第3話 私は輪の外にいます

前話で小難しく話しましたが、要は何を語りたかったのかと言うと、

お願い!批難しないで!元気付けないで!!こんな人間でも大丈夫だよ、と受け入れて!という事です。


すべての鬱の方がこうではないと思います。

鬱病と調べると今じゃ沢山の種類がありますからね。


その中で私の状態に近いのが

「笑える鬱」だったんです。

詳しくは言いません。

専門家では無いので、すみません。

気になる方は調べてみてください。


ただ、今の私が本当にそうなのか、は分かりません。

弱い人間なだけだ、と言われれば、私は、

そうなのかもしれません。

と、返すしかありません。


なぜなら、それは私の望む答えでは無いですし、何よりそう思っている自分もいるからです。


そうですね、ここでは私が思う

私の今の立っている場所について、お話ししましょう。


私は「決して強くは無い人間」です。

ただ「ひとりでいる事になれている」だけです。


ひとりの時間が必要な人間、というのが正しいでしょうか?

誰でもそういう時はありますよね。


だから「ひとりでも平気な人間」と思われます。

「ひとりでなんでもできる」「ひとりで大丈夫」そんな「強い人間」だと、思われます。

そう思わされてしまいます。


私はなんでもできるわけではありません。

「できるようになろうとします」。

私はひとりで大丈夫なんかじゃありません。

「ひとりになれているだけです」。

私は強くなんてありません。

「強くあろうとするだけです」。


誰かが見る私は、決まって本当の私ではありません。

誰もが見繕うように私も見繕います。

疲れてしまうほどに、私は、他人が望む私の姿を見繕います。


きっと皆さんも社会でそういう時を味わっているのではないでしょうか?

そんな時、きっとほとんどの人が支えを持っていると思います。


本当の自分の全てを見せられずとも、どこか心の拠り所になっている、そんな場所、人、ものを皆さんは持っていると思います。


家族や友人、恋人、趣味、好きな事…

幸せと感じる瞬間を持ってはいませんか?


それが今の私にはない。


今までもあったか、と言われれば定かではありません。

ただ今の私にあるのは

大きな消失感や怒り、過去のトラウマ、孤独感、マイナスのものが多すぎて

潰れてしまいそうです。


けれど、それを表に出すことはしません。

出したところで、誰も助けてなんてくれなかったからです。

誰も受け入れてはくれなかった。



だから、私は「笑います」。



今の私はきっと、色んな輪から外れてしまっているのでしょうね。

理性とか、普通とか、そんなものも含めて。


私はね、ただ

聞いて欲しかったんです。

「そうだね」って受け入れて欲しかったんです。

少しだけ寄り添って、優しくして欲しかったんです。

私が感じた恐怖や怒りを、少しだけ笑い話とか、優しさで上書きして、この先も今の自分でいいんだと、ただ生きていけるようにしたかったんです。


「それは叶わないと知った」。


だから、私は「笑います」。

自分をそうやって殺しでもしなければ、生きていられないからです。


この苦しみを持ちながら、人の輪の中にいるのは私には辛すぎます。


だから、私は今「輪の外」にいるのです。


そうしなければ、私は耐えられない。

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