第五話

「なに考えてんのか知らねえが、主が傘差してねえのに、傘の下に俺が入る気はねえからな。」

男は私に向かって不満そうに言った。

(ああ、そうか。)

彼には、彼の忠義があって、譲れないこともある。

ならば、

「大きめの傘を持ってきて正解でした。」

私はそう言って微笑むと、持って来ていたもう一つの紳士用の傘をお墓の上に引っ掛けて置く。

「お、おい……。」

もちろん本物の幽霊がいるのはこんな墓の中じゃないし、本物の幽霊は雨が降っていようがいまいが、死んでいると自覚がある限り、濡れたりはしない。

でも、見えない人にはそんな事は知ったことじゃあない。

突然現れた人にあなたの主はあなたに傘をさしてほしいと言っています。なんて言われるよりもずっといい。

(たとえそれが、嘘だとしても、)

「これであなたもさせますね。」

そういって私は彼の隣に座り込み、小さいほうの傘を彼と共有する。

(こっちの方がいい。)

木に溜まっていた滴が垂れて、傘にボトボトッと落ちた。

その音が面白くて、私はそっと微笑む。

「……。」

男は苦虫を噛み潰したような顔で反論しようとしていた。

墓の主は自分の墓石をべしべしと叩いて、過呼吸になりそうな勢いで笑っていた。

笑い声は無いが、げらげらという大きな音が響きそうな笑顔だ。

「……はあぁ。」

そうため息をつくと、彼は傘を私の方に少し傾けた。

「ちょっ、」

「……肩濡れてんぞ。」

「え?」

気付かなかったが、言われてみれば少し濡れている。

でも、それだと彼の肩が濡れてしまう。

そっと押し戻して、

「こんなに傾けるとあなたが濡れます。」

そう言った。

しかし男はそれを聞いてムスッとした顔をすると、

「……俺はもう濡れているからいい。」

そう言って押し戻す。


そんなやりとりを繰り返している間に雨は少しずつ弱まり、そっと止んだ。

「止みましたね。」

そう言って私は立ち上がり、手を空へと向ける。

男も立ち上がった。そして、傘がひっかけられた妙な墓に向かって九十度に一礼する。

墓の主はちょっと悲しそうに笑って、帽子を軽く上げる。

私は墓の裏手に回ると、墓にひっかけていた傘に手を伸ばして引っ張った。

「……あれ?」

隙間に入ったのかどこかに引っかかってしまっているのか、うまく取れない。

「そのままにしておいてくれ。」

男がそう言って私は振り返った。

「また雨が降っても主が濡れることのなきように。」

「……。」

私はそっと傘から手を離す。

墓の上の幽霊は静かに手を振ると、消えていった。

男が祈ってようやく、ここに居る事が出来ていたのだろう。

雲は静かに引いて、足下に出来ていた水たまりに光が差す。そこに一滴、水が落ちて波紋が広がる。

見上げると、男が二人で入っていた傘を差し出してそっぽを向いていた。傘から垂れる滴が、水たまりの上にぽたり、ぽたりと落ちる。

「……傘、お前の。」

「あ、うん。ありがとう。」

私は笑顔で受け取る。

「こちらこそ、……あんたのおかげで主は濡れずにすむ。」

「……。」

私は思わずどもって返事ができなかった。

たぶん、これが寺の主達に知られれば、私は怒られてこの傘は撤去されてしまうだろう。

(まあ、でもいいか。)

また私がさせばいいのだ。

いつ、この男が来てもいいように。

何度だって。

「……分かりました。」

そう言って私は男の前に立つ。

墓の上にさされた傘はそのままで。

風が吹いて彼のシャツが揺れる。少し古いシャツは彼には少しだぶだぶ過ぎる。

男の姿が一瞬乱れて、十代程の男の子の残像が浮かび上がる。

着物を着た彼は、ギュッと口を結んで立っている。

慌てて目をこすると、元の男が立っていた。

目を白黒させている私に、男はふっと笑うと、

「……帰る。」

そう言ってすたすたと歩き去っていった。

角を曲がって出口の方へ。

「あのっ!」

慌てて追いかけると、角の先に彼の姿は無かった。

ただ、白砂の道があるだけ。

夕焼けがうっすらと雲に映り、美しい空が広がっていた。

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