第三刃 《未通後家》

 穏やかな昼下がり。

 一〇月ともなると流石に夏の気配はとんと失せて、入れ替わるように秋が顔を覗かせる。また幾分か傾いたように感じる陽の、その柔らかな光を窓越しに浴びながら、黒崎暗音は優雅に午後のティータイムを楽しんでいた。

 ヴィクトリア朝に特有の、過度とも取れる美麗な装飾の施されたティーカップに注がれるのは、鮮やかな赤に透き通るダージリン――ではなく、日本皇国伝統の緑茶だ。古の英国紳士と茶道のお偉いさんが揃って渋面を作りそうな光景だが、なにか譲れない一線があるのかと言えば特別そういうわけでもない。本人に問うても「ただそういう気分だった」以上の回答は望めないだろう。


 つまり、黒崎暗音はそういう人物だった。

 傍若無人にして天上天下唯我独尊を地で行く怪人物。それを為すだけの狡猾さと権力を持ち合わせた魔物。世が世なら、妲己に並べ語られたに相違ない悪女。

 だから。

 ジリリリリリ――ガチャ、と。

 けたたましく鳴り響いたこれまたアンティークな固定電話を、彼女は受話器をとってすぐに元に戻した。当然ながら元の位置に納まったそれは、無情にも通信を切断してしまう。

 いわゆる逆ワン切りである。

 再びカップに口をつける。北九州の聖観製鉄師養成所から伝手を使って入手した、福岡の名産茶だ。特徴的な旨みはさすがに市販の安物とは格が違う。

 そのあとゆったりと茶菓子を頬張りながら一息。女の子だもの、八つ時は大事にしたい。ライオニアから何かよく分からない書簡が届いていたが、それも後回し。今は机の脇に纏めて追いやられている。

 この間に計七回電話のコールがあったが、いずれも眼中にないと宣言するかのように無視されていた。なお、当の本人が当たり前のような顔でお茶をしていたので忘れそうになるが、ここは執務室である。


 ようやく長いお茶の時間が終わり、レースのハンカチで口元をしずしずと拭う暗音。その耳に、ポーンというエレベーターの通知音の後から今度はベルとは違う喧噪が届いた。

 遙か遠く、地平の彼方から野性的で躍動感にあふれたリズムに乗って響くそれは、さながらサバンナで見られるというヌーの大移動を思わせる重く激しい足音。

 直後だった。


「は・な・し・が――――違ぁぁあああうッ!!」


 鈴を転がすような愛らしい、しかし野武士のように勇ましい大音声だいおんじようで執務室をビリビリと震わせながら、一人の少女が重厚感あふれる木製のドアを蹴り開けて飛び込んできた。

 宙に波打つ白銀のツインテールと、薄く桃の色が差した唇からちろりと覗く八重歯に血と紛う紅い瞳が特徴的な、ミニマムサイズのリトル・レディ。言うまでもなく、モスグリーンの制服を着たレイラである。

 彼女は肩を怒らせながらこちらに詰め寄るなり、その小さな手を執務机の天板に叩きつけた。わざわざ伺うまでもなく大変お冠だった。

 もちろん、そこを斟酌する暗音ではないが。


「何の用だ、騒々しい。お嬢様ならもう少し品格を身につけろ」

「うっさい! 何が『優秀な製鉄師でフリーの奴がいる』よ、製鉄師になる気なんて全ッ然無いじゃないあの男!!」


 仔獅子のようにガー! と凄い剣幕で捲し立てられた。どうやら真一の態度がお気に召さなかったらしい。

 ふむ、と人差し指を顎に当てる。正味の所、真一が激しく拒絶するのは予想できていた。

 を考えれば、むしろそれが自然だ。

 ちらと視線を椅子の下に向ける。

 そこには昨晩のトランクケースがあった。結局、真一は受け取らなかったのだ。

(強情な奴め)

 しかし、いつまでも腐らせておく訳にもいかない。


「まあ落ち着け。ヤツが芳しくない反応を見せるのは予想の内だ」


 ならば、何が何でも引きずり込む。

 策を巡らせながら、言葉を紡ぐ。


「じゃあなんで紹介したのよ!」

「そこを押して契約するだけの才が、奴にはあるから」

「ッ、……本当なんでしょうね」


 訝しむような紅い瞳が、こちらを射貫く。


「もちろん」


 誇張でも虚言でもなく、力強く頷く。

 それは、『未通後家ヴァージン・ウィドウ』たる暗音自身が誰よりも見続けてきたからこそ確信している。


「……信じる。じゃあ、なんとしてでもアイツを振り返らせないと」

「それについても既に策がある」


 レイラを指差しながら、緻密に折り上げたその謀略を口にする。


「つまりだ――」


『未通後家』の本領が。

 ついに。





「ふゥ……」


 第一教育棟裏にひっそりと設置された喫煙所で、真一は深い溜息とともに紫煙を吐いた。指に挟んだ紙巻き煙草の銘柄は『霧襖きりぶすま』。ブラッドカタストロフのいざこざで、ヤニの類いは公社による専売が再び主流になっていた。〇世代ワイルドエイジの頃に出回っていた海外のモノに比べると些か弱いのが不満だが、喫煙者の肩身が狭いこのご時世だ。余り贅沢も言ってられない。

 粗方の書類仕事と次回の授業の準備をなんとか片付けた頃にはもう七時を回っていた。幸いにして部活動顧問という名の不当労働は課せられていないため、肩を落としながら文化棟や体育棟、グラウンドに向かう同僚の背中を眺めて優越感に浸るのが日課になっている。

 しかし。

 ぼんやりと、窓の外に広がる錆色に汚れた景色を眺める。今は到底、昏い愉悦に浸れる気分ではなかった。

 原因は言わずもがなあの小娘レイラである。

 くたびれてひび割れた皮財布を取り出し、開く。

 中には、一枚の写真が挟まれていた。

 すり切れて、角が丸くなったそこに映るのは、一人の少年と一人の少女。

 国防服と軽鎧を纏った仏頂面で無愛想そうな少年の隣で、対照的に可憐でいかにも快活といった笑顔を浮かべた少女がこちらへVサインを突き出している。

 そこで、この時間は切り抜かれた。


「……」


 覚えず唇を噛んでいたことを教えてくれたのは、舌の上に広がった鉄の味だ。

 舌打ちを一つ。しばらくは塩っ気の強いものを食べるときに苦労しそうである。

 思い返すのは、二〇と一年の彼方。

 まだ真一が少年で、思い出の少女が七泉楓花だった、あの頃。


「今更、なんでなんだよ……」


 吐き捨てるように独り言つ。

 なんとなく憂鬱なような、空虚なような得も言われぬ感情に苛まれて、真一は写真をしまった。

 さて、ぼちぼち帰るかと煙草を灰皿に押しつけて席を立ったときだった。


「……あん?」


 喫煙室のガラス戸に、チラリと銀色の尻尾テールが見えた。

 誰が来たかなど確認するまでもない。だいたい、この錆びた視界で他の色彩に見えるものなど、ついこの間たった現れたたった一人だけだ。


「はぁ……」


 まだ諦めてなかったのかと落胆混じりの溜息を吐く。ここまでしつこいと流石に感情がささくれてくるというものだ。

 一度ばかりガツンと言ってやった方が良いかもしれない。

 そう思いながら気持ちばかり乱暴にドアを開け放ち――


「べ、別にアンタのことなんか好きじゃないんだからねっ! でも、どうしてもっていうなら……」

「…………は?」


 見た。

 見て、しまった。

 壁に向かって、なんだか大分古風な台詞をコピー冊子の台本片手にブツブツ口にしているレイラの姿を。

 余りの光景に間抜けな声を上げてしまうが、それでも彼女は気づかない。そんなに熱中しているのか……と一瞬引きつつも演劇部に今度紹介してやろうかなどと思ったが、違った。よく見ると、耳に小型のインカムをつけている。

 漏れ聞こえてくるのは、実になじみ深い声だ。


『そうそう、いい線イってるぞ!』

「……ねぇ、クロネ。これで本当に上手くいくのよね? なんか方向性が間違ってきている気がするんだけど……」

『あぁん? 私を誰だと思っている。権謀術数舌先八寸口車に関しては右に出る者のいないと評判の魔鉄歴の諸葛亮、黒崎暗音だぞ。もちろん、男の転がし方だってマスターしているとも!』

「どこがだよ」


 真っ黒黒助理事長が小さな胸を張っている姿が容易に想像できて、思わず口を挟んでしまった。


「えっ!? うそ、シンイチ!?」

「ん。ここは教員専用スペースだぞー」


 慌てたようにこちらを振り向くレイラの頭にぽかりと小突いた後、インカムに視線を落とす。


『どうした。今の練習を聞いただけでそこの猪突猛進娘に惚れたか? さあ台本を書いた私に泣いて感謝してもいいんだぞ』

「馬鹿か。俺はロリコンじゃねぇしあんなので惚れる奴があるか」


 バッサリと斬り捨てる。

 本心から、しかしどこまでも平坦に。いっそ呆れの感情を込めて。


「ちょ、じゃあ今まで私がしてたのはなんだったのよ!」

『なん……だと……!?』


 半分やっぱりといった調子で顔を真っ赤にしながらマイクに怒鳴りつけるレイラと対照的に、インカムから聞こえる暗音の声は本気の驚愕に染まっている。


『ツンデレは“萌え”の基本だろう!? それをお前……さては不能か!?』

「いや知らねぇし、そういうのは物語だから成立するもんじゃないのか……?」


 暗音の二つ名の『未通後家』には、文字通り二つの意味が込められている。

 一つは『後家』。それは錆色の視界でもどす黒く映る、あの喪服のような服装を寡婦に例えた外見の比喩。

 そしてもう一つの『未通』。

 ……一般に、魔女アールヴァはその髪と瞳が磨き上げた鋼のような白銀に近づけば近づくほど優良の証とされる。それに則れば、今は染めてこそいるものの、本来の地毛は美しい白鳥の色である暗音は魔女としてトップクラスの素質を秘めているのは疑いようもない。

 だが、それにも関わらず彼女が製鉄師ブラッドスミスと組んだことは一度としてない。それを乙女に例えたのが件の四文字の前半なのだが。


 何故か。

 確かに、謀りごとをさせたら暗音に敵う者など世界中をくまなく探しても片手を満たすか分からない。

 だがこと色恋沙汰や伴侶のことになれば――暗音は恐らく世界で最も弱い。

 まずもってその手のセンスが壊滅しているのは先の発言を聞けば分かる通り。その上、選ぶ戦術に対して兎角相手が悪い上に、たいていの場合間も悪いのだから最悪だ。一説には聖銑の聖玉を目の敵にする体質の一因は、現天孫陛下・青仁に意気揚々と契約を売り込みに行った暗音がこっぴどくフラれたから……などという噂がまことしやかに囁かれるほどだ。

 その上性格もご覧の通り最悪の一言に尽きる。これでは良い巡り会いなどあったとしても自分から踏みにじって潰しているようなものだ。一生を共にする相手という意味合いが強い製鉄師と魔女の関係にとって、これほどハンディキャップとなり得るものはない。


「いいかー? 理事長先生は信用したらダメな人間の筆頭だぞ。奴がなんか言ってくるときはだいたい良からぬことを吹き込もうとしてると相場が決まってるからなー」

『おい、私の株を下げるな』


 インカムのスピーカーから抗議の声が聞こえてきたが、シカトを決め込む。関わらないのが一番だ。

 このまま帰ろうとさっさと職員用玄関への廊下へ足を進める――直前に。


「……ねえ」

「あ?」


 くいっ、とわずかな抵抗感。擦れ違いざまに、レイラが袖口を握ってきたのだ。

 見下ろすと彼女は思案顔でこちらの顔を覗きこんでくる。


「じゃあ、アンタが優秀な製鉄師だったって言うのも、」

「――嘘だよ」


 吐き捨てるような返答は、問いかけが終わる前に放たれた。


「優秀ったぁ、大層な冗談を吹き込みやがる」


 縋るように裾を掴んだままの手を振りほどく。

 視線は既に、銀色の少女から赤褐色に覆われた廊下へと向いていた。


「俺は、ただの弱っちぃオッサンだ」


 じゃ、と後ろ手に右手を挙げてその場を去る。

 歩みは決して早くはないが、どこか逃げるような心持ちで。


 その背中を。


「……」


 レイラは、静かに見送った。




 天孫、ひいてはその血族たる六皇爵家こそあったものの、日本という国家が現在の皇国へとその統治体制を移動する前に、かつて共和制が敷かれていた時代がある。特に大きな建造物や公共交通機関網の大枠は、ブラッドカタストロフによる経済混乱が起きる以前の、その共和制時代の雛形として再利用されることもままあった。


 千葉県北部の皇国関東第一国際空港――かつての成田国際空港も、つまりはそういう「遺産レガシー」の一部だった。

 ……とは言っても雛形は飽くまで雛形だ。さすがに魔鉄歴以前の建築物を残しているわけではなく、施設等は全て魔鉄文明以降のものへと改修が行われているが。

 その国際線ターミナルで、二人の少女がスーツケースを引いていた。


「ぬぅ……なんでこう、入国審査やら税関やらは無駄に待ち時間が長いのか……。実際の手続きは一分もかからないから損をしているような気持ちになるぞ……」


 ぼやいたのは背が高い方の少女だ。歳の頃は一六ほど。いかにも西欧人らしい長く目映い金髪をポニーテールに結わえている。苦々しげに細められたのは大海の如く、深く透き通るような碧眼。コルセット型のスカートには帯のようなリボンがアクセント代わりにくっついていた。背には竹刀袋を二つも担いでいるのが特徴か。


「一度に大量の乗客を運ぶからだろ。飛行機なんてポンポン飛ばせるものじゃないんだから、便数かずより客数しつになるのは仕方ない」


 対して、諫めるような口調なのはその大人びた台詞に反して背が低い方だ。外見だけならやっと中学校に入ったか否か。ショートボブの金髪に桜柄のカチューシャがよく似合っているが、裾にフリルがついた黒とピンクを基調とした柄物の和服という出で立ちは良くも悪くも人目を引く。

 だが、彼女らが目立つ理由は容姿の美しさと奇抜さだけではない。

 その左の二の腕には、可愛らしさもクソもない鉄色の腕輪がはまっていた。

 海外のOI体質者――製鉄師や魔女が来日した際に貸し出される、日本皇国内での仮登録証OICCだ。

 駅への連絡口を抜けた後の外貨交換所で手持ちの紙幣を日本円へと両替したあと、今度は併設された鉄道駅への改札を抜けていく。


「折角来たのだから、行きがけに成田観光くらいしても罰は当たらないと思うわけだが」

「どうせ特段観るものなんてない。景観保持条例が出されているのは参道だけだし、その参道もうなぎ屋となんだかよく分からないお土産ショップばっかりって父上が言ってた」

「じゃあ佐倉はどうだろう。博物館と武家屋敷があるらしいぞ。サムライ!」

「いいからまずはとにかくホテルにチェックインさせてくれないか? 結構辛いんだぞ、この身体でスーツケース引くの。だいたい今何時だと思ってるんだ」


 とりとめもないやりとりを交わしつつ、列車に乗り込む少女達。

 その手に握られた切符には、聖銑区までの値段が刻まれていた。

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