第壱拾八節

夜道を歩いて、関の家へ急ぐ。


ほんの僅かな滞在期間だったはずが、妙にあの場所の雰囲気を、俺自身が引きずってきているような気がする。


まるであの女に、呪いをかけられたような気分だ。


ふん、呪いか。


せめて、まじないとでも言っておこうか。


月星丸の寝かされている部屋に入る。


そこには葉山が座っていた。


俺が入って来たことに、気づいていないわけはないが、枕元に座りじっと腕を組んだまま動かない。


ちらちらと揺れる灯りの中で、葉山は目を閉じていた。


「何しに来た」


言いたいことは沢山あったが、とりあえず葉山の横に座る。


葉山は目を開けただけで、一言も発しなかった。


「罪人は捕らえたのか」


「罪人などおらぬ」


俺は、再び目を閉じた葉山の横顔を見た。


「罪人がおらぬとはどういうことか。現に往来で人が刺されたのだぞ」


「もし罪人を捕らえよというのなら、お前が捕らわれて処刑されることになる」


「おい。どういうことだ」


「そういうことだ。罪人など探しても無駄だ。俺に捕まりたくなければ、ここで大人しくしておけ」


俺は一瞬、その言葉の意味を考えかけたが、そんな理不尽なことに何かを考える必要はねぇ。


すぐに葉山の襟元をつかんで、引きずりあげた。


「そりゃどういう意味だ」


「鏡月楼へ行ったのであろう。そこで話は聞かなかったのか?」


タカリと頭上で物音が聞こえた。


俺は葉山を掴んでいた手をはなす。


「一つ確認しておくが」


刀の柄に手をかける。


「貴様、どっちの味方だ」


葉山も、腰の刀に手を置いた。


「それを知らぬのが、そなたのメデタイところだ!」


天井の板が抜ける。


黒装束に身を包んだ男が飛び出した。


振り下ろされる刃を刃で受け止める。


葉山は鞘ごと抜いた刀で、自身の身を守るように構えた。


強い。


身軽な身のこなしと師範代のような正確な刀裁き。


剣術の教本と戦っているようだ。


下に構えた刃と刃が重なりあい、押しつけられるその力を受け止めるだけで、俺の腕はぶるぶると震えている。


「お前、何者だ」


そうささやいた瞬間、男は後方へ高く飛び上がり、間合いをとった。


斬りかかった俺の脇をするりと抜けると、半身を起こした月星丸に斬りかかる。


「葉山!」


俺は後ろを向けたその男の背を、思い切り蹴り跳ばした。


「お前も加勢しろ!」


床に転がった男は、そのままくるりと一回転して立ち上がった。


俺の腹に一発の肘うちを喰らわせると、月星丸を真横に斬る。


斬られた布団から、無数の綿が飛び散った。


男がもう一度刀を振り上げる。


それが振り下ろされた時、俺の右腕から血しぶきが上がっていた。


間一髪、男への体当たりで、刃先の軌道は月星丸から逸れた。


俺は即座に剣を左手に持ちかえ、斬りあげる。


男の黒装束が、はらりとめくれ落ちた。


「その香り、藤ノ木の回し者か」


俺はもう一度正眼に構えて、男と向かいあう。


「お前、どこから来た」


男が、ふっと笑ったような気がした。


そのまま廊下に飛び出すと、庭を駆け抜け塀を跳び越える。


「待て!」


追いかけようとした俺の、腕の傷がズキリと痛む。


思わずその場にうずくまった。


「くそっ」


騒ぎで起き上がってきた関と家の奉公人たちが、心配そうにのぞき込んでいる。


ほっと一息をついた葉山が、腰に鞘の刀を戻しながら言った。


「あなた方にお怪我がなくて、何よりです」


「俺が斬られた!」


「ここは医院だぞ。よかったな、安心いたせ」


関は俺の腕をめくると、手当てを始めた。


関に向かって葉山が言う。


「あなた方は、この私が全力でお守りいたします」


「俺と月星丸も守ってもらいたいもんだがなぁ!」


「それは出来ん」


「さぁ、手当ては済みましたよ」


関は俺の腕に巻いたさらしを、ぽんと叩いた。


「さほど傷が深くないのはさすがだな。ほら、あなたも泣き止みなさい」


関は、月星丸を振り返った。


「こういう時は、何か声をかけてあげるものですよ」


そう言って、関は立ち去る。


そんなことを言われても、何を言っていいのかさっぱり思いつかない。


それは葉山も同じようだった。


「もう寝ろ。今夜はこれ以上、騒ぎは起こらないだろうからな」


「ごめんなさい、ごめ、ん、なさい……」


俺はこの場の雰囲気に困って、葉山を振り返る。


俺と月星丸を守る気のない男は、目を閉じてじっと座っていただけだった。


俺はその葉山の隣に腰を下ろすと、同じように目を閉じた。

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