第四刃 《休日の闖入者》

 前日が土曜日であったということは即ちその翌日は日曜日であるということだ。 

 そういうわけで、高辻真一は狭いアパートの一室で惰眠を貪ることにいそしんでいた。布団が敷かれた六畳間にはコーヒーの空き缶やら煙草の吸い殻やら空き箱やらが散乱している。

 そんな一人暮らし男の悪い見本のような真一の目覚めを打ち砕いたのは、小鳥たちの鳴き声――では、残念ながらなかった。

 ピン、ポーン。


「ん、ご……」


 ピンポーン、ピンポーン。


「ぬ、ぐぬ……」


 ――ピンピンピンポーピンピンポーン!


「だァァァ! うるッせぇェェエエエエ!!」


 皇国放送の集金並に容赦のないチャイムの連打に、思わず額に青筋を浮かべながら飛び起きる。壁の時計を見れば九時。そろそろ国民的特撮ヒーロー番組が始まる頃だ。とはいえ、社会人で独り身の男が予定もなく起きるには些か早い。

 こんな朝からわざわざ訪ねてくる不届き者は一体どこのどいつだとジャージとランニング姿のままキレ気味に玄関の扉を開く。

 一〇月になると流石に朝は肌寒い。そよいでくる秋の風を全身に受けながら、まだ少しばかり寝ぼけて細められた真一の目は来客の姿を捉えた。


「あ、やっと出てきたわね! 何その格好。せめて顔くらい洗ってきなさいよ」


 朝日を浴びて煌めく銀のツインテールに、ルビーやガーネットを思わせる紅い瞳。初めて会ったときと同じ、黒を基調としたいわゆるロリータ系の意匠を取り入れた貴族服を纏った背の低い少女が、腕を組んで仁王立ちしながら偉そうにお説教をかましてくる。


 つまり。

 レイラ・グロリアーナ・ベラルス――


 そこまで認識して真一は即座に扉を閉めた。

 ガッ。

 訂正。閉めようとしたがすんでの所でレイラの靴が差し込まれて閉められなかった。


「そ、の、態度は……なによ……ッ!」


 そのまま小さい身体からは到底考えられないくらいの力で徐々にドアが開かれていく。こちらは大の男が全力で閉め出しにかかっているというのに、だ。


「なにもクソも……あるかッ! 俺に、なんの用だよ……!」

「前に言ったでしょ……! 私と契約しなさいよ!」

「それこそもう言ってるだろうが! 俺は! 製鉄師ブラッドスミスに戻るつもりはない……ッ!」

「うっ……さぁぁぁぁい!!」


 鎬を削るような攻防は、ソプラノの大声とともにレイラが競り勝った。大きく開けられた口からチロリと八重歯が覗く。

 押し切られてバランスを崩した真一を見下ろしながら、錆びた視界の中で唯一の色彩を持つ少女は肩で息をしながら畳み掛ける。


「アンタがなんで製鉄師になりたくないのかなんて、私は知らない!」

「じゃあ関わるなよ……!」

「知らないから関わるんでしょ! なんの説明もなしでハイさようならとか納得できるわけないじゃない。それに、アンタが本当に契約する価値がないかは私が見極めることよ。他人の意見は例えアンタ自身のものだとしても参考意見!」

「ッ、知るか! とにかく諦めろ、俺は絶対に契約なんかしないぞ……!」

「あー、もうッ!」


 しびれを切らしたようにレイラが叫びながらガバッと手を服の、ちょうどコルセットで締められた上着の中に突っ込む。

 嫌な予感も束の間。上着の中からずるっと出てきたのは「……お前、それどこに収まってたの?」と問いたくなる無骨なL字型。冷たい黒光りを放つ例のアレ。平たく言えば初対面の時に見た拳銃だ。


「アンタ、これなら言うこと聞くんでしょ! 良いからさっさと着替えてまずはそのだらしない顔をなんとかしなさい」

「せめて物騒度合いの高いメロドラマなのかオカンなのかはっきりしろよお前さぁ!!」


 とは言え、いくらへっぴり腰の無茶苦茶な構えでも銃は銃。むしろあからさまに素人な分脅威度はバカみたいに跳ね上がっている。

 押し入り強盗に「日常生活を送れ」と要求されているような感覚を味わいながら、真一は泣く泣く強要に屈した。着替えにチョイスしたのがセールで買ったジーンズとYシャツなのはせめてもの抵抗だ。


「フン。少しはマシになったわね」


 顔を洗って居間に戻ると、貴族令嬢が仁王立ちでそう告げてくる。


「じゃあ行くわよ」

「何処にだよ」

「もしかしたら永住するかもだし、とりあえず適当にこの辺りを見ておきたいの。案内して」

「嫌だ。日曜くらいゆっくり寝させ――」


 コツン、と胸に固い感触。

 ちょうど胸の中心、心臓の辺りにぐりぐりと拳銃が押しつけられたのだ。というか、よく見るとトリガーに指がかかっている。あの人差し指にちょっと力が入ればそこでジ・エンドである。

 右手をこちらに突き出したまま、レイラは釣り目がちな瞳をさらに釣り上げながら再び口を開く。


「へ・ん・じ・は?」

「……イエス、レディ」


 がっくりと項垂れながら承認を口にする。

 とりあえず今日一日の間は下手に拒否はできないようだった。





 お嬢様のご所望通り、街へ繰り出すことになってしまった。

 さすが聖銑学園とその生徒・職員の為に作られただけあって、聖銑区の街並みには関連施設が多い。例えば学生の半数以上が入居している寮や、真一の住む格安アパートなども学生や教員向けに作られた施設の一環だ。


「そういえばお前はどこに住んでるんだ?」

「他の生徒と同じ寮よ。暗音が空き部屋をくれたの」


 隣を歩くレイラに問うと、少し予想と外れた答えが返ってきた。てっきりマンションの屋上でも貸し切りにしているのかと思ったが。

 とは言え、学園に通うと言うだけなら寮は最高の立地だ。目の前から通学バスは一五分刻みで運行されている。そこまでおかしい選択肢ではない。まあ、隣接している美浜区や中央区からの生徒のためにわざわざ聖銑学園前駅という鉄道駅が学園から徒歩五分圏内に設置されてはいるのだが。

 今回真一がレイラを伴ってやってきたのは、駅から少し脇に行ったところにある商店街だ。店の並びも八百屋や精肉店など、どちらかというと自活している教職員をターゲットにしている。せめて自分の買い出しなどをメインに回ってやろうという涙ぐましい抵抗だった。


「シンイチはよくここら辺くるの?」

「頻繁にってほどじゃない。冷蔵庫の中のもんが少なくなったら来る程度だな。学園が一部出資してる提携店だから安いんだよ、ここ」


 この商店街に限らず、聖銑区にはこういう個人経営の小規模な店が軒を連ねる通りが多く見られる。反対に、全国展開するような大型のスーパーマーケットやデパートは少ない。

 ブラッドカタストロフ以降、それ以前に幅を利かせていた財閥グループの多くが瓦解していったこともあるのだろうが、それよりはむしろ暗音の意向で聖銑学園が提携している店がほとんど全て小規模店舗ということの方が理由としては強いだろう。


『ようはコスパの問題だよ』


 かなり昔に意図を尋ねたら、そんな答えが返ってきたことを覚えている。


『こういう小さな小さな店はいつまた経済混乱が起きたときに潰れていくかも分からない。そんな連中を集めて、市場と顧客を確保させてやる替わりに色々と便宜を図って貰う――学園われわれ自身が高い政治的価値を持っている以上、財閥に下手に出てやる必要性自体が薄いしな』


(やってることほとんどコンツェルンじゃねぇか……)

 独禁法とやらは何処に行ったのだろう。

 記憶の中の暗音に改めて辟易しつつ、精肉店のガラス戸を引き開ける。


「はい、いらっしゃい――って、あらま。真一センセじゃない」

「おっす。お久しぶり」


 カウンターの奥にいた恰幅の良いおばちゃんに、片手を上げて挨拶。もはやすっかり顔馴染みだ。

 だが、今回はもう一人。


「ちょっとシンイチ、あんまり速く歩かないでよ」


 ぶーすか文句を垂れながら店に入ってきたのは言うまでもなくレイラだ。


「んま」


 彼女の姿を捉えたおばちゃんの目が丸くなった。

 ゲ、と思った時にはもう遅い。

 ぎゅいんと音でも立てそうな勢いでおばちゃんの首がこちらを向く。


「真一センセも隅に置けないわねぇ、ちょっと。いつの間にこんなに可愛い彼女ができたの」

「いや歳の差考えろよ……っても魔女だが。ただの生徒。転校生だから聖銑区の案内させられてるだけだ。干し肉と燻製ハム一五〇グラムずつ」


 面倒なことになったと内心溜息を吐きつつ適当にあしらう。ニヤニヤしている辺り誤解は解けていなさそうだ。その証拠に、会計をして受け取った商品は頼んだ分量よりもいくらか多めだ。

 ちなみに当のレイラはといえば、魔鉄歴に普及している自動翻訳機のおかげで単語は聞き取れても、慣用表現の意味まではよく分かっていないらしい。訝しげな顔で「かのじょ……?」と首を捻っていた。恋人のことだと教えるのは易いが、そんな見え透いている地雷をわざわざ踏みに行くほど馬鹿ではない。


「はいはい。ちょっとまけといたからね。また二人で来ておくれよー!」


 背中に投げかけられた言葉でしばらくこの商店街の井戸端議題の主役になることを予感しながら逃げるように店を出る。当分の間は近寄らないのが精神衛生上良さそうだ。


「おい、レイラ――」


 噂が広まる前にさっさと用事を済ませようと横を見る。そこにはレイラがいるはずだ。

 が。


「……あ?」


 思わず間抜けな声が漏れた。

 いない。

 小っこい銀髪紅目の暴君少女の姿が、忽然と消えている。


「ッ」


 思わず背筋が凍る。

 ……そうだ。いくら拳銃を持ち歩いていようが、偉そうに振る舞っていようが、まだ製鉄師との契約を結んでいない彼女はただの少女となにも変わらない。いや、むしろ出生を考えればその立場はもっと危ういはずだ。

 喉が干上がるような焦燥。

 散々追い回されて鬱陶しく思っていたのは本心だが、だからといってそんな危険だらけの彼女がいなくなったのを放っておくことなどできない。


「おい、どこだレイラ!?」

「なによ、騒々しいわね」

「うおッ!?」


 語気を強めて呼びかけた瞬間、案外近くからあった返答に逆に驚いてしまった。同時に熱くなってしまったことへの羞恥がこみ上げて、つい語気が強くなる。


「おま……どこにいたんだよッ!」

「はぁ? どこって、そこのお店の前よ」


 真一のリアクションに形の良い眉を顰めながらレイラが指したのは彼女の背後。

 よく見てみると、ランドリーと八百屋に挟まれた小さな路地と、その奥にやはり周囲の店より一回りも小ぶりな店があった。目立たないところにあるので見落としてしまっていたらしい。汚れた看板に書かれた文字は「カナヤ製作所」。


「ここ魔鉄器店でしょ?」


 魔鉄器店とは、読んで字の如く魔鉄ブラッド・スティールでできた道具を売る店舗のことだ。


 魔鉄器時代エイジ・オブ・ブラッドの名の通り、現在の人々の生活はこの魔鉄でできた道具――魔鉄器に支えられている。

 例えば建材。イメージによって変質する魔鉄は、加工の段階で注ぎ込むイメージによってその性質を大きく変化させる。それはなにも色や形だけではない。質感や体感密度まで木材やコンクリートのそれに変えてしまうのだ。これにより街並みは冷たい鉄のそれではなく、鉄歴から続くデザイン性の高い姿を残している。それでいて魔鉄自体の特性として、単純な物理破壊や風化は殆ど受け付けないのだから破格だ。

 さらに、元が魔鉄であるだけに修復も実際に他の建材より格段に容易となるのも魔鉄建材の普及に一役買った。なにしろ、魔鉄自体の産出量が他の金属と比すると格段に多い。というか、風の噂だと坑道に勝手に「湧いてくる」シロモノらしいので、事実上無尽蔵。

 そこから繋がる話としては、魔鉄の安価さもある。建材などで大量消費しているからなんとか価格が保たれているというが、それにしたって庶民でも気軽に購入できる値段だ。


 このような諸要素の組み合わせの結果、広義の意味での魔鉄器は市民の生活に高レベルで溶け込んで久しい。

 だが、ここで魔鉄器店とわざわざ銘打った店となると話が少々変わってくる。

 この場合の魔鉄器は主に鉄脈術リアクターや製鉄師に関する道具を指す。例えば鉄脈術の発動には個々のペアに合った魔鉄器を触媒とする必要があるし、契約の時にもそれ向けに調整された魔鉄器が求められる場合が多い。魔鉄器店とは、そういった類の魔鉄器をメインに扱う店舗なのだ。

 まあ、最近は若者向けに魔鉄製のアクセサリーなんかも扱う店も多いようだが。


「今日はやってないみたいだったけど」


 レイラの言う通り、店の玄関口にはCLOSEDと書かれたプレートが下げられていた。中も照明が落とされ、人の気配はない。


「どんなものがあるか見ておきたかったのに」

「お前が見ても面白くはないと思うぞ。ここにあるってことは教員向けだろうからな」

「あら、ならもっと都合が良いじゃない」


 ぶっきらぼうに返すと、予想に反してレイラは悪戯っぽく目を細めて笑った。


「なんでだよ」

「私のパートナー最有力候補さんは先生なんでしょ?」

「……だーかーらー、俺は製鉄師には戻らねえって――」

「あれー?」


 もはやお決まりになった文句を言おうとした瞬間、不意に横から声。

 そちらへ視線を向ければ、錆びた視界の中でも分かるふわっとした髪質の、いかにも好青年然とした男が段ボールを抱えて立っていた。左二の腕には登録証OICC。OI体質者だ。

 そして、なによりも真一にとって見過ごせないことが一つ。


「お客さんかい? 今から明日の準備するつもりだったから簡単な修理とか受けるよ……って、あれれ?」


 それは相手も同じようで、目を見開いて驚いている様子だった。

 見覚えがある顔だったのだ。


「お前……金屋か!」

「タカティーじゃん」


 数年前からいつの間にかついていた愛称で真一のことを呼ぶ彼は、金屋かなやたくみ。真一の元教え子だ。

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