第一〇刃 《待望は数歩の先に》

 皇国鉄道は、その起源を実に二〇〇年近く遡る我が国最大規模の鉄道会社だ。

 まだ魔鉄ブラッド・スティールの利用方法――即ち魔鉄文明も誕生していないその当時、皇国は世界規模の戦争にあって辛くも勝ち馬に乗ることが出来た。

 当時の戦争はと言えば、一般人から多くの兵士が徴兵され、非戦闘員も軍需品の生産に駆り出されたりという形で国家に協力することを強いられた。つまり総力戦というやつだ。戦う者が製鉄師ブラッドスミスに限定され、普通人が戦場でこなす役割が裏方だけになったこの時代では、想像もつかない世界である。

 無論、そのような非効率極まりない戦争をしていれば、勝っても負けても国土は大いに痩せ細る。軍需工場を攻撃するのも一つの戦略手段であるから、非戦闘員の技術者だってその多くが戦争のために没しただろう。おまけに、当時の戦争は国土の拡大をその狙いとして定めていたらしいが、終戦時の日本の国土に大した変化などなかった。コストを考えれば負け戦も同然だ。

 その渦中にあって、政府に要求されることは困窮した生活の改善だ。

 幸いにして賠償金はあった。

 なけなしの戦果として得られたその金を、政府はインフラ整備に裂いた。理由は単純で、当時は道路整備などもろくにされていなかった時代。さらに言えば一度に多くの資材を、国土全域に行き渡らせるにはとても貨物自動車で足りるものではない。必然、貨物列車の運用がなされる。臣民の要求に応えるために、日本列島全域を網羅するような、巨大な鉄道網が敷設されたのだ。

 それが、皇国鉄道の前身にあたる日本帝国鉄道公社。そしてそれが後に、財政悪化の煽りを受けて民営化されたのが今の姿なのだが――


 閑話休題。

 その皇国鉄道のとある駅に、四人の男女が降り立った。


「……で、これからの予定は?」


 一行の中で唯一の男性――即ち、真一が不機嫌そうに問う。

 ここは千葉市の蘇我駅。蘇我とは千葉市中央区に位置する土地で、魔鉄歴三〇年を迎えた現在では、聖銑区に隣接していることで大いに賑わいを見せている街である。

 以前にも述べたが、聖銑区そのものは黒崎暗音による企業統制の影響で、大型企業の参入が難しい。

 しかし、そこは学生の街・聖銑区である。なんだかんだ言って、結局生徒たち自身は流行物に敏感だし、そうなると必然大きなショッピングモールに有名ブランドの商品といった存在は需要が高いのだ。

 需要があれば、当然ながらそこに供給をすることで財を成そうとする人々が現われる。しかし肝心の聖銑区には入れない。ならば、次点――聖銑区から最も近いところへ彼らは集中していく。斯くして、この蘇我は若者向け商品の激戦地へと変貌することとなったのである。

 ……とは言え、魔鉄加工業を中心に発展した大財閥・八重鐵やえがねグループの企業城下町という側面もあり、現在はほとんど八重鐵系列の店舗が寡占状態のようだが。

 真一の問い掛けに応えたのは、同行者の中でも一際目立っている改造浴衣の南蛮少女。言うまでもなくリーテだ。


「最後にヤツ――ヴルツェルが目撃されたのがこの蘇我らしい。それ以上のことはどうにも」

「地道に足で捜査だな……」

「足? なんで足が出てくるの?」


 残る二人の内、真剣入りの竹刀袋を背負ったロッテが腕を組みながら眉を顰めた。最後の一人、レイラはまだ日本語慣れしてないらしく、むしろ慣用句に首を傾げる。

 パートナーであるレイラはともかく、この二人と行動しているのは、他でもない。先日部屋の固定電話に掛かってきた、暗音からの依頼である。

 あの後、身支度を調えて学園長理事室に向かったところで、再びロッテとリーテの二人組を引き合わせられた。

 流石に警戒の色を滲ませた真一とレイラだったが、あちら側がすぐに謝罪をしてきたことと、暗音に仲立ちされてとりあえず和解へと至ったのだが……。


『さて、諸々のしがらみと誤解がひとまず解けたところで相談なんだが――高辻、彼女らの手伝いをしてやれ』


 直後に、暗音からそう命令された時は思わず肩の力が抜けたのを憶えている。

 もちろん、他に製鉄師はいくらでもいるだろう、と反論はしたのだが「彼らは既に別の職務に就いている。ならば現在何も製鉄師としての仕事を請け負っていないお前たちが適任だろう」と正論でねじ伏せられてしまった。


『何より、そちらのお姫様はやる気満々のようだが?』


 ニヤリと底意地の悪い笑みを覗かせた暗音が言うように、レイラが張り切っていたのも大きい。二対一は分が悪い。おまけに革命は失敗したばかりだった。

 結局、なすすべもなく話は進み、現在に至る。

 秋と呼ぶには少々厳しさを増した寒風が吹き、真一は思わずくしゃみを一つ。


「寒ッ……流石に上着を持ってくるべきだったな」

「アンタのジャケット虫食いだらけだったじゃない。ろくに防虫処理してないでしょ」

「お嬢様にスーツの管理でお叱りを頂く日が来るとはな……」


 いつもの仁王立ちでお小言を飛ばしてくるレイラに、思わず天を仰ぐ。お前は俺のお袋か。

 見上げた先には、デパートの大型モニターがあった。画面の中では流行のアイドル歌手が発表した、新曲のPVが流れていた。ユースカルチャーには疎い真一だが、それでも見覚えだけならある。たしか八重鐵グループ会長の孫娘だ。

 空模様は生憎の曇天。雨が降らないかだけが心配だ。


「さて」


 リーテが改造浴衣の袖を揺らした。


「では、聞き込み調査開始といこうか」




 そんなわけで。


「あー、そこの店員さん。ちょっと良いかな」


 真一率いる一行は、手近な喫茶店に入るなり手の空いてそうな店員を見つけて声を掛けた。


「いらっしゃいませー。何かご用でしょうか?」


 件の店員はと言えば、戦争が沈静化したとは言え一般にはまだ珍しい外国人の三人に一瞬たじろいだようだった。が、すぐに営業スマイルを取り戻したかと思えば真一に首を傾げながら問うてくる。

 カフェ定員に声を掛けることにしたのは、真一の提案だった。

 道行く人では避けられてしまうし、なによりヴルツェルがやってきた当時にここにいた可能性も不安定だ。その点、仕事中――特に接客業に就いている人であれば、まず逃げられることはない。職場なのだから目的の日にちに居合わせた可能性も高いだろう――そう予測を立て、駅近くの店を虱潰しにあたってみることにしたのだ。

 特に、この店は道路に面した立地と、ガラス張りで見通しの良い店。このあたりなら最有力候補だ。


「ちょっと人捜しをしてるんだが……数日前にここら辺を、こんな男が通らなかったか?」


 言いながら、ヴルツェルが映った写真を数枚取り出す。流石にこの強烈な風体なら、一目見れば印象に残るだろう。

 が。


「うーん……ちょっと分からないですねぇ」


 返ってきた答えは、残念ながら望んでいたものではなかった。


「本当に見てないか? これだけ目立つ男なんだが……」

「昼間とかだとお客さんも結構いらっしゃいますし、空いているときは空いているときで清掃や仕込みとかの仕事があるので……ご来店されたとかならともかく、外を歩いていたぐらいだと、ちょっと……」

「そうか……」


 申し訳なさそうに写真を返してくる店員さんの言葉に、こちらも意気消沈してしまうのを禁じ得なかった。先程の言葉の通りなら、他の店舗もヴルツェルが寄りでもしていない限りはダメだろう。


「なによ、結局ダメじゃない」


 肩を落とす真一の背に、レイラの追撃が来る。ムッとしないこともないが、たしかに宛てが外れてしまったことは事実だ。


「仕方がない、ダメ元で手当たり次第ここら辺の店を回るか……」

「ぬぅ……長引きそうだな」


 リーテとロッテも諦めたようにそう呟いたときだった。


「あの、少し」


 横合いから、声。

 そちらへ視線を向ける。いつの間にやら、一人の少年がいた。背丈はやや低めだろうか。気配も感じさせずに近づいてきたその彼はと言えば、眼鏡を掛けた童顔でこちらを見上げている。着ているものこそ近くの私立普通校の制服だが、右腕には灰白色の腕輪が輝いていた。登録証OICC――世にも珍しい、製鉄師育成校に通っていないOI体質だ。

 形の良い唇が動く。女性と言われても違和感も感じないような、ハスキー気味の声で、彼は問うてきた。


「人捜し、ですね?」

「あ、ああ……お前さん、コイツに見覚えがあるのか」


 ヴルツェルの顔写真を差し出すと、少年は数秒それを見つめた後に、静かに首を横に振った。


「いや、残念ながら」

「そうか……」

「ただ」


 肩を落とす真一だったが、少年は諦めるのは早いとばかりに続ける。


「この人がどちらに行ったか、そして今どこにいるかについての推理程度ならできます」

「本当か!」


 思わず身を乗り出す。後ろの娘衆も息を呑む気配が伝わってきた。

 そんな真一たちを、少年は一瞥した後「ええ、まあ」と頷き、


「まず、この人が向かった方向ですが……確かにこの店の前を通って向こう――大まかな方角としては聖銑学園がある方へ、歩いて行ったようです」

「……どうして分かるの?」

「そういう『歪む世界オーバーワールド』だからですよ……推理を続けます」

 訝しげに眉を顰めたレイラが問いかけると、少年はにこりともせずに言った。

「とは言え、わざわざこの駅で降りた以上、鉄道でこのまま結ばれているはずの聖銑区に行った、とは考えにくい。あの敷地に足を踏み入れたのなら、噂の黒崎なにがしが見つけているでしょうし」

「巷じゃどんなイメージなんだアイツ……」

「とすれば、必ずこの蘇我の中で身を潜めているはず」


 地図アプリを開きながら、彼は言った。


「さて――この蘇我において、聖銑区と同じ方向にあり、且つ身を潜められそうな場所。それは一つしかありません」


 少年の、男にしてはやけに細っこい指が画面の中の一点を指す。

 そこが示すのは――


「――旧川崎皇国製鉄所か!」


 真一が目を丸くしながら唸った。

 旧川崎皇国製鉄所。

 聖銑区と中央区の間に挟まれるよう存在する埋め立て地に、それは位置する。

 まだ人類が魔鉄の利用法に出会っていなかった昔、世界に溢れていた鉱物は鉄鋼だった。魔鉄時代以降を指す魔鉄歴に対して、過去の時代を『鉄歴』と呼ぶことからもそれは伺えよう。

 そして川崎皇国製鉄所は、当初、まだ日本皇国が帝国と名乗っていた時代に設置された国営製鉄所だ。やがて民間の製鉄技術が向上するにつれ完全民営化され、以降は日本有数の製鉄所として活躍したと聞くが……。


「……魔鉄器時代の到来に加えて、ブラッドカタストロフの混乱の中で倒産。後に八重鐵グループに買収されるも、魔鉄加工に向かないって理由で今はほとんど放置だったか」


 魔鉄加工に際して、従来の鉄鋼加工に比べて要する土地面積は多くない。一つには、魔鉄自身の持つ汎用性の高さから、精錬されてそのままのインゴットなどにも需要が集まるという点。もう一つに、そもそも一度に加工できる人材が限られているというのがある。

 こういう同一規格・大量生産が重視される魔鉄加工の現場において用いられるのは、魔鉄加工技師によって専用に加工された特殊な炉が用いられる。しかし、それでも尚、その炉を操作できるのはOI体質者に限られるのだ。

 幸いながら、この場合のOI体質は『歪む世界オーバーワールド』が発現せず、製鉄師にも魔鉄加工技師にもなれないような、一般に埋鉄ベリード位階と呼ばれる人々でも該当する。そしてその埋鉄位階の数は工場運営程度ならば可能なほどには人数がいるのだが……それでも、やはり数自体は無尽蔵ではない。

 結果、従来の製鉄事情に合わせて広大な面積を有する川崎皇国製鉄所は、魔鉄時代にあってもはや無用の長物という烙印を押されて久しい。


「事実上の廃墟で、滅多に人も寄りつかないここなら、それなりに可能性が高いと思うのですが」

「なるほど……いや、恐れ入ったよ。アンタ、一体何者だ?」


 感嘆混じりに問うと、少年は「別に」とそっぽを向きながら、しかし独り言ちるようにポツリと、小さく名乗った。


天宮あまみや佑都ゆうと。しがない探偵ですよ」





 潮風を浴び続けても腐食しない、と言うのが、通常の物理法則を受け付けない魔鉄の長所でもある。

 新品同然のまま設置されたフェンスの門扉を潜り抜けると、しかしまるで時代が巻き戻った空間に足を踏み入れたような感覚を得た。

 旧川崎皇国製鉄所は、前述の通り古い歴史を持つ建物だ。その設立は鉄歴まで遡る。

 故にこそ、立ち入り禁止を示すフェンスが朽ちずとも、中の建造物そのものに関してはその限りではない。

 天を衝かんばかりに高く聳えた煙突は、煤に汚れたまま雨風で徐々に浸食され、それを支える鉄塔や周りにある鉄製の宿舎屋根は赤錆が食いついていた。おまけに人の気配が一切ないので、まるで文明の終末に立ち会ったかのような心細い感覚さえ覚える。コンクリートで固められた地面にもかかわらず、ヒビの入った隙間から逞しく育つ雑草にむしろ勇気づけられるほどだ。


「天宮とやらによれば、ここのどこかにヴルツェルがいるはずだが……」

「やれやれ……分かっちゃいたが、中々骨が折れそうだな」


 ロッテの言葉に滲む苦い色に、思わず同意の溜息を吐く。

 先程も述べたが、川崎皇国製鉄所が事実上の放棄状態にあるのはその面積が不必要に巨大すぎると判断されたからだ。それは同時に、一度探索するとなれば膨大な時間を掛ける必要が生じる、と言うことでもある。


「……数日懸かることは覚悟した方が良さそうだ」


 リーテがげんなりと呟くと、一層場の空気が重くなる錯覚があった。なんだったら今すぐに帰りたい。

 しかしそんな一同の中で、張り切っているのが一名。


「さ、行くわよ。ヴルツェルだかなんだか知らないけど、ささっとひっ捕まえましょ!」


 言いながらずかずか歩みを進めるのこそ、我らが貴族令嬢、レイラ・グロリアーナ・ベラルスであった。出立前にも思ったが、今回の彼女はなぜだかやる気に満ち満ちているように感じる。


「おい、あまり一人で進むなよ」


 いっそ威風堂々と歩を進めるレイラの首を掴んで制止する。件のお嬢様はと言えばいきなり持ち上げられて「みぎゃ!」と鳴いた。


「何すんのよ~!」

「アホか。相手は振鉄ウォーモング位階だぞ、万が一ばったり出くわしたらどうする。もう少し慎重になれ」

「でも!」

「でももヘチマもあるか」

「ヘチマって何よ」

「今度見せてやるから少し大人しくしてろよお前はもう!」


 言いながらジタバタ暴れるレイラを小脇に抱える。ロッテとリーテに追われてた時と言い、なにか困ったらこのお嬢様を抱えるのが板についてきた気がする。


 そんな漫才をしているから、見落としていた。

 すぐ隣に聳える鉄塔の、その頂上に、二つの人影があった。

 それが、ゆらりと。

 示し合わせたかのように大空へ身を投げ出した。

 一見、ただの自殺にしか見えない光景。

 しかし、否。

 違う。

 彼らは、無防備な真一たちの方へ真っ直ぐに向かって――


精錬開始マイニング我が武士道に曇りなしユア・ブラッド・マイン!」

精錬許可ローディングではその士道を示すが良いマイ・ブラッド・ユアーズ


 張り避けんばかりの大音声で唱えられた起動句マイニング・コードが耳に届いた直後に、ロッテが宙へ飛んだ。

 竹刀袋から打刀がスラリとその姿を現し――抜刀。

 黒と白の剣閃が、中空で弾ける。

 刹那の剣戟の後に、空中で仕合った相手を蹴り飛ばした反動を利用してくるりとロッテが地に降り立つ。その瞳には勇猛な闘志以上に、強い警戒心が滲んでいた。


鍛鉄トライン――『武士道驀進、止まることなき我が正義ラ・マンチャ・ル・ブシドー』。高辻殿、早く剣を抜かれよ! 探す必要なんかない、!」


 術の名を謳い上げるや否や、呆けている真一に彼女はそう発破を掛けた。

 視線の先に、いる。

 先程の交錯で辛うじて競り負けたのだろうか。鍛鉄位階の力で蹴られた衝撃のまま吹き飛んだその向こうに、しかし一切のダメージが見えない二人組。

 一人は雨合羽のように全身を覆い隠すような布を頭から被っているので、そのシルエットは判然としない。ただフードのように頭の上に懸かったそれの、わずかな隙間から覗く口周りからは、その正体が『外見上は』かなり幼い少女だということが分かる。

 対してその隣に立つ方は背の高い、初老の男。

 あちこちが煤に汚れた白衣をまるでコートのように羽織った、乱れ髪に無精髭と浮浪者同然の出で立ち。なるほど東洋系の血がかなり濃いようだが、それでもやや彫りの深い顔立ちにはライオニア圏に多い人種――即ちコーカソイドの遺伝子も感じさせる。

 写真に写っていた男性そのものだった。

 即ち、ヴルツェル・H・オルフォイス。真一たちが追っていた、まさにその人物である。


「ッ! 精錬開始マイニング錆ビタ刃ハ未ダ覚メズユア・ブラッド・マイン! 行くぞ!」

「ええ! 精錬許可ローディング朽チタ鋼ハ未ダ醒メズマイ・ブラッド・ユアーズ


 祝詞とともにレイラの身体が朱に染まる。その正体は錆だ。朱染の巫女はそのまま指先から解け、収斂し、一振りの刃へと変貌する。


製鉄スティールオン――『臥龍鳳雛、朱染メノ錆刀ラスティブレイド・アズリープ』」


 実戦でこの鉄脈術を起動するのは二度目。訓練も含めれば三度目だ。扱いには相応に慣れた。即座に鋭敏に研ぎ澄まされた知覚がヴルツェルの動きを捉え、蓄積された経験が次の一手を導く。


「――やれやれ」


 しかしながら、実際の手は予想よりもはるかに穏やかなものだった。


「今度の追手は中々に使うと見える。一筋縄ではいかなさそうだ、君」


 紡がれるのは、見た目に反して理知的で、静謐な声。

 ヴルツェルが行なったのは、銃撃でも、打撃のための接近でもなく、ただ物憂げに言葉を投げかけるだけだった。


「貴様……確認する。ヴルツェル・H・オルフォイスだな?」

「然り」


 二刀の構えを崩さないロッテの問に、琴を爪弾くように返す彼。その佇まいはいっそ詩を吟じる哲人のような神秘性すら感じさせた。


「……おい。アンタ、自分が要監視対象で追われてるって自覚はあるのか?」

「そのようで。しかしそれは些事というもの」

「些事……だと?」


 返答に真一は眉を顰めた。


「どういうことだ。何が目的で日本皇国ココまで来た」

「――目的」


 ヴルツェルの目の色が、代わる。

 どこか虚ろで焦点が合っていないようだった彼の瞳に、狂気染みた輝きが宿った。


『ッ、シンイチ……こいつ、ヤバい……!』

「ああ、目的――目的、目的か! ハハハハハハハ!」


 レイラが戦慄する気配があった。視線の先では、壊れたステレオのように呟き、笑うヴルツェルの姿。

 唐突にその哄笑が止む。

 ぐりん! と落ち窪んだ眼窩の中で、アッシュの瞳が動いた。ドロリとした、なにか悍ましいものを湛えたそれと、目が合う。


「知れたこと――精錬開始マイニング愛しきに追うを道返し吾が汝夫よユア・ブラッド・マイン


 放たれるのは、起動句。

 瞬間に。


 ゾグリッッ!!!! と、世界が身震いする。

 

 ロッテ達と出会ったときとは違う。比にならない。まるで、その鉄脈術が形を成すことに、世界そのものが拒絶しているかのような感覚があった。

 虚空がミシリと軋みを上げる。そんなささやかな抵抗すらを打ち砕いたのは、彼のそばに侍る少女の返歌。


精錬許可ローディングあな憎らしや黄泉比良坂マイ・ブラッド・ユアーズ


 空が、いた。

 鈍色の雲は今や黒々とした暗雲と立ち替わり、間から覗くのは血よりもなお赤い異形の月――即ち、この埋め立て地一帯が魔界へ変化へんげしたことを告げていた。

 地肌までもが粟立つ光景の中で、ヴルツェルの影が、まるで沼のように波打つ。そのまま溢れ、世界を舐め尽さんばかりに拡大を続けるそれの中へぽつんと彼の引き連れていた魔女が溶けるが如く沈み込む。

 それが契機であったのか。再びの変化が訪れた。

 ゴポリ、と。

 タールのように粘質なその表面から、何かが飛び出る。


『ひッ――!?』

「……ッ」


 レイラとロッテが息を呑む気配が伝わってくる。

 無理もない。枯れ枝と見まごうほど細く、干からびたそれの正体は、だ。それも一本や二本ではない。

 木乃伊ミイラ化した人間の腕が、さながら啓蟄の蟲が如く幾本も幾本も影の沼から這い出てくるのだ。

 まるで文字通り地獄の釜の蓋でも開いたようだった。


振鉄ウォーモング――『黄泉路誘う悲哀の調べデコンポーズド・グレートマザー』」


 紡がれたヴルツェルの声が、その鉄脈術の名を告げる。


《U……aaaAAAAaaaaa……》


 直後に、呻き声とともに木乃伊の本体が一斉にその姿を露わにした。

 土塊のように乾きヒビ割れた痩躯と、あまつさえ腐り落ち、目や頬が欠損して蛆すら湧いた頭部はもはやスプラッタの領域だ。

 人の生き死にに慣れている真一や戦闘員として派遣されてきたリーテやロッテはまだ良いが、流石にレイラには衝撃が過ぎたらしい。嘔吐えずく気配があった。同時に、知覚が靄が懸かったように鈍くなる。とても鉄脈術の強化が出来るような状態ではないらしい。


「――け、イクサども」


 ヴルツェルが指揮官の如く右手を前に突き出す。

 それを合図に、無数の亡骸が雪崩れのように濁流となって押し寄せてきた。


「チッ……!」


 最悪のコンディションに、思わず舌打ちを一つ。

 こちらの不調に、しかし当然ながら相手は配慮などしない。

 已む無しと刀を構えようとした時、隣を走り抜ける影があった。

 金髪のポニーテールを靡かせたその影は、二刀を手に携えたロッテだ。


「ふん――斬り捨てる!」

「高辻教員、貴方はそちらの相方が整ってから!」

「……クソ、すまん!」


 勇猛に刀を振りかざし、死人の軍勢に挑みかかるロッテと追随するリーテの姿に、思わず歯噛みする。


「おいレイラ、大丈夫か!?」

『……う、うん。ごめん、シンイチ』


 呼びかけると、いつもよりも萎びた声で返答があった。口ではいくらでも言えるだろうが、とても万全には聞こえない。

 しかし――


《UaaaaAAAAAaaaaaaa!!》

「ッ、こんニャロ……!」


 流石に数が多すぎた。ロッテが取りこぼしたらしい骸が数匹、こちらめがけて飛び掛かってくる。


「補助はいい、こっちでなんとかする! とにかく刀の維持だけに集中しろ!」

『うん、頑張ってみる……!』


 緋色に煌めく太刀を握り直しながら、臨戦の姿勢に移る真一。

 だが、その胸中にはある思いが生まれ始めていた。


(――ああ。もしも、もしも今――)




「――シッ!」


 目の前に躍り出てきた屍の兵士を斬り伏せ、ロッテは短く息を吐いた。

 もう、これで二〇は斬っただろう。しかし敵の数は一向に減る様子がない。


『まずいな……』


 頭蓋の奥に、緊張の色を宿した姉の声が響く。


『敵の底が見えない。持久戦になったら、分が悪いのはこっちだぞ』

「……なら話は早い」


 キッと前を睨む。

 視線の先には、ヴルツェルが無感動な瞳でこちらを見ていた。

 ジリ、と。

 地を踏む足に力を込める。


「頭を潰せば――終わる!」


 言うなり、ロッテは駆け出していた。

 鉄脈術『武士道驀進、止まることなき我が正義』は鍛鉄位階にこそランク付けされてはいるが、その効果は極めてシンプルだ。

 即ち、身体能力の爆発的向上。

 これにより、彼女の刀の一振りは鉄の壁を砕き、その一突きは千重ちえに束ねられた特殊装甲をも貫くことが可能となる。

 つまり。

 貯めた力を解放した瞬間、ロッテは比喩抜きに

 感じる浮遊感と叩きつける風の中で、両手に握った白刀と黒刀を振りかざす。狙いは悠然と佇むヴルツェルの、その喉笛。


「その首級しるし――頂戴する!」


 高らかに勝利を宣言する。地を這う死体もどきにはもはや止めることなど出来ない。

 翼のように、二刀の刃が閃く。彼我の距離――あと一メートル。


「う、ォォォおおおおおおおッ!!」


 重力と慣性に導かれるままに、少女の身体が弾丸と化して男の元へ降る。掲げた刃を振り下ろす為に、その白く細い指の後ろ二本にぎりりと力が籠められ、


「浅慮が過ぎるな――とせ、オホイカヅチ」


 バッッッヅンッッッ!! と。

 ロッテの胸に強烈な衝撃が走る。体勢を崩した少女は射落とされた鳥の如く地に墜落した。


「か――ハ……ッ!?」


 視界が霞む。呼吸がままならない。何が起きた? 何をした? 何をされた――?


「ふむ、些か安定してきているか。やはり仮説は正しかった」

「安……定……?」


 混濁した意識に、ヴルツェルの呟きが届く。その意味は判然としないが……。

 そして、事態はその呟きについて思考を巡らせることも許されないほど逼迫していた。


『ロッテ、逃げろ――!』

《Uuuuuuuu……》


 姉の警告が聞こえたときにはもう遅かった。

 痺れて動かせない頭のすぐ上で、鼻につく腐臭と、呻きとも唸りともつかぬ吐息があった。

 地に落ちた虫の息の少女など、死の軍勢には格好の餌でしかない。

 そして、古来生ける屍リビングデツドが生者に行なう最も悍ましき行いとは何か。

 ――ガブリ。


「――ッあ、がァぁぁああああああッ!?」


 刺すような痛みがあった。うなじに、腕に、脚にと、幾匹もの屍の兵士が集まり、その薄汚く黄ばんだ歯でロッテの身体へといるのだ。


『ロッテ!! ええい、離れろこの生ゴミども!』


 姉の悲鳴じみた声とともに、ロッテを守るように周囲に黒い立方体が幾本も形成される。それで集っていた屍は弾き飛ばされたが、今度は別の問題があった。


「ぐ……ぁ、ぐッ……うぅ……!」


 身体の内が燃えているかのような灼熱に、思わず呻き、のたうつ。全身から脂汗が噴き出し、口の中が急激に渇いていくのを感じる。

 恐らく、今噛まれたことにより、毒かあるいはそれに類する何かを身体の中に打ち込まれたのだ。


『ロッテ! 気をしっかり、ロッテ!! 畜生、高辻教員早く! ロッテが、ロッテが死んじゃう!!』


 ガンガンと揺さぶられるような頭の中で、ただ姉の悲痛な声だけが木霊して――




「ロッテがやられた……!? クソ……分かった、すぐ向かう!」


 半べそのリーテから助けを求められて、真一は眼を一層険しくした。


(だが……!)


 無尽蔵に湧き出る屍を斬りながらも、真一は内心で舌打ちを一つ。

 身体が、重い。

 泥のように動きが鈍る。気のせいか、刀の切れ味にも徐々にだが翳りが見え始めているように感じる。レイラのメンタルが安定を欠いている中で、とうとう鉄脈術そのものにも不調が現れ始めているのだ。


「ぬ、ぐ……ぉ……ッ!」


 当然ながら、超知覚は使えない。

 それでも押し寄せる腐臭の波を切り拓き、進む。


「そ、こを……どけぇぇぇえええええええッッ!!」


 そうして幾度も刃を振り下ろした最後、一体を袈裟懸けに斬った末に、やっと黒い立方体の壁が見えた。

 数十体の死体が蟻のように群がるその中に、力なく横たわり荒い息を繰り返しているロッテの姿を認める。


「見つけた! 待ってろ、すぐ――」

「――ホノイカヅチ」


 ぞくり、と。

 死体たちの呻き声が犇めく中にあって、しかしはっきりとその声が耳に届いた。

 直後だった。

 曇天の向こう側から一条の雷閃が落ちた。

 周囲にいた死人を灼きながら、その正体がゆっくりと首をもたげる。

 それは、炎だ。

 全長は三メートルもあろうか。見上げれば、シルエットは辛うじて人型と言うことが分かる。燃え盛る肉体を持った、雷の巨人。腐った肉に内包されていたリンに反応しているのだろうか、所々鬼火のように青白く炎色反応を起こしている。

 全身が総毛立つ。

 違う。

 あれは、違う。

 あれは、人の身でどうこうできる相手じゃない……!


『――ッ、跳んで!』


 焦燥の色濃くレイラが叫ぶ。ほとんど反射的に、真一の身体は大きく横へ飛び退いていた。

 瞬間。

 ド、ゴォォオオオオオッッ!! と。

 凄まじい爆音とともに、巨人の腕がつい先程まで真一が立っていた場所を砕く。

 深淵にも思えた影の沼が、刹那とは言え蒸発するほどの強烈な輝きがあった。


「ぐ、ぬぉぉぉおおおおおおおおおおッ!」


 暴力的なまでの爆風が全身を殴る。


(ああ、チクショウ……)


 まさしく絶体絶命の中で、真一の胸にを支配するのは一つの仮定だった。


(もしも、もしも今――)


 それはまるで、深い水底から出づる気泡のように、ふつふつと湧き上がる思い。

 そして、決定的な一言は、ついに言葉となって溢れ出た。


――」


『――……ぁ……』


 しまった、と気づいたときにはもう遅かった。

 はらりと右手に握った剣の感触が、失せる。

 錆色の布となったそれが少女の形を編み上げ、刀がレイラへと戻っていく。

 即ち、鉄脈術の解除。

 真一ではない。

 レイラの側が、これ以上の維持を拒否したのだ。


「おい、レイ――」

「ッ、来ないで!」


 縋るように伸ばした手に、鋭い痛みが走る。レイラが、小さなその手で弾いたのだと気がつくのに数秒を要した。


「……嫌」


 ぽつり、と。

 レイラの口から、絞るような、それでいて確固たる拒絶の言葉が漏れる。

 なにか。

 この数日で積み上げたものが、たった一度の失言で瓦解していく音が聞こえる。


「すまん、今のは――」

「うっさい……」


 彼女が纏う貴族服の、その胸元を飾るブローチが淡く輝いた気がした。

 だが、そこに注視する間もなく、レイラが再び口を開く。


「嫌いきらいキラい! 来んな来んな来んな馬鹿ァァアアアアアアアアアアッッ!!!!」


 いっそ癇癪よりも悲痛と形容すべき絶叫が、真一の耳を劈く。





「――む」


 ヴルツェルが微かに眉を顰めた。

 真一とレイラの仲違いの様子に、ではない。

 原因はその直前に起きた、ブローチの発光だ。


「……、まさか」

「ふ、ぐ……」


 しかし、その思考は微かに届いた吐息に中断される。


「――ラァッ!!」


 一喝の咆哮が、仕合場を駆け巡る。

 ヴルツェルの虚ろな瞳が、動く。

 そこには、黒刀を杖代わりにして身体を支えながら、立ち上がるロッテの姿があった。


「――姉上ェッ! 好機だ、撤退を!」


 彼女は、口から赤黒い血反吐を飛ばしながらも大音声で姉へそれを伝えた。

 意識をあの貴族服の少女に向けていた、その一瞬の隙が徒となった。

 ガガガガガガ!! と、さながら雨後の筍のように黒い立方体が視界を遮るように形成される。


「……チッ」


 そこで始めて、ヴルツェルが忌々しげに舌打ちをした。

魔鉄の加護ブラッド・アーマー』で強化された腕力を用い、強引に立方体を砕く。だが、既にそこには追手だった四人の姿はなかった。


『……追跡しますか?』


 ゴポリ、と。

 粘質な黒が波打つ。囁くような、儚げな声が頭蓋の奥に流れ込む。言うまでもなく契約魔女の言葉だ。


「いや――」


 その提案に、しかしヴルツェルは首を振った。


「その必要はない、リナリア。実証が得られただけで十分だ」

『御身の心のままに――』


 従者のように恭しく頭を垂れる、影の沼からリナリアと呼ばれた少女が浮上する。入れ替わりに、あれだけあふれかえっていた死人や雷神は煙のように掻き消えていった。

 鉄脈術は維持しつつ、その規模を最小化する。

 と一緒に渡り歩いた戦場で覚えた技術だった。


「ああ、やっとだ……」


 戦闘の痕跡すら残らないその地面を歩きながら、ヴルツェルは独り言ちる。


「やっと、君に会える――ゲルダ」

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