第五刃 《鉄脈術》
「狭いけどどうぞ。今お茶入れてくるから」
段ボールを部屋の隅に置きながら奥に引っ込む金屋に案内されたのは、商品の陳列棚の奥に衝立をくっつけて無理矢理作ったような応接間だった。
用意されたパイプ椅子に座ると、クッション部分が大分くたびれていた。どこか中古店から安く買ってきたらしい。
若干埃っぽい店内をしげしげと見回す。
壁や棚を埋め尽くしているのはやはりというかなんというか短剣やハンマーグローブと言った、
辛うじて装飾性を保っているのはガラスケースの中に展示された大小の日本刀やら儀礼剣の類いだが、それも市井に出回っているものに比べると些かばかり地味。その代わりと言ってはなんだが、ストイックに実用性を求めた品のみに宿る、得も言われぬ凄味のようなものをどこか内に秘めているように感じられた。
「ほい。粗茶ですが」
奥からお盆を持って戻ってきた金屋が、本来はクライアントと書類などを広げるのであろう卓の上に湯のみを置いた。
ありがたく頂くと、喉の奥に緑茶とは少し異なる香ばしい香りが広がる。どうやら焙じ茶だったらしい。こういう時、色が判別できない『
隣では、猫舌らしいレイラが舌をチロチロつけて温度を探りながら茶を飲んでいた。わりと初めから思ってはいたが、やっぱりちょっと猫っぽいなこいつ、という本人に聞かせたら激昂ものの感想を抱く。
「しかし、まさか自前で店を構えているとはな」
感慨深く呟く。
記憶が確かなら、金屋が聖銑学園を卒業したのは三年前。教育課程上は高校と同じ区分となるので、当時の金屋は一八だ。必然、今の年齢は二一歳かそこら。独り立ちするには少々早いように思える。
照れ半分、嬉しさ半分といった様子で金屋が頬を掻いた。
「うちの親方雑だからさー。結構早く免許皆伝されちゃったので、今は一人前の
魔鉄加工技師とは、その名の通り『魔鉄を加工する人々』の呼称で、製鉄師と双璧を為すOI体質者のもう一つの形態だ。
即ちそれこそが魔鉄の加工。
それを生業とするのが彼ら魔鉄加工技師である。彼らは、己の『歪む世界』を魔鉄に反映させることによって魔鉄に大いなる可能性をもたらす。この技術を『
とは言え、このようにして作られた魔鉄器は、主に鉄脈術の世界において用いられるものだ。日常生活で使われるような魔鉄器の場合は、一度魔鉄加工技師によって一般の人間にもある程度の物理的加工ができるように『変質』させられた上で、各々の目的に合わせて企業の製作所や工場に送られる。
この方法で量産が可能になり、建材などの主流を担えるのだが……逆に言えば、繊細な調整は難しいという欠点もある。これが魔鉄加工技師がわざわざ魔鉄器店という専門店を自前で開く理由の一つだ。
そして無論、鉄脈術に大いに関係があるということは製鉄師養成学校でも重視されているということ。聖銑を含む製鉄師養成学校は、製鉄師のコースの他に魔鉄加工技師の教育コースを設けていることからも、それは窺えるだろう。事実、第一教育棟の左に鎮座する第二教育棟は、この魔鉄加工技術について学ぶ魔鉄加工技師の卵たちに与えられた“鍛冶場”としての意味合いが強い。
金屋は、その魔鉄加工技師コースの卒業生だった。
「上手くいってるのか?」
「なんとかね。幸い、母校の近くだから先生とかが贔屓にしてくれるし、たまに製鉄師になったダチとかも来てくれる。学園から備品の修理や調整の仕事を貰うこともあるから、そこまで生活に不安はないよ」
「そうか。まあ在学時から金屋は優秀だったからな」
職人気質というやつなのか、魔鉄加工技師には一風変わった人や、もっと言えば気難しい人間が少なくない。その中で金屋は非常に珍しく社交的で物腰が柔らかい青年だった。
魔鉄加工技師としての腕も立ち、魔鉄加工技師の育成では特に高名な、聖刀学園に国内留学した経験もあるという、いわゆる優等生。それが近場に店を構えたら、それは教員も足繁く通うだろう。
「じゃあ、アレもその学園からのお仕事?」
言いながらレイラが指で示したのは、店のさらに奥。低いテーブルの上に置かれたインテリアのような魔鉄器だった。
大きさはだいたい八〇センチ四方、三羽の烏の像に奥と左右を囲まれた円形の魔鉄板だ。中央には大きく聖銑学園の校章が刻印されている。
「それ、
「お。ご明察!」
大きく翼を広げて今まさに飛び立たんとする姿を象った烏。その一匹を撫でながら、金屋がニカッと笑った。
契約魔鉄器とは、製鉄師と
聖銑ではこのような置物の形をしたものを使うのだが、聞くところによれば聖玉ではもっと巨大な地球儀型を使うのだとかなんとか。ここら辺は、理事長の趣味や各校の性格が表れて面白い部分だ。
「他の学校じゃどうかは知らないけど、聖銑は定期のメンテナンスを外部に委託してるんだよ。その中の一つが俺のとこ」
毎度あり、とおどけてみせる金屋。そこでふと思い出したように、二人をまじまじと見つめてくる。
「なんだよ」
「いや、そういえば先生とレイラちゃんって結局どういう関係?」
「生徒と教師だ」「魔女と契約候補よ」
全く違う返答が被る。あ? とガンを飛ばそうとレイラに視線を向けると、それよりも先に彼女の方がこちらを睨んでいた。
「あっはっは。息ぴったりだね」
「どこがだ!」「どこがよ!」
またしても二人の声が被ったが、今度はほぼ同じ言葉だった。
†
金屋に見送られながら彼の店を出た頃にはもう昼時になっていた。
そのまま少し歩いて駅前の大衆食堂へ。出てきたオムライスが想像以上にボリューミーだったらしく、レイラは目を白黒させながらなんとか完食していた。
腹の皮が突っ張ると瞼の皮が緩むとはよく言ったもので、なんだか眠くなってくる。それはレイラも同じなようで、お腹をさすりながらついてくるその足取りは、先程までよりも些か重い。
幸いにも、今手元にあるのはそこそこ保存が利く加工肉ばかりでもある。
というわけで、二人は食後の休憩に駅前の公園に行くことに。邪魔な荷物は、駅前を通りがかった際にコインロッカーへ押し込んでしまった。
ベンチの横にある自販機でコーヒーの缶を買うと、レイラが眉を顰めた。
「うへ……アンタ、よくブラックなんて飲めるわね……」
「苦いのはダメかー? お子様だなー」
「うっさい!」
軽口を叩くとガウッ! と噛みつかれそうになった。おっそろしいことでと首をすくめながら、もう一度コインを機械に投入する。
出てきた背の高い缶を渡してやると、レイラは手の中のそれを怪訝な顔で見回した。
「なにこれ」
「コーヒーもどき。こっちのほうが飲みやすいだろ」
コーヒーよりも練乳の方が含有割合が高い「……お前それでコーヒー名乗ってるの? マジで?」と突っ込みたくなるような、千葉県発の飲料だ。感覚としては甘さマシマシコーヒー牛乳と言うのが適当か。
いい歳したオッサンが飲むには甘すぎるが、どうやらお嬢様の舌には合ったらしい。恐る恐る口をつけた直後、「あらおいし」と目を丸くしてた。
「私、ミルクとか入れても余りコーヒー好きじゃなかったんだけど、これはいけるわね。良いもの知ってるじゃない」
「コーヒーだと思って飲むと裏切られるような一品だがな。馬鹿みたいに砂糖入ってるからあんまりがぶがぶ飲むと太るぞ」
「デリカシーがないのはいただけないわね……」
うるせ、と悪態をつきながら並んでベンチに腰掛ける。どこか遠くから、ビルの改装工事のような機械の駆動音が風に乗って流れてきた。
胸ポケットの煙草の箱を取り出し、一本咥えて火をつけようとしたところで、今度は横から飛び出たレイラの手がそれをはたき落とした。
「なにすんだよ!」
「レディの前での喫煙も、今のご時世嫌がられるわよ」
「良いだろ、別に」
「良くない。最低限の品格ぐらい身につけてよね。はい、そんなに口寂しいならこれでも舐めときなさい」
言いながら半ば強引に口に突っ込まれたのは、棒付きキャンディだった。口腔に広がる風味と香りから推察するに、どうやら桃味らしい。
「さっきの食堂で貰ったの。あんまり欲しくないから上げる」
ああ、と得心する。そういえば、会計している横で近くの店員に何か渡されていた。
普通であれば高校生にもなった子供に飴など渡さないだろうが、そこは魔女の役得だろう。あるいは、むしろ不必要に子供扱いされるのが逆に嫌だという可能性もあるかもしれないが。
どうやら、レイラは後者のタイプらしい。
「桃は嫌い?」
「好きじゃあない、な」
と言うよりも、慣れていないというのが正直な感想かも知れない。
この手の嗜好品は戦時中でも割とあったが、それは角砂糖や氷砂糖のようなもので、特別香り付けなどはされていなかった気がする。完全に孤立していたわけではなかったとは言え、依然として食料や資源の自給率が低いこの国では、一度戦争の当事者になると大なり小なり嗜好品の類いは減っていくのが常だ。
そう、戦争。
既に終戦からは二〇年が経っている。今、学校で教えている生徒達などは生まれてもいなかったような、遠い昔の話。
その爪痕は、しかしここにも確かに残っていた。
常に賑わう街の中でも、この公園だけは静寂で、厳粛だ。
休日になると、若者達がレジャー施設や大型ショッピングモールの多い中央区の方に遊びに出ると言うのもある。が、それ以上にこの空気を作っているモノが一つ。
広場の中央に目を向ける。
そこには、黒い御影石でできた大きな石版が鎮座していた。鏡のようになめらかに磨き上げられた岩肌には、実に二百を超える名前が刻まれている。
かつての戦争において、
未だ魔鉄文明化を揺るぎなきものとして完了しておらず、混乱と戦果にあふれた世界にあってまさに風前の灯火であったこの国を繋ぎ止めた、製鉄師や魔女や魔鉄加工技師の総称。
とどのつまり、石版は慰霊碑だった。かつての戦争で戦場に散っていった花々の存在を保証するには余りにも頼りなく、無機質な最後の証。
そしてその中に、真一の目を吸い寄せられて離さない、呪いのような名前が一つ。
な行の中程にあったその四文字を見つめながら。
「……レイラ」
「ほへ?」
粗方飲みきったのか、アルミ缶を逆さまにして大きくかっぴろげた口の上で振っていたレイラが、どこか間抜けな声とともにこちらを見る。
彼女が抱える事情は知らない。あれだけつれない態度をとってもこうしてしつこいほどにつきまとってくるということは、もしかしたら並々ならぬ背景を背負っているのかも知れない。
だけど。
否、だからこそ、言わなくてはならないと思った。
こうして真一と契約を交わそうとしている彼女に、
一心同体の魔術師になるには、余りにも致命的なその過去を知れば、彼女もこれ以上真一に何かを期待することはないだろう。
これで手打ちだ。
話す前に、深く息を吸い込む。今日一日をともに過ごしたことで多少情が湧いたのか。自分の未練がましさと弱さに心の片隅で苛つきながら、それを口にする。
「俺は――」
「見つけたぞ」
割り込むように、少女の声が響く。
レイラではない。それよりはいくらか低く大人びた声。
すわ何者かと辺りを一瞥すると、いた。少し離れた広場の入り口の辺りに、二人の少女が立っている。
『歪む世界』のせいで髪の色や瞳の色はよく分からないが、顔立ちから察するに二人とも外国の、それも白人のようだ。目鼻の形がよく似ているから、あるいは姉妹なのかもしれない。
片方は、長い髪を一つに結わえた背の高い少女。コルセットやフリルなどが目立つ洋風な服装に身を包んでいるが、肩から背負った竹刀袋はそれとは余りにアンバランスだった。
もう一方の少女は反対に、ショートボブにカチューシャをのせている。身長もかなり低い。中学生、あるいは小学生にも見える。ゴテゴテとフリルやら柄やらがついたあれは、改造浴衣とか言うのだろうか。縁日ならともかく、日常にあっては余りにも目立つ服装だろう。
そんな何処までも正反対な容姿の二人だが、たった一点だけ共通のデザインのものを身につけていた。
即ち。
左二の腕にはめられた、海外国籍者用の登録証。その色は暁のような金色。
剣呑な瞳が、こちらを射貫く。
「誰だ」
「シャルロッテ・キャロライン」
先に答えたのは背の高い方の少女だった。続けるようにもう一人が「私はシャルリーテ。こんなナリだが、一応そこのロッテの姉だよ」と口を開く。
姉の方がどう見ても幼い容姿をしているのは、つまり魔女と言うことだろう。
で、あれば。
立ち上がりながら、問う。
「……俺に、なんの用だ」
「すっとぼけるな、脱獄者」
どうも誰かと真一を勘違いしているらしい。ドサリ、とロッテが竹刀袋を下ろす。
紐が解かれ、中から姿を見せたのは竹刀――ではない。
そんな生易しいものではない。
少女が腰の剣帯に納めたソレは、漆塗りの鞘に収められた二振りの日本刀。
「ッ、おい待て。正気か?」
しゃらりと抜き放たれたその刀身の、目映く輝く様を見て喉が干上がる。
気づいたからだ。
刀が真剣だということに、ではない。
「では姉上、決闘の音頭を」
「やれやれ、物好きだねお前も」
二刀を構えたロッテの呼びかけに、肩をすくめながらリーテが応える。
場の空気が、反転する。
少女達の腕についた登録証が
ロッテの口が薄く開かれ、静かな、しかし確かな言葉が紡がれる。
それこそは祝詞。あるいは戦の開始を告げる鏑矢。
「
「
瞬間。
世界が、少女の『歪む世界』に塗り替えられた。
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