第弐拾六節
結局のところ、月星丸がどれだけ抵抗しようと葉山の思うように話しはすすみ、月星丸が尼寺に移る日がやってきた。
聞けば、その谷地田とやらは齢80を越える高齢の女性で、近々この寺に引退を申し出る予定の年寄であるらしい。
特に厄介な存在ではないが、無視するわけにもいかぬという。
お忍び風での転居も考えたが、上さまの姫に恥はかかせられぬと、豪華ではなものの、それなりの行列が用意された。
出立の日、女行列とはいえ、その周囲には数人の男の護衛がつく。
俺は葉山たちの後から、目立たぬようにつきそうことになった。
「こんな厄介な行事は、回避できなかったのか」
「城を抜け出ているという事実がある以上、致し方あるまい。これも正常に戻す為の段階的準備の一つだ」
そこまで言われると反論の余地もない。
余分な仕事はどんなことでも嫌がる葉山が引き受けたのだ。
これはいつかやらねばならぬこと。
狭い庭先に、行列のための女が集まる。
俺にはそれが恐ろしくて近寄れない。
その数、五十になろうかという大集団だ。
屋敷から出てきた月星丸が駕籠に乗るために庭へ下りた。
こちらを振り返る。
頭を下げ、なにか礼を述べているのを、俺は障子の隙間からこっそりのぞいていた。
屋敷の女中が心配して声をかけてくれたが、そのような気遣いが出来るのなら、そもそも俺に話しかけるでない。
尼寺に入るとしばらくお顔が見られませんからとか、そういう問題ではないのだ。
あんなものの前に出るなんて、さらし首にされている気分だ。
俺は適当な返事をしてから、行列が出て行くのを見送った。
完全にその気配が消えてから、ようやく草履を履く。
屋敷の者が持たせてくれた弁当を手に、俺は散歩にでも出るような気配で通りにでた。
行列の去った後を、ゆっくりとついていく。
特に何者かが後を追う気配もない。
昼前に出た行列は、夕暮れ時には件の寺へ到着する予定だ。
その行く先が、急に方向を西に向けた。
予定では、この通りをただ真っ直ぐ北上すればよいだけだったはず。
大通りを左に曲がった行列に、俺は思わず足を速めた。
ゆっくりと進む、月星丸を担いだ行列は、それでも止まることなく確実に道を進んで行く。
行列の所定の位置に葉山の姿がない。
俺は裏通りに入ると、駆け足で行列を追い抜き、その前に出た。
先頭を歩く女の隣に、葉山がいた。
葉山は女に何かを話しかけていたが、女は聞く耳を持たない。
俺に気づいた葉山は、視線だけで合図を送る。
この行列の行き先は、変えられたということか。
葉山は行列中央の月星丸の乗る籠近くまで移動すると、そのままそれに付き添うように歩いている。
俺は一本奥の通りを、行列から離れぬように急いだ。
行列はやがて、郊外の山寺へと入っていく。
そこも尼寺だ。
門の横に立ち中に入る行列を、葉山たち数人の男が見送る。
門が閉じられた後で、俺は葉山に駆け寄った。
「おい、どういうことだ」
「方違え、だそうだ」
葉山がイラついている。
方違え? いつの時代の話しだ。
この行列と目的地であった尼寺を用意したのは藤ノ木と聞いていたが、さすがに方違えまでは計算に入っていなかったらしい。
尼寺にしては門構えの重厚な作りだ。
高い塀が辺りを取り囲む。
「早急にこの近くに宿を探せ」
寺から離れて門前町に戻った葉山が、部下に命じた。
既に日は落ち、辺りが暗くなり始めている。
屋敷から付き添った女中は二人しかいない。
中の様子も分からなかった。
「中の者に文を託す。それで様子をうかがい知るより、他にない」
葉山は網袋から筆と紙を取り出した。
その場でさらさらと用を書き付け、使いの者に渡す。
「これをあの寺に届けろ。中の女中宛だ。必ず本人に自ら手渡し、返事をもらうまで帰って来るな」
使いの者は、寺に向かって走る。
「何日ここに留め置くつもりだ」
「このあたりで、名高い陰陽道の師でも探してくるか?」
占いで出立に凶とでれば、いつ本来の逗留先に出発できるのかも分からない。
再び行き先の変更を強要される可能性もある。
俺たちは用意された宿に入ると、寺に入った女中からの返事を待つことになった。
付き添いとして行列に加わった男は俺を含めて四人。
そのうちの一人は寺に使いに行き、うち二人は万屋と藤ノ木に急を知らせる使いに走った。
俺は部屋で葉山と向かい合う。
「敵方の差し金か」
「他にあるまい」
葉山はじっと、何かを考え込んでいる。
宿の窓から寺の様子は分からない。
俺は窓辺にもたれて、民家の屋根の隙間から見える寺院の屋根の端を見ていた。
もう少し時間が経ち、中も落ち着き寝静まる頃には忍び込むことも可能であろうが、今はまだ早い。
ここは典型的な門前町風情の小さな村で、寺は山裾にある。
町と寺との間には荒れた土地が広がっていて、身を隠す場所もないが潜伏も不可能だった。
「この町中の宿で、怪しい人間を探すか?」
俺がそういうと、葉山は首を振った。
「仲間はいるかもしれんが、女の刺客が中にいる可能性の方が高い」
女装をするにしても、俺は明らかにがたいがでかいし、葉山は色白の中並みだが、細くつり上がった厳しい目つきが、完全に強面の男顔だ。
「余計な詮索は自らの目をつぶすようなものだ。返事を待つ。今できることは、それだけだ」
時だけが刻々と過ぎていく。
送ったはずの使者は、誰一人として帰ってこない。
やがて満月が山の端に顔を出した。
「ただいま戻りました!」
聞こえてきたのは、山寺へ送った使者の声だった。
手にした文を葉山が広げる。
そこには、今宵山寺を抜け出すゆえ、町外れの参詣道入り口で落ち合おうとの内容が書かれていた。
「あのバカが考えそうな内容だな」
「月子さまが自ら出てくると思うか?」
そう言った葉山に、俺はうなずく。
「俺はあいつを連れてそのまま北の尼寺へ向かう。後ろは任せた」
葉山は文を懐にしまうと、一つうなずいた。
「ただいま戻りました!」
次に戻ってきたのは、藤ノ木のところへ出した使者だった。
文を葉山に差し出す。
葉山はそれを受け取ると一人で目を通し、そのまま懐へしまう。
「何が書いてあった」
「大事ない。少し出かけてくる」
葉山は立ち上がった。
「おい! 今しんがりは頼んだと受けた直後だぞ!」
「状況が変わった。お前一人で何とかしろ。この者たちは好きに使え」
葉山は部屋を出ていく。
一番頼りにしていた男が、ここで抜けるとはどういうことだ。
一瞬、河原で首を斬られる寸前だった月星丸の姿が頭に浮かぶ。
だがすぐにそれを振り払った。
月を見上げる。
考えている暇はない。
俺はすぐに二人の男に視線を戻した。
「俺は寺院の山門の脇に潜む。二人は待ち合わせ場所の参詣道に立ち、とにかく周囲に気を配れ」
参詣道で落ち合う時刻が迫っていた。
俺は腰の刀をぐっとつかんでそれを確かめると、宿を出た。
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