第九刃 《夢》

「一緒に住むって、お前……」


 眩暈を感じて、思わず呻く。


「せっまい1Kだぞ! 二人も住めねぇよ!!」

「嘘。だって、ゴミまとめて外に出したらアンタの持ち物なんて台所に収まるくらいだったわよ」


 指摘に、思わず返答に詰まる。その通りだった。もともと〇世代ワイルドエイジの頃から無趣味のケはあったのだが、楓花が死んでからは一層その傾向が強くなっていたというのは確かにある。実際、飽くまで真一だけが使うような物品ならば、全部足したとしてもせいぜい三畳に収まるか収まらないかだろう。

 だからと言って、退くわけにもいかない。この娘、このままでは本当に上がり込んでくるつもりだ。


「お前用の部屋なんて用意してやれんぞ。着替えもなにもかもずっと一緒の部屋でやることになるんだぞ」


 躊躇せず切り札を切った。レイラも年頃の娘である。こんなオッサンの目の前で日常生活など


「いいわよ。何かあったらぶっ放すから」


 悪戯っぽい笑顔で切り札がナーフされた。ちろと覗く八重歯と、取り出された鈍く輝くハンドガン。こんなのではもうどっちが家主かわからない。というか、不法占拠や脅迫、凶器等準備なんたらとかにあたるのではないだろうかコレ。

 結局、実力行使には抗えなかった。

 真一の目の前で、狭いアパートの玄関に家具店の業者らしき青い服のお兄さん方が次々とデカい段ボール箱を運び込んでいく様を、ただ見ていることしか出来ない。


「ああ……」


 がっくりと膝を突く。こんなことで無力感を味わいたくなどなかった。

 後を追うように居間に入ってみれば、真一が二人並んで寝れるくらいどデカいベッドやら、精緻な彫刻が施されたドレッサーやら、明らかにプラスチックやガラスではない、本物の宝石があしらわれたタンスやらがテキパキと組み立てられている。貧しいアパートの一室には余りに不釣り合いすぎる。

 それはレイラも感じたようで、彼女は思案するように腕を組んだ。


「今度リフォームもして貰おうかしら」

「賃貸なんだから出来るわけないだろ……」

「じゃあ、この建物の所有権を――」

「やめろよぅ! 誰が出すんだよその金をよぅ!!」


 制止しておかないと本気でやりかねん辺りお嬢様根性が抜けてない。根本的に金銭感覚が別次元過ぎる。実は亡命期もそんなに苦労してなかったんじゃないかコイツという疑惑が生まれ始める今日この頃だ。

 持ち込まれた全ての家具が揃う頃には、1Kの貴重な“1”部分が半分以上レイラの家具で埋め尽くされていた。


「狭い!」

「だから言っただろ!」


 ちなみに、聖銑職員の恩恵でこれでも家賃に対する広さは結構気前が良いのではあるが。知らないところで意外と暗音の戦略に助けられてはいるのだ。


「あーあ、布団どこに敷くんだよこれ」

「言っとくけど、ベッドに入ってきたら蹴り落とすからね」

「急に押しかけてきた分際でお前なぁ……」


 なんなら1Kの“K”の方を寝床にする可能性も模索すべきかも知れなかった。極論、布団を敷ければそこは寝床だ。和の心とはかくも便利な物なのだなぁと思う。


「っていうか、掃除しているときにも思ったけど、アンタの部屋汚い! どれだけ掃除してなかったの」


 仕舞いにはオカンみたいな小言を言い出すレイラだったが、こればっかりは一切反論出来ない。軽く二、三年はちゃんと掃除した記憶がなかった。これが物理干渉をある程度弾く魔鉄建材でなければ、今頃カビの一つでも巣くっていただろう有様である。

 実際、今も宙を漂う細かい埃が窓から差し込む夕陽に照らされてキラキラと輝いている。幻想的だがそれ以上に不潔この上ない。

 粉っぽい空気を振り払うようにレイラが首をぶんぶんと振った。銀色のテールがでんでん太鼓みたいに舞う。


「埃っぽい……私、先にお風呂入るから」

「あーはいはい、もう好きにしてくれ……」


 完全に自宅扱いだった。もはや抵抗する気すら起きない。

 一方のお嬢様はと言えば家主からの正式な許可(言質とも言う)を取り付けたことで満足したのか、設置したてのタンスの横に置かれた段ボール箱から着替えやタオルを取り出し、心なし軽やかな足取りで風呂場へと向かう。

 と、その途中で思い出したように振り返った。


「……覗かないでよ!」

「誰がちんちくりんのイカ腹なんか喜んで見ようとするんだよ、さっさと行け」

「ちんちくりんとかイカ腹がどういう意味かはよく分からないけどとりあえず馬鹿にされてることは分かったわ。後で泣かす」


 最後の方はもうお嬢様が出して良いドスの利き方ではなかった。

 思わずぶるりと震えながら、随分と面積が減った部屋の床にどっかりと座り込む。寝床はともかく、机や本棚辺りは本気でキッチンの方へ移した方が良いかもしれない。

 最悪、布団を敷くならいままでろくに使ってこなかった押し入れの中という手もあることにはあるのだ。ただしその場合、絵面がどこぞの猫型ロボットになってしまうのだが。ここまで来るとその内に髭がびよーんと伸びてきて、いよいよ「仕方がないなぁレイラちゃんはぁ」とか言い出しそうで薄ら寒いものすら感じる。

 既に奥のバスルームからはシャワーがタイルを叩く音が聞こえ始めている。それをBGMに徒然なるままに日暮らし心に移りゆくよしなしことをぼんやりと考えていた時だった。

 ハッと。

 真一の脳裏に天才的な考えが走った。


(あれ、これ今なら拳銃取り上げられるんじゃないか!?)


 シャワーを浴びていると言うことは、レイラは今全裸のはずである。まさか風呂場に火器を持ち込むほど豪胆な性格をしてはいまい。脱ぎ捨てられた服か、あるいは着替えと一緒に置いている可能性が高い。

 ならば、その隙を突いて銃という暴力装置を奪えば、少なくともレイラによる圧政状態からは脱却できるのではないのか?


「……」


 ゴクリ、と。

 思わず生唾を飲み込む。

 今から行なおうとしていることは謂わば市民革命。バスティーユ牢獄襲撃である。失敗はゆるされない。必ずやレイラ王朝を下して共和制を樹立するのだ!

 胸の内でラ・マルセイエーズの調べが騒がしく鳴り響く。いざ武器を取れ市民らよ! と、さながらマルセイユの義勇兵の心持ちで、真一は抜き足差し足でバスルームへ向かう。

 そっと脱衣所の扉を開けると、まだシャワーの水滴がタイルを弾く音が続いていた。ここから沐浴の時間を考えれば、まだ余裕はあるはずだ。

 鋭く視線を走らせる。まずは洗面台の脇に折りたたまれた部屋着。だが、一瞥して特に金属質なシルエットは見て取れない。


(と、なると……)


 今度は備え付けの洗濯機へと目を向ける。正確にはその横の洗濯物籠に。

 覗き込めば――ビンゴ。先程までレイラが着ていた、黒い貴族服が無造作に脱ぎ捨てられ、突っ込まれているのが見えた。

 気分は爆弾処理班だ。震える手を、その布の塊に伸ばす。手で物色すると、固く冷たい感触があった。間違いなくこれが目的の銃だろう。


(同志諸君、革命の時は近い……!!)


 恐る恐る黒い布地の下にわっさと手を突っ込む。明確に金属の感覚が手元に生まれた。グリップをしかと握って、一息に引き抜こうとしたその時だった。

 がちゃり、と。

 まるでギロチンの首枷のようだった。

 油の切れたブリキ人形が如く、ギギギと音のした方向を向く。

 まず目に飛び込んできたのは、ほんのりと朱が差した、きめ細やかな白い肌。

 未成熟なまま時計の針が止まったその身体は凹凸にこそ乏しいものの、肩や腰――そこから連なる臀部から脚にかけての曲線美は、彼女が確かに「女性」であることを主張せんばかりに目映い。

 今は背に下ろされた銀の髪からは、湯気を立てる雫がポツ、ポツと滴り、ある種背徳的な淫靡さを醸し出している。

 肝心の彼女の表情はと言えば、意外に憤怒の色ではない。紅い瞳をまん丸に見開いて金魚や鯉のようにパクパクと口を閉じたり開いたりしてるところを見るに、余りの事態に脳がエラーを吐いているという感じだ。冗談めかして牽制してみたが、まさか本当に風呂場へやってくるとは思ってもみなかったのだろう。

 チラと彼女の奥のバスタブに目を向ける。

 湯は張られていない。代わりにシャワーが飛び散ったような形跡があった。

 遅まきながら思い出すのは、硬水が多い欧州では沐浴は肌荒れの遠因になるため馴染みが薄いというトリビア。


「な、なななななン……ッ!?」

「待て、落ち着けレイラ。これはだな――」


 壊れたレコードのようにな行ア段を連発するレイラを宥めるために、咄嗟に両手を彼女の方へ突き出す。

 それが不味かった。

 黒の貴族服が舞い上がり、中から真一の手が飛び出す。

 その右手の小指には、何やら高級そうな手触りのする布切れが引っかかっていた。

 何やらレースがあしらわれていて、新雪のように真っ白な、三角状の。

 言うまでもなく、ぱんつであった。

 さて。ここで状況を整理しよう。


 脱衣所で。

 全裸の少女に四十路のオッサンが。

 彼女の下着を見せつけるように突き出す格好をしている。


 ……もはや言い逃れは出来なかった。


П……Палаこの……」


 震える声で、レイラが何事か異国の言葉を発した。どうやら翻訳魔鉄器も外して、完全なリラックスモードだったらしい。

 何を言ってるのかはさっぱりだが、これだけは分かる。

 ――革命、為らず。


Палавыя злачынцыこの性犯罪者!! Die сто разоў 百遍死んでПерайсці ў пекла地獄に落ちろ!!」


 怒声とともに、鼻っ柱へ叩き込まれた握りこぶしで、真一は昏倒した。




「ここから先に入ってきたら殺すからね!」というエラく物騒な宣言とともに床へ積み上げられた参考書という国境の壁を崩さぬように押し入れへ向かう。

 ……結局、なんとかえもんスタイルの就寝が決定してしまった。真一個人としては別にキッチンへ布団を敷いても良かったのだが、引き出せた最大限の譲歩に甘えることにした。この時期の食卓は冷えて、流石に身に堪える。

 行きがけに、豪奢なベッドの中を覗き込んでみる。


「ふにゃ……」


 切り替えは早いたちなのか。天蓋の下では、レイラが実に幸せそうな顔でよだれを垂らして寝ている。

 思わず肩の力が抜けたのは、なにも凶暴な娘が寝付いたことへの安堵だけではなかった。

 布団を敷いておいた襖の奥に潜り込むと、建材の桐っぽい匂いがした。

 これらは、全て本物ではなく魔鉄ブラッドスティールが姿を変えたモノだ。そうとは頭で分かっていても、どうにも実感が湧かない。

 真一が生きた時代において、日本皇国は未だ魔鉄文明化の途上にあった。終盤は殆ど魔鉄建材が普及していたとは言え、幼い頃――それこそ鉄脈術リアクターを扱うようになる前の、幼年期――には、本物の木材に囲まれて育った記憶がある。

 ……両親との記憶は、殆どない。母は戦時中の不衛生な環境にあって、産褥熱を発症し死んだと聞いている。〇世代の戦士だった父が家庭にいることは稀だったし、その父も真一が戦場に立つようになると入れ替わるように、どこか遠くの国で戦没した。

 父は、小さな箱になって帰ってきた。

 ああ、と思い出す。

 そうだ。この匂いは、あの箱と同じなのだ。

 どこか懐かしい心持ちに浸りながら、そっと瞼を閉じる。

 久しぶりに激しい運動を強いられた身体は、思ったよりも早く意識を眠りの淵へと誘った――……





 低い唸り声とガタガタと鬱陶しい横揺れで、真一はふと我に返る。

 座っていたのは軍用車の荷台の上。無骨な鉄の塊が、馬力に任せて悪路を突っ走っていた。

 外へ目を向けると、どこかの森の中らしい。夜露に濡れたな紅葉から一滴、ポツリと雫が落ちた。

 木々の隙間から覗く月影に、思わず手でひさしを作る。

 その手を見て、はっとする。

 若い。皺はなく、ただしなやかな筋肉だけが、浅黒くやけた肌の下に隠れているような掌。

 それは、まさしく少年時代の自分の手に他ならない。

 それで、理解した。


 ここは二一年前。

 もはや記憶の中にしかない、魔鉄歴九年の風景だ。


 運転席には、影のように真っ黒で細部が判然としない男が、ハンドルを握っている。沈黙を貫き通すその姿は、まるで葬式の参列をすら思わせて、空恐ろしくなった。

 ふと、背に触れる感触がある。

 気がつくと顔の横を、艶やかな墨色の髪がくすぐっていた。鼻腔へ届く、石鹸の香り。

 それを、真一はよく知っている。


「――ふ、うか……?」

『うん、なぁに?』


 恐る恐るその名を口にすると、首元へ細っこい腕が巻き付いてくる。

 それもまた、記憶に染みつく彼女の腕と寸分違わず。囁くような返答も、昔のままだ。

 一瞬。ほんの一瞬、途方もない想像が脳裏をよぎる。

 即ち、今までの二一年は全て自分が微睡んでいた夢で、こちらこそが現実なのではないか。

 だが。


「――……いや」


 すぐに頭を振って打ち消した。

 なんと甘美な空想であろうか。いっそ正解であって欲しい。

 だが、違う。

 現実は、そんなに優しくも、温かくもない。


「ここは、夢なんだな。お前は、俺の中の未練なんだ」

『そう、これは夢だよ。真一の意識が作り出した、幻想』


 いつの間にか、真一の姿は元の四十路の中年へと戻っていた。

 バヅン、と。一切の風景が、悪路の揺れが、エンジンの駆動音が、電源を切るように無へと変じた。

 その中あって、背に感じる少女の重みと自分の存在だけが、スポットライトを浴びているようにくっきりと残っている。


『悩んでいる?』

「そうだな、そうかも知れない」


 問いかけに、首肯する。


「俺さ、新しい魔女アールヴァと契約したんだ」

『うん』

「クソ生意気で、人の事情や迷惑も考えずにまとわりついてきて、踏み込んできてさ」

『うん』

「でも、強い子だった」


 告白のように語りながら、思い浮かべるのは銀色のテールを風に靡かせる少女の後ろ姿だ。

 まだ幼く小さいのに、その背には威風堂々とした気高さが宿っていて――


「俺は、不安だ」


 絞り出すような声で、真一はそう吐露した。


「このまま、俺はアイツのパートナーとしてやっていけるのかな。またとんでもない間違いを犯しているんじゃないか。そう考えると、震えが止まらなくなりそうなんだ」


 両の掌に目を落とす。

 開いた手は、生温かくどろりとした真っ赤な液体で汚れていた。

 殺して、殺して、殺して、殺して――最後には、守りたかったヒトまで殺した、殺人鬼の手。


「なあ、楓花」


 呼びかけに、応えはなかった。


「――お前に、いて欲しいよ」


 顔の横を鞠ほどの大きさの何かが転げ落ちていった。

 それは、だ。

 幾度も目に焼き付いて離れない、楓花あいぼうの死に顔と目が合う。

 心なしか、少し口元が笑っているような気がして。


 バンッ!! と。


 床に落ちた首が爆ぜて、辺り一面に紅葉を――楓の葉を散らす。視界を埋め尽くす紅、紅、紅が……――





 べっちん!! と。

 頬に鋭い痛みが走った。

 それで目が覚めた。


「いッてぇな!!」


 思わず叫んで跳ね起きる。

 勢いが良すぎて桐の棚に頭をぶつけた。


「夢見が悪いみたいだから起こして上げたんだけど、随分元気そうね」


 目覚めて早々に涙目で頭を抱える真一に、上から少女の高い声が降ってくる。

 見るまでもなく、レイラである。どうやら真一を起こしてくれたようだが……。


「……うなされてたか、俺?」

「結構。おかげで早めに目が覚めちゃった」


 時計に視線を移すと、まだ六時を回ったばかりだった。今日は平日だが、朝練の顧問もない真一にとってはそこそこ早起きな時刻である。


「早くご飯作ってよ。お腹空いちゃった」


 そう言いながら仏頂面を作るレイラは、どちらかというと朝には弱い方なのだろうか。形の良い眉が逆ハの字にきりりと釣り上がっているのは、不機嫌によるモノだろう。


「へいへい……」


 せっつかれ、渋々台所に立つ。洗面所まで行くのが面倒なので、そのままキッチンの水場で顔を洗ってから冷蔵庫を開くと、食パンが数枚とこの間買って、後で回収しておいた肉が鎮座していた。それ以外は野菜類と麦茶にビールと、どれも朝食には適さない。卵があることにはあったが、この時分にフライパンを取り出すのも億劫だった。

 というわけで、軽く焼いた食パンと燻製ハムという簡素なメニューが食卓に並ぶことに。


「もっとしっかりしたのないの? あとホットココア」

「文句言うなら自分で作れ。あとココアなんて品の良いもんがつい昨日まで男一人暮らしだったこの家にあると思うな」


 ぶーたれるレイラの口にトーストを突っ込みながら、シャツに袖を通す。ネクタイをゆるめに締めると、大分伸びきっているのに気づいた。いい加減に買い換えた方が良いのだろうが、生憎と機会がない。


(さて、後は――)


 ちらと部屋の隅へと視線を向ける。

 そこには、古ぼけたトランクケースが一つ。中身は、言うまでもなく魔鉄器の籠手である。


(アレを着けていくか、いかないか……)


 正直、抵抗はある。前の魔女である楓花を喪ったのは、たとえこうして新しくレイラと契約を結んだ今でも、真一の心に暗い影を落とす出来事であるのには変わりない。加えて、今朝方はあんな夢を見た直後なのだ。


「……そういえば真一」


 悩んでいたら、レイラから再び声がかかった。


「あんだよ?」

「楓花って、誰」


 思わずぎくりとした。


「寝てる間に呟いていたけど」

「……ああ」


 聞いて、得心した。あの内容なら、確かに寝言で口走ってもおかしくない。


「魔女だよ。俺の、前に契約していた」

「……ふぅん」


 返答を聞くと、何やら一層むっつりと黙り込むレイラ。

 その時だった。

 ジリリリリリ! と。

 狭い居間の、さらに家具の隙間に押し込んでおいた電話がけたたましくベルを鳴らした。


「はい、高辻。どちらで?」


 近くにいたレイラから受話器を受け取る。問いはしたが、真一の家の固定電話をわざわざ鳴らすヤツなんぞほぼほぼ一人に絞られる。


『私だ。黒崎暗音だ』


 予想通り、通話の主は暗音だった。レイラのそれと比べると些かハスキー気味な、しかし魔女の特性としてしっかりと少女のままの高さを留めた声がスピーカーから流れてきた。


「暗音、お前レイラを俺んちに寄越しただろ。おかげでただでさえ狭い部屋が寿司詰めなんだが……」

『文句を垂れるな。製鉄師ブラッドスミスの高辻真一』


 どうやら復帰兵と言えど、一度戦線を退いた以上、待遇は新人と同等に処す――と言いたいようだ。思わず溜息が出る。


「……で? 要件はなんだ。まさかモーニングコールのサービスって訳じゃないだろ?」

『ああ、仕事の依頼だよ。上手くいけば二人暮らしに適した部屋が融通されたりするかもな』


 依頼、と言う言葉に、真一の眉がピクリと動く。

 〇世代時代に良く聞いたフレーズだった。


「それは、製鉄師としてのってことか」

『問われる必要性を感じないな』


 言外に、暗音は肯定した。

 そのまま有無を言わせぬ口調で続ける。


『高辻真一並びにレイラ・グロリアーナ・ベラルス両名、本日午前九時までに理事長執務室に出頭すること。担任業務は美玲に代行させるから心配しなくて良いぞ。以上だ。さっさと身支度調えて来い』

「あっ、おい待て――」


 真一が制止しようとしたときにはもう遅かった。ツー、ツー、という単調な電子音が、通信が断ち切られたことを端的且つ明快に示す。


「製鉄師としての仕事?」


 いつの間にかトーストを食べきってたらしいレイラが、耳聡くこちらを見上げていた。


「……はぁ」


 先程までとは打って変わって期待と喜び、あとは自信で輝かんばかりの表情を見て、真一はもう一つ大きな溜息を吐いた。

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