第一一刃 《リスタート》
「大馬鹿者め」
出向いて一発目に軽蔑と失望が込められた声で罵倒された。
ヴルツェルとの交戦から一時間。夕陽を臨む聖銑学園の理事長執務室は、かつてないほどの喧噪に包まれていた。
原因は言うまでもなく、旧川崎皇国製鉄所での一件だ。
「全く……喧嘩別れだと!? しかもお前の失言が原因で!? 見下げ果てた奴だな。生憎だが、悠長に仲直りまで待ってやる時間はない。何せこちらは立て込んでいてな」
暗音の言葉通り、先程からこの部屋には様々な人物が出入りをしていた。外部との折衝を押しつけられている中里美玲の他、聖玉の校章が刻まれたピンバッジを胸につけた教師に白衣を纏った医療関係者らしき人物、スーツを着込んだ企業関係者風の男もいる。
今回の件は、想定外の事態だらけだった。
最大の誤算は、恐らくヴルツェルが
……通常の
だが、何事にも例外が存在する。
それが、
当然ながら、力の出所が違えばその性質も異様なものとなる。事実、ヴルツェルが操った
「聖観の藍花に入手した映像データについての意見を求めなくては。アイツの秘蔵っ子には確か冥質界接続者がいたはずだ。それに八重鐵グループへあの土地についての問い合わせと――こちらは政府筋もあたってみるか……ああ、あの勘違い武士道娘の処置もあったな」
問題はまだある。
第一に動機。口ぶりから言って、どうも潜伏用の借宿という雰囲気ではない。何より居場所がバレたというのにヴルツェルが製鉄所から出ていく様子はない。
なぜわざわざあんな廃墟に赴いたのか。あそこで何をしようとしていたのか。あそこに、何があるのか。
そして、毒を流し込まれたロッテ。
「あれなら聖銑区内の総合病院でとびきり腕の良い医者に預けてある。いい加減
流石に特使とあってはVIP待遇らしい。聖銑学園で総合病院と言えば、それは同時に
だが、目下一番の問題はレイラのことだ。
「二四時間」
吐き捨てるように、暗音が言った。
「二四時間だけ時間をくれてやる。それまでに何が何でも関係を修復してこい。言っておくが、鉄脈術を使えない貴様なんぞ邪魔にしかならん。期限までになんとかならなければ私の前に顔を出してくるな。分かったな――高辻真一」
†
『――うん。今ウチの店の奥にいるよ』
「悪いな、金屋。面倒みて貰っちまって」
『いやいや、それは良いんだけどさ……』
携帯電話の向こうから聞こえるのは金屋の声だ。言うまでもなく、レイラの話である。
一度アパートの方へ戻ってみたが、当然ながらそんな簡単な場所に帰ってるはずもなかった。
他に彼女が行きそうなところに頭を悩ませていたところで、金屋から着信が来たのだ。
『少しは落ち着いたみたいだけど、多分会えるようになるにはもう少し時間が掛かると思う』
「そうか……」
『とりあえずもう少しなら預かれるから』
どうやら、聖銑区ではほとんど唯一の知り合いである彼の下に転がり込んだらしかった。信頼できる人物とのコネクションを初めのうちに作れておけたのは不幸中の幸いか。
「……」
と、そこまで考えて、ふとレイラの顔を思い出す。
不機嫌そうに眉を歪めた顔。楽しそうに街中を巡る顔。やる気満々に任務に赴く顔。
――そして、真一があの言葉を言ってしまったときの、悲しそうな表情。
『ちゃんと謝って、仲直りしなよ。タカティー』
「……、ああ」
様子見てあとで掛け直すから、と言い残して金屋は通話を切った。ツー、ツー、という無機質な話中音が空しく響く。
携帯電話をポケットにしまうと、ちょうど目的地に着いたところだった。
聖銑区では学園の次に広大な面積を持つ施設。ロッテが緊急入院しているという、総合病院だ。
上にも長大に伸びた病棟は、医療手当の際に想定外の干渉を避けるため、魔鉄ではなく本物のコンクリート製らしい。ガスや配電などの各種設備にも鉄歴時代の技術が意図的に使われているものが多い。ぱっと見はローテクにも見えるが、逆に言えば中では魔鉄由来の最新医療が取り入れられていることの証左でもある。
受付の事務員にロッテと自分の名前を告げると、入床している病室の番号を伝えられた。
院内見取り図を見て教えてもらった病室――七〇五室に辿り着く。表札に「シャルロッテ・キャロライン 様」とだけ書かれているのをみるに、どうやら個室らしい。
ノックとともに名乗る。
「……高辻だ」
『――開いている。どうぞ』
返答はリーテの声だった。
引き戸を開けると清潔感に溢れた白い部屋が視界に広がった。
病室に備えられたソファの上にちょこんと座っていたリーテが、会釈してくる。
「よく、来てくれた」
「いや、俺の責任でもあるんだ。すまない。それで……容態は?」
「……正直、芳しくはない」
リーテが病室の窓際に視線を向ける。
そこに設置されたパイプベッドの上に、一人の少女が横たわっている。特徴的な金髪のポニーテールを今は解き乱しているのはロッテだ。どうやら眠っているらしく、静かに胸が上下しているのが見える。
ハンガーに掛けられた点滴が腕に繋がれている彼女に、静かに近づく。
「ッ、……」
病衣の隙間から覗く包帯まみれの肌を見て、思わず息を呑んだ。
ガーゼが隠し切れていない部分から、異変はすぐに見て取れた。肩や腕が、噛まれたと思しき場所を起点として毒々しい青紫色に変色を始めているのだ。
「……医師の話では、どうやら毒素の他に、未知の細菌も浸食しているらしい。血液に乗って全身に回っていないのが唯一の救いだけど……それでも、食い止めるのが精一杯で、このペースだとあと三日が助かるかどうかのラインって」
そう語るリーテの目尻には、じわりと滲むものがあった。
「……それは、ヴルツェルを倒せばなんとか出来るか?」
「わからない。でも、由来が鉄脈術にある以上、可能性はある」
そうは言うものの、分の悪い賭けではある。
……一般に、鉄脈術はその発動が終われば、その効果によって直接生み出された現象も同時に終了する。例えば真一が鉄脈術を切り上げれば、太刀に変化していた
もちろん、ヴルツェルの鉄脈術がその例外ではないという保証はないのだが。
「……あの時、見たんだ」
ぽつりと。
リーテは、それでもどこか確信があるように思わせる声色で呟く。
「あのレイラという娘……彼女が叫んだときにブローチが光った。そしたら、ヴルツェルの注意がそちらに向いたせいかゾンビの動きが止まって――同時に、ロッテの症状も一瞬だけ回復したんだ。これは、ロッテの身体をむしばんでいる病魔がヴルツェルの鉄脈術に強く影響を受けている証拠じゃないかと思う」
「……」
それは、真一も目の当たりにした光景だった。
今更ながらに、彼女の家系を思い出す。
統一貴族。ラバルナ帝国の、その末裔。
ともなれば、彼女には――あのブローチには何か鉄脈術の深淵に関わる秘密が隠されているのだろうか……?
もちろん、ただの偶然だったという可能性もある。それでも賭けてみる価値はあった。
なにより、
「頼むよ。鍵は、きっと彼女だ」
シャツをくいと掴まれた。
縋るように見上げてくるリーテの頬に、伝う一条の涙跡があった。
「私のたった一人の妹を、助けてくれ……!」
……ああ、と。
無力感に苛まれて、拳を強く握る。
今の真一には、返せる言葉が、見つからない。
†
ロッテの病室を後にしてから、時計の針は進んで午後七時。
いつかの日に、レイラとともに来た公園のベンチに、真一は座っていた。
「……」
紫煙を吐き出しながら、思うのはこれからのことだ。
ロッテを救うには、現状ヴルツェルを倒す以外に可能性のある道はない。
だが、レイラとはまだ喧嘩別れをしたままだ。自分が出来ることもまた、ない。
大分灰に変わった煙草を、携帯灰皿に突っ込む。ヤニの煙とは、こんなに不味いモノだっただろうか。
その時、携帯電話がコール音とともに震えた。
ロックを解除すると、画面には見知らぬ番号が映し出されている。桁数を見るに、相手も同じように携帯電話から掛けてきているらしい。
「……はい、高辻」
『――あ、タカティー? こんばんわ』
訝しみながらも通話を繋ぐと、よく知った声が聞こえてきた。一昨日だったかに、廊下で出くわした少年の声だ。
「水樹か」
『正解です』
相変わらず調子を狂わせられるようなテンションで応えが返ってきた。悪戯っぽく笑う彼の顔が浮かぶ。
「一体、こんな時間に何の用だ? 来週明けの小テストの範囲なら教えてやらんぞ」
『え。ちょっと待ってください、小テストなんてありましたっけ?』
途端、声に焦燥の色が滲む。再三告知はしていたはずだが、どうやら聞いてなかったらしい。
ちなみに範囲は教科書に掲載されている万葉集の和訳と、品詞解説だ。もちろん宣言通り、教えてやる気は毛頭無い。
『……ま、まあ、それはともかく! タカティー、聞きましたよ?』
「何を」
『喧嘩したんですって? レイラちゃんと』
「……オイ」
思わず、こめかみを押さえる。一体どこから情報が漏れたのだろうか。
「何故、知っている?」
『ついさっき、聖銑学園からメールが届いたんですよ。旧川崎皇国製鉄所でヤバい事件が起きた、万が一に備えて一斉避難の準備をするように……って』
「…………」
自分が思っていたよりも、事態は深刻だったらしい。
聖銑学園から、ということは暗音が指示をしたのだろう。それも一斉避難という文言は最悪の場合聖銑区全域が危機に晒されるということを示している。
それがヴルツェルによる侵略なのか、なんらかの対抗策がもたらす結果なのかは分からない。だが、確実にこの埋め立て地にまで被害の範囲は及ぶのだ。
そしてなにより、それは暗音にとって「場合によっては自分の牙城を手放さ無くてはいけない状況が起こりうる」という敗北宣言に等しい。それを公に明かすところまで、差し迫っているということなのだろう。
『不審に思った光さんが、さっき黒崎学長に問い合わせまして。はぐらかされて、詳しい部分はわかんなかったみたいですけど……話の合間に、タカティーがレイラちゃんと喧嘩別れしちゃったって愚痴ってたらしくて。ヨリさん――友達とかいろんな伝手頼ってタカティーの電話番号手に入れて、わざわざ掛けてあげたってワケです』
「……事情は分かった。それで? 要件はなんだ」
『もー、わかりません?』
若干呆れたような声に、イラッとすること数秒。そこは大人なのでグッと堪える。
だから、次の一言でダメだった。
『レイラちゃんと仲直りは、出来そうなんですか?』
「――あ?」
自分でも驚くぐらい低い声が出た。
マズい、とは思った。だが堰を切った感情は、抑えようがなく溢れてくる。
「それはアレか? お前、ガキの分際で冷やかしに来たってのか」
年甲斐もなく当たり散らす。
言葉を重ねる度に、惨めで、馬鹿らしくて、情けない自分が浮き彫りになっていくようで、さらに口調は荒くなっていくのを感じた。
「ふざけんな。ケツの青い癖に、
『だから』
強い声があった。
決して怒鳴ってるわけではない。声量は変わっていないし、声色も穏やかだ。
それでも尚、みみっちい八つ当たりをする真一を、黙らせるだけの強い「何か」を宿した声が。
『もう、他人事じゃないからこうして電話してるんだよ。タカティー』
「……何を」
『だから、他人事じゃないんですよ、もう。こうして、一歩間違えれば俺やヨリさん、なにより光さんまでヤバいことに巻き込まれる手前まで来てる』
「……それを、俺に話して何になる」
『まだわかんないですか』
頭を掻きむしるような音があった。
今更ながらに気づく。ロッテほどではないにせよ、彼らにとってはこの状況もまた大いに切迫してると言って良いのだ。
『黒崎学長がわざわざ愚痴るくらいなんだから、きっとタカティーとレイラちゃんがこの事態を切り拓く一手なんです。お願いしますよ、タカティーだってもうレイラちゃんと絶交ってつもりはないでしょ?』
「……」
『どうなんですか? タカティーはレイラちゃんと、どうしたいんですか?』
「俺は……」
思い出すのは、銀髪がちょこまかとつきまとっていたあの日々。
最初は悪戯で馬乗りになった上に銃で脅してきたし、どこへ行くにもついてきて、正直ウザったかった。折角の休日には家まで押しかけてきて観光案内をさせるわ、おまけにロッテとリーテに人違いで斬りかかられて散々だ。窮地を脱するために鉄脈術の契約を結んだら今度は勝手に家具を持ってきて、ただでさえ狭い部屋の大部分を占拠するし、翌朝になれば不遜に朝食を要求するわ、出してもケチをつけるわのやりたい放題。
そんなろくでもない日々の――どれだけ輝いていたことか。
錆びついて、足踏みして、過去に囚われていた自分を、どれほど無理矢理引っ張ってくれていたのだろう。
「俺は、アイツとまだ一緒にいたい」
答えは、自然と口を衝いて出ていた。
「アイツと一緒に、新しい世界を見てみたい」
『なら、どうしなきゃいけないかは分かってますよね? タカティーなら』
「俺は――アイツに謝らなくちゃいけねぇ」
『正解。――
そこで通話が途切れた。
液晶画面を見下ろすと、一件の着信履歴とSMSのメッセージがあった。今度のは金屋からだ。
開封して、綴られていた言葉に苦笑する。
――レイラちゃん、落ち着いたみたいだから家に送った。仲直り頑張れ!
「……全く、揃ってお節介な生徒たちだよ」
煙草の箱を胸ポケットに押し込む。
覚悟は決まった。やるべきことは見えた。
あとは、歩き出すだけ。
さあ、いい加減にリスタートの時間だ。
†
アパートの自室に戻ると、鍵は開いていた。
中に入る。キッチンに灯りはついていないが、その奥の一室とを隔てるドアの隙間からは照明の光がこぼれていた。
「……レイラ」
扉越しに声を掛けると、中でゴソゴソと動く気配があった。
「そのままでいい。聞いてくれ」
『……』
「最初に、謝らせてくれ。軽率な発言でお前を傷つけて、本当に……ごめん」
深く、腰を折る。相手には見えていないだろう。でも、それは問題ではない。
「結局俺は、まだ何も踏み出せちゃいなかった。惨めったらしく昔の思い出にしがみついているだけの、クソ野郎だ。その上で――頼む。もう一度、俺にチャンスをくれ」
楓花の代わりは、レイラには出来ない。
出来るわけがないのだ。だって、彼女は楓花ではない。
そんな簡単なことを、意識できていなかった。自分に改めて腹が立つ。
それでも。
ただ、吐き出すように。謝意と、懇願を乗せた思いを言葉にする。
「もちろん、お前が嫌なら諦める。けど、ヴルツェルを止めるために――」
そこで、言葉を切った。
違う。今ここで、こうしてレイラに声を掛けているのは、そんな綺麗で、他人任せのお題目があるからなんかじゃないはずだ。
「――いや、違うな。俺が、お前ともう一度鉄脈術を使いたいんだ」
「……虫の良い話なのは分かってる。それでも、こんな俺ともう一度でも手を繋いでくれるなら――」
ガチャリ、とドアが音を立てて開いた。
顔を上げると、髪を下ろしたパジャマ姿のレイラが立っていた。
「全く、なんて顔してるのよ」
彼女は、困ったような、呆れたような、それでいてどこか安心したような笑みで、言った。
「とりあえず、もうこんな時間だから……お風呂でも入ってきちゃえば?」
「……私の方こそ、ごめんなさい」
手短にシャワーを済ませ、同じく寝間着に着替えてきた真一に、レイラはしゅんとしてそう謝った。
「私も、製鉄師の仕事を甘く見ていた。想像よりもずっと血みどろで、命がけの戦いなんだって分かっていなかった。逃げているときはいつもメイドが守っていてくれたから……知識として知っていても、理解をしていなかったのね。それで、足を引っ張って……」
「いや。ほとんど初めての実戦なのにハードすぎたんだ。むしろ鉄脈術を保っていただけ上出来だよ」
実戦投入が早すぎた、というのは本当だ。
そもそも聖銑学園に限らず、他の製鉄師育成学園でも最低三年、長ければ中高分の六年の歳月を以て、生徒達は兵士として、そして兵器としての自覚を築き上げていく。寄せ集めの
それを経ずに、少年少女がいきなり鉄火場に放り込まれれば、ああもなるというのは予想できたことだし、なによりそれを避けるのが自分たち大人の役目でもあったはずだ。
(暗音は何か焦っているのか……?)
「ううん。例えそうでもね」
だが、レイラは首を横に振った。
「私は“既に戦える製鉄師”としての貴方のパートナーになるって決めてたんだから。これじゃあ、前の子の方が良かったって言われても仕方が無いわ」
いいながら、ベッドに身を預けるレイラ。
照明を消して、自分もナントカえもんスタイルの就寝所に入り込もうとしたときだった。
ちょいちょいと。
部屋の大半を占拠しているデカいベッドから、白い掌が手招きしてくるのが見えた。
「今日だけは、隣で寝ることを許してあげる」
「……、はいはい。お嬢様の仰せのままに」
枕を抱きかかえながらそっぽを向いて宣うレイラの隣に腰を下ろす。
「……ねぇ」
レイラは、飽くまでこちらに背を向けつつも、こちらに呼びかけてくる。
「うん?」
「聞かせて。楓花って人のこと」
「……、」
一瞬、言葉に詰まった。そもそも仲違いの原因は、その楓花のことだったからだ。
それを、わざわざレイラの方から聞いてきたことへの驚きが、真一からいうべき言葉を奪った。
「……考えてみれば、私は何も知らなかった。楓花って人のことも、その人とシンイチがどんな時間を過ごしてきたのかも。だから、教えて。そしたら私は、それを超える。すぐには無理かも知れない。でも、必ずいつか、アンタの中でもっともっと大きな存在になってみせる」
レイラ自身が新しく定めたゴールを、示してくれと。
つまり――これが、彼女なりの乗り越え方なのだろう。
不器用で、不遜で、野心的で――前向きな、彼女なりの。
だから、それに応えようと思った。
「……長くなるぞ」
「……うん」
それから話し出した。自分でも思い出すように。
初めて会ったときは、捉えどころが無い奴だ、と思ったこと。
いつもふわふわと緩い笑顔を浮かべていたこと。
食い意地が張っていて、貰ったばかりの報酬で買い食いばかりしていたこと。
そのくせ、料理は得意だったこと。
真一の誕生日には、よく好物の牛鍋を作ってくれたこと。
逆に楓花の誕生日には決まって天丼が食卓に並んだこと。
猫に好かれる体質で、暇があれば野良猫を構って遊んでいたこと。
それでいて、いざ戦闘になると決して手を抜かず、標的を殺すまで鉄脈術を解きはしなかったこと。
鉄脈術は、今のレイラと同じ刀への変化だったこと。
それは今とは逆に、夜を煮詰めたように深い青色をした、細く美しい太刀姿だったこと。
それを振るって、何人もの敵を斬り捨ててきたこと。
――その最期は、親玉の製鉄師との相打ちという形だったこと。
強襲戦で、既に敵の本隊は壊滅状態だったこと。
功を焦った真一が、いらぬ深追いをしたこと。
相手は肉体変化系の術で、身の丈三メートル以上の怪人となって立ち向かってきたこと。
変化したそいつの皮膚は硬く、刃が通らなかったこと。
こちらは一方的にダメージを負っていくだけだったこと。
最後の最後、こちらに噛みつこうと大きく開いたその口へ向かって、楓花が変化した太刀がいうことを聞かずに飛び込んでいったこと。
硬質な皮膚に守られていない口腔が、敵の唯一の弱点だったこと。
けれど、敵も最後の力で太刀を噛み砕いたこと。
鉄脈術が解けた楓花は、上半身と下半身が真っ二つになっていたこと。
最期に、彼女が、まるでこちらを安心させるように手を頭に置いてきたこと。
全部、全部、全部。
記憶にある彼女との思い出を、余すところなく、包み隠さず全て吐き出した後。
そっと、手に触れる温かい感覚があった。
レイラの、小さな手だった。
「……ありがとう」
「……」
「話してくれて、本当にありがとう」
最後の振り返りは済んだ。
だから、これは本当に最後のワガママで。
真一は、二一年と数ヶ月ぶりに、声を上げて泣いた。
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