本物の情報生命体をこの世に産み落とす、神降ろしの儀式。

 此度降ろされたのは、汚濁と穢れに染まった女神。高貴な身を窺わせる装束は腐り落ちた肉でどす黒く染まり、長い黒髪の奥からは、髑髏と化した顔が覗く。手足からは蛆が湧き、背には八つの雷を背負っていた。


「クソッタレ、やりやがった!」


 舌打ちする。

 魔鉄乙女により顕われた死者を統べる女神は、尚も足下から屍の兵士たちを産み落とす。まるで死して尚産むことだけが、彼女の存在理由だとでも主張するかのように。


「私は、この神の力でゲルダを――私の魔女を、甦らせる」


 女神の前に立ちながら、ヴルツェルは緋々色金の神鏡を掲げた。


「魔鉄乙女の安定のためには、冥質界と物質界を繋ぐこれが必要だった。顕界と幽界を繋ぐ私の鉄脈術に緋々色金が活性化するのは先の戦闘で実証済みだ」

「いいや!」


 大望に淀んだ瞳を向けてくる男に、真一は否定の言葉を投げかける。


「そんなことをしたって、! それは冥質界に接続しているお前が一番よく知ってるはずだろ、ヴルツェル……ッ!!」


 ……冥質界とは『情報』の世界だ。字面から想起される、いわゆる冥界や黄泉といった存在とは、正確には異なる。

 ただそこには、「かつて生きた人の情報」が生命体として漂っているだけなのだ。

 死者は甦らない。例え、死の国と生の国を繋げたところで、現われるのは「思い出のあの人と同じ顔と同じ記憶を持った、別の誰か」でしかない。

 だが。


「それがどうしたァッ!」


 口角泡飛ばしながらヴルツェルが叫ぶ。

 そこにあるのは、どこまでも利己的で、狂気じみた妄執。


泥の男スワンプマン? テセウスの船? そんな御託は哲学者が勝手に論じていれば良い! 外野がゲルダの何を知っている!? 私の半身だぞ、私がゲルダだと感じればそれは異論の余地無くゲルダだ。私には――オレには、ゲルダが必要なんだ。彼女しかいないんだッ!!」


 これは、かつての自分だ。

 幻影に、思い出に縋って、前を向くことが出来ていなかった自分。

 でも――今は違う。


「そうかよ」


 ポツリと呟く。


「……俺も昨日までそっち側だったからな。あんまり偉そうなこと言えた義理じゃねぇけど――」


 取り出すのは、金屋が作ってくれた刀装具。

 ヴルツェルの神鏡とは対照的に、魔鉄の銀に輝くそれを、横へ――レイラへ差し出した。

 真一の右手の下に、レイラの左手が触れる。

 柄を握る二人の視線が、交わる。


「その腐った性根を、俺たちでぶった斬ってやる――レイラ、行くぞ!」

「ええ! 目に焼き付けときなさい。これが本当の、私たちの初陣よ!」


 宣言に、応じるようにレイラのブローチが淡く輝く。

 同時に紡がれた新たな詞は、さながら過去を断ち斬るレクイエムの如く。


「――精錬開始マイニング刃ハ錆ビレド尚折レズユア・ブラッド・マイン

「――精錬許可ローディング鋼ハ朽チレド尚毀レズマイ・ブラッド・ユアーズ


 刃が目覚める。

 その再誕の息吹を祝福するように、世界が打ち震えた。

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