第壱拾七話
駆け込んだ関の家の板の間に、月星丸は寝かされた。
刺された鋭利な短剣を引き抜くと、関はその傷口を熱した鉄の棒で焼き、酒を振りかけてからきつくさらしを巻く。
煎じた薬を月星丸に無理矢理飲ませ、手当てを終えると、用意した客間で布団に寝かせた。
「下手人の検討はついているのか」
看病を他の女に任せてから、関は月星丸の体から引き抜いた短剣を俺に差し出した。
「暗殺用に特別にあつらえたような剣だ。弱い力でも簡単に深く突き刺さるような形状に、刃が加工されている」
ひょうたん型のような、その鈍く銀色に光る短剣を見た。
「男だけが犯人とは、限らないということか」
「人混みの中での出来事だ。誰にやられてもおかしくはない」
一体誰が、執拗にあの月星丸の命を狙うのだろう。
特別な恨みをかっているとも思えない。
「すまぬが、あの者を少しの間、預かってはもらえぬか」
関はふっと息を吐く。
「仕方あるまい。目が離せぬ状態のうえに手当ても必要だ。よほど特別な者と思われるが、そなたも素姓を知らぬのか」
「それを今から確かめに行く。本人が何者か分からぬことには、敵方の様子もうかがえぬ」
俺はその短剣を懐にしまうと立ち上がった。
「関、月星丸にはよろしく伝えておいてくれ。暇を見つければ、また顔を出す」
「本人に挨拶はしていかぬのか?」
「あの部屋には、女の数が多すぎる」
関は笑った。
俺は日の傾きかけた通りを全力で駆け抜け、事件現場となった門前町の通りにたどり着いた。
わずか数時間前の喧噪は嘘のように消え去り、閑散とした通りに人影もまばらだ。
葉山の姿を探したが、当然のようにそこにはなく、部下らしき侍の姿も見当たらない。
そういえば、俺はあの葉山の正体も知らないな。
会いたいと思わずとも向こうが勝手に姿を見せる。
どう連絡をとっていいのか、その手段さえ分からない。
万屋か?
だがあの萬平が簡単に、依頼主の口を割るようには思えぬ。
俺は歩き出した。
やがて日は完全に落ち、あたりはすっかり闇に覆われる。
そういえば、この道は以前にも通ったことがある道だ。
逃げた月星丸を追いかけて、一晩中歩き回った通りだ。
立ち並ぶ家屋の向こうに、ひときわ明るい光の塊を見つける。
昼間は目立たぬその光も、夜の闇の中ではぽっかりと島のように浮かび上がっていた。
花街だ。
俺は何となくそこへ近づく。
そういえば、あの時に葉山から、ここで飲みに行かないかと誘われたな。
その柱のあった場所へ行ってみたが、むろん葉山はいなかった。
「よっ、お兄さん。ちょいと寄って行かないかい?」
客引きに声をかけられる。
女郎小屋の中で、檻に入れられた女どもが、派手な格好で俺に手招きをしている。
ある意味、絶対に手の届かない所にいるから安心だ。
それぞれの小屋の柵の中を、ゆっくりと見て回る。
特に収穫などあるわけ無い。
戻ろう。
そう思い始めた俺の前に現れたのは、萬平だった。
「おや、千之介さま。こんなところでお会いするとは、珍しい」
そう言って、にこりと微笑む。
「……。ちょうどよかった。そなたに話しがある」
「おいでなさい。あなたにも一度、会いたがっておられましたから」
たぬきオヤジに誘われて、俺は仕方なくついていく。
大通りから脇道に入った。
そこから二度、三度と角を曲がると、花街にしては珍しい、見世も台も何もない、質素な建屋の引き戸を引いた。
中に入ったとたん、俺はその光景に目を奪われた。
別天地、という言葉以外に、頭に浮かんでくるものはなかった。
平安時代の、寝殿造りを模したような建物が並んでいる。
庭の池には小川が流れ、浮島には庵が立っている。
しっかりと手入れされた砂利道の左右には、小さな灯りが均一に並べられ、効率よく配置されたかがり火が、庭全体を照らしている。
壁のないひさしの下には、客らしき男どもと女たちが、琴か琵琶でも弾いているのだろうか、微かな音楽の音に乗って、焚かれたお香のよい香りまで漂ってくる。
「何だ、ここは?」
「この世には、様々なところがございます」
萬平は勝手知ったる様子で、さくさくと砂利の上を歩いて行く。
花街の女郎らしい派手さが一切ない、落ち着いた格好をした女が、上から俺を見下ろして微笑んだ。
心拍数が上がる。
草履のまま上がってよいものか、迷うほどつやのある木造の階段を数歩上がる。
これは縁側と呼んでもいいのだろうか?
板の間から一段高くなったところに、青い畳が引かれている。
萬平がそこで履いていた下駄をぬいで畳に上がったので、俺も同じようにしてついていく。
香のにおいに混じって、煙草の煙が漂い始めた。
萬平が両膝を折って腰を下ろす。
俺はそのすぐ後ろに、どかりとあぐらをかいた。
丁寧に頭を下げた萬平の先には、一人の妖艶な女が座っている。
「おや、萬平どの、そちらのお方は?」
「こちらが千之介さまにございます」
「おぉ、そなたがそうであったか」
女はとたんに、うれしそうな笑みを浮かべた。
キツネが化けたような、歳の頃も分からぬ妖しげな女だ。
バケモノが気の向くままに化け、今はたまたま人間の女のナリをしているだけのような、不思議な感覚がある。
女としての恐怖心を煽られない。
それを上回る狡猾な姿態が、本能的に俺を引き締めさせていた。
「先日も世話になったばかりであったな」
女郎小屋から抜け出すという、二人を見送った仕事を思い出す。
「あの時の?」
「礼を申す」
女は煙草の灰を、ぽんと火鉢に落とした。
この女があの時の真の依頼主というのか。
「して、月星丸の具合はどうだ」
女は萬平に言った。
「この千之介さまがお世話をさせていただいております。ただ……」
「話しは聞いた」
女はふぅと煙草の煙を吐いた。
「こちらの準備も進めてはおるが、こればかりは今日明日というわけにはいかぬ。もう少し、お月の気持ちが落ち着いていてくれればよかったのだが」
「済んだことを申しても、始まりません」
「そうだったな」
女はまた煙草の煙を吐いた。
「萬平どのにはいつも助けられる」
「千之介どの」
女がこちらをのぞき込んだ。
「これからも、月星丸をよろしく頼みますよ」
女が合図を出した。
とたんに用意されていた、いくつもの膳と酒が運ばれてくる。
俺の前にも豪華な膳が置かれ、女が酌を申し出た。
俺はつい、ビクリと体を震わす。
「おぉ、千之介どのは女が苦手であったな。これ、酌を若衆に代われ」
「そんな気遣いは無用だ」
俺は立ち上がった。
こういう宴席は苦手だ。
「すまぬが、月星丸の様子が気になるため、早々に退席させていただこう。この度の歓迎、心より感謝する」
立ち上がった俺を見て、女は笑った。
「少しお待ちを」
引き出しから何かを取りだした。
「これは、わたくしからの、ご武運をお祈りするお守りにございます」
盆に載せられたそれが、俺の前に運ばれてきた。
「どうかこれをお持ちになっていて下さい。ほんの気休めではございますが」
小さな布の袋に、簡単な刺しゅうを施しただけの、白いお守りだった。
「恩に着る」
俺はそれを袂に入れた。
「それでは」
すっと差し出した指先を丁寧に揃えると、女は両手をついて頭を下げた。
その場にいた給仕の者ども全てが、一斉にこちらに向かって頭を下げる。
「またお目にかかれる日を、楽しみにしております」
そのしなやかな身の振る舞いに、この者の本性を見た気がした。
俺はぐっと頭を下げ会釈を返すと、この地を後にした。
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