第八刃 《次なる手札は》
ロッテとリーテの勘違いによる襲撃。そして、それに対抗するためにレイラと契約を結んで、数日後である。
日曜が終われば月曜が始まり、また六日間の学校生活が始まるのが世の摂理だ。生徒達にとってはまた面倒な授業が始まる合図だが、それは教師であっても変わらない。
だいたい、少し知恵がつき始めた高校生くらいになったとはいえ、相手は子供。さすがに中学生のそれほどでもないにせよ、統率の取れてない未熟なガキンチョを数十人と相手取るのは中々の激務である。
だからこそ、これはむしろ僥倖だったかもしれない。
ゾンッッ!! と。
真一が振るう朱色の刃が一閃。直後に、ARで具現された人型の仮想敵が真っ二つに別たれた。
直後に横から躍りかかってくる別個体の、ちょうど顎の部分を柄で突き上げ、振り向きざま背後に迫っていたさらにもう一体を袈裟切りにする。
……実体はないはずなのに、手応えだけはしっかりと伝わってくる。
『ふん、見た目の派手さには欠けるが、対人戦では無双か』
だたっ広い正方形の部屋の、右上の隅に取り付けられたスピーカーから暗音の声が聞こえた。先程からの真一の戦闘はどこかに仕込んであるカメラから常にモニターされている。
理由は単純。新たな
『そろそろ二七体目だが、調子はどうだ』
「どうもクソもねぇ。四十路のオッサンにはちっとばっかしハードだよ。あと、予測の材料になる生理現象がないのを差し引いても動きが単調すぎる。実戦訓練としては役に立たねぇだろ、これ」
『はっはっは安心しろこれはレベル
「やめろ馬鹿せめて段階踏めよ!?」
宣言通り、いきなり数も動きも格段に上がった仮想体を、しかし抗議の声とともに的確に捌いていく真一。その動きに一切の無駄はなく、ただ横から背から上から下から襲い来るモデルの首や胴を引き裂いていく。
『……これで
思わず、と言った様子で暗音が漏らすのが聞こえた。
「位階は単に強さをそのまま表しているわけじゃないだろ。俺向きの戦闘、ってことだ」
無論、
だが、それは飽くまで「その位階に割り振られた術に強大なモノが多い」というだけの話。位階それそのものはOW深度――有り体に言ってしまえば『
真一の場合、それは確かに日常の生活において多少の不便こそもたらしたが、だがそこ止まりだ。故にこそ、対人白兵戦という環境下にあって無類の強さを発揮できようとも、彼に割り振られた位階は
とは言え、だ。
そもそも、悪龍や邪神を相手取るならいざ知らず、こと人を殺めるのに神々の雷霆は必要ない。ただ握り拳ほどの石礫が頭に当たるだけで、絶命するには足りてしまうのだ。
故に、理論上はこの結果も不思議なことではない。
不思議なことではないのだが……。
『それでもお前は優秀だよ。見込んだだけはある』
「……やめろ。久々の感覚で、増長しないように気をつけてるんだ」
それにしたって、真一の叩き出している成績は異常だ。
鍛鉄位階の少女と互角以上に競り合ったことはもちろん、今行なっているこの訓練だって、本来なら鍛鉄以上の位階を認められた者の能力測定に使うメニューである。
それが難易度DANGERともなれば、文字に偽りなく怪我をする者も決して少なくないと言うのに、剣を舞うように振るう真一のその身体には、未だ掠り傷一つない。
単純な実力は鍛鉄位階のそれに勝るとも劣らず。
『これがもし成長などしようものならどうなることやら』
位階は、決して固定ではない。
そもそもとしてその発動プロセスから心理的な要素が占める部分が大きい鉄脈術において、それに変革をもたらすのはやはり心の動きだ。
より正確に言うならば――心の有り様を大きく成長させるようなブレイクスルーと、自分が間違いなく一歩先のステージに至ったという確信。それが得られれば位階が上がり、鉄脈術それ自体にも大きなイノベーションが訪れる……とされている。
「……成長? 俺が?」
『そうとも、第一歩は踏み出せたようだが、それでは
スピーカーから、偲び笑いが漏れた。
『早く飛び立てよ。龍は空を舞ってこそだ、なあ?』
「けっ。そうかよ」
からかうような声を適当にあしらいながら、刀を握る手に力を込める。
その左腕に鈍く輝くのは、鉄色の籠手。
――かつての戦場。そこを駆け抜けた時代の、残滓。
実のところ。
「……」
聖銑学園の理事長執務室で、黒崎暗音はモニターの中継画像に軽口を叩きながら薄ら寒いものを感じていた。
(使わせているのは楓花との鉄脈術用にカスタムしていた昔の魔鉄器。装備だって本格的な戦闘用じゃなくてただのジャージだが……)
だというのに。
目の前で繰り広げられているこれは、なんだ?
「……フン」
チラ、と画面の枠外にあるスコア表へと視線を移す。
決してこの測定システム自体は新しいものではない。むしろ、
それでもなお、スコアボードには暗音でさえ滅多に見ないような数値が刻まれていた。
「……製鉄で三桁を出したのはお前と楓花のコンビ以来だよ」
ぽつり、と。
マイクを切りながら、モニターの中で踊る彼の姿へと囁く。
これが、しかるべき装備を用意してやったらどんな化け物に生まれ変わるのか。
そして――自分は、その化け物の手綱を握りきれるのか。
「……ッ、フフ」
ゾクリ、と悪寒が背中を走るのを、暗音は微笑で誤魔化した。
(全く……お前たちを選んで正解だったよ)
「――し、失礼しまぁす」
思考の渦を打ち破ったのは、控えめなノック音と女の声だ。
「入れ」
言われて、執務室の馬鹿でかい扉を薄く開いたのは眼鏡を掛けた身長の低い女性だ。とは言え、一般的な大人の平均値より少し下程度なので
「美玲、どうかしたか」
彼女の名は中里美玲。主に聖銑学園の広報や、それに付随して外部組織との折衝を任せている新人教師だった。確か担当科目は世界史だったか。
「お、お客様をお連れしましたぁ……」
「――失礼する」
生徒の一部から可愛いと大評判な、オドオドと気弱そうな佇まいの美玲の背後から、二人の少女が姿を現した。
スラリと背の高い洋装の少女と、反対に小学生くらいの改造浴衣を纏った少女の金髪碧眼二人組。言うまでもなくシャルロッテ・キャロラインとシャルリーテ・キャロラインである。
「……まずは先日の騒動と非礼、謹んでお詫び申し上げる。事が済めば腹を切る所存」
「やめろやめろ。後処理が面倒くさい。だいたい切腹なんぞ、傷口から臓物と糞といろんな液が漏れ出て汚いだけだ。絶対によせ」
外国人のくせにえらく日本的且つ古風なことを言い出すロッテを、右手を振って制止する。そもそも、特使に切腹なんぞされたらそれこそ外交問題だ。あのシスコン国家元首が顔を青くするのは見てやりたい気持ちもあるが、こちらにまで厄介ごとが降りかかるのは御免被りたい。
……とは言え、金の話は金の話。今回の件に関する諸々の賠償金やら修繕費やらは昨晩の間に全部ライオニア=フランスの自治政府へと要求してある。今頃、この二人を送り出した高官はこってりと絞られていることだろう。
「貴様らが追っている製鉄師についてだが、県警に頼んで近辺のあらゆる監視カメラを調べて貰った」
指を鳴らすと、美玲が手に持っていた資料をロッテとリーテにそれぞれ手渡した。紙面に印刷されているのは、皇国鉄道の千葉駅にある監視カメラだ。
「やれやれ、身なりも整えず真正面からやってくるとは。舐められたものだな、我が国も」
雑踏のなかに、浮浪者然とした影があった。もじゃもじゃと癖の強い黒髪を肩まで伸ばし、口の周りにも濃い髭を蓄えた中年の男。彫りの深い顔に収まったアッシュグレーの瞳はやぶにらみに細められている。
「一応確認しておこうか。コイツで間違いないな?」
「恐らく」
恐縮したように身を縮める妹に替わって、頷いたのはリーテだった。
「ヴルツェル・H・オルフォイス。先の大戦では、ライオニアとして統合が果たされる以前のシンジケートに用心棒として飼われていたらしい。――最終記録では、
「……」
リーテの読み上げるプロフィールを聞いて、チラと視線をモニタへ動かす。画面の中では、ようやく全ての測定メニューが終わったらしい真一がタオルで汗を拭っていた。
似ている。顔かたちではなく、その境遇が。
(さて……)
真一は、新たな魔女と契った。停滞から新たな一歩をようやく歩み出したのだ。
暗音が求める領域には、あともう一歩及ばないし、熟成を待つ時間はない。
……この自分の鏡像のような男と出会ったときに。彼は何を思うのか。どんな反応を起こし、どんな方向へ舵を切るのか。
荒療治だが、賭けてみる価値はあるか。
「いいだろう。お前たちに協力してやる」
「! 助かる!」
ぱぁとわかりやすく顔を明るくするロッテと、まだどことなく訝しげな眼で探るようにこちらを窺うリーテの対比を眺めながら、扇子の舌で口元を歪める。
「ただし、人員はこちらで指定させて貰うからそのつもりでな」
鬼が出るか蛇が出るか。いずれにせよ、ここで腐ればその程度の札だったと言うことだ。
策士とは、事態がどのように転んでも『自分が何も得ない』という結果だけは作らない生き物のことを言う。
例え、後生大事に育ててる最中の手駒を、自らの手で奈落に突き落としたとしても。
†
「っかー……」
昨日今日と久しぶりに動きすぎた。
歳と、それ以上に運動習慣の欠落で衰えに衰えた体を実感させてくる倦怠感を背負いながら、真一は職員室への廊下を歩いていた。
いつものヨレヨレシャツにスラックスではなく、運動上がりのジャージ姿だ。面倒だとシャワーを浴びずに来たせいで、加齢臭と汗臭さとタバコ臭が最悪のマリアージュを形作っている。
そんな有様だから、ばったりと曲がり角で出くわした男子生徒が眉を顰めながら鼻をつまんだ。
「うわ、浮浪者だ」
「高辻先生だ。この不良生徒め、今はまだ授業時間だろう」
コチンと軽く拳骨をくれてやると、「いて。なんだ、タカティーですか」と呟く生徒。名はたしか
「
「残念。美玲ちゃん先生が急用で自習時間なのです」
「自習ならぷらぷらせずにちゃんと机に向かわんか。まったく」
あと教師をあだ名で呼ぶな、と言いたいところだが注意してもどうせ治らないのでやめておいた。
「というかタカティーこそなんでこんな時間にジャージなんです? しかもヤバい臭いするし」
「俺は、まあ仕事の一環だ。だいたい、そこまで臭くはないだろう」
「……まあ、得てして自分の体臭は自分じゃ解らないもんですし……」
心底哀れなものをみられるような目を向けられた。なんだ。そこまでエゲツナイのか。流石に不安になってくる。
「そういえば、タカティーのクラスになんかちょっと特別な子が来たんでしたっけ。統一貴族の家系とかなんとかって」
「ん、ああ……」
半ば強引に話題を切り替えてくれた景だったが、真一としてはこれもまた苦い話題ではある。まさか生徒相手に「そうなんだよーしかも先生、この間その女の子と契約を結んじゃってさぁHAHAHA!」とか言えるわけがない。
以前も述べたが、この国において製鉄師と魔女の契約はしばしば男女の関係を暗喩する。そんな中で、まさか転校直後の少女と契約を結んだなどと言うことが発覚すれば、もはや健全な教師として見られることは金輪際望めないだろう。PTAでも針のむしろになりかねない。なんとか隠し通さなければ、
「まあその子がさっきタカティーと契約したとか言って早退けしてったんですけど」
「ぶふぅ――――ッ!?」
時すでにお寿司ってやつだった。
決意を新たにした瞬間に出鼻をくじかれた気分だ。契約したことで金色に変わった登録証を見せびらかしながらご満悦顔でべらべらいらんことを喋るレイラの姿がありありと思い浮かぶ。
「いやー、そうですかそうですか。とうとうタカティーも身を固めるのかー」
「……なんだその腹立つ上から目線は」
「俺はもう
光、というのは景の契約魔女のことだ。姓は
「アホたれ、元〇世代だって知ってるだろうが。むしろ俺の方が大先輩だ」
「えー、でも男と女の心模様っていうヤツは時代とともに移ろうものですしー」
「さては調子に乗ってるな?」
「でも」
そこで、景が声をワントーン落とした。人なつっこくにへらーと歪んでいた顔が不意に引き締まってみえる。
「正直、タカティーもここ数日でちょっと元気になったみたいなので、安心してるのは本当ですよ」
「あん? 別に風邪とか引いてなかっただろ」
「いや、そういうんじゃなくて。活き活きしてる感じ。なんか前まではどこか冷めてるというか、いつもつまんなそうにしてたイメージがあったので」
「……」
言われて、考える。
確かに、ほんの数日前――レイラと出会う前までは、目に映る物全てが朽ちた世界の中にあった。
あの日、九月三〇日に暗音に言われた嫌味を思い出す。
……錆びきった世界の中では、心が動くということなんて全くなかった。芯の部分に、目の前で起きていることをただ他人事のように傍観しているような自分がいた。
それが、今はどうだ。
あのツインテ機関車娘に引っ張り回され、ヘンテコブシドー娘に追いかけ回され、仕舞いには自分で避けていた鉄脈術に再び手を伸ばして――
アクリル越しに世界を眺めて、立ち止まっていた自分を、空から降ってきた
それは――
「タカティー、なんかニヤついてません?」
「……気のせいだ。それより、そろそろ予鈴が鳴るから教室に帰っとけよー」
「あ、やっべ。じゃあタカティーさようなら!」
「高辻先生、だ。教師にあだ名をつけるな」
注意も聞きやしないでぴゅーと廊下の奥へ消えていく景の背中を見ながら、真一は改めて思う。
――それは、レイラとの出会いは、自分にとっても良い影響を与え始めているのではないか、と。
そんなわけがなかった。
今日は業務も免除されているので、着替えを詰めたバッグを肩に掛けながら帰路についた真一は、まさにアパートの自室の前で頬を引き攣らせていた。
「……オイ」
「なによ」
若干震え気味の声で呼びかけると、当然の如く返事がある。鈴を転がすようなソプラノ。言うまでもなくレイラ・グロリアーナ・ベラルス殿下である。
「これは、なんだ」
油の切れたロボットのように固い声で問う。
視線の先には、まず堂々と開け放たれたドア。
次いで、代わりに出入り口を塞がんと山積みにされているのは、夥しいゴミ袋や新聞紙の山と、入れ替わるように用意されている家具の段ボールだった。メーカーはライオニアの一流財閥グループ。この家具一個で家賃何ヶ月分払えるんだこれとついつい下衆な勘定をしてしまうような高額商品である。もちろん、そんなもんを注文した覚えはない。
レイラは、「はぁ?」と形の良い眉を顰めながら、
「何って、アンタがため込んだゴミと、私のベッドとタンスにドレッサー、あとはデスクじゃない。見ればわかるでしょ」
「……いや。ゴミはいいとして、なんでお前の家具がここにあるんだ! あとどうやって入った!?」
食い気味に詰め寄ると、鼻先に鍵が突き出された。クロム合金特有の、深みのある白銀色。形状どは実に見覚えがある。
というか、自室の鍵だ。
「なんでだよ!?」
「合鍵。クロネがくれたわよ」
言われて、真っ黒黒助理事長が扇子を片手に高笑いしている幻が見えた。あのババアなんのつもりだというかいつの間に合鍵なんて作ったんだと思いながら、一応レイラへの問いを続ける。
「……家具は?」
「アンタねぇ、流石に察しが悪すぎない?」
腕を組んで苛立たしげに言うレイラを見て、疑念が確信に変わる。
外れてくれと願っても、現実は非情に
「私もここに住むからに決まってるでしょ! 一心同体のパートナーなんだから、しっかりして欲しいわね! もう!」
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