第六刃 《祝詞を詠うは鋼の巫女》
ライオニア商業連合国は、主に西ヨーロッパ圏を中心に支配域を持つ
歴史としては他の超国家よりも些か浅く、巨大商業シンジケートが商業組合を統一政府として成立したという経緯を持つ。地図上の領土こそヴァンゼクスやアクエンアテンに及ばないものの、保有する圧倒的な資本で各国に出資や企業進出をしているため、事実上の勢力圏は全世界といっても差し支えはない。
そのライオニアの中に、かつてフランスと呼ばれた国が存在する。
今やライオニア=フランスとでも呼ぶべきその「自治体」が擁する庁舎の一室で、齢五〇ばかりの痩せぎすの男が大きく息を吐いた。アンリ・バスティアン。一応はこの国の外交部においてそこそこのポストを占める官僚なのだが、その切れ長な目元には、いまは深いクマが刻まれており見る影もない。
大分白髪が増えた金髪を掻き毟る。頭痛の種は、部下の失敗だ。
実は先日、要観察対象になっていたある
国家憲兵隊が取り押さえに向かったときには既に彼の拠点はもぬけの殻。その後の調査で彼と素性不明の
そこまではいい。そういうイレギュラーな事態に対応するのも仕事の内だ。
問題は。
「なんで肝心要の顔写真や人相のデータをごっそりなくすのだ……」
顔面蒼白な彼女から報告を受けたときは、文字通り開いた口が塞がらなかった。
タイミングも最悪だった。件の要注意人物を追わせる為に雇った製鉄師が、具体的な仕事内容の説明を受けに庁舎に来るその日の朝になくしやがったのだ。おまけにバックアップも取っていないというそれ以前の問題も発覚。まさしく泣きっ面に蜂だ。
わざわざ来てくれた彼女らを無下に帰すわけにも行かないし、何より緊急案件だ。可能な限り早く動いて貰いたい。
苦肉の策として、詳細にターゲットの容姿を説明したうえで出国して貰い、彼女らが現地に到着するまでの時間でなんとかデータをサルベージして完了次第通信で向こうに渡すという形に。
ターゲットが最後に明確に確認されたのは千葉。事前の日本政府への根回しで、彼女らの現地での活動に必要な協力を千葉の製鉄師養成学園に仰いである。
故に、依頼を出した製鉄師達に「千葉の聖銑学園に行け」と言い含めていたのだが……。
(まあ、道中で倒してくれるならそれが一番なんだが)
前述の建国経緯から、ライオニアという超国家は些か拝金主義的で吝嗇な国民性がある。そうでなくたって滞在費が少なく済むのなら予算不足に悩む行政としては万々歳だ。そもそも今回雇った製鉄師も元々日本への渡航にかなり意欲的で、相場より低い賃金でも快諾してくれたというのも選考理由としては大きいところがあった。
手元の履歴書に目を落とす。
名前はそれぞれ、製鉄師がシャルロッテ・キャロライン。魔女がシャルリーテ・キャロライン。愛称をつけるならロッテとリーテ辺りか。珍しく姉妹で契約を交わしているコンビらしい。ロッテの方は背が高く鮮やかなブロンドをポニーテールに結わえた少女、対してリーテが背が低く髪も短い方だ。最も、これは魔女の特性故だが。
本来ならまだ学生の身分だが、一度東京の聖玉学園との交換留学で日本の滞在経験があり、
そこで既に、アンリの関心は不祥事を起こした馬鹿の処遇をどうするかに移っていた。
だが、彼は気づいていない。
彼はロッテとリーテにこう言った。
『現地に着いたら聖銑学園に向かいたまえ。現地の製鉄師と共同戦線を張る手はずになっているが――ああいや、もちろん道中でターゲットと思しき人物に出くわしたら倒してしまって良い。ターゲットは中年から初老の男、あまり身だしなみには気を使ってないらしい。アジア系の血がかなり濃いらしいから一見すると日本人に似ているかもな。魔女の方が相当高位で、あちらでは珍しい銀髪がトレードマークらしいから、そちらを目印にしたまえ』
ここで不幸が重なった。
この条件に重なる人物が、聖銑学園にはいたのだ。
さらに、その男の周囲にはここ数日、まさに銀髪がトレードマークの魔女体質の少女がつきまとっていた。
では、問題。
そんな連中が出会ってしまったらどうなるか?
†
ドグンッ! と。
虚空が、脈動する。
リーテの、そのアストラルボディに秘められた
つまりは、鉄脈術の発動。
「
少女の唇が、まるで古の弓取りが戦の前に上げていた名乗りのように謳う。なれば、それこそが彼女らの代名詞。鉄脈術の術名だ。枕の鍛鉄は、製鉄師としてのランクの一つ。
製鉄師としての力を持てない
外見に大きな変化はない。
だがその異常性は咄嗟に真一が投げつけたコーヒーの空き缶で証明された。
「小癪な」
宙を舞った缶を、ロッテがきりりと睨む。その直後に構えられた刀の、その刀身がフッと視界から掻き消え――
まるで、紙を斬るようだった。
スチール製のはずの缶が、ほとんど抵抗を感じさせずするりと二つに断ち別たれた。
少女に視線を戻せば、その右手は振り抜かれた姿勢でしっかりと日本刀の一振りを握っている。
その正体は、剣閃の視認すら許さない神速の太刀。
技を極めればどうこうという話ではない。完全に人体が出せる範疇を超えている。
そのことが、通常の法則の理外にある術によるものであることを何よりも克明に示していた。
恐らくはこの場の誰よりも長くそれに触れてきた者だからこそ、真一の反応は迅速だった。
即ち。
「逃げるぞ!」
「えっ、にゃっ!?」
三六計なんとやら。短く叫び、隣にいたレイラの首根っこを掴む。子猫のように持ち上げられた少女が目を白黒させるが、そんなことに構っている余裕はない。
「な――見苦しいぞ! 神妙に勝ぶぉぉぉおおおおおお!?」
予想外の行動だったのか、日本刀を振り上げながら追ってくるロッテの足下に向かって空き缶カゴをひっくり返したのが功を奏した。見事に踏んで派手にひっくり返っている内に、なんとか距離を開ける。
「これから何処行くの!? と言うかせめて背負いなさいよ、いつまでこの体勢続けんのよ!」
「何処でも良い! とにかく隠れてやり過ごす!」
レイラが手足をバタバタ暴れさせるので仕方なく負ぶってやりながら答える。
視線の先には、先程音が聞こえてきたビル工事の現場。ちょうどクレーンで鉄骨やらを束ねて持ち上げているところだった。通行規制や重機のおかげで隠れるところも多いのは好都合だ。
「街中で鉄脈術を使ったんだ、魔鉄犯罪課がすぐに――」
「させんよ」
声が、聞こえた。
レイラのものでも、ましてや真一のものでもない。しかし聞き覚えのある声。
というか、ついさっき聞いたばかりの声だ。
「ッ!」
慌てて真横を向いた直後だった。
ゾンッッッ!! と、空を白い刃が切り裂く。
紙一重で躱して下手人を見れば、そこにはやはり先程のロッテが刀を持って横に並んでいた。背にはちょうど今の真一とレイラのように、彼女の魔女であるなんちゃって和装のリーテが貼り付いている。
どうやってここまで辿り着いたのか、という疑問は、彼女の足場を見て解消された。
先程から、ロッテのちょうど足がつくところに半透明の黒い柱のような物体が立て続けに形成されている。足を伸ばしたその先に自動で生み出されるソレを蹴りながら、三次元的機動でもって障害物を飛び越し、こちらに追い縋ってきているのだ。
これも彼女の鉄脈術かと思ったが、どうやら違う。この不可思議な物体は魔女側の動きに合わせて形成されている。
鉄脈術の発動中において、魔女がそのアストラルブラッドに含まれる魔鉄分を用いて製鉄師のサポートを行える場合があるが、どうやらリーテもその口らしい。
「シ――ッ!」
ロッテの薄く開かれた唇から鋭い吐息が漏れ、再び刃が閃く。今度は二刀による左右からの攻撃。
それを、真一は直前に刀を蹴り上げ隙を作ることでなんとかいなした。足を振り上げるタイミングはほとんど勘だったが、どうやら上手くいったらしい。
「おら……ッ!」
「ぐ、む――」
腕を弾かれ、体勢を大きく崩したロッテの脇腹に追撃のもう一蹴り。完璧にこちらが悪者の絵面だが、なりふりなど構ってはいられない。
「レイラ! お前、銃持ってたよな!?」
「あるけど、撃ったことなんかない!」
「貸せ!」
言われるがままのレイラが差し出してきた銃を?ぎ取る。いわゆるオートマチック式のそれの、安全装置を手早く外してスライドを引くと、弾丸が薬室に送り込まれ撃鉄がガチリと重い音をたてて起き上がる。
「弾は?」
「魔鉄被甲!」
「上出来」
帰ってきた返答ににやりと微笑む。
銃口を向ける先はロッテやリーテではない。そもそも魔女と契約を結んでる製鉄師はその性質上、その半身と同じく
あるいはOI体質者である真一が扱えばまた話も違おうが、すると今度は一切の手加減が利かなくなるという不便が生じる。もっとも、彼女らの反応速度であれば掠りすらしないだろうから杞憂というモノだが、そうなればどのみち徒に弾を減らすだけの結果に終わる。
故に、真一が狙ったのはその真上。
先程のクレーン。さらに言うなら、それが釣り上げている鉄骨の束に取り付けられたワイヤーロープだ。
ドウッ!! と拳銃が手の中で火を噴いた。一発、二発、三発。
銃に比して存外に大きい弾丸が紅く灼けて飛び出す。風の影響まで計算に入れられて放たれた弾丸は、吸い込まれるように真っ直ぐと、鉄骨を釣り上げる金具を粉砕した。
戒めから解放された、暴力的なまでの質量が重力に従って雨のように降り注ぐ。
「づ……はッ!」
事態に気づいたロッテが目を見開くが、もう遅い。
直後に、地面へ大量の鉄骨が雪崩のように接触した。
横倒れになったそれらは完全に道を塞ぎ、あるいはコンクリートを砕いて突き刺さっている。下に真一やロッテ以外に人がいなかったからこそできた荒業だ。
……鉄、とは書いたが、魔鉄による建築技術が普及したこの時代においては、そのほとんどが魔鉄と考えて良い。だからこそ弾丸に魔鉄被甲がされていたのは幸運だった。もしその処理がされていないような安い弾丸だったら、着弾しても金具に弾かれてこの作戦はとれなかっただろう。
「ちょっと、大丈夫なの!?」
レイラが驚きと不安の綯い交ぜになった声で叫ぶ。
だが。
ギ、ギギ……、と。
金属と金属が擦れ合う音が響いた。
「大丈夫もクソも、
忌々しげに吐き捨てた真一の目の前で、一番下の鉄骨がわずかに浮き始める。ズルリと隙間から這い出たのは、傷一つない少女の白い指。
これでも、足止めにしかならない。
それが製鉄師という存在だ。
再び駆け出した目の前に例の黒い立方体が立ち塞がるように浮かび上がるのを、跳び箱の要領で乗り越える。今はとにかく追手の視界から逃れるのが先決だった。
折り重なった鉄骨が、ゆっくりと持ち上がる。
慌てて様子を見に降りてきた作業員達が目を見張るその前で、腰ほどの高さに浮かび上がった直後に、銀閃。
鋭利な刃で真っ二つにされた鋼の塊が、音を立てて転がる。
土埃とともに中から現われたのは、全く無傷の少女二人――即ち、ロッテとリーテだった。
周囲を剣呑に睨み付けて、ロッテが舌打ちする。
「……逃がしたか」
「諦めるには早いさ」
対するリーテは袖の汚れをはたき落としながらそう返した。
手には携帯電話。その画面には、地図アプリが起動している。
「そう遠くへは行っていないだろう。幸い、この辺りに上空からの目隠しになるような遮蔽物はない」
「建物に入られた可能性は?」
「なに、心配はない」
言いながら、リーテは携帯電話を懐に差し込んだ。
「その時は虱潰しだ。既にライオニア特使の権限で、聖銑駅周囲一帯を封鎖して貰っている」
囲いは作られた。
あとは、袋の中のネズミを追い詰めるだけだ。
†
「……チッ、どうやってるのかは分からんが電波も妨害されてる。狩りにしては派手にやるぜ」
圏外を告げる録音音声を聞きながら、真一は渋面で呟いた。
逃げ込んだのはビルの隙間にある薄暗い路地だ。ついさっきまでチンピラがたむろしていたが、迫真の形相で突っ込んでくる真一の姿を認めるなり蜘蛛の子を散らすように消えてしまった。ここら辺で素直に逃げるあたり、最近の悪ぶってるガキは小賢しいと思う。
「助けは呼べないの?」
「無理だな。聖銑学園まで辿り着ければ話は違うだろうが……」
通学路は多くの生徒やバスが通る都合上、開けた構造だ。必然、見つかりやすくなる。とてもではないが無策で飛び出せるような状況ではない。
(魔鉄器で対抗するのも無理、か……)
あれだけめちゃくちゃな方法を使っても多少の時間を稼ぐことしかできなかった。鉄脈術が戦争を塗り替えたのは歴史の教科書でも常識として扱われるが、改めてその理由をまざまざと見せつけられた気分になる。
そう、鉄脈術。
それが、彼我の間に横たわる究極の壁だった。
「ねぇ、真一」
「なんだ」
「やっぱり私と契約しない?」
だから、レイラが漏らした提案は決して予想できなかったものではなかった。
鉄脈術さえ使えるようになれば、少なくともこの場を切り抜ける程度のことはできるようになるだろう。
だが。
「……ダメだ」
真一は、強く首を横に振った。
「なんでよ!」
「……俺はな、レイラ」
ぽつり、と。
彼女の問いに答えるように、真一は先程言おうとしていた言葉の続きをこぼした。
「俺は出来損ないの製鉄師なんだよ」
真一が実際に製鉄師として活動していたのは二〇年以上も前の話だ。
だが、ここで疑問が生じる。
彼と契約していた魔女は?
彼女は、今どこでなにをしている?
……
つまり、真一もその一人。
脳裏に財布の中に納めた写真のことが浮かぶ。
墨色の髪と蒼の瞳の少女は、もうこの世にはいない。
「俺は自分と契約した魔女を守れなかったんだ。一緒に生きていこうって、そう約束したのに!」
かつての魔女――七泉楓花を殺したのは自分だ、と真一は思う。
そんな人間が、果たしてもう一度製鉄師として活動できるか。
もう一度魔女を殺してしまうだけなのではないか。
製鉄師としては余りにも致命的で、破滅的な汚点。
その上で。
レイラは、胸を張りながら口を開いた。
「とっくに知ってるわよ、そんなこと」
「……は?」
完全に想定外の返答に、思わず間抜けな声が真一の口から漏れる。
だって、そんなのはわざわざ自分から曰く付きの品を買い求めるようなものだ。好事家ならともかく、まともな価値観を持っていればまず近づこうとは思わないのが道理というものだろう。
真一の言いたいことを顔で察したのか、やや不機嫌そうに眉を釣り上げながらレイラが言う。
「私がこれから契約しようって人間のことをちゃんと調べないとでも思ったの? だいたい、フリーの製鉄師なんて契約できなかった奴か脛に傷持ってる奴しかいないじゃない」
「ッ、じゃあなんで――」
「それでも良いからに決まってるでしょ」
灼けた鉄のように真っ赤な瞳が、真っ直ぐ真一を見据える。
「別に魔女が死んだ製鉄師が死んだはマイナス要件じゃない。私は直接戦ったことはないけど、どんなに優秀な戦士だって些細な不幸の組み合わせが死に直結するのが戦場だってことぐらい知ってるつもりよ」
「そういう話じゃない! アレは俺の判断ミスだ! あそこで――」
「自己分析が終わってるならプラス点ね。同じミスを繰り返すほどアンタは馬鹿じゃないでしょ」
淡々と言いながら、腕を組むレイラ。
「だいたい、今この状況からどうするのよ」
「……とにかく隠れてやり過ごす。そうすれば、俺たち自身から動かなくたってじきに警察とかがなんとかしてくれる」
「はいダウト。なんで追われてるのかは全くわかんないけど、通信も交通も封鎖されているなら、相手は行政の側とくっついてる可能性が高い。そしたら、頼みの綱の魔鉄犯罪課も敵側よ。そんなこと、シンイチも分かってるでしょ?」
「……」
立ち振る舞いが普段の彼女よりも大分クレーバーに見えたあたりで気づいた。
違う。自分が、冷静さを欠いているだけだ。
「……分かってるのか」
だが、問題はもう一つ。
「一度契約を結んだ経験のある魔女は再契約の難易度が跳ね上がる。その片道切符を使ってもいいのか。ここで、よりによって俺に」
『歪む世界』を格納したことがある鉄脈は、言ってしまえば採掘済みの坑道だ。再契約とはつまり、そこに重ねてさらに別の坑道を掘るということ。その構造上、魔女側のアストラルボディが耐えられない可能性が極めて高い。ちょうど帝王切開の後に自然分娩を行なうと、縫合で薄くなった部分から子宮が破裂するリスクが上がるように。
事実上、一回限りの契りの儀。その重みを。
「フン」
レイラは、蹴り飛ばすように鼻で笑った。
「シンイチってゲームとかで貴重なアイテムを温存して結局使えないタイプだったでしょ」
「……生まれたのが戦時中だから、ゲームなんてやったことない」
「じゃあ今度やってみなさい。絶対そうだから」
おかしくてたまらないとでも言わんばかりに破顔するレイラに、なにか見透かされたような気分がしてしかめっ面をしてみせる。
ビッと、音でもしそうな勢いで人差し指が顎の真下に突きつけられた。言うまでもなくレイラだ。
「このまま縮こまってたって、どのみちあのおっかない二人組に見つかれば死ぬだけ。じゃあ、今ここで起死回生のレアアイテムを使わないでどうするのよ」
「レアアイテムって、お前……」
「だいたい、それはこの局面を乗り越えた後も同じ。私の出身がこの世界じゃもうリスクにしかならないことは分かってる。今まではなんとか生きてこれたけど、それだって長くは続かないかもしれない」
……そういえば、レイラの両親について聞いたことがなかった。
だが、こんな極東の小さな島国に、彼女が一人だけで来ていると言うことは決して楽観視できる境遇ではないことは想像に難くない。
それでも、黒崎暗音という糸を手繰って、なんとかここまでやってきたのだろう。
そして、ここで彼女が相方となる製鉄師を――それも彼女の背負う宿命に耐えられるような製鉄師を見つけられなければ、どのみちそう長くはもたない。いずれその地位を利用したい輩や疎ましく思う輩の手に落ちる危険性は、低くない。
「生憎、何もしないまま、怯えて小さくなって生きていくほどお行儀良く育てられてないわ」
毅然と。叩きつけるように。
彼女は、傲慢さの中に
「アンタが失敗したとか、魔女を死なせちゃったとか、私にとってはそんなことどうでもいい。それは、私と関係がない。アンタが自分に自信を持てないとか知ったことじゃない。私はその全部を超えて、絶対に生き延びてやるのよ!」
†
「――?」
眼下に聖銑区の街並みを納めながら、リーテが首を傾げた。
鉄脈術で強化された脚力で建物の外壁や電柱を蹴るロッテとその背中にしがみついたリーテの二人が取った作戦は、頭上からターゲットを探すという実にシンプルなものだった。
案の定そこまで時間はかからずに冴えないおっさんと銀髪魔女の二人組を見つけること自体はできた。
できたのだが。
あれは、なんだ?
「……さては馬鹿なのか?」
同じ光景を目にしたロッテが、思わずといった様子で呟く。
そう、ターゲットを見つけること自体はできたのだ。
問題は、彼らを見つけた場所。
つまり。
車道を二ケツで爆走する、自転車の上。
隠れるもクソもあったもんじゃなかった。
何か意図があるのかとも思ったが、特段罠らしい動きはない。かといって逃げるわけでもない。端から見ればヤケクソにしか見えないような暴挙。
「姉上」
「……待て、一応相手の目的地を割り出してみる」
急かすように声を掛けてくるロッテを制しつつ、地図アプリを起動する。
液晶画面に表示された街の構造図から導き出された答えに、リーテが眉を顰めた。
この道が繋がる先は――
「――商店街?」
「シンイチ、来た! 上!」
「上って空かよ、製鉄師は人間やめすぎなんだよ爆撃機じゃねぇんだしさぁ!!」
レイラの鋭い声に、思わず泣き言を漏らしながらペダルを漕ぐ足に力を入れる。
乗っている自転車はもちろん私物ではないが、放置されてたものだ。どうせ小一時間もすれば撤去される運命にある。
ダン! と隣で何かが着地する音が響く。わざわざ視線を向けるまでもない。ロッテとリーテの二人組だ。
「出てきたな! コソコソするのはもう仕舞いか。さあ神妙に、」
「うるせぇ」
ドウッ!
ロッテが何か言い終わる前に拳銃が火を噴いた。
「き、貴様! 口上の間に攻撃するのはルール違反だろう!」
当然のように弾丸を弾く音のあとに抗議が聞こえてきたが構ってなどいられない。だいたい、戦いにルールなどあるものか。勝つためなら不意打ちだってするし、砂で目潰しもする。それが命の取り合いというものだ。
(弾は残り三発か)
口径の大きい弾丸を使っているだけあって、装弾数は決して多くはない。
だが――
「おら、喰らっとけ」
再び銃声。だが、今度はロッテを狙ったものではない。
その目の前。街中なら何処にでもあるような、それでいて普段は忘れがちなもの。
即ち。
街路に等間隔で設置された、地下式消火栓。
ブッシャァァァァアアアアアアアアアッッッ!! と。
弾丸で破壊されたマンホールから、高圧で押さえられていた水がまるで間欠泉のように勢いよく吹き上がった。
水と言えば大したことのないように聞こえるが、ウォーターカッターやあるいは鉄砲水を例に挙げればわかるように、速度をもった水はもはや純粋な暴力だ。
そこに飛び込んだらどうなるか。
「むっぐぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
乙女が上げちゃいけないような声とともに、ロッテとリーテが打ち上げられた。
……字面を見るとコミカルだが、冷静に考えれば割と大惨事である。鉄脈術を発動していなかったら死んでいてもおかしくはない。
とは言え、わざわざそんなことを心配してやるほど真一は優しくはない。
必死にペダルを漕ぎ続け、狭い路地に追突しかねない勢いで滑り込む。目の前には小さな店。看板にはつい先刻も見た「カナヤ製作所」の文字が踊っていた。
「おい、金屋! 開けてくれ!」
玄関を強く叩きながら叫ぶと、思った通りまだ中にいた青年が呑気な表情で出てきた。
「はいはい。あれ、タカティーにレイラちゃん。どしたの、忘れ物?」
「説明は後でする。とにかく中に――」
「貴、様ァ……」
地獄から響くような低い声が、背後から投げかけられた。
「散々私たちをコケにして……もう許さんぞ……!」
「……ぶっ殺すが文句はないな……?」
振り向けば、そこにはすっかり濡れ鼠と化したリーテとロッテが鬼の形相で立っていた。
刀を構えたロッテが足を一歩踏み出す度に、舗装された地面に亀裂が走る。
ぶっちゃけ漏らすかと思った。
「……いや、タカティー」
「すまん、金屋。時間稼ぎ頼んだ」
「待ってよねぇ! 無茶苦茶言わないであのさあ!!」
涙目で首を振る金屋を押しのけて店の中へ。良心は痛むが、こっちだって命がかかっているのだ。
幸い、金屋は切り替えが早かった。真一達が無理矢理乗り込んできて早々に諦めたのか、「ああ、もう!」と頭をかきむしりながら大量の商品や机を並べて、バリケードを組み上げ始める彼を尻目に真一とレイラはさらに奥へと進む。
目的のものは、すぐに見つかった。
三匹の鴉が守るように聖銑学園校章のレリーフを囲む置物。
ゴクリ、と。
思わず、生唾を飲み込む。
「……本当に、良いんだな?」
最後の確認を、レイラに囁く。
対する彼女は胸を張って不敵に微笑んだ。
「私を誰だと思ってるの?」
入り口の方で、ドアを蹴り破ろうとする音が響いている。恐らくはロッテが強行突破を試みているのだろう。
「長くは保たないよ! なんかするなら早く!」
悲鳴のような声を金屋が上げたのが、合図だった。
契約魔鉄器のレリーフの部分に、そっと掌を置く。皺と血管が浮いた真一の左手。その隣に、小さく生っ白いレイラの右手が寄り添うように。
そして。
二人の唇が、動く。
「
「
……それは、契約の祝詞。魔女の
瞬間。
ズ、ァアアアアアアアアアアアアッ!! と。
視界全体に広がった錆色が、少女の身体に吸収されるように収束していった。
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